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11.アッシュからのプレゼント

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 それからアッシュと、どうしてかほぼ毎日のように顔を合わせるようになった。

 フィオナが【占い師】として招待された夜会はともかく、それ以外にも彼は彼女を街へと連れ出すようになったからだ。
 大概は街歩きだが、時にはフィオナでも気後れしないようなレストランで食事もすