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-monster children-
#15-monster children-
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桃に大目玉を食らった月曜日の三日後、坂の上に住まう塵塚少年から次は適当な平日に駅北の店舗の方へ来るように言われていたので、運動部の手伝いの無い日を見計らって相変わらずボロボロボの店の前へとやって来た。
掃除されておらず曇ったままのガラス戸をガタガタ言わせながら開くと、半世紀前をモチーフにしたドラマに出てくる駄菓子屋や八百屋のような土間の奥に、年代を感じさせる木製カウンターとその向こうには猫の額ほどの小上がりが見えるが、長い間使われていないのか畳はホコリで灰色になっている。
「来たか。こっちだ。」
ザリザリとした足音と共に奥から現れ、入り口の反対側にあるおそらくエレベーターとなっている戸を出て左手に広がる暗がりの中から、怪談話に出てくるような穴あき提灯を提げた塵塚少年に声を掛けられる。
約束の時間より少し遅れたことを軽く謝罪しつつ駆け寄ると、彼は先に闇しかない通路を奥へと進み始めた。
提灯の頼りない明かりだけでなく二人分の足音まで吸い込んでいるかのような暗闇の中を歩むこと十数歩、鼠色の壁を目の前にして立ち止まったのでどうしたのかと様子を伺っていると、おもむろに壁の左端に手を当てぐっと押すと中心に軸があるかの如く壁は半回転し、忍者屋敷のように向こうの空間が表われた。
「どんでん返しとか初めてみた。」
「ふん。なんてことはない仕掛けだ。」
彼は後ろから上がった驚嘆へ言葉とは裏腹に少し誇らしそうな声音で謙遜し、入ってすぐ左手の壁を探るように手を這わせて電気を付けた。
高い天井からブーンという音が聞こえるので今では珍しい水銀灯照明だろうかなんて考えていると、ゆっくり強くなる柔らかな光で徐々に照らされ姿を現した室内は入り口側と同じような土間となっているが表の埃しか飾られていない棚と違い、棚の上にまで身の詰まった本棚達が人一人がやっと通れる間隔で所狭しと立ち並んでいた。
またその広さも最近めっきり数を減らした本屋の比ではなく、うちの学校の体育館がいくつも入るであろうことが容易に想像がつくほどの広さを有しており、地上波番組宜しく東京ドーム何個分と言った方が分かり易い広さなのかもしれない。
しかしここでふと気が付いたがこの地域の地図上にそのような目立つ建物があった記憶はない。あればまず訪れているし忘れるはずがないだろう。
エレベーターといい斑さんの図書館といい、どうにも空間がねじ曲がっているとしか思えないが、これも何かしらの遺物を用いているのだろうか。
「ここが私の世話する旧館のバックヤードだ。この中なら台座の困りごとの解決策も見つかるだろう。好きなだけ探すがいい。」
私の困り事といえば身長のことに他ならないが、この旧館バックヤードの何十万冊もの中から手がかりを探すのは流石に骨が折れるだろう。
とりあえず手近な本棚の前に立ち一冊抜き取ってみるが、蛇ののたくったような文字は一文字たりとも読める気がしない。
ここが八玉図書館のバックヤードと言うのなら新館のタブレットやライトのように何か便利ツールがあるのではないかと少し歩くが、残念ながらそういった物は一切見当たらず、いつの間にか後ろからいなくなっている上に入り口すらなくなっているではないか。
暫く思考が止まり閉じ込められたのかと焦り、出てきた当たりの本棚を押すと拍子抜けするほどにあっさり九十度回転し勢い余って向こうの空間に倒れ込んでしまったが、真っ暗な通路の先に入り口の明かりが見えてほっと息を吐いた。
「何をしている。」
表の入り口がガラリと開き両手に缶コーヒーとお茶を二つずつ持った少年が顔を出す。
