復讐溺愛 ~御曹司の罠~

深冬 芽以

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2.噂

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 専務ははっと息を吸い込んだが、口を噤んだ。今は何を言っても不利だと踏んだのだろう。

 私を恨めしそうに睨みつけてから、背を逸らして足を組んだ。

「では、午後の業務がありますので、これで失礼します」

 課長が立ち上がり、私も慌てて立ち上がる。

「それから、くれぐれも私のいないところで彼女に近づかないでください。先ほども言いましたように、私の大切な女性ですからね」

 わざと誤解を招くような言い方をしている。

 怒りの矛先を自分に向けることで、私を守ろうとしてくれているのだと思う。

 きっと、私一人でも専務と対峙できた。できたけれど、課長がいてくれてホッとしたのは、誤魔化しようのない事実だった。

 専務室を出てエレベーターに乗り込んだ私は、ぽそっと呟いた。

「あんなこと言って……」

 結局、私は専務の前で一言も発していない。

『任せろ』と言われたからというのもあるが、噂通りの親バカ発言に唖然としてしまったのが大きい。



 今からでも、一言――。



「やめとけよ」

 来た時同様に壁にもたれて腕を組んでいる課長が、言った。

「文句言い損ねてムカついてる、って顔してる」

「――っ! ……いえ?」

 ククッと喉を鳴らして笑う彼からプイッと顔を背ける。

「今夜……はダメか。明日の予定は?」

「は?」

「明日。ま、聞くだけ野暮だよな。空けておけ」

 偉そうな物言いにムッとした。

「大忙しです」

「……空けておけ」

 言われたわけじゃない。ないのに、『婚約者を失ったお前にどんな予定があるんだ?』とでも言われているようで、ムカつく。

「忙しいんです!」

 インジケーターの数字を睨みつけながら、いつもは頻繁に呼びつけられるこの箱が、こんな時に限って誰にも必要とされないことにも苛立った。

 昨日から、みんな私をあざ笑っているかのようにすら感じる。

 片手を、伸ばしたもう片方の肘に添え、ブラウス越しに爪を立てる。チリッと鋭い痛みが走る。自傷行為の癖はないが、今はそうでもしていないと泣き喚いてしまいそうだった。

 ポーンとお気楽な電子音が鳴り、ようやく私は息苦しい鉄の箱から解放された。

 ランチも食べ損ねた。

 胃が痛いのはそのせいだ。

 決して、食べ物が喉を通らないわけじゃない。

 タイミングが悪いだけ。

 昨日も、帰ってすぐにベッドに入ったから、課長からもらったメロンパンはバッグに入ったまま。

 開いた扉の向こうに誰もいないことを確認し、一歩踏み出した時。

「頼む」

 振り返ると、箱の奥で、やはり壁にもたれて腕を組んだ課長が、不機嫌そうに唇を捻らせてすぐ横の壁を睨みつけている。

 私が振り返っていると気づいているだろうに、目を合わせないまま、扉が閉じた。

 おモテになる課長様は、女に予定を開けてもらうように頼んだことなどないのだろう。

 そう思うと、笑えた。

 同時に、胸の奥がじわっと温かくなる。



 ずるい……。



 そんな、職場では絶対にしないような表情をされたら、自惚れてしまう。

 ふうっと短く息を吐くと、爪を立てた肘をさすり、ブラウスを伸ばして、私はデスクに戻った。

 ちょうど午後始業のチャイムが鳴る。

 丸一日ろくに食べていないと、さすがにお腹が空いた。

「あ、木曽根さん」

 隣の席の山倉やまくらさんが椅子を回転させて私を見た。

 四十代前半の彼は仕事はできるのだがコミュニケーション能力が低く、というか他人と関わるのが苦手で、もっぱら内勤業務ばかり。

 それでも、二年以上隣の席で顔を合わせて会話をしているから、私には慣れてくれた。

「はい」

「たった今林海さんが来てね?」

「お休みなんじゃなかったですか?」
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