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章1
この世界で生きているひと(3)
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「でっしょー。でもさ、スルーされるよりは好感度マイナスの方が、あたしをあたしだって認識してくれる分幸せじゃん?」
そういうものだろうか。
無視されることと嫌われていることの差がいまいち分からないが、それは透が対人コミュニケーション力を雀の涙ほどしか持ち合わせていないから理解できないのかもしれない。
「だって、好きだったんだもん。画面越しに、セーブの時の台詞しか喋らない、あたしを見てくれない……ただのJPGデータだった頃のおじさんでさえ」
カノンが、座っていたソファの背に寄りかかってぐっと伸びをした。
それから、足を組みかえる。
「それが今は、好きって言ったら苦笑いが返ってくるし、えっちしよって言ったら頭痛そうにして「あと五年経ったらね」って言うんだよ」
「それは、えっと……」
よく婚約にこぎつけられたな。
彼女はまるでラブラブ、相思相愛であるかのように語っているが、ちょっと相手はまだたじろいでいるように思う。
「最初は毛虫見るような目で見られてたんだよ? それ考えるとあたしマジすごくない? 神ってるでしょ」
確かにそれはすごい、間違いなく。
透とは比べ物にならないほどのメンタル強度である。
日本でゲームをしていたころから好きだった人が、目の前に現れたのだ。
自分が画面の中に入ることで、同じ舞台に立てた。
恋をしていた彼女にとって、ゲーム世界への転生は悲しいことでもなんでもなかったのだろう。
透はまだ、同じ舞台に立てていない。
たとえどこかで命を落としても、この世界で、彼と――勝宏と同じ舞台に立つことはできない。
カノンと透はとてもよく似た恋をしている。
けれど根本的に、彼女とは立場が違うのだ。
「……ゲームのキャラクターって、い、生きているといえるんでしょうか」
現実世界で生きている人間なんて、この世界のどこにもいない。
透だけが、たったひとり命を持った人間だ。
そして全てをかなぐり捨てても、勝宏と”同じ”にはなれない。
「ゲームキャラでもいいじゃない。
今ここで触れ合ってる好きな人は、シナリオでもシステムでもなんでもなく、自分で考えて行動して、自分の感情でちょっとずつあたしを好きになってくれてるんだよ。あたしっていうイレギュラーを受け入れてくれてるんだよ。
それってさ、生きてるのとどんな差があるっていうの?」
常識のない質問をしてしまった透に、カノンは気にすることもなく返した。
彼女の目には、迷いや諦めの色はないように思う。
「ゲームが、壊れるかもしれないとしたら、どうでしょうか」
「あー、あたしがおじさんと婚約することでゲームがシナリオ通りに進まなくなって終わっちゃうみたいな話? それを阻止するために攻略本買ってきてもらったみたいなものなんだけどね」
「止められなかったら……?」
「何がなんでも止める。でも、最後の最後まで足掻いて、だめだったら、それはまたその時考える。
だってあたしがおじさんとゴールインしても、しぶしぶ他の攻略対象を選んでも、どっちにしろエンディングは来るもんじゃん」
どちらにせよ、エンディングはやってくる。
彼女の言葉は透の中に、深く沈み込んでいった。
この世界に居ても、日本に逃げ帰っても、アリアルはウィルと同じく日本に存在することのできる悪魔だ。
アリアルが透を狙う限り、いずれ殺される可能性はある。
この世界の住民を、透を呼び戻すための人質にするかもしれない。
それさえ無視して長いあいだ透が逃げ続けていれば、アリアルは巣を別のゲームに変えてしまうかもしれない。
その時、不要になったこの世界はどうなるか。
……選択肢など、なかったのだ。はじめから。
「お、なんか結論出た? ゲームなんて、いつ終わるかわかんないよ、マジで。
ソシャゲとか利用者ガン無視で突然サービス終了するし。
やりたいことはやるべきだし、好きな子が居るなら捕まえなきゃ。いまのうちに、さ」
「そう……ですね」
好きな人の悲しむ顔を見たくないから。
ぬるま湯のようなこの日常をぎりぎりまで壊したくないから。
そうやってここまで、ずっと先延ばしにしていたことだった。
覚悟を決めなければならない。
なにもかもを打ち明ける覚悟、それから。
