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4.大人の事情

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 力登は喜び、室長の足元でぴょんぴょん飛び跳ねている。

「体調が悪い時にすまないが、専務から頼まれた――」

 私は靴棚に手を突き、身体を支えた。

 室長の声は聞こえているのに、その意味が頭に入ってこない。

「――大丈夫か?」

「大丈夫です。えっと――」

 なんとか顔を上げ、口角を上げて見せるが、うまくできているかはわからない。

「――専務からUSBを届けるように言われたんだが」

「USB?」

「急いで修正する必要があるんだろう?」

「修正?」

 意味がわからない。

「俺が届けることを聞いていない?」

「はい……」

「くそっ。皇丞の奴……」

 室長は背が高すぎる。

 顔を上げているのが辛くて、喉仏しか見えない。

「しっちょー!」

「力登、室長は忙しいの。こっちへ――」

 そうは言っても、力登が言うことを聞くはずもなく。

「――力登。ベッドはどこだ?」

 なぜ、ベッド? と思った時には身体が浮いた。



 え――!?



「体調不良は力登かと思ったが、母親の方だったか」

 遠かった室長の顔がぐっと近づき、ハッとする。



 これ……って――。



 熱で朦朧としていてもわかる。

 お姫様抱っこというやつだ。

 人生初。その上、パジャマ姿。



 そうだ。私、パジャマ――!



 急に恥ずかしくなって、思わず腕を胸元で交差させる。

「お……っと、危ない」

 室長がグッと力を入れると、私の頭が彼の胸にもたれる格好になった。

「動くな」

「はい……」

 身体を硬直させ、じっとする。

 室長が靴を脱ぎ、部屋に上がる。

 力登が寝室の前で止まった。

「入るぞ」

「え?」

「寝室」

「あ、はい……。あっ! ダメです」

「は?」

「ぐちゃぐちゃだか――」

 言い終わる前にドアが開けられ、あっと言う間もなく、私はベッドに下ろされた。

「熱は?」

「多分……七度五分? くらい」

「測ってないのか? そんなもんじゃないだろ。薬は?」

「まだ……」

「昼ご飯は?」

「まだ……」

「力登は?」

「食べました。薬も飲んだし」

 室長がはぁ、とため息をつく。

 だって……と心の中で呟いた。

 眼鏡越しに見える彼の目はちっとも笑っていなくて、むしろ冷ややかで。

 同じように、首筋に触れる彼の手も冷たくて。

 なのに、すごく優しく感じた。

「しっちょー、ママは?」

 室長は力登を抱き上げた。

「お腹空いたって」

「ママ、ちゅるちゅーたべる?」

「ちゅるちゅー?」

「うどんのことです。さっき、食べたから」

「ああ」

 納得すると、室長はふっと笑った。力登に。

「ママのご飯を作りにいくか」

「えっ!? あ、大丈夫です。寝てれば治ると――」

「――力登にもそう言うか?」

「……」

 わかっている。

 ただ寝ているだけで熱が下がるなんて、思っていない。



 だけど……。



「しっちょー、あぽーすき?」

「あぽー? りんごか?」

「ん!」

「すごいな。もう英語が喋れるのか」

「しゅごーしょ!」

「すごい、すごい」

 二人が部屋を出て、ドアが閉まる。

 さっきまでの騒々しさが嘘のように、静か。



 会話になってた……。



 力登はよく喋りたがるのに、焦るせいか正確な発音ができない。

 それだけじゃない。

 二歳になりたてとはいえ、やはり言葉が遅くて健診の時に相談したことがある。

『人の真似をして覚えますからね。パパママ、おじいちゃんおばあちゃんがたくさん話し相手になってあげたら、自然に覚えますよ』

 泣きそうになった。

 力登にはママしかいない。

 おじいちゃんおばあちゃんとは、テレビ電話で顔を見るだけ。

 できるだけ時間をかけてお喋りをしようと思うけれど、日々の忙しさでつい力登の言いたいことを察して、先回りしてしまう。

 力登との時間をもっと持ちたくて、パート勤務にしているのに、増えた家時間を、それまで疎かになっていた家事に費やしては意味がない。

 わかっている。

 わかっているのに、力登が大人しくテレビを見ていたり、ひとり遊びをしていると、つい甘えてしまう。
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