上 下
324 / 378
竜の恩讐編

蝕み その1

しおりを挟む
 金毛稲荷神宮こんもういなりじんぐうの本殿の廊下を、媛寿えんじゅはまだ重い足取りながら、結城ゆうきがいる客間まで歩いていった。
 途中、廊下の端にいたマスクマンとシロガネにすれ違ったが、どちらからも何も言うことはなかった。
 二人とも、媛寿に問いただしたいのはやまやまではある。
 しかし、アテナから『おそらく事情がある』と言い含められていたので、この場は何も言わずに通すことにしていた。
 ただ、言葉に出さなくとも、漂っている雰囲気は、如実にょじつに意思を伝えてきていた。
 マスクマンは『必ず全て聞かせてもらうぞ』、と。
 シロガネは『できれば全部話してほしい』、と。
 そんな二人の意思を察した媛寿は、廊下のかどを足早に回っていった。
 歯をみしめ、拳を強く握りながら。

 客間の障子しょうじを開けた媛寿の目に、一番に飛び込んできたのは、結城が眠る布団の前に正座するアテナの背中だった。
 アテナが客間にいるのは、先ほど聞いた声の言葉から知っていたが、いざ目の前にすれば流石に媛寿もたじろいでしまう。
 入ろうかどうか迷う媛寿に、
「エンジュ、入りなさい」
 背を向けたままのアテナがそう言った。
 怒りがあるわけではない。むしろどこか沈んだアテナの声色を聞き、媛寿はアテナも自分と同じ気持ちであることを知った。結城を守れなかったことを悔いているのだと。
 入室し、障子を静かに閉め、媛寿はアテナの横にすっと並んで座る。
 媛寿は視線だけを動かしてアテナの顔を見た。
 表情はいつもと変わらず凛としているが、伏せっている結城を見る目は、やはり悲しそうに見える。
 媛寿は次に結城を見た。
 客間ここに運び込まれた時よりは落ち着いて眠っているが、それも一時しのぎに過ぎないと媛寿は分かっている。
 たとえ怪我けががなくとも、結城にはここから精神をさいなむであろう現実が待っている。
 それを思うと、媛寿は一層つらくなり、ひざに置いた拳を握り締めた。
「エンジュ、まだ話してはくれませんか?」
 媛寿の様子を見て取ったアテナがそううながすも、
「いえない………………まだ」
 媛寿はそれしかしぼり出すことしかできなかった。
「……そうですか」
 アテナもそれ以上の追求はせず、布団で眠る結城に目を戻した。
「アテナ様、ちょっと……」
 客間の障子が開かれ、その隙間すきまからアテナを呼ぶ声がした。
 声は『喫茶・砂の魔女』の店主、カメーリアのものだった。
「今は他の些事さじに構うつもりはありません」
「大事なことですわ。小林くんの容体ようだいについて」
 そう聞いたアテナはゆっくりと立ち上がり、廊下に向かってきびすを返した。
 客間を出る直前、
「エンジュ、この場は任せます。ユウキのことを」
 アテナはそう言って障子を閉め、カメーリアに付いて廊下を歩いていった。
 客間で結城と二人きりになった媛寿は、結城の顔を見ながら、また三年前のことを思い出していた。
 血溜まりの中に倒れる結城。
 硝煙を上げる銃口。
 怒りに我を忘れて咆哮ほうこうする媛寿。
 血にまみれ、震えながら言葉をつむくちびる
 そして最後に思い浮かんだのは、命を失ったピオニーアの顔だった。
「………………ぴおにーあ」
 今は亡きその人物の名を、媛寿は自然と呼んでいた。
「ぴおにーあはえんじゅのこと………………ゆるしてくれる?」
 ささやくように漏れたその問いに、答えてくれる者は誰もいない。
 が、
「うっ」
 ほんの吐息程度の声が耳に入り、媛寿はハッと顔を上げた。
「媛……寿……」
「ゆうき!?」
 目を開けた結城の顔が、かたわらにいる媛寿に力なく向けられていた。
しおりを挟む

処理中です...