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5章 雪が解けゆく

5-6 踏みつけたくなる衝動

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 ここは冒険者ギルド。受付カウンターの近く。
 ルルリがリンカのワンピース攻撃を受けている。

 何をやっているんだか。
 リンカは締まりのない顔でルルリをしつこく追い掛け回している。

 ビスタの仲間たちは、こういう形でルルリに鈴をつけるとは。恐ろしいことだ。
 というのは冗談である。

 常識は本部に置いてきたはずのビスタがリンカを止めた。
 ルルリはワンピース自体には興味があるようだ。

「そのワンピース、リンカのお古なんだろ?着る人間が他にいないというなら、ルルリがもらって着てみたら?」

「え、でも、ダンジョンに潜れば汚れるし」

 そう、この子は単独で北のダンジョンに挑んでいる。
 十歳の子供が。
 階層はまだ浅いようだが、それ相当の訓練は聖教国エルバノーンで受けてきたということだ。さすがは人形遣いの一族の跡取り、並大抵の努力ではない。
 現在はあの爺さんが人形遣いだから、人形遣いの一族は文字通りの人形遣いだと勘違いしている各国の人間も多い。聖教国エルバノーンの爺さんのギフトは『完全掌握』。裏稼業の人間としては最高のギフトだ。

 この『完全掌握』より俺の『蒼天の館』の方がレベルが高いので、爺さんが追跡に燃えるわけだ。
『完全掌握』は強力なギフトなので制約が多い。『蒼天の館』は超強力なギフトだが制約は少ない。

「ダンジョン行かない休日ならいいじゃーん。お礼は着ている姿を見せてくれれば、お姉さん大丈夫だよー」

「リンカに見せるかどうかはともかく、普段、着るものはあった方がいいんじゃないか?」

「確かにレンの言う通りだけど」

 ルルリが俯く。
 ビスタがリンカからワンピースを奪って、ルルリに渡す。

「ほら、仲間が迷惑をかけたな。コレは詫びの品だ」

「えっ」

 ちょっと嬉しそうな顔になったのは全員見逃さなーい。

「ほら、リンカは捕まえておくから、子供はさっさと宿屋に帰りなー」

 ビスタがリンカの首根っこを押さえている。

「ありがと」

 ちょこっとお辞儀をして、ルルリはギュッとワンピースを抱きしめ冒険者ギルドを走り去る。

「ちょっと、あっ、ルルリちゃーん」

 追いかけていきたいのか、リンカ。
 ここはおとなしく手を振っておけ。

「あー、ビスター、せっかくのお姉ちゃんと呼ばれる計画がー」

「何を考えてんだ」

「今のリンカと比べると、なぜかビスタが常識人に見える」

「レンもいちいち感想を述べるな」

「っ、」

 三人が三人とも臨戦態勢になる。ビスタも俺も剣の柄に触れる。
 その視線の主は、一体の人形だった。
 かなり小さい。が、小さいのに不気味さが光る人形だ。やはり持っていたんだな。

「チッ、聖教国エルバノーンの人形遣いの爺さんか。落とされるなんてボケたのか、操作ミスか」

 舌打ちまでしてしまった。
 ルルリが身を翻して走り去ったので、落ちて置き去りにされてしまったのか。

「失礼なことを言うんじゃないっ。わざと落ちたんだ。おいっ、ナチュラルに踏もうとするな。私が娘の作ってくれた人形を大切にしている話を聞かせてから、わざと壊すことはなくなったじゃないか」

「あー?不気味な人形を久々に見て殺意が湧いたなー。孫娘のルルリに可愛い人形を持たせて油断させておくなんて、えげつないことをするようになったなー、爺さんよ」

「あ、おい、剣を抜くな。一体しかないんだ、今回は。壊さないでくれ」

 人形が跪いて祈るポーズをする。毎度思うが、器用だな。顔は不気味なままだが。よく見れば、いつもの人形よりは不気味さは半減しているか?小さいから錯覚か?不気味は不気味なんだが。
 そりゃ、孫娘に持ち物を制限させているのに、自分の人形を何体も持って行かせるわけにはいかない。彼女の人形も必要だし。
 人形遣いの一族は魔術がかかった収納鞄を持ち歩かない。
 かなりの量を詰め込める収納鞄は便利なモノだが、その魔術が魔術探知に引っかかる場合が多いからだ。
 普通の人や合法的な品物を扱う商人なら探知されようが特段問題ない。
 裏稼業を生業にしている彼らは、僅かな危険性を排除する。
 必要なものだけ自分で持ち歩く。
 身分証だって、本来ならば仕事をするときは持ち歩かない。
 この一族は身元がバレたらヤバい仕事を山ほどやっている。

「どうか孫娘を助けてほしい。どうやら厄介な連中に目をつけられた」

 爺さんが操る人形は祈るポーズのままだ。

「厄介な連中?」

 俺とビスタの視線はリンカに移る。リンカはえ?私?という表情になった。自分の行動にもう少し自覚を持とうぜ。

「そこの娘のことではない。孫娘のルルリが可愛いワンピースを着れば、より可愛くなるのは当然だ。そうではなく、聖教国エルバノーンに対して昔から何かと対抗してくるエルク教国が暗殺者を差し向けた」