店前の自動販売機で買って来てくれたのだろうが、理不尽であることは十分理解しつつも席を外すなら一声かけてからいなくなれと声にだしそうなった。
いくら相手が中学生程度の見た目であっても説明少なに姿を消すのは良くないという事を説教してやろうと立ち上がると、彼の向こうに人影があることに気が付く。
徐々に目が慣れてきてグレーのパンツスーツにカーキ色のコートを羽織った長身の女性であることがわかると同時に、つい先日桃に見せられたモデル雑誌で見た顔だと気が付いた。
通路の真っ暗闇の中でも周囲を照らすかのような白磁の肌に目の覚めるような深紅の唇。水浅葱色の軽くウェーブした髪から先を少しだけ覗かせる尖った耳に、透き通った翡翠の瞳を持つ彼女は最近のファッション業界の若手の中でも特に有名なMIYABIその人であったのだ。
少年が見惚れる私の横を抜け書庫の入り口右手にある、緩く後ろに傾いだソファに彼女を座らせると彼自身も丸机を挟んだ対面にある同じ物に腰を下ろす。
お茶と缶珈琲をそれぞれの前に置き、貴様は探し物を続けて居ろと言わんばかりに背を向けられムッとする。
何かと話題のモデルさんと何としても同席したかったので、机の下にしまわれているスツールを取り出し後ろに陣取ってやった。
「塵塚さん。そちらの方は?」
「気にするな。最近うちに入り浸っているので助手として働かせている台座だ。害はない。」
「へぇ、台座さんていうの、珍しいお名前ね。私は宮比雛菊。よろしくね。」
「は、はい!よろしくお願いいたします!」
「そんな所にいないで、こちらで一緒にいかが?」
見た目の冷たい印象と真逆にコロコロと笑う女性に促され、願ってもないといそいそと移動すると机に出ていた生八つ橋も勧められた。
遠慮するのも失礼なのでニッキの香る黄色い物をいただくと中の餡から漂う甘すぎず上品な香りが鼻から抜け、上等な品であることが一口で分かり思わず頬が緩んでしまう。
此方にもお茶を出しながら仏頂面のままお前は何をしに来たんだと言う視線を左隣から感じなくもないが、今は気にしている暇はない。
女子高生がミーハーで何が悪いというのだ。
「さて、宮比と言ったか。何用で私の所を訪れた?」
少年も緑色の抹茶味を口に運びながら本題を問う。
果たして珈琲と生八つ橋は合うのだろうか。
「実は最近、身の回りで妙なことが立て続けに起こっていまして。もしかするとお化けの仕業じゃないかと思い、除霊で有名とお聞きした塵塚さんの所へ来たんです。」
「承知した。除霊とは少し違うが詳しく聞かせてもらおう。」
塵塚邸で見た金子さんや葛ノ葉さんなんかは調停師と言っていたが、どうやら怪異などしる由もない一般市民には霊媒師として認知されているようだ。
まあ確かに絶滅したとされている怪異関連専門のトラブルを解消するなんていう荒唐無稽な物よりは、胡散臭いながらもお化けの専門家の方がまだましかもしれない。
いつか山川も言っていたが本当に顔が広いんだなと実感していると、信じて貰えないかもしれませんがと前置きをしてから宮比さんは自分の身に起こった現象をとつとつと話し始めた。
「実はどんなに部屋が散らかして家を出ても、仕事から帰ると綺麗に片付いてるんです。」
「同居人が気を利かせて掃除してくれている訳ではないのか?」
「私は都会で一人暮らしを始めたばかりで、両親は田舎から出てきたことすら無いので有り得ません。恥ずかしながら恋人はおろか家に呼ぶような友人も居ないですし。何かが無くなっている様子もないですけど、むしろそれが余計に気持ち悪いと言いますか。もしかすると妙な趣味を持ったストーカーじゃないかと思って探偵を雇い部屋の中にカメラまで仕掛けて調べてみたんですが、私が片づける姿が映し出されるばっかりで。でも絶対に私にそんな記憶はないんです。探偵さんからも頭がおかしい人か、そうでないなら夢遊病だから病院へ行けとまで言われてしまいまして。なので非科学的ではあるのですが、もしかすると何かお化けとかそういう類の物なんじゃないかと思うんです。」
