上 下
14 / 95
第二章 二回目の学園生活

1

しおりを挟む

(やっと死ねた……)


 リスティアは、とても良い気分だった。
 もう悲しむことも、胸が痛む事もない。
 ようやく眠れる……眠、れる?

 違和感を覚え、ハッとして目を覚ました。月の光も無い程の、真っ暗闇だった。


 薄皮一枚隔てた別の世界のよう。
 現実感は無く、時間の流れはゆったりとして、これが『走馬灯』というものかと納得をする。


 しばらくぼうとして、先に耳が機能すると、夜鳥のホーと鳴く声、虫の羽を合わせる涼やかな音、木々の葉が擦れる音色も聞こえてきた。

 ふと喉元に手を当てると、傷ひとつ、付いていない。

(それだけじゃない。体温が、ある。手先の感触も、この部屋の香りだって)

 五感が冴えて、走馬灯ではなく、現実なのかもしれないと疑い始めた。どこか胸騒ぎもする。こんな部屋、王城にあった記憶はない。

 手探りでシーツや毛布、寝台の装飾を探っていった。しかし、それは王太子妃の寝室にあったものではない。それなのにどこか、懐かしさを感じる。


「……?【光よ】」


 生活魔法で小さな光を出せば、ぱっと部屋が明るくなった。


「……なんで?どういう……」


 そこは、リスティアのかつて使っていた、学園寮の一室だった。

 姿見が目に入り、


 そして硬直した。


 そこには、少年から青年になりゆく、あどけなさの残った自分がいた。

 そしてとうに外していたはずの、頸を守る、ネックガードも。
 恐る恐る、少し上へ持ち上げれば、真っ白で誰のものでもない頸が現れる。

 リスティアは困惑したまま、机や書棚を見渡す。丁度、魔法学園の第三学年に入る頃くらいだろうか。
 必死に予習をした形跡があった。


「なにこれ……ははっ……嘘でしょう……」


 17歳。つまり、21歳から、四年前にさかのぼったらしい。








 あれからもう一度目を瞑ってみたが、現状は変わる事はなく、信じがたい現実が太々しく横たわったまま、朝を迎えていた。

 他の寮生が起き始めた、生活音すらする。

(つまり、僕は、あの地獄をもう一度やらなければならないのか?)

 誰のどんな悪趣味なのか分からないが、どう考えても無理だ。

 マルセルクの愛の言葉は偽りだった。
 そして、フィルを軽視していた自分も問題だった。

(絶対にもう、二度と結婚も番もお断りだ。あんな辛い思いをするくらいなら、死んだ方がいい)

 リスティアは勢いのまま、果物用のナイフを取り出す。

 指先に宛てて、少し刃が肌に沈むと、ピリッと痛みが走り、眉を顰めた。


 その痛みは、リスティアに理性を取り戻させる。
 これは夢ではなく、現実なのだと。


 冷静になった頭で、……ふと、思う。

 今、死ななくてもいいのではないか。

 せっかく時が戻ったのなら、マルセルクとの婚約を解消、もしくは破棄する方向で頑張ってみてもいいかもしれない。
 最悪結婚することになってからでも、遅くはない。

 いや、死ぬよりは指名手配されてでも逃げた方が良いかもしれない。必ずしも、死を選ぶ必要はない。

 幸い、もう頭痛も、飢餓感もない。身体は軽く、頭はこれ以上なくクリア。死ぬ直前は、ぼんやりと霞みがかったような鈍い思考をしていた。

 腹に刻まれた花紋は蕾のまま。恐らく、開花することのないものだと覚悟した方が良いのだろう。

(欠陥があるのかもしれないけれど、もう捧げたい人などいないのだから、気にする必要はない)


 奇しくも、今日は第三学年になって初めての登校日のよう。婚姻まで、あと一年はある。

 フィル・シューはもう、この頃にはマルセルクと懇意になっていた。それはリスティアも承知していた。不快感を感じながらも、次期王太子妃だからとどこか他人事だったのは、この頃はまだ行為について、体感として知らなかったからだ。

 一度でも知ってしまえば、愛する人が、他の人を抱くなんて許容出来ない。そして許容出来ないから、辛い。


(もしマルセルク様がどうでもいい男だったら、あれほど悩むことは無かったのに)

 リスティアは指先に出来たほんの少しの傷口を綺麗に拭うと、応急処置をして、懐かしい学園の制服に袖を通した。









 豊かさを象徴する黄金の金髪。
 誠実さを象徴する深い碧眼。

 切れ長の目の形、きゅっと薄めの唇やその下にある黒子ほくろ、丹念に整えられ、引き締まった身体。
 リスティアが何の疑いもなく愛した頃のマルセルクがいた。

 しかし浮き足立つどころか、リスティアの心は凍り付いたまま。
 『誠実』とは掛け離れている、とひんやりした目で碧眼を見上げていた。


「リスティア」

「おはようございます、マルセルク様」

「ああ、おはよう。今日からもよろしく頼む」

「はい……」


 今日も気迫を漲らせたマルセルクが声をかけてくれる。声をかけてくれる・・・
 その自分の思考に気付き、苦笑した。

 声をかけられるだけで、以前のリスティアは胸を高鳴らせていたのだ。我ながら簡単過ぎる。

(その程度で自分に従順なお飾り妃が出来るのなら、マルセルク様にとって手間にもならないだろうな)


 しかしそうなってしまうほどに、リスティアに声をかける生徒はほとんどいなかった。それこそ、マルセルクと、フィル以外に。


 リスティアは、潔癖すぎた。

 男オメガとして、マルセルク以外の男と話せば浮気しているような気持ちになってしまい、そっけなくなる。

 15歳から18歳で入る高等学園の中でも、この学園は男子生徒のみ。異性との出会いを求めるのであれば共学を選ぶ。

 そして学園に在籍するオメガ男子は、リスティアの美貌と比べられるのを引け目に感じ、近寄ろうとする者は少なかった。

 そんなことはリスティアは知らない。ただ、遠巻きにされる程、自分の容姿は冷たく見えることは自覚していた。

 結局、マルセルクか、リスティアになにかと絡んでくるフィルと話す機会が多かったのだ。

(そうだ。今日もフィルに言われるはずだ)

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません

くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、 ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。 だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。 今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。

お前が結婚した日、俺も結婚した。

jun
BL
十年付き合った慎吾に、「子供が出来た」と告げられた俺は、翌日同棲していたマンションを出た。 新しい引っ越し先を見つける為に入った不動産屋は、やたらとフレンドリー。 年下の直人、中学の同級生で妻となった志帆、そして別れた恋人の慎吾と妻の美咲、絡まりまくった糸を解すことは出来るのか。そして本田 蓮こと俺が最後に選んだのは・・・。 *現代日本のようでも架空の世界のお話しです。気になる箇所が多々あると思いますが、さら〜っと読んで頂けると有り難いです。 *初回2話、本編書き終わるまでは1日1話、10時投稿となります。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

王命で第二王子と婚姻だそうです(王子目線追加)

かのこkanoko
BL
第二王子と婚姻せよ。 はい? 自分、末端貴族の冴えない魔法使いですが? しかも、男なんですが? BL初挑戦! ヌルイです。 王子目線追加しました。 沢山の方に読んでいただき、感謝します!! 6月3日、BL部門日間1位になりました。 ありがとうございます!!!

俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします

椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう! こうして俺は逃亡することに決めた。

侯爵令息は婚約者の王太子を弟に奪われました。

克全
BL
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

【完結】家も家族もなくし婚約者にも捨てられた僕だけど、隣国の宰相を助けたら囲われて大切にされています。

cyan
BL
留学中に実家が潰れて家族を失くし、婚約者にも捨てられ、どこにも行く宛てがなく彷徨っていた僕を助けてくれたのは隣国の宰相だった。 家が潰れた僕は平民。彼は宰相様、それなのに僕は恐れ多くも彼に恋をした。

処理中です...