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友宮の守護者編

金毛稲荷神宮

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刺松市の最東端にある友宮邸から真逆の方向に、金毛稲荷神宮という神社がある。古くから街の歴史を見続けてきたこの神社は、巨大な池を囲む広い敷地面積を擁し、景色の良い遊歩道として人々に親しまれている。季節ごとの色彩やイベントも充実しているので、単に刺松市の住民だけでなく、近隣からも参拝客が訪れる人気の神社として、それなりに有名なスポットとなっていた。
 ただし、アテナにとっては因縁浅からぬ場所であり、結城としてはそれに関連してあまり近付きたくない場所でもあった。
 二日目のトンネル掘削工事に伴い、古屋敷に訪ねてきた巨大犬・虎丸を一旦預けておく場所として、結城は金毛稲荷神宮を選んだ。できれば選びたくなかったが、刺松市でこの手の不思議事案に協力してくれる知り合いは他にいなかった。
 仕方がないといえば仕方がないのだが、ワゴンの助手席に座った結城は、運転席に座るアテナを横目で見て一抹どころではない不安を覚えていた。
 安全運転でワゴンを駆るアテナだが、朝方からの異様な闘志は衰えていない。今から戦場に赴くような眼で前を見据え、時折センターコンソールの空きスペースに置いた紙箱の中からチーズケーキを取って豪快にかぶりついている。どうやら気合を入れるためらしい。
 後部座席では媛寿は虎丸にしがみついて満面の笑みで頬擦りしており、シロガネはガールズ文庫の新刊をプレゼントされてホクホク気分で読み耽っている。こちらは割りと平和であるのに、結城の横の戦女神は鬼気迫るものを醸し出しており、既に最前線の緊張感が漂っていた。今日に至っては、結城はこちらの方が心配だった。
 何も刺松市そのものが消滅ということはないだろうが、それでも最悪の事態になれば街の一角くらいは吹き飛んでしまうかもしれない。
(せめてお祈りしたいとこだけど、問題起こしそうな神様を何とかしてほしいって、どこの神様にお願いすればいいんだろ……)
 神の行いを抑えるために神頼みするという矛盾に結城が悩んでいるうちに、ワゴンは目的地へと到着した。

 金毛稲荷神宮の敷地内にある駐車場(2時間500円)にワゴンを停めた結城たちは、池を囲む外周遊歩道を抜け、境内へと足を進めていた。玉砂利が敷き詰められた道が石畳に変わると、天を衝くほどの木々が立ち並ぶ広大な空間、そして巨大な鳥居と石段が見えてくる。
 その歴史を感じさせる威容の中に、一人、竹箒で落ち葉を集めている影があった。白衣に緋袴を身に纏った巫女が、単身では有り余る広大な境内を掃除していた。
 神社の境内では普通に見られる光景だが、その巫女の姿を見つけた結城の背には戦慄が走った。その掃除をしている巫女こそが、心配事の種だったからだ。
「お、おはようございます、千夏さん」
「ん?」
 背を向けて竹箒を動かしていた巫女が振り返り、結城たちに目を留めた。色白のほっそりした顔立ちに、黒髪を丈長で後ろに束ねた少女は、いかにも古式ゆかしい巫女そのものだった。場所が場所だけに、黙ってそこに佇んでいれば境内を彩る清廉な花と形容できた。
「おぉ、結城じゃねぇか! わざわざこんな朝っぱらから参拝か? また変な仕事おしつけられたか?」
 黙っていれば、である。千夏と呼ばれた巫女は、その容姿に似つかわしくない、荒っぽい口調で結城に応えた。
「相変わらず神職でありながら、その乱暴な口調は直っていないのですね、アマサカ・チナツ」
 なぜか結城の前に歩み出たアテナが千夏に鋭い視線を叩きつけた。
「なんでぇ。ギリシャの女神さまも一緒かよ」
 千夏もアテナを視界に認めると、気分が悪そうにペッと横に唾を吐き捨てた。
(み、巫女さんがそれでいいの!?)
 と、結城は一瞬思ったが、急に圧力が増した空気のせいで喋れる雰囲気ではなくなったので、とりあえず飲み込む。
「で、何しに来たんだよ? もしかしてリベンジか? だったら嬉しいね~」
 千夏は自慢の八重歯を剥きだして破顔し、アテナに視線を向ける。明らかに挑発している。
「いや、今日はそうじゃなくって……」
「まさしくその通りです」
(ちょっ!? アテナ様!?)
 結城の説明よりも速く、アテナが千夏の問いを肯定する。完全に本来の目的から外れている。
「ですが、本来再戦に来るべきはそちらのはずです。それをこちらから出向いたのです。もっと感謝の念を捧げなければ神罰が下りますよ?」
 アテナもアテナで、あえて千夏の神経を逆撫でする言動を取っている。こっちも挑発する気満々である。
「言ってくれるねぇ~。あの勝負は引き分けで終わってんのに、勝ったつもりでいるってか。ギリシャの戦女神さまってのは、随分と判定がユルいこって」
「今日こそはその雌雄を決するために参りました。オニの子孫など戦いの神に足元にも及ばぬという事実を、その眼に焼き付けてご覧に入れましょう」
 鼻先まで寄って睨み合い、火花を散らす二人に、結城は全く入り込む余地はない。
 一触即発の雰囲気だが、媛寿は相変わらず虎丸と戯れているし、シロガネは我関せずとガールズ文庫に目を落としている。結城だけが、この状況に戦々恐々としていた。
(こ、こうなるのが嫌だったのに~!)
 アテナと千夏。この二人が会えば、修羅場に突入する可能性は大きかったので、釘を刺しておいたが完全にスルーされてしまった。人の身で火の着いた人外二人を止める手立ては、もはや無い。
「追いて来いよ。この日のためにイイもん用意しておいたんだからな」
「よろしいでしょう。敗北の苦渋を味わわせて差し上げます」
 境内の隅へと移動する二人に、既に諦めモードに入った結城が浮遊霊のように追っていった。
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