「なるほど。聞いたところ怪異の仕業であれば納得いくな。しかし害はなさそうだし放っておいて良いのではないか?」
「良いわけないでしょ!」
思いがけず大きな声を出してしまい、宮比さんの背を跳ねさせてしまった。
違うんです別に貴女を怖がらせようという気なんて毛頭なかったんですと心の中で謝罪する。
さておき、本当は部外者である私が口を挟んでいい場面ではないのだが、ピシッとした服とは対照的に曇った表情に居ても立ってもおられずつい口を出してしまったのだ。
「塵塚君はちょっとノンデリな所あるから分かんないかもしんないけど、片付けるだけっていっても女の子の部屋に誰かが勝手に侵入してるんだよ!れっきとした事件じゃん!」
「そういうものか。」
僅か七文字という短すぎる返答で怒声を受け流し黒色飲料を啜る少年に、少し戸惑いながらも宮比さんが至極最も疑問を投げかける。
「怪異の仕業ってどういうことですか?」
先週までの『怪異は絶滅している』という常識で生きていた私と同じ目をした質問に答えるかのように調停師は立ち上がると、近くの本棚から一冊の本を抜き出して机の上に置いた。
どっしりとした本の表紙には『消えた怪異』というタイトルがでかでかと印字されている。
「これは?」
「細部まで読み込む必要は無い。前書きに書いてあることをただ事実として受け入れろ。全てはそれが出来てからだ。」
宮比さんは重たそうな本を慎重な手つきで開いて最初のページを読み始め、真剣な面持ちで目を滑らせること数分、目の前の厚い本をパタリと閉じた。
「誰もが学校で習うで怪異は絶滅したという歴史は全て嘘だと書いてあるのですが、これを信じろと?」
真剣に悩んで相談に赴いたのに馬鹿にしているのかとでも言うような目を向けるモデルに、横に座る私の肩まで竦んでしまう。
私はスポンジ君のような実例を見た上に実は怪異との事件の体験者であった友人のおかげで納得することが出来たが、いきなり歴史教育が間違っているなんて言われて信じる者の方が稀だろうし、こんな眉唾な話と怒りを感じるのは真っ当な反応だろう。
「納得できぬと言うのなら私から言うことは無い。望むならその本は貸してやるゆえ、また自体を飲み込めたなら来るがいい。」
突き放すような言葉を述べると小さな影は本棚の間に消えていってしまう。
机には眉間に手をやり考え込んでいる様子の宮比さんと私が残され、なんと声をかければ良いのか戸惑っていると逆に向こうから話しかけられた。
「あの子の助手らしいけど、貴女も怪異は今も生きているなんて信じているの?」
怪訝な顔に自分も怪異は絶滅したと習ったし同じ気持ちだったと伝えた上で、先週目の辺りにしたスポンジ君の話をし証拠として動画を見せたのだが、そこに映っていたのは食器を洗う冬華の姿で美女を困惑させてしまう。
そういえばそうだったと胸の内で不覚を叱責するも相談者の口許は微笑んでおり、もしかして納得してもらえたのかと思ったのだが、その上にある目には憐みの光を宿っている事に気が付いてしまい直視することが出来ない。
あれは変な宗教に嵌った可哀想な人を見る目と同質の物だ。
背中に気持ちの悪い汗をかきながら今月何度目かわからないが、気まずさから膝の上の握りこぶしに目を落とさざるを得なかった。
一応鞄に本を入れて帰る宮比さんの背を見送りドッと押し寄せる疲れをため息と共に頭上に吐き出す。
訪れた時はジーっという音を立てながら段々と明るさを増していた電灯も話している間にすっかり本領を発揮していたようで、眩しすぎるとも思える光量で本棚達を明るく照らし出していた。
