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竜の恩讐編
三年前にて…… その2
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聖フランケンシュタイン大学病院の特別診察室。
そこは案内図に記載されておらず、また通常の方法では入ることも、扉を発見することもできない。病院の設計図にのみ存在が記され、関係者でも一部の者しか知りえない、特別な部屋。
その特別診察室に置かれた机の上で、ヴィクトリア・フランケンシュタインはカルテを淡々と記述していた。
診察用のベッドでは、カルテの患者が衣服を着なおしている。
もう何年も、何回も続いている定期健診であるために、二人にとってはこの沈黙の間でさえ、決まりきった約束事のようなものだった。
「今日もありがとうございました」
ブラウスのループタイを結びなおしたプラチナブロンドの女性は、気品のあるお辞儀でヴィクトリアに礼を述べた。
「健康状態、には、異常、なし……基本的、には……」
ヴィクトリアもカルテを書きながら、今しがたの検診の結果を伝える。
「いつも、どおり、痛み止め、を、処方、する」
「分かりました。受け付けでお薬をいただいて帰ります」
カルテと同時並行で書いていた処方箋に関する書類を受け取り、女性は診察室の扉に向かって歩を進めた。
が、
「待っ、た」
扉の取っ手を握ろうとした女性を、ヴィクトリアが呼び止めた。
「代わりの、モノ、見つかりそう、だけど、どう、する?」
ヴィクトリアのその言葉を聞いた女性は、それまで纏っていた穏やかな空気から、少し張り詰めたものへと変わった。
「……そのことはもう何年も前にお断りしたはずです」
「ソレも、込みで、頼まれてる」
「……」
女性はしばらく黙っていたが、張り詰めた空気が薄れると、返答の代わりのように首を左右に振った。
「私はもう……翻弄されたくないし、させたくもないんです」
女性はそれだけを言うと、『ありがとうございました』と再び礼を述べて診察室を後にした。
ヴィクトリアは数秒ほど、閉じられた扉を青と緑のオッドアイで見つめ、また机に向き直ってカルテを最後まで仕上げた。
書き上がったカルテに穴あけ器で穴を開け、それをバインダーに収めて表紙を閉じる。
表紙に記載されている名前に、ヴィクトリアは少し悲しげに目を細めた。
『ピオニーア・ジェラグ』の名前と、その生年月日に。
受け付けで処方箋を受け取ったピオニーアは、そのまま病院を出ることはせず、入院棟の裏へとやって来た。
そこにはいつから置かれているのか、古い金属製のベンチがぽつんとあり、病院の表側からは完全な死角になっているため、ほぼ人が来ることはない。
入院棟の影に入っているので、真夏であってもその場所だけは涼しく、過ごしやすいところだった。代わりに冬は一段と冷えるが。
ただ、誰も来ることがない、忘れ去られたようなその一角が、いつしかピオニーアにとって憩いの場になっていた。
そこでなら、何も気にせず、自身の心と向き合うことができたからだ。
目的に邁進する気持ちを確かめるも良し。苦悩や弱さを晒すも良し。
ピオニーアにとって唯一、心を自由にしていい空間だった。
「ふぅ……」
ベンチに座ったピオニーアは、まず小さな溜め息を吐いた。
遠く欧州から日本にやって来て、すでに十二年になろうとしている。
日本語を完全に習得し、学友たちとも良好な関係を築いているという自負もある。
あと数年で目的が叶うというところまで来ている。
そのことへの安堵であると同時に、
(本当にこれで良かったんでしょうか……)
まだ心のどこかで抱える迷いから、つい溜め息が漏れてしまった。
空を見上げると、雲一つない快晴。
約束を誓った人物もまた、遠い故郷で同じ空を見上げていると思えば、少し気持ちが軽くなる。
手紙のやり取りもしているので、お互いの近況も知っているが、早く実際に会いたいという焦りと、選んだ道への迷いが、時折どうしても表出してきてしまう。
そして今日はむしろ、心が重たい方へと余計に傾いていた。
ヴィクトリアが最後に言っていたことが、ピオニーアの脳裏に強く残ってしまっていたからだ。
「代わりの……か……」
ピオニーアは右手の人差し指を立てると、その指先を胸元に当て、すっと腹部まで下ろした。
「私はもう、翻弄されたくないし、させたくもない」
ヴィクトリアに向けた言葉をもう一度、誰もいない入院棟の影で繰り返した。
「本当にこっちの方でいいの? 媛寿」
「こっちのほうがすずしいし、ゆっくりできる」
「確かに待合室でってわけにはいかないけどさ――――――あれ?」
「お?」
「え?」
