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9.火種
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しおりを挟む私は仕事が好きだ。今の職場も。
だが、こんな風に上層部に目をつけられてまでこだわる必要があるのだろうか。
きらりが直と結婚した後も、本人がいなくても父親である専務からこうしてネチネチと小言を言われ続けるのかと思うと、心が折れそうだ。
いつもの私なら、きっと気にしない。
けれど、社内で絶えない噂と、皇丞との関係に胸を張れない自分、社長の優しさに、疲れ、挫け、立っているのがやっとの今の私には、専務の悪意は致命傷を負わせるに十分な威力を持っていて。
どうでもいいや、と目の前の親子を押し退けてエレベーターに乗ってしまいたい衝動に駆られる。
「何とか言ったらどうだ。男が一緒でなければ口もきけないのか」
どうでもいいや、と今度は本気で思った。思ってしまった。
「専務、お疲れ様です」
私は深々と頭を下げた。すぐに背筋を伸ばし、真っ直ぐに専務の目を見る。
「何か言えとのことですので、言わせていただきます。まず、勤務中の礼儀として挨拶はなさるべきです。それから、私に『彼氏』という名の知人はおりません。次に、お嬢様に勤務中に『パパ』呼びを許されるのは大変非常識です。更に、私がここに来たのはそうすべき理由があったからで、辞表の提出が目的ではありません」
言葉を繋ぐにつれて、専務ときらりの表情から笑みが消える。
敵に回していいことなんてない。
けれど、既に、私の意思に関係なく敵に回っている以上、媚びる必要はおろか、我慢する必要があるだろうか。
どんなに我慢したって、専務のやり方次第で、私なんて簡単に辞めさせられる。
「最後に、社内で起こった不始末について関係各所に頭を下げるのが役職者の仕事ではないでしょうか。社の要ともいえる重役に名を連ねる専務が、無関係と公言なさるのは無責任です」
「なんだと! 我が社の名前に泥を塗るようなミスをしておきながら――」
「――専務」
低い男性の声にハッとしたのは、私より専務。
どうして気が付かなかったのかと不思議で堪らないけれど、私が歩いてきた廊下の、私たちから二十メートルも離れていない場所に俵さんが立っている。
社長室からここまで歩いていれば、靴音で気が付きそうなものなのに、全く気が付かなかった。
「それ以上は訴えられかねませんので、おやめください」
「なにっ!? 訴えられるべきは社に大損失を与えたこの女だろう! なぜ私が――」
「――社員に対して『この女』発言だけでも十分でしょう。それに、木曽根さんが与えた大損失とは? 社長には報告をいただいておりませんが?」
俵さんが眼鏡のブリッジを親指と人差し指で挟んでクイッと上げる。
レンズ越しに、彼の鋭い眼光がさらに鋭くなったように見えた。
「それはっ! 広塚家具の――」
「――その件でしたら、東雲広報課長から日程の遅れがあった旨の報告を受けております。課内での連絡体制に問題があったようですが、すべて原因を究明し、今度の経営会議までに報告書を提出されるそうです」
「その連絡体制の問題というのが――」
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