どこで聞いたかも覚えていないが熱損失が多いとか割れた時に有害物質が出てくるとかで、随分前から公共施設のみならず工場などもLEDへとどんどん交換しているらしいので、この図書館のバックヤードはかなり昔からあったのかもしれないなどと先程の失態から目を背けるよう別の事に気を逸らす。
「整理がてら貴様の身に起こっている事に関しそうな物を見繕ってきたゆえ、とりあえず目を通してみろ。」
音もなく本棚の隙間から現れた少年の腕には数冊の本が抱えられていた。
どれも分厚く重厚で、人を殴ればガラスの灰皿よろしく撲殺も出来そうな物を目の前の机にドスンと置くと、先程座っていた席で新たに開けた缶珈琲を一口飲んでから生八つ橋をつまみ始めた。
さっき宮比さんに背を向けて居なくなった時はいつも通りの無表情ながらも何となく不機嫌そうだったのだが、目の前で和菓子を黙々と口に運ぶ姿からはトゲトゲしたものが感じられないので機嫌も直ったのだろう。
基本的に古くさい言葉遣いをしているので大人びた性格と捉えがちだが、意外にも彼の内面は甘いもので解決するぐらいには子供の部分が残っているようだ。
いつまでも彼のおやつ風景を見ていても仕方がないので目の前の辞典のような書物に目を落とし色褪せた分厚い表紙を捲ってみると、一ページ目の中心に明朝体で怪異記録集1(現代語訳版)と記されていた。
もう一ページ捲り現れた翻訳者が書いたであろう前書きによると、この本には怪異の成り立ちや過去に起こった事件、その解決までの経緯そして物によってはその後に起こった出来事までが書かれているそうで、次のページから目次となっており挨拶爺だの茜蛍だのといった具合で、五十音順に纏められているらしい。
「これすんごい分厚いんだけど、全部読まなきゃだめ?」
「無論だ。ここで読んでも良いが時が惜しかろう。持ち帰って己に起こっている事例と酷似する内容を見つけたら私に言え。それと年末まで私はここで本の整理で詰めるゆえ、用があれば上ではなくここに来るがいい。」
最後の一つを頬張り飲み込むと先ほど出て来た本棚の方を指し、読み終わっても見つからなければまだあの辺りに何冊もあるゆえお代わりは自由だと述べ終えると、少年はこれで雑談は終わりだとばかりに湯呑でお茶を飲む時のように缶の側面と底に手を当てて珈琲を上品に飲み干したのだった。
掃除されておらず曇ったままのガラス戸をガタガタ言わせながら開くと、半世紀前をモチーフにしたドラマに出てくる駄菓子屋や八百屋のような土間の奥に、年代を感じさせる木製カウンターとその向こうには猫の額ほどの小上がりが見えるが、長い間使われていないのか畳はホコリで灰色になっている。
「来たか。こっちだ。」
ザリザリとした足音と共に奥から現れ、入り口の反対側にあるおそらくエレベーターとなっている戸を出て左手に広がる暗がりの中から、怪談話に出てくるような穴あき提灯を提げた塵塚少年に声を掛けられる。
約束の時間より少し遅れたことを軽く謝罪しつつ駆け寄ると、彼は先に闇しかない通路を奥へと進み始めた。
提灯の頼りない明かりだけでなく二人分の足音まで吸い込んでいるかのような暗闇の中を歩むこと十数歩、鼠色の壁を目の前にして立ち止まったのでどうしたのかと様子を伺っていると、おもむろに壁の左端に手を当てぐっと押すと中心に軸があるかの如く壁は半回転し、忍者屋敷のように向こうの空間が表われた。
「どんでん返しとか初めてみた。」
「ふん。なんてことはない仕掛けだ。」
彼は後ろから上がった驚嘆へ言葉とは裏腹に少し誇らしそうな声音で謙遜し、入ってすぐ左手の壁を探るように手を這わせて電気を付けた。
高い天井からブーンという音が聞こえるので今では珍しい水銀灯照明だろうかなんて考えていると、ゆっくり強くなる柔らかな光で徐々に照らされ姿を現した室内は入り口側と同じような土間となっているが表の埃しか飾られていない棚と違い、棚の上にまで身の詰まった本棚達が人一人がやっと通れる間隔で所狭しと立ち並んでいた。
