偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

深冬 芽以

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4.大人の事情

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 室長この人は私が何を不安に思っているかなんて知らないのに。

 気休めでしかない、さほど意味もない言葉。

 なのに、なぜか、私は息子を抱く手を緩めた。

 力登が腕の中から飛び出していく。

 代わりに、私が室長の腕の中に閉じ込められた。

 ボディーソープの香りがする。

 そういえば、力登からも同じ香りがした。

 私が使っているものとは違う香り。

 横向きに抱きしめられて、彼の鼓動が鼓膜に響く。

 ドッドッドッと速いテンポで力強い。

「おむつを取り替えようとしたら、勢いよく発射されて」

 耳元で、低い声でゆっくりと囁かれ、少しだけぼうっと聞き惚れて、けれどすぐに言葉の意味を理解した。

「……え?」

「洗面所に干してあった力登の服だけ持って、俺の部屋でシャワーを浴びてきた」

「……っ! すみません! 力登が――」

「――いや。眠っているからと声をかけずに行った俺が悪い。起きた時に子供がいなければ心配するのは当たり前だ」

 せっかく着替えてきたというのに、室長のシャツに私の涙でシミができる。

 離れようと身を捩ってみたが、さっきの力登同様、敵わなかった。

 そっと指で髪を梳かれ、ドキッとするより安心した自分に驚く。

「登さんに……連れて行かれたのかと思って……」

「それは、冷静じゃいられないよな」

「ごめんなさい」

「謝る必要はない」

「室長は、会社に戻ったのかと……」

「さすがに、小さな子供を置いていなくなったりはしない」

「ですよ……ね」

 髪に触れている手で頭を撫でられ、気持ち良さに目を閉じる。

 こんな風に優しく触れられたのは久しぶりで、気が緩む。

「まだ、熱いな」

 その言葉にハッとした。

 そして、力いっぱい身を捩る。

「ん?」

「はなし……てください」

「どうして?」

「どうしてって――」

 じたばたしていると、ククッと笑う声がして、解放された。

「――風邪って、人にうつすと治るって本当かね」

「え?」

 彼の細くて長い指が視野を縦断し、私の顎に触れた。

 ドラマによくある顎クイというやつ。

「しつちょ――」

「――室長呼びじゃ、次に元旦那が来た時に疑われるぞ?」

「え?」

「りと」

「――っ!」

 不意に名前を呼ばれ、カッと身体が熱くなる。

 前にも、呼ばれた。

 でも、こうして面と向かっては初めて。

 じっと見つめられ、いたたまれなくなって視線を逸らした。

「もう、大丈夫なので……会社に――」

「――午後休をとった」

「え?」

「社長も不在だし、たまには息抜きしろと専務に言われて」

「じゃ、じゃあ、なおさら今日はもう――」

「――体調が悪い恋人を放って帰るような非情な男に見えるか?」

「それはっ! 偽装で――」

 彼を見ると、唇を震わせて笑いを堪えている。

「――からかわないでください!」

「今更だが、あんた恋人は?」

「いるわけ――」

「――なら、問題ないな」

 なにが、と聞く前に、彼の唇が素早く近づいてきて、私に触れた。

 私の、唇に。

「~~~っ!」

 動揺する私の唇をこじ開けて、侵入してくる。



 なんで、こんなことっ――!



 両手で彼の胸をどんどん叩くと、意外にもあっさりと唇は離れた。

「なんでっ――」

「――あんたの風邪、治るかなと思って」

 まったく何でもないように言われる。

「それにしたって――」

「――お互いにフリーなら、問題ないだろ?」

「おおありです!」

「俺、二股はしない主義なんだよ」

「は?」

「偽装とはいえあんた――りとがいるのに、他の女と遊ぶつもりはない」

「だから!?」

「大人の事情、ってやつだ」



 それって――。



「りともこの状況を楽しめばいい。少なくとも、楽しませてやれる自信はあるぞ?」

 ニヤニヤと意味深な笑顔。

「なっ――」

「おむっちゅー!」

 おむつを振りかざしながら、力登が駆けてくる。

「風邪が治るのが待ち遠しいな?」

 腰を上げ、私の頭にポンと手をのせると、室長はその手で力登の頭を撫でた。

「よし、じゃあ、また発射しないうちに穿け」

「おう!」

 からかわれているだけ。

 そうでなければ、めそめそしている私を元気づけようとしただけ。

 本気なわけがない。



 だとしても、キスなんて――!



 熱が下がるどころか、室長が来る前より高くなっていそうで、私は再び彼に抱きかかえられて寝室に戻るまで、その場に座り込んでいた。

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