「エルク教国?聖教国エルバノーンともアスア王国にも接している国だな。確か宗教音楽信仰の国で、音こそに神が宿ると伝えているところだな」

 ビスタがエルク教国の情報を思い出している。
 聖教国エルバノーンは神の代理人である国王崇拝の国である。だからこそ、あの国では聖職者が権力を手にしても王族をすべて殺害することは不可能なのだ。そんなことをすれば、国が混乱する。国王になるものこそがあの国の行く末を意味する。
 他の宗教国家は神の代理人とはいえ、人を信仰の対象にすることに忌避を覚えている。ただ、聖女信仰の国であるシルエット聖国も存在しているのだが、聖女も人なのに、同類としか思えないのに、その国でさえ忌避している。

 アスア王国の地も含めて周辺の宗教国家は大昔、ひとつの大国であったのだが、それぞれの主張が激突して分裂した。それが今でも尾を引いているし、元は同じ神を信仰していたのだから仲良くできるかと言うと、宗教国家同士みごとにいがみ合っている。
 宗教に縛られない自由が欲しい人間がアスア王国を作った。宗教に弾圧された者は他国からアスア王国に逃げてきた。一番近い自由の国、アスア王国。
 しかし、他の国には宗教とは認められていないが、アスア王国には英雄信仰がある。
 アレはもう信仰以外のナニモノでもない。
 だが、英雄が崇め奉られているわけではない。
 アスア王国に危機が訪れれば英雄が救ってくれるという、この大陸の遠い国にある勇者信仰と同じようなものが存在する。

 アスア王国の英雄は英雄が生きている限り、次代の英雄は生まれない。
 アスア王国が老い衰えて国を救う力のなくなった英雄をどうするか、想像がつくだろう。
 英雄で天寿を全うできるものは稀だ。
 救ってくれない英雄は、もう英雄ではないのだ。
 今まで救ってくれた恩などまったく感じない国民性は異常だ。

 俺もいつかは逃げようと思っていた。英雄を引退しようと思っていた。
 あの国にいれば、俺もいつかは殺されただろう。
 けれど、まだあの国に俺より強い者はいなかった。どうしても俺に頼らざる得ない状況だった。
 そして、英雄に頼らざる得ない状況は今も変わらない。今もなお周辺の宗教国家各国がアスア王国に呪いをかけ続けているのだから。
 だが、今はあの国に俺はいない。俺のギフト『蒼天の館』を譲られながら使うことのできない新英雄がいるだけだ。

 アスア王国はいい加減、目を覚ました方がいい。
 だから、英雄が空白になる期間が長引いていくのだ。

 俺の心のなかで、話が逸れたが。

「エルク教国か。魔術の呪文が歌っているようで綺麗だから、まるで清廉潔白な宗教家の集まりだと誤解されている国だな」

「レン、お前の認識も偏ってるんじゃないか」

 ビスタが俺をジト目で見るが。

「いや、レンの認識は意外と正しい。あの国は真っ黒な国だ。暗殺集団さながら、闇につながるすべてを請け負っていると言っても過言ではない国だ。我が一族は裏の世界でも有名であり、隣国のエルク教国にもかなり干渉している。自国を守るためだが、長年の恨みを存分に買っているのは事実だ。今回、アスア王国の英雄を捜すために、跡継ぎの孫娘一人でここ神聖国グルシアに遣わした。エルク教国はこの機会を狙って、跡継ぎを亡き者にしようとしている」

「自業自得?因果応報?」

「レン、その通りだが、正直な感想を素直に口にするんじゃない」

 あ、やっぱりビスタが今日は常識人になっている。

「爺さんは俺のことを何で孫娘に言わないのか?」

 爺さんの操る人形がじっと俺を見る。
 ビスタと違って確証を得て、俺と話している。

「お前さんがルルリに見つかっては困るのだ。聖教国エルバノーンは安全ではない。孫娘だけでも生き延びてほしいと思うのは我らの願いだ。長くこの国にいてもらわないといけない」

「で、暗殺者に狙われていたら、世話ないぞ」

 俺の言葉に、人形が項垂れた。
 いやはや、感情を豊かに表す人形だ。聖教国エルバノーンから操っているというのに、この精度。あのダンジョンの前で人形が全滅してからさらに力をつけたのかな?

 けれど、ルルリは幼くともこの爺さんの跡継ぎだ。暗殺者対策の訓練を受けている。
 遠くの爺さんが気づいているのに、なぜ彼女が暗殺者に気づかないのか。
 それはリンカが事あるごとに追いかけまわしたからだろう。
 彼女はまだ若い。さすがに経験が少なく、未熟だ。

 ビスタも思い当たったようで、渋い顔で自分の仲間をリンカを見ている。
 リンカはよくわかっていないようで、ビスタの表情の意味がわからずに頭を掻いていた。
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