またその広さも最近めっきり数を減らした本屋の比ではなく、うちの学校の体育館がいくつも入るであろうことが容易に想像がつくほどの広さを有しており、地上波番組宜しく東京ドーム何個分と言った方が分かり易い広さなのかもしれない。
しかしここでふと気が付いたがこの地域の地図上にそのような目立つ建物があった記憶はない。あればまず訪れているし忘れるはずがないだろう。
エレベーターといい斑さんの図書館といい、どうにも空間がねじ曲がっているとしか思えないが、これも何かしらの遺物を用いているのだろうか。
「ここが私の世話する旧館のバックヤードだ。この中なら台座の困りごとの解決策も見つかるだろう。好きなだけ探すがいい。」
私の困り事といえば身長のことに他ならないが、この旧館バックヤードの何十万冊もの中から手がかりを探すのは流石に骨が折れるだろう。
とりあえず手近な本棚の前に立ち一冊抜き取ってみるが、蛇ののたくったような文字は一文字たりとも読める気がしない。
ここが八玉図書館のバックヤードと言うのなら新館のタブレットやライトのように何か便利ツールがあるのではないかと少し歩くが、残念ながらそういった物は一切見当たらず、いつの間にか後ろからいなくなっている上に入り口すらなくなっているではないか。
暫く思考が止まり閉じ込められたのかと焦り、出てきた当たりの本棚を押すと拍子抜けするほどにあっさり九十度回転し勢い余って向こうの空間に倒れ込んでしまったが、真っ暗な通路の先に入り口の明かりが見えてほっと息を吐いた。
「何をしている。」
表の入り口がガラリと開き両手に缶コーヒーとお茶を二つずつ持った少年が顔を出す。
店前の自動販売機で買って来てくれたのだろうが、理不尽であることは十分理解しつつも席を外すなら一声かけてからいなくなれと声にだしそうなった。
いくら相手が中学生程度の見た目であっても説明少なに姿を消すのは良くないという事を説教してやろうと立ち上がると、彼の向こうに人影があることに気が付く。
徐々に目が慣れてきてグレーのパンツスーツにカーキ色のコートを羽織った長身の女性であることがわかると同時に、つい先日桃に見せられたモデル雑誌で見た顔だと気が付いた。
通路の真っ暗闇の中でも周囲を照らすかのような白磁の肌に目の覚めるような深紅の唇。水浅葱色の軽くウェーブした髪から先を少しだけ覗かせる尖った耳に、透き通った翡翠の瞳を持つ彼女は最近のファッション業界の若手の中でも特に有名なMIYABIその人であったのだ。
少年が見惚れる私の横を抜け書庫の入り口右手にある、緩く後ろに傾いだソファに彼女を座らせると彼自身も丸机を挟んだ対面にある同じ物に腰を下ろす。
お茶と缶珈琲をそれぞれの前に置き、貴様は探し物を続けて居ろと言わんばかりに背を向けられムッとする。
何かと話題のモデルさんと何としても同席したかったので、机の下にしまわれているスツールを取り出し後ろに陣取ってやった。
「塵塚さん。そちらの方は?」
「気にするな。最近うちに入り浸っているので助手として働かせている台座だ。害はない。」
「へぇ、台座さんていうの、珍しいお名前ね。私は宮比雛菊。よろしくね。」
「は、はい!よろしくお願いいたします!」
「そんな所にいないで、こちらで一緒にいかが?」
見た目の冷たい印象と真逆にコロコロと笑う女性に促され、願ってもないといそいそと移動すると机に出ていた生八つ橋も勧められた。
遠慮するのも失礼なのでニッキの香る黄色い物をいただくと中の餡から漂う甘すぎず上品な香りが鼻から抜け、上等な品であることが一口で分かり思わず頬が緩んでしまう。
此方にもお茶を出しながら仏頂面のままお前は何をしに来たんだと言う視線を左隣から感じなくもないが、今は気にしている暇はない。
女子高生がミーハーで何が悪いというのだ。
「さて、宮比と言ったか。何用で私の所を訪れた?」
少年も緑色の抹茶味を口に運びながら本題を問う。
果たして珈琲と生八つ橋は合うのだろうか。
