「しん、とら。」

人体構成-1

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-monster children-

#16-monster children-

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 あれから二日が経過した。
 基本的に置き勉族なので櫛と生理用品、あとは筆箱と飴程度しか運んでいなかったスクールバックを本来の使い方をした倍以上の重たさに太らせている、辞書のような本を返却すべく駅北へとやって来た。
 昨日一昨日を使って多少は読み進めたのだが睡魔には勝てず家で読むことは困難と判断し、店や塵塚邸でのみ読む作戦へと切り替えるのだ。
 駅前で自転車を返却し徒歩になり、前籠から右肩へ移動した鞄は一層その重みを伝えてくる。
 私だから持ち帰れたが、もし高校に入ってから運動部の手伝いをせず一般的な非力女子と言う存在になっていたならば、そもそも家に運ぶことすら叶っていないのではなかろうか。
 一度スクールバックの中心に座する大荷物を側面に立たせ、改めて今度はランドセルを背負うように持ち手を両肩に通して重量を分散する。
 二日前の帰りに編み出した急ごしらえの技だが、意外にもその効果は抜群で重たいには変わりないが取り合えず肩が痛くならない程度にまで負担が分かれる方法を編み出した脳を賛美してやりたい。惜しむらくは今日以降この技を使う場面に遭遇しないであろう事ぐらいだ。
 開ける度ガラスが割れるのではないかという不安になる建付けの戸をガタガタ開けて店内に入ると、石油ストーブ独特の灯油の燃える臭いと、此処だけ季節が違うのかと思うほどの温暖な空気に顔を包まれた。
 少年がストーブを点けたのだろうと思い、せっかく温まった部屋が冷えてしまわぬよう即座に今入って来たばかりの戸を閉める。
 改めて店の中に目を向けると蜘蛛の巣まみれの古びた家屋には似合わない、パンツスーツにコートの女性が土間の冷たい床の隅っこで我が身を抱くような体勢で蹲っていた。
 まるで幽霊でもみるかのように見開かれ怯えきった眼で私を見上げ微動だにしない姿に若干恐怖を覚えながらも、何処かで見覚えがあったようなと思い思考を巡らせると、引き攣ってもなおやはり美しいと思わせる女性の正体が私と同じく一昨日ここに訪れたモデルの宮比さんだということに気が付いた。

「宮比さん、どうされたんですか?」
「ああ、助手さん。そう助手さんよね、ありがとう、ごめんなさいね。」

 手を差し出し身を起こすのを手伝い、倒れた拍子に畳まれたにしてはやけに遠くに落ちているパイプ椅子を広げてストーブの斜め45度の位置に設置してエスコートする。
 壁に立てかけてあった椅子を自分用に広げ鏡写しの位置に座ると、先ほどより多少ましではあるがやはり怯えたような表情で、着席する私を観察する宮比さんは恐る恐るといった風に質問をしてきた。

「この椅子も、ストーブも大丈夫なのよね?」
「え、さあ?結構古そうですけど壊れてそうですか?そうだ、あたしの座ってるやつどうぞ!あたしで大丈夫だったんで宮比さんの体重くらいなんてことないと思います!」

 立ち上がって取り換えてあげるとようやく安心したのか、たった今まで私の座っていたパイプ椅子に腰かけてくれる。別に意識するほどのことでは無いのかもしれないが、自分の体温が仄かに残る椅子に彼女の気品ある臀部が乗っていると思うと何かこう、目の前で口を付けたばかりのグラスに間接キスをされたかのような気恥ずかしさがこみ上げてきた。
 いつもならここで顔を伏せるが今日に限り背けずにいられるのは、彼女の方が落ち着かない様子でストーブと目の前の床に視線を迷わせているからだ。
 先日の堂々とした様子からは想像も出来ない彼女の変わり様にどう声を掛けるのが正解かは分からないが、可能な限り配慮した言葉を選ぶべきだろう。
 たえずオドオドした態度で部屋中に目を彷徨わせる彼女の様子から推察し、まず間違いなくこれだという答えに辿り着いた頭脳を褒めつつ声を掛けた。

「ストーブの火が怖いんですね。じゃあちょっと離すので」
「違うわそうじゃない。そうじゃないのよ。」

 難しい。配慮ってなんだろう。
 よく観れば目の下には化粧でも隠し切れてない程の濃い隈が黒々と浮き出ており、袖の隙間から覗く湿布が腕に怪我を負っている事を知らせてきた。
 今度こそ脳が冴えわたる感覚と共にひらめきの電流が走り、暴漢に襲われてここに逃げ込んだのだと悟って、戸の向こうに顔を出して左右を確認したのだが寂れた商店街の脇道らしく人の気配はない。
 おそらく家屋に逃げ込んだ彼女を見失い、一先ずは撒くことに成功したのだろう。

「家に潜んでいたストーカーに襲われたんですね。」

 この間は幽霊が部屋を片付けていると訴えてやって来たが、やはり実際はストーカーの被害者だったのだ。
 きっといつもの様に仕事から帰ってお洒落なタワマンの最上階へと帰りドアを開くと、その中に居たエプロン姿で部屋を片付ける変態男と鉢合わせしてしまい、乱暴を働こうとする暴漢から命からがら逃げてここに辿り着いたに違いない。

「とりあえず今は安心して休んでください!あたしこれでも瓶とか瓦とか金属バットくらいなら手刀で切れる程度には強いんで!どんな相手がやって来ても絶対に守ってみせます!」
「ストーカーではないけど頼もしいわね。今度のイベントからボディーガード頼んじゃおうかしら。」

