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しおりを挟む目覚めた私とアーヴィング様は、それから暫くの間お互い涙を流しながらぎゅうぎゅうと抱き締めあった。
アーヴィング様の記憶が完全に戻り、きっとアーヴィング様は私にしてしまった事を全て思い出して様々な感情に心の中がぐちゃぐちゃになってしまっているのだろう。
何度も私に「すまない」と声を震わせながら謝罪を口にする。
けれど、私はもうアーヴィング様に謝罪をして欲しく無くて。そっとアーヴィング様の胸に手を当てるとぐっ、と自分の腕に力を込める。
私の行動に気付いたアーヴィング様は、私を力強く抱き締めていた腕を緩め、ゆるゆると体を離してくれる。
「アーヴィング様……、もうそんなに謝らないで下さい」
アーヴィング様の綺麗なアメジストのような瞳がじわりと滲んでいて、その瞳に映る私の姿の輪郭もじわじわと歪んでしまっている。
そっとアーヴィング様の頬に私が手のひらを当てると、アーヴィング様は私の手にすり、と瞳を閉じて擦り寄る。
「いくら謝罪しても、し足りないだろう……。俺は、愛するベルを蔑ろにして……あんなっ、あのような女に……っ」
「ア、アーヴィング様っ」
秘薬に操られたとは言え、ルシアナ様に愛情を抱いていた事が耐えられないのだろう。
アーヴィング様は最後は吐き捨てるようにそう言葉を紡ぐと恐ろしい程低い声音でぽつりと呟いた。
「──あの二人、絶対に許さない……っ、然るべき手続きを取って報いを受けさせる……っ」
そして、アーヴィング様はそう呟いた言葉を有言実行させる為にその日から侯爵家の仕事以外の時間を行方をくらませていたルシアナ様の捜索に費やし、直ぐにルシアナ様の身柄を確保した。
魔女の秘薬を悪用された事により、多大な被害を被ったと言う事を国王陛下へと報告し、アーヴィング様は新聞社にもその情報をわざと流して世論を味方に付けた。
事態が収束する事無く、平民達に貴族は傲慢で金銭を愚かな事に使用すると言う事を印象付けた。
それにより、一時的に平民から貴族への印象も悪くなり、平民から貴族へ向けられる視線も以前よりも鋭く、厳しくなる。
けれど、アーヴィング様は「監視になっていいだろう」とけろっとそう仰った。
自分の領地の領民達に税を納めて貰い、それを国に納めたり自分達の生活に使用している貴族なのだ。
自分達の納めた税をどう使用しているのか、監視してもらうのは良い事だ、とアーヴィング様は勝気に笑っている。
アーヴィング様の意見には確かに頷けて。だって、真っ当な使い方をしていれば何も後ろめたい気持ちなど感じないのだ。
平民に監視されていて、嫌だと感じる貴族は……すなわちそう言う事なのだろう。
ぽろぽろ、と国内の貴族達から大なり小なり不正や横領の事実が出てきて、その中にはルシアナ様やイアン様の家の名前もあった。
その事を知った私は、今日も書斎でお仕事をしているアーヴィング様の元へと向かい、扉をノックして中へと入った。
「──ベル!」
お仕事中にお邪魔をしてしまったと言うのに、アーヴィング様は嬉しそうにぱあっと表情を輝かせると執務机から立ち上がり、私の元へとやって来てくれる。
室内に居たシヴァンさんが「お茶をご用意致しますね」とにこにこと笑顔でそう告げ、素早く準備に掛かる姿に、私はアーヴィング様に向かって唇を開いた。
「お仕事中に申し訳ございません、アーヴィング様」
「いや、丁度休憩をしようとしていた所だったから大丈夫だ。何かあったのか?」
アーヴィング様に手を引かれ、ソファへと案内されて私達がソファに隣り合わせで座ると、自然とアーヴィング様の腕が私の腰に回る。
アーヴィング様のその行動が自然で、当たり前の日常に戻った事に私は幸せを感じながらそっとアーヴィング様に体を預けると疑問を口にした。
「アーヴィング様はもしかして、ルシアナ様とイアン様のお家の不正に気付いていらっしゃったのですか……? だから……共に断罪しようと……?」
シヴァンさんが用意してくれた紅茶のカップに口を付けていたアーヴィング様がちらり、と私に視線を向けて「いいや」と口にした。
「不正の事実は知らなかったんだが……ルシアナとイアンが秘薬を手に入れた経緯を調べていたら、どうも莫大な金を払っていたようでな……。その金の流れを調べている内に不正に気付いたから陛下にご報告したまでだよ」
「──まあ……」
「だから、実際裏を取ったのは陛下から依頼された正式な機関だろう。俺はただ、おかしい事が起きてませんか、とご報告したまでだからな」
ひょい、と肩をすくめるアーヴィング様の口元がゆったりと笑みの形になっている事を確認して、私は驚いてしまう。
ここ最近は、アーヴィング様が夫婦の寝室にやって来るのは日付が変わるか変わらないかと言う遅い時間帯が殆どだった。
きっと、寝る時間を惜しみ様々な事を調べていらっしゃったのだろう。
そうして、ようやくそれが身を結んだ。
「そう言えばベル。それだけでここに来たんじゃないんだろう? 何かあったか?」
「──あっ、そうでした……!」
私ははっとして、アーヴィング様に体を向けると今朝届いた手紙を二通、アーヴィング様に見えるように翳す。
「一通は、先日まで滞在していた私の友人、マリーからで。私達に起きた事を知ったようです、その手紙で……」
「そうか。……気遣いに返礼をしないといけないな。……ちなみに、もう一通は?」
不思議そうな表情をしているアーヴィング様に、私は唇を開いた。
「青の魔女さん、からです。……青の魔女さんが明日、邸に訪問する、と」
「本当か? それならば青の魔女殿を出迎える準備をしないとな」
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