上 下
323 / 405
竜の恩讐編

雷光

しおりを挟む
 結城ゆうきが寝かされている客間に通されたアテナは、結城が眠る布団の横に正座し、静かに様子を見守っていた。
 その背中を、障子しょうじへだてた廊下から、キュウと建御雷神タケミカヅチが無言でうかがっていた。
 アテナと建御雷神が金毛稲荷神宮こんもういなりじんぐう境内けいだいに現れた後、キュウは建御雷神から簡単に事情を説明された。
 出雲大社いずもたいしゃで開かれている神々の一年の方策を決める本会議において、アテナが急に立ち上がり、谷崎町たにさきちょうへの帰還を願い出たというのだ。
 神無月かんなづきに出雲から神が帰るなど、滅多なことで起こることではなく、会議場全体が騒然となった。
 かたやアテナの意思を尊重しようという勢力や、慣例を無視することをかたくなに否定する勢力、さらには前代未聞の事態に恐慌きょうこうを起こす神々で、会議場は一時、阿鼻叫喚あびきょうかんになりかかった。
 その状況を制したのは、会議場の一番高い位置に座る、最高神天照アマテラスの、『静まりなさい!』の一喝いっかつだった。
 その後、アテナと天照の二柱だけで少し会話があり、特例としてアテナの帰還が認められることとなった。
 アテナを送る役目は建御雷神が任された。
 建御雷神は雷が起こりうる場所であるならば、どこであっても文字通り雷光の速さでの移動が可能な力を持っていた。
 古屋敷ふるやしきがある谷崎町では雷雲の気配はなかったが、『九尾の狐がいるやしろ』までなら移動がかなうと言われ、アテナはそこまでの移動を頼った。
 到着した直後、金毛稲荷神宮に媛寿えんじゅたちがいたことは予想外だったが、そのこともあってアテナは事情を早く知ることができた。
 結城が依頼者に刺されたということを。
「……」
 結城のかたわらに座るアテナは、一言も発することはなかった。
 いかるわけでもなく、涙を流すでもなく、いつもの凛とした表情とたたずまいのまま、麻酔で眠る結城を見つめていた。
 ただ、目に見えるだけなら変わらないようでも、常にアテナの中にある燃えるような闘気が、今は鳴りを潜めている。
 そのことを、キュウと建御雷神は確かに感じ取っていた。
「アテナ殿、随分と気を落としておられるようだな」
「お分かりになりますか?」
れた女子おなごの気を察せぬようでは、男子おのことして求愛するにあたいせぬ」
 アテナの様子を見ていた建御雷神とキュウが、客間の中に聞こえない程度の声で話した。
「時に」
 建御雷神は室内からキュウの方へ向きを変えた。
其方そなた稲荷神いなりしんの言っていた―――」
「建御雷神様におかせられましては、このたびはお初にお目通りいたします。稲荷神様よりこの金毛稲荷神宮を任されております、白面金毛九尾はくめんこんもうきゅうびの狐にございます」
 建御雷神が指摘し終わる前に、キュウは深々と頭を下げて挨拶あいさつした。
「聞き及んでいる。おもてを上げよ。われは心にもない敬意を払われても喜ばん」
「……バレてしまいましたか」
 顔を上げたキュウは、バツが悪そうな笑みを浮かべていたが、そこにいつもの軽さはなく、本当にバツが悪そうな雰囲気があった。
「其方は何者が相手であろうと、心根こころねから恭順きょうじゅんすることも、従属することもない。そういうあやかしだ。わずかでも殊勝な心あらば、とうに神側こちらに昇っているはずであろうからな」
「……」
 少し辛辣しんらつさの混じる建御雷神の言葉を、キュウは作り笑顔で受け流している。
「しかしながら、そこは我がくちばしさしはさむところではない。それよりも……」
 建御雷神はキュウから客間に向き直り、眠っている結城に対して目を細めた。
「あれがアテナ殿が肩入れしている男子おのこか」
 傷を負ってとこに伏す結城の後に、建御雷神は再びアテナの背を見た。
 アテナが来日してから計三回っている建御雷神だが、やはりこれほど気が落ちた姿を見たことはなかった。
 出雲大社にいた時でさえ、その危機を察知したところから、アテナが結城に対して相当に入れ込んでいることが分かる、
(あの者にそれ程の価値あり、ということか……)
 しばらく客間の中を見つめ、建御雷神は拝殿の廊下を歩き出した。
「どちらに?」
「出雲へ戻る。我はアテナ殿を送る任を受けただけであるゆえな」
 廊下を通って境内に向かっていく建御雷神を、キュウは少しにらむような目で見つめていた。
(結城さんを助けるつもりはない、ということですね)

 拝殿の階段に座ったまま、媛寿は未だどこを見るでもなく、雨が降り続く暗い境内を眺めていた。
 茫然自失、というわけではない。
 意識は保っているが、媛寿の脳裏ではある光景がフラッシュバックし続け、それを自分で遠ざけることができなくなっていた。
 雨の中、血溜まりに倒れる結城を見た時、三年前の記憶と寸分たがわず重なってしまった。
 決定打になってのは、結城がつぶやいていた名前だった。
 それが媛寿の記憶を引きずり出してしまった。できることなら永遠に胸のうちに仕舞いこんでいたかった、三年前の出来事を。
「う……うぅ……」
 媛寿は両手で頭を押さえた。
 全てを話してしまうか、それともこのまま全てを秘匿してしまうか。
 どちらも媛寿にとっては身を裂かれるよりつらい選択だった。
 そうして苦悩する媛寿の横を、雨音とは違う音が横切っていく。
 媛寿が座っている階段を通り、境内へと降りていく誰かの足音。
 それに気付いてはいても、媛寿にはそれが誰なのか、なぜ境内に降りていくのか、気にする余裕はなかった。
「惚れた男子おのことこに伏せっているならば、せめてかたわらで快気を祈ってやるべきではないか? アテナ殿を見習って。なあ、小さき家神いえがみよ」
 頭の中で思考が氾濫はんらんする中、その声だけは不思議と媛寿の耳を通って心にまで届いてきた。
「っ!」
 媛寿が顔を上げた時には、そこには誰もおらず、ただ雨の降る夜の境内だけが広がっていた。
 誰がいたのかは分からずじまいだったが、媛寿にはその言葉が、まるで一筋の雷のように意識を照らし、強い刺激を与えてきたようだった。
 少しだけ思考が晴れた気になった媛寿は、境内の階段からすっと立ち上がった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

ロリっ子がおじさんに種付けされる話

オニオン太郎
大衆娯楽
なろうにも投稿した奴です

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

私の代わりが見つかったから契約破棄ですか……その代わりの人……私の勘が正しければ……結界詐欺師ですよ

Ryo-k
ファンタジー
「リリーナ! 貴様との契約を破棄する!」 結界魔術師リリーナにそう仰るのは、ライオネル・ウォルツ侯爵。 「彼女は結界魔術師1級を所持している。だから貴様はもう不要だ」 とシュナ・ファールと名乗る別の女性を部屋に呼んで宣言する。 リリーナは結界魔術師2級を所持している。 ライオネルの言葉が本当なら確かにすごいことだ。 ……本当なら……ね。 ※完結まで執筆済み

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

処理中です...