 右の握り拳を胸の前に、左手の指をビシッと伸ばして構えてみたが違ったらしい。しかし少しは気がほぐれたのか、肩の力が抜けた様子で微笑んでくれたので予想を外した甲斐もあったというものだ。
 そこからは学校や近所のカレー屋の事など他愛のない話をしながらまったりしていると、余程疲れていたのだろう宮比さんは座ったままウトウトし始めてしまった。
 小上りに目を向けたが埃まみれのあの場所で寝ろとはとても勧められず、椅子の立てる音に細心の注意を払いながらそっと隣に移動して肩を並べる。

「どうぞ使ってください。」
「ありがとう、ごめんなさいね。じゃあ少しだけ。」

 ふわりとラベンダーのような香りが鼻孔を擽ると共に、身長の割にやけに小さな頭が私の肩に僅かな重たさを加算する。こんなものたった今まで担いでいたスクールバックに比べれば無いも等しい重量だ。
 私も同じ高身長女子という分類に属しているのにと思うが、そうでなければこうして肩を貸すことも出来なかったかと思うと骨太で頑丈な身体で良かったと思えてくるので不思議である。
 世の中には高い能力を発揮し好き勝手したり頼ってきた誰かの為に力を振るう物語が流行っているが、きっと主人公たる彼らを支える縁の下の力持ち達の心境は、こんな事しか出来ないが力になりたいという謙虚で献身的なものなのではなかろうか。
 今まで考えたことも無かったNPCの感情をほんの一摘み程度体感しているとガタガタと喧しい音を立てながら入り口が開かれ、いつもの着物姿に緋色の羽織を引き摺る少年がビニール袋を提げて現れた。

「もう来てい」
「しー、今落ち着いたばっかりなの。」

 何言ってんだこいつとでも言うような目をされたが、肩に乗せられた女性の顔を認めるとしばしの黙考の後に先日訪れた相談者の事を思い出したのだろう、少し出てくると回れ右すると今度は音を立てぬよう配慮したのか優しく閉めて出ていった。
 そのまま十分ほど経っただろうか。和やかな時間を過ごしていると再度袋をもって帰って来た少年店主は部屋の隅に無造作に転がっていた鞄を掴み、今度は私と宮比さんを指さした後そいつを担いで来いといったジェスチャーが送られて来たので、少し手を借りながら背に乗せ店の奥へと移動した。

「目が覚めたか?」

 一時間ほど経っただろうか。
 ソファで目を覚ました彼女は呆けたような目で周囲を見渡し、自分の状況を把握すると以前見たキリッとした顔を作り上げた。

「失礼しました。すっかり眠りこけてしまっていたようで。」
「構わぬ。私より、肩を貸すだけでなく背負ってここまでお前を運んだ台座に礼を言うのだな。」
「そうね、助手さんにもお礼を言わなきゃだわ。ありがとう助手さん。」
「そんなお礼なんて滅相もない!むしろご褒美でした!」

 うっかり気持ちの悪い事を言ってしまったが気にする様子もないまま名前を聞かれたので名乗り、ついでにあだ名で呼んでもらいたい旨を伝えると、いい名前だと思うけど貴方がそう言うならそうするわと了承を得られる。
 その様子を横目に机の上に置かれた袋から白い箱を取り出した少年は、私達にどれがいいと聞きそれぞれの前に準備された皿の上に一つずつケーキを乗せてくれた。
 近所の知り合いがやっている店で買ってきたというケーキの袋には先日桃と行ったばかりの店の名が書かれており、世の中って意外と狭いものだなんで考えつつ目の前のチョコケーキを小さなフォークで切り分け口に運ぶ。
 カカオの香りとチョコレートの甘さが口いっぱいに広がりいつもながら無意識に口角が上がってしまった。
 二人は何を選んだのかと見てみると左手には掌に収まりきらない大きさのシュークリームを頬張る姿があり、右手に座る宮比さんは苺タルトの両端を親指と人差し指で挟み中指で底をそっと支えるような形で口に運んでいた。
 モデルという職はケーキを食べる姿まで審査されるのだろうかと思うほど板についた所作に魅入っていると、ぴくぴくと尖った耳の先が僅かだが動いている事に気が付く。

「あの、あんまり見られると食べづらのだけど。」
「し、失礼しました!」

 宮比さんは美味しい物を食べた時に耳が動くというどうでもいい、しかし人によっては値千金の貴重な情報を手に入れ、記憶の宝箱にそっと収めてチョコケーキに戻る。

「そろそろ本題に入れ。」

 苺タルトの最後の一口を飲みこまれたのを見計らい、いつもの仏頂面が対面に問いかけた。
 姿勢を正した相談者は足元に置いてあったブランド物の鞄から、この間借りた本を取り出して机の上にばたんと置いて話し始める。

「この本にある怪異に関する歴史に納得するにはまだ時間がかかりそうなのですが、改めてスマホを使った動画撮影を試してみるとやっぱり私の記憶と違った物が映っていたので、怪異が存在しているということ自体は納得しました。」
「それは重畳。で、今日は本を返しに来ただけか?」

 どことなくつっけんどんな印象を受ける対応に短くいいえと返事をし、袖口をまくり上げて白磁の肌に張りつけられていた湿布を剥がすと、そこには私が想像していた以上に広く青黒い内出血が顔を出し、彼女は証拠の様にそれを見せながら今日ここを訪れるに至った事件の話に入った。

「今日は部屋が勝手に片づくことではなく、家具に襲われたので改めて相談に来たんです。」
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