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9.火種
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しおりを挟む私はつい数か月前まで他の男と婚約していたし、皇丞と一緒に暮らすことになったのも『事情』があってのこと。
私は背筋を伸ばした。
「社長」
「ん?」
「私についての噂を、ご存じですか」
「……ああ」
「それでも、反対なさらないのですか」
社長が聞いた噂がどんなものか、もしかしたらすべてかもしれないが、どれも息子の嫁にしたいなどと思える内容ではないはずだ。
だから到底、社長の言葉を額面通りには受け取れない。
「噂は、そのほとんどが心無い中傷だと知らないほど若くはないからね」
それならば、噂が身を滅ぼしかねないことも知っているだろうに。
いくら事実無根でも、誰にも信じてもらえないのでは、いつか噂が真実に成り代わる。
林海きらりの男性遍歴や、林海専務がそれを隠蔽し当事者を退職に追い込んだという噂が、まるで真実のように周知されているのがいい証拠だ。
今の今まで気が付けなかった自分が情けない。
「課長には……、元婚約者から匿ってもらっているだけです」
社長がカップをソーサーに置き、ソーサーをテーブルに置いた。
「誤解を招くような行動を、深くお詫びいたします」
太ももに胸が付くほど深く、頭を下げた。
反対しないと言ってもらえて、嬉しい。
噂が中傷だと言ってもらえて、嬉しい。
私に選択する自由を与えてもらえて、嬉しい。
「残念だよ」
きっと、本当にそう思ってくれている。
それが、嬉しい。
私はゆっくりと頭を上げた。
社長は微笑んでいた。
「ありがとうございます」
心からの感謝を伝えて、社長室を後にした。
一口も飲めなかったけれど、俵さんにコーヒーのお礼を伝え、エレベーターホールを目指す。
私には、場違いだ。
磨かれた廊下、重厚な扉、上品な照明。
カッとヒールが音を立てるたびにやけに仰々しく響き、孤独を感じた。
ようやく私の本来の居場所に戻れると、エレベーターを前にホッとしたのも束の間、開いた扉から現れたのは林海親子。
社長の言葉を借りると、ひどい顔をしているのだろう。親子は私を見るなり勝ち誇った笑みを浮かべた。
「おや? 彼氏は一緒じゃないのかな?」
「パパ! 課長は色んなところに頭を下げるのが忙しいの」
「そうか。で? 彼氏に頭を下げさせておきながら、きみはここで何を? 一社員が辞表を提出するのは、部長だろう」
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