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7.離さない、宝物はひとつじゃない
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何も考えていなかったわけじゃないけれど、あまりに唐突だと考えるより感情が先走る。
静かな病室で、久しぶりの母子での食事を楽しんでいたところに、前触れなくドアが開かれた。殴り込みかという勢いで。
湊は私が買っておいたハムサンドを咥え、私はベッドに腰かけて湊の病院食の食パンにイチゴジャムを塗っていた。
「誰が子供に会ってもいいと言った!」
昨夜はパーティーかなにかだったのか、紀之はお気に入りの黒にシルバーの細いストライプが入ったスーツを着ている。髪は少し乱れているが、きれいに髭が剃られているところを見ると、『お泊り』だったようだ。
父親の形相に湊が咥えたサンドイッチを布団に落とした。
「湊」
「ごめんなさ――」
「――大丈夫」
落としたサンドイッチをティッシュにのせ、私は元夫に鋭い視線で見据えた。
「食事中なの。後にして」
「はぁ!? なにが――」
「――湊が! 食事中なの。出て行って」
「出ていくのはお前だろ!」
「ママ……」
私は湊の頭を抱きかかえ、片耳を胸で、片耳を手で覆った。
完全には防げなくても、小学生の息子に実の両親の言い争う声を聞かせたくなかった。
湊は昨夜から、私を『ママ』と呼ぶ。
三か月前は『お母さん』と呼んでいたのに。梨々花もだ。
これ以上、子供たちにストレスを与えたくない。
「湊を定期受診にも連れて行かず、食べられない、眠れないほど咳き込んで苦しむ湊を梨々花に任せて夫婦でお出かけ? 新しい、若い奥様はどうしたの? 一緒にパーティー?」
「湊はずっと調子が良かったんだ。お前が出て行ってから、ずっとな。お前が過保護にし過ぎたせいで、湊は薬漬けで――」
「――それを医者に言ってみなさい!」
紀之がグッと唇を結び、青筋が立つほどきつく拳を握った。湊の腕が私の背中に回され、ぎゅっと服を掴む。
大声を出しては、怯えさせてしまう。
いつも湊に促していたように、ゆっくり鼻呼吸をした。
「梨々花が泣きながら電話してきたわ。助けて、って。あなたには電話あった? 無視したの?」
「……」
黙るところを見ると、着信はなかったのだろう。
当然と言えば当然だ。
紀之は、喘息がどんなに湊を苦しめたか知らない。見ていない。
だから、入念に家の掃除をすることも、きっと他のお宅のものより桁が多いであろう布団乾燥機を買ったことも、理解できなかった。
子供たちだって、父親に助けを求めても無駄なことは分かったろう。
「私はすぐに駆け付けたわ。梨々花に救急車を呼ぶようにも言った。あなたのお母さんにも助けを求めた。やれること全部やったわ!」
もちろん、褒めてほしいわけじゃない。
ただ、わかってほしかった。
同じ『親』でありながら、なぜこうも違うのか。
ワイドショーで見た。
世の中の子供たちは、親の収入が少ないと『親ガチャに外れた』と思うらしい。
その考えでいくと、うちの子たちはきっと親ガチャに当たったのだろう。
でも、それは、幸せに当たったことにもなるのだろうか。
両親が離婚し、お金のある父親と暮らし、放置され、苦しんでも、個室に入院できるから幸せだろうか。
私と暮らしたら、きっと個室には入院させられない。でも、少なくとも喘息を悪化させて入院することにはならない。絶対に。させない。
梨々花と湊の幸せは、どこにあるのだろう……。
考えてもわかるはずない。
だって、幸せだけの人生なんてない――――。
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