「実は最近、身の回りで妙なことが立て続けに起こっていまして。もしかするとお化けの仕業じゃないかと思い、除霊で有名とお聞きした塵塚さんの所へ来たんです。」
「承知した。除霊とは少し違うが詳しく聞かせてもらおう。」
塵塚邸で見た金子さんや葛ノ葉さんなんかは調停師と言っていたが、どうやら怪異などしる由もない一般市民には霊媒師として認知されているようだ。
まあ確かに絶滅したとされている怪異関連専門のトラブルを解消するなんていう荒唐無稽な物よりは、胡散臭いながらもお化けの専門家の方がまだましかもしれない。
いつか山川も言っていたが本当に顔が広いんだなと実感していると、信じて貰えないかもしれませんがと前置きをしてから宮比さんは自分の身に起こった現象をとつとつと話し始めた。
「実はどんなに部屋が散らかして家を出ても、仕事から帰ると綺麗に片付いてるんです。」
「同居人が気を利かせて掃除してくれている訳ではないのか?」
「私は都会で一人暮らしを始めたばかりで、両親は田舎から出てきたことすら無いので有り得ません。恥ずかしながら恋人はおろか家に呼ぶような友人も居ないですし。何かが無くなっている様子もないですけど、むしろそれが余計に気持ち悪いと言いますか。もしかすると妙な趣味を持ったストーカーじゃないかと思って探偵を雇い部屋の中にカメラまで仕掛けて調べてみたんですが、私が片づける姿が映し出されるばっかりで。でも絶対に私にそんな記憶はないんです。探偵さんからも頭がおかしい人か、そうでないなら夢遊病だから病院へ行けとまで言われてしまいまして。なので非科学的ではあるのですが、もしかすると何かお化けとかそういう類の物なんじゃないかと思うんです。」
「なるほど。聞いたところ怪異の仕業であれば納得いくな。しかし害はなさそうだし放っておいて良いのではないか?」
「良いわけないでしょ!」
思いがけず大きな声を出してしまい、宮比さんの背を跳ねさせてしまった。
違うんです別に貴女を怖がらせようという気なんて毛頭なかったんですと心の中で謝罪する。
さておき、本当は部外者である私が口を挟んでいい場面ではないのだが、ピシッとした服とは対照的に曇った表情に居ても立ってもおられずつい口を出してしまったのだ。
「塵塚君はちょっとノンデリな所あるから分かんないかもしんないけど、片付けるだけっていっても女の子の部屋に誰かが勝手に侵入してるんだよ!れっきとした事件じゃん!」
「そういうものか。」
僅か七文字という短すぎる返答で怒声を受け流し黒色飲料を啜る少年に、少し戸惑いながらも宮比さんが至極最も疑問を投げかける。
「怪異の仕業ってどういうことですか?」
先週までの『怪異は絶滅している』という常識で生きていた私と同じ目をした質問に答えるかのように調停師は立ち上がると、近くの本棚から一冊の本を抜き出して机の上に置いた。
どっしりとした本の表紙には『消えた怪異』というタイトルがでかでかと印字されている。
「これは?」
「細部まで読み込む必要は無い。前書きに書いてあることをただ事実として受け入れろ。全てはそれが出来てからだ。」
宮比さんは重たそうな本を慎重な手つきで開いて最初のページを読み始め、真剣な面持ちで目を滑らせること数分、目の前の厚い本をパタリと閉じた。
「誰もが学校で習うで怪異は絶滅したという歴史は全て嘘だと書いてあるのですが、これを信じろと?」
真剣に悩んで相談に赴いたのに馬鹿にしているのかとでも言うような目を向けるモデルに、横に座る私の肩まで竦んでしまう。
私はスポンジ君のような実例を見た上に実は怪異との事件の体験者であった友人のおかげで納得することが出来たが、いきなり歴史教育が間違っているなんて言われて信じる者の方が稀だろうし、こんな眉唾な話と怒りを感じるのは真っ当な反応だろう。