入院棟の角を曲がってきた青年と少女、そしてベンチに座っていたピオニーアはばったり出くわすと、それぞれが驚きから変な声を出してしまった。
そこは案内図に記載されておらず、また通常の方法では入ることも、扉を発見することもできない。病院の設計図にのみ存在が記され、関係者でも一部の者しか知りえない、特別な部屋。
その特別診察室に置かれた机の上で、ヴィクトリア・フランケンシュタインはカルテを淡々と記述していた。
診察用のベッドでは、カルテの患者が衣服を着なおしている。
もう何年も、何回も続いている定期健診であるために、二人にとってはこの沈黙の間でさえ、決まりきった約束事のようなものだった。
「今日もありがとうございました」
ブラウスのループタイを結びなおしたプラチナブロンドの女性は、気品のあるお辞儀でヴィクトリアに礼を述べた。
「健康状態、には、異常、なし……基本的、には……」
ヴィクトリアもカルテを書きながら、今しがたの検診の結果を伝える。
「いつも、どおり、痛み止め、を、処方、する」
「分かりました。受け付けでお薬をいただいて帰ります」
カルテと同時並行で書いていた処方箋に関する書類を受け取り、女性は診察室の扉に向かって歩を進めた。
が、
「待っ、た」
扉の取っ手を握ろうとした女性を、ヴィクトリアが呼び止めた。
「代わりの、モノ、見つかりそう、だけど、どう、する?」
ヴィクトリアのその言葉を聞いた女性は、それまで纏っていた穏やかな空気から、少し張り詰めたものへと変わった。
「……そのことはもう何年も前にお断りしたはずです」
「ソレも、込みで、頼まれてる」
「……」
女性はしばらく黙っていたが、張り詰めた空気が薄れると、返答の代わりのように首を左右に振った。
「私はもう……翻弄されたくないし、させたくもないんです」
女性はそれだけを言うと、『ありがとうございました』と再び礼を述べて診察室を後にした。
ヴィクトリアは数秒ほど、閉じられた扉を青と緑のオッドアイで見つめ、また机に向き直ってカルテを最後まで仕上げた。
書き上がったカルテに穴あけ器で穴を開け、それをバインダーに収めて表紙を閉じる。
表紙に記載されている名前に、ヴィクトリアは少し悲しげに目を細めた。
『ピオニーア・ジェラグ』の名前と、その生年月日に。
受け付けで処方箋を受け取ったピオニーアは、そのまま病院を出ることはせず、入院棟の裏へとやって来た。
そこにはいつから置かれているのか、古い金属製のベンチがぽつんとあり、病院の表側からは完全な死角になっているため、ほぼ人が来ることはない。
入院棟の影に入っているので、真夏であってもその場所だけは涼しく、過ごしやすいところだった。代わりに冬は一段と冷えるが。
ただ、誰も来ることがない、忘れ去られたようなその一角が、いつしかピオニーアにとって憩いの場になっていた。
そこでなら、何も気にせず、自身の心と向き合うことができたからだ。
目的に邁進する気持ちを確かめるも良し。苦悩や弱さを晒すも良し。
ピオニーアにとって唯一、心を自由にしていい空間だった。
「ふぅ……」
ベンチに座ったピオニーアは、まず小さな溜め息を吐いた。
遠く欧州から日本にやって来て、すでに十二年になろうとしている。
日本語を完全に習得し、学友たちとも良好な関係を築いているという自負もある。
あと数年で目的が叶うというところまで来ている。
そのことへの安堵であると同時に、
(本当にこれで良かったんでしょうか……)
まだ心のどこかで抱える迷いから、つい溜め息が漏れてしまった。
空を見上げると、雲一つない快晴。
約束を誓った人物もまた、遠い故郷で同じ空を見上げていると思えば、少し気持ちが軽くなる。
手紙のやり取りもしているので、お互いの近況も知っているが、早く実際に会いたいという焦りと、選んだ道への迷いが、時折どうしても表出してきてしまう。
そして今日はむしろ、心が重たい方へと余計に傾いていた。
ヴィクトリアが最後に言っていたことが、ピオニーアの脳裏に強く残ってしまっていたからだ。
「代わりの……か……」
ピオニーアは右手の人差し指を立てると、その指先を胸元に当て、すっと腹部まで下ろした。
「私はもう、翻弄されたくないし、させたくもない」
ヴィクトリアに向けた言葉をもう一度、誰もいない入院棟の影で繰り返した。
「本当にこっちの方でいいの? 媛寿」
「こっちのほうがすずしいし、ゆっくりできる」
「確かに待合室でってわけにはいかないけどさ――――――あれ?」
「お?」
「え?」
入院棟の角を曲がってきた青年と少女、そしてベンチに座っていたピオニーアはばったり出くわすと、それぞれが驚きから変な声を出してしまった。
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