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12.鎮静
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しおりを挟む昨夜のきらりを思い出す。
今日のきらりは健診があるとかで、午後出社の予定。
前回の健診は、私が休暇に入る前日だから、二週間も前じゃない。
「平井さん、山倉さん。私昨日――」
言いかけた時、なぜか見かけた姿に反応し、立ち上がってしまった。
「――すいません。ちょっと先に行きます」
「えっ!? 梓ちゃん?」
私は小走りで食堂を出た。
エレベーターに向かう背中を追いかける。
「な――天谷さん!」
驚いたのは、直と並んで歩いている同僚より、直だった。
当然だろう。
私から彼を呼び止めるなんて、別れて以来だ。
私がもっと冷静なら、きっとこんなことはしなかったと思う。
が、してしまった。
してしまったからには、仕方がない。
「話があるの」
「……うん」
私はエレベーターホールの少し奥のドアの前まで移動した。非常階段に出るドアで、少し奥まっていてエレベーターホールからは死角になっている。
こんな場所に直を引っ張り込んだのも、冷静さを欠いていたとしか言いようがない。
「あず――」
「――林海さんって、本当に妊娠してるの!?」
「えっ!?」
小声で、けれどはっきりと聞く。
「昨日の夜、男と腕を組んで歩いてるのを見たんだけど。結婚するんだよね?」
まったく、バカな質問だ。
これこそ、私にはどうでもいいことなのに。
「直。私が言うことじゃないのはわかってるけど、いい加減私のことは――」
「――梓っ!!」
声がしたと同時に腕を引かれ、危うくひっくり返りそうになる。が、当然ながら腕を引いた張本人の胸に抱きしめられる格好でそれは回避される。
「なに考えてんだ! 人目につかない場所で――」
「――皇丞!」
彼を制止したのは私ではない。
栗山課長だ。
「めっちゃ人目についてるから」
皇丞に引っ張られた私は既に死角にはいなくて、食事を終えて戻る人たちの注目を集めている。
皇丞は滅茶苦茶怒っているし、栗山課長は呆れ顔。直は困っている。
『梓って冷静なしっかり者って感じなのに、いきなりありえないこと言ったりやったりするよね』
小学校から高校まで一緒だった友達の言葉が、急に思い出された。
私、成長してない……。
「ひどい! ひどいですっ!! 先輩!」
キィーンッと鼓膜を刺すような甲高い声に、その場の誰もが顔をしかめる。
エレベーターホールの人だかりの中心に、なぜかきらりがいる。怒っているようだ。
午後出社なのに始業チャイム前に来るなんて、珍しい。
そんなどうでもいいことを考えていると、きらりがお腹を押さえて蹲った。
「先輩がいつまでも直くんを諦めてくれないから! 私……ストレスで流産しちゃったんですよ!」
……はい?
ざわつく人たち。
きらりの取り巻きだろう二人の女性が、しゃがんで彼女の肩に手を置く。
「課長と直くんの二股だけでなく、俵室長にまで手を出すなんてっ! 最低ですっ! 私の赤ちゃん返してぇっ……!」
膝が見える丈のスカートに、屈むと胸が見えそうなほど襟の開いたカットソー。時間をかけてセットしただろうふわふわの髪、泣いても落ちないばっちりメイク。とどめは、昨夜と同じ高いヒールのパンプス。
ストレスで流産した女性の格好にしては、気合十分。
だが、なぜかそれを気に留めない人たちが、非難の視線を向けてくる。
「え、でも昨日――」
なんの考えもなく言いかけた時、皇丞に口を塞がれた。もちろん、手で。
「――今は黙っとけ」
耳元でそう囁かれ、こんな状況にも拘らずドキッとしてしまう。
「天谷も、今は黙ってろ」
頭上で、皇丞が直に言った。
直が頷く。
混乱の中、無情か救済かわからない午後始業を告げるチャイムが鳴り響いた。
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