「納得できぬと言うのなら私から言うことは無い。望むならその本は貸してやるゆえ、また自体を飲み込めたなら来るがいい。」
突き放すような言葉を述べると小さな影は本棚の間に消えていってしまう。
机には眉間に手をやり考え込んでいる様子の宮比さんと私が残され、なんと声をかければ良いのか戸惑っていると逆に向こうから話しかけられた。
「あの子の助手らしいけど、貴女も怪異は今も生きているなんて信じているの?」
怪訝な顔に自分も怪異は絶滅したと習ったし同じ気持ちだったと伝えた上で、先週目の辺りにしたスポンジ君の話をし証拠として動画を見せたのだが、そこに映っていたのは食器を洗う冬華の姿で美女を困惑させてしまう。
そういえばそうだったと胸の内で不覚を叱責するも相談者の口許は微笑んでおり、もしかして納得してもらえたのかと思ったのだが、その上にある目には憐みの光を宿っている事に気が付いてしまい直視することが出来ない。
あれは変な宗教に嵌った可哀想な人を見る目と同質の物だ。
背中に気持ちの悪い汗をかきながら今月何度目かわからないが、気まずさから膝の上の握りこぶしに目を落とさざるを得なかった。
一応鞄に本を入れて帰る宮比さんの背を見送りドッと押し寄せる疲れをため息と共に頭上に吐き出す。
訪れた時はジーっという音を立てながら段々と明るさを増していた電灯も話している間にすっかり本領を発揮していたようで、眩しすぎるとも思える光量で本棚達を明るく照らし出していた。
どこで聞いたかも覚えていないが熱損失が多いとか割れた時に有害物質が出てくるとかで、随分前から公共施設のみならず工場などもLEDへとどんどん交換しているらしいので、この図書館のバックヤードはかなり昔からあったのかもしれないなどと先程の失態から目を背けるよう別の事に気を逸らす。
「整理がてら貴様の身に起こっている事に関しそうな物を見繕ってきたゆえ、とりあえず目を通してみろ。」
音もなく本棚の隙間から現れた少年の腕には数冊の本が抱えられていた。
どれも分厚く重厚で、人を殴ればガラスの灰皿よろしく撲殺も出来そうな物を目の前の机にドスンと置くと、先程座っていた席で新たに開けた缶珈琲を一口飲んでから生八つ橋をつまみ始めた。
さっき宮比さんに背を向けて居なくなった時はいつも通りの無表情ながらも何となく不機嫌そうだったのだが、目の前で和菓子を黙々と口に運ぶ姿からはトゲトゲしたものが感じられないので機嫌も直ったのだろう。
基本的に古くさい言葉遣いをしているので大人びた性格と捉えがちだが、意外にも彼の内面は甘いもので解決するぐらいには子供の部分が残っているようだ。
いつまでも彼のおやつ風景を見ていても仕方がないので目の前の辞典のような書物に目を落とし色褪せた分厚い表紙を捲ってみると、一ページ目の中心に明朝体で怪異記録集1(現代語訳版)と記されていた。
もう一ページ捲り現れた翻訳者が書いたであろう前書きによると、この本には怪異の成り立ちや過去に起こった事件、その解決までの経緯そして物によってはその後に起こった出来事までが書かれているそうで、次のページから目次となっており挨拶爺だの茜蛍だのといった具合で、五十音順に纏められているらしい。
「これすんごい分厚いんだけど、全部読まなきゃだめ?」
「無論だ。ここで読んでも良いが時が惜しかろう。持ち帰って己に起こっている事例と酷似する内容を見つけたら私に言え。それと年末まで私はここで本の整理で詰めるゆえ、用があれば上ではなくここに来るがいい。」
最後の一つを頬張り飲み込むと先ほど出て来た本棚の方を指し、読み終わっても見つからなければまだあの辺りに何冊もあるゆえお代わりは自由だと述べ終えると、少年はこれで雑談は終わりだとばかりに湯呑でお茶を飲む時のように缶の側面と底に手を当てて珈琲を上品に飲み干したのだった。
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