勝宏に、嫌われる覚悟も。
「もしもゲームが終わっても、あたしは推しに”あたし”を認識してもらえた。
んで、二次元が三次元になっても、あたしが二次元になっちゃってるんだとしても、あたしは推しのことが大好き。
それだけは何があっても、絶対に変わらない」
カノンの言う通りだ。
好きだという気持ちだけは、何があっても絶対に変わらない。
勝宏には生きていてほしかった。
けれど彼が死ななければ、彼とは出会えなかった。
詩絵里やルイーザたちとは、年齢や性別からしても透には一生縁がなかっただろう。
偽りのこの世界で、奇跡の連続で彼と出会って、恋をした。
細い細い綱渡りの先のようないまだった。
この世界で出会った、この立ち位置から見た勝宏だから、こんなにも。
年下――この世界に転生してからの年数を精神年齢に合算したら間違いなく年上だが――の少女の前で涙を見せることはどうにか避けられた。
礼を言って彼女に見送られ、転移は使わず屋敷の外に出る。
そうだ。勝宏を待たせたままだった。
アイテムボックスに収納された料理は保温されているだろうが、お腹をすかせた彼に長いおあずけは酷だったろう。
手近な路地裏に滑り込み、日本に転移して自分のぶんをさっと用意する。
転移先は、勝宏の待ってくれているあの小さな家だ。
「た、ただいま……」
「おー、おかえり透! ほら見てこれ、椅子すげー頑張った」
作業をしていた勝宏が、透を振り返って笑顔を見せる。
小屋の中を見まわすと、木製のベッドが二つ、椅子が全部で八つ作られていた。
「すごいね……」
「しばらく椅子は端っこに寄せてベッド出しとくけど、ダンジョン使えるようになったらベッドはダンジョンの方に持ち込んで、ここには長テーブル置く感じ!」
持ってきていた自分のぶんの料理をカウンターに置く。
「うん。いいんじゃないかな。でも椅子はアイテムボックスに収納しないんだ?」
「あ! そっか椅子も今はしまっといていいじゃんな」
収納されていないのは、ニスか何かを塗って乾かしている最中なのかと思ったが、そういうわけではなかったらしい。
次々収納されていく椅子の中から、ふたつだけをカウンターに引き寄せる。
「よし、じゃあ飯食おう!」
「……ごはん、ほんとに待っててくれたんだ」
「あたりまえじゃん」
いつかやってくる破綻の時まで、延命できたはずの日常。
それを自分の手で、壊すことになる。
そういうものだろうか。
無視されることと嫌われていることの差がいまいち分からないが、それは透が対人コミュニケーション力を雀の涙ほどしか持ち合わせていないから理解できないのかもしれない。
「だって、好きだったんだもん。画面越しに、セーブの時の台詞しか喋らない、あたしを見てくれない……ただのJPGデータだった頃のおじさんでさえ」
カノンが、座っていたソファの背に寄りかかってぐっと伸びをした。
それから、足を組みかえる。
「それが今は、好きって言ったら苦笑いが返ってくるし、えっちしよって言ったら頭痛そうにして「あと五年経ったらね」って言うんだよ」
「それは、えっと……」
よく婚約にこぎつけられたな。
彼女はまるでラブラブ、相思相愛であるかのように語っているが、ちょっと相手はまだたじろいでいるように思う。
「最初は毛虫見るような目で見られてたんだよ? それ考えるとあたしマジすごくない? 神ってるでしょ」
確かにそれはすごい、間違いなく。
透とは比べ物にならないほどのメンタル強度である。
日本でゲームをしていたころから好きだった人が、目の前に現れたのだ。
自分が画面の中に入ることで、同じ舞台に立てた。
恋をしていた彼女にとって、ゲーム世界への転生は悲しいことでもなんでもなかったのだろう。
透はまだ、同じ舞台に立てていない。
たとえどこかで命を落としても、この世界で、彼と――勝宏と同じ舞台に立つことはできない。
カノンと透はとてもよく似た恋をしている。
けれど根本的に、彼女とは立場が違うのだ。
「……ゲームのキャラクターって、い、生きているといえるんでしょうか」
現実世界で生きている人間なんて、この世界のどこにもいない。
透だけが、たったひとり命を持った人間だ。
そして全てをかなぐり捨てても、勝宏と”同じ”にはなれない。
「ゲームキャラでもいいじゃない。
今ここで触れ合ってる好きな人は、シナリオでもシステムでもなんでもなく、自分で考えて行動して、自分の感情でちょっとずつあたしを好きになってくれてるんだよ。あたしっていうイレギュラーを受け入れてくれてるんだよ。
