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第4話

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 江戸幕府第三代将軍、徳川家光が薨去した翌年。慶安五年に吉原遊廓の自警団ともいえる四郎兵衛会所を束ねる西田家に、一人の女児が誕生した。兄であり次期当主となる幸正ゆきまさとはふたつ違いの愛らしい女児。

 乳を存分に飲み、あまりの吸い付きの良さに母は思わず
「あれ……まるで男児のような力強さだこと」
 と半ば呆れ混じりに、しかし幸せそうに笑った。

 父もすくすくと育つ娘を、表面上は素っ気なく見守りつつも内心では恵比須顔である。

 跡取りの幸正と妹のりんは、四郎兵衛会所の首代となるべく幼い頃から武術の稽古を始める。男児の幸正ならともかく、女児の凛が何ゆえ武術修行が必要なのか。それはこの西田家に生まれた女に課せられた使命があるからだ。

あねさま、いずれ凛の教育をお願いします。そのときまでどうか、健勝で」

 凛の伯母にあたるお須津すづの役目を、将来的に凛は継ぐ。

「この子は骨格がしっかりしていて、男児に生まれていても不思議じゃないね。これなら仕込み甲斐がありそうだ」

 凛が四歳の頃、早くも彼女はその幼い体躯には不釣り合いなほどの太く重い木の棒を持ち、祖父と剣術の稽古をしていた。傍には伯母であるお須津も控え、厳しい眼差しを送っている。お須津の手には稽古用の薙刀があり、凛が少しでも弱音を吐こうものなら容赦なく打ち据えた。

「凛、敵は一人だけとは限らん。戦場いくさばでは四方八方が敵だらけ、油断するでない」

 祖父は数多の戦場を生き抜いてきた猛者。豊臣家を滅ぼした大坂の役にも徳川方として参戦してきた。ここ公許遊里である吉原遊廓の創始者、庄司甚右衛門と共に遊廓の自治体系を創り上げた傑物である。

「そら足下が留守だ。攻撃は上からだけとは限らんぞ」

 祖父は小太刀ほどの木刀を上段から振り下ろすと見せかけ、凛に足払いをかける。まだ体幹が鍛えられていない凛は無様に転ぶが、寝転がったままでいると今度は容赦なく伯母が薙刀の石突きで腹を突こうと牙を剥く。無様に転がりつつ身を起こし、泣きたいのを堪えて祖父に打ち込んでいく。いいようにあしらわれ、転ばされ、小突かれては伯母からも背後から攻められる。

「大旦那様、まだ凛は四つです。あんまりです」
「黙らっしゃい、西田家に嫁いだならば我が家のやり方に口を出すな」
「そうですよ。わたしも幼い頃からこうして鍛えられてきました」

 義父と義姉から暗に邪魔だから退けと言われ、涙を呑んで母は稽古場から姿を消す。西田家の事情を理解した上で嫁入ったはずだが.想像以上の過酷さに母性が悲鳴を上げる。息子は更に厳しく稽古をつけられ、兄妹揃って生傷が絶えない。だが幼子たちは泣き言ひとつ言わずに祖父や父に食らいついていく。

「ふん、こんなものか。今日はここまでにしておこう」

 父と祖父が殺気にも似た気配を消す。兄妹は息も絶え絶えだったが、手にした得物を支えに何とか踏ん張っている。

「幸正、凛。なにも庇ってあげられないお母さんを許して」
「僕も凛も大丈夫だよ。今は弱いから傷だらけだけど、いつか父さんから一本取れる日が来ると思う。だから母さんは心配しないで」
「お兄ちゃんの言う通りだよ。おじいさまも伯母さんも稽古は厳しいけど、普段は優しいから平気」

 幼子たちはそう言って健気に笑う。それが余計にやるせなく、母はひとり涙をこぼす日々が増えた。

「旦那様から大旦那様にお伝え頂けませんか。子どもたちへの稽古が厳しすぎて、不憫でなりません。もう少しお手柔らかにお願います」
「それは俺に対する意見でもあるのか?」
「そ、そのようなことは決して……」

 西田家は吉原遊廓の自警団を司る、四郎兵衛会所の筆頭。現当主の妻は、首代の娘から現当主の妻にと選ばれ嫁いだ身。どうあっても口答えなど許される立場ではない。それでも我が子らに対する母の愛が勝った。自分は折檻されようと最悪、離縁されることになろうとも、子供らへの虐待にも見える稽古に我慢の限界が来ていた。

「この稽古はあの子らのためでもある。この吉原遊廓の大事な商品である遊女おんなたちに、乱暴狼藉を働く輩は後を絶たん。ましてや主立った客層は武家の連中。そんな奴らに遊女たちが怪我をさせられ、客を取れなくなったらこっちは商売あがったりだ」
「ですが」
「武家の子らは男女問わず、幼い頃から武芸を身につけている。いくら廓内では二本差しは預けるといっても、奴らは無手むてでも人を殺せる。廓内で唯一武器を携帯し鎮圧できる立場にいる首代が、無手の相手に易々と負けてはならんのだ」

 実父も首代の一人であるが故に、首代が客を取り押さえる際にとても危険な目に遭うことを幼い頃から知っている。だからこそ、自分の子たちにはそんな目に遭って欲しくないと思ってしまうのだ。
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