それってさ、生きてるのとどんな差があるっていうの?」
常識のない質問をしてしまった透に、カノンは気にすることもなく返した。
彼女の目には、迷いや諦めの色はないように思う。
「ゲームが、壊れるかもしれないとしたら、どうでしょうか」
「あー、あたしがおじさんと婚約することでゲームがシナリオ通りに進まなくなって終わっちゃうみたいな話? それを阻止するために攻略本買ってきてもらったみたいなものなんだけどね」
「止められなかったら……?」
「何がなんでも止める。でも、最後の最後まで足掻いて、だめだったら、それはまたその時考える。
だってあたしがおじさんとゴールインしても、しぶしぶ他の攻略対象を選んでも、どっちにしろエンディングは来るもんじゃん」
どちらにせよ、エンディングはやってくる。
彼女の言葉は透の中に、深く沈み込んでいった。
この世界に居ても、日本に逃げ帰っても、アリアルはウィルと同じく日本に存在することのできる悪魔だ。
アリアルが透を狙う限り、いずれ殺される可能性はある。
この世界の住民を、透を呼び戻すための人質にするかもしれない。
それさえ無視して長いあいだ透が逃げ続けていれば、アリアルは巣を別のゲームに変えてしまうかもしれない。
その時、不要になったこの世界はどうなるか。
……選択肢など、なかったのだ。はじめから。
「お、なんか結論出た? ゲームなんて、いつ終わるかわかんないよ、マジで。
ソシャゲとか利用者ガン無視で突然サービス終了するし。
やりたいことはやるべきだし、好きな子が居るなら捕まえなきゃ。いまのうちに、さ」
「そう……ですね」
好きな人の悲しむ顔を見たくないから。
ぬるま湯のようなこの日常をぎりぎりまで壊したくないから。
そうやってここまで、ずっと先延ばしにしていたことだった。
覚悟を決めなければならない。
なにもかもを打ち明ける覚悟、それから。
勝宏に、嫌われる覚悟も。
「もしもゲームが終わっても、あたしは推しに”あたし”を認識してもらえた。
んで、二次元が三次元になっても、あたしが二次元になっちゃってるんだとしても、あたしは推しのことが大好き。
それだけは何があっても、絶対に変わらない」
カノンの言う通りだ。
好きだという気持ちだけは、何があっても絶対に変わらない。
勝宏には生きていてほしかった。
けれど彼が死ななければ、彼とは出会えなかった。
詩絵里やルイーザたちとは、年齢や性別からしても透には一生縁がなかっただろう。
偽りのこの世界で、奇跡の連続で彼と出会って、恋をした。
細い細い綱渡りの先のようないまだった。
この世界で出会った、この立ち位置から見た勝宏だから、こんなにも。
年下――この世界に転生してからの年数を精神年齢に合算したら間違いなく年上だが――の少女の前で涙を見せることはどうにか避けられた。
礼を言って彼女に見送られ、転移は使わず屋敷の外に出る。
そうだ。勝宏を待たせたままだった。
アイテムボックスに収納された料理は保温されているだろうが、お腹をすかせた彼に長いおあずけは酷だったろう。
手近な路地裏に滑り込み、日本に転移して自分のぶんをさっと用意する。
転移先は、勝宏の待ってくれているあの小さな家だ。
「た、ただいま……」
「おー、おかえり透! ほら見てこれ、椅子すげー頑張った」
作業をしていた勝宏が、透を振り返って笑顔を見せる。
小屋の中を見まわすと、木製のベッドが二つ、椅子が全部で八つ作られていた。
「すごいね……」
「しばらく椅子は端っこに寄せてベッド出しとくけど、ダンジョン使えるようになったらベッドはダンジョンの方に持ち込んで、ここには長テーブル置く感じ!」
持ってきていた自分のぶんの料理をカウンターに置く。
「うん。いいんじゃないかな。でも椅子はアイテムボックスに収納しないんだ?」
「あ! そっか椅子も今はしまっといていいじゃんな」
収納されていないのは、ニスか何かを塗って乾かしている最中なのかと思ったが、そういうわけではなかったらしい。
次々収納されていく椅子の中から、ふたつだけをカウンターに引き寄せる。
「よし、じゃあ飯食おう!」
「……ごはん、ほんとに待っててくれたんだ」
「あたりまえじゃん」
いつかやってくる破綻の時まで、延命できたはずの日常。
それを自分の手で、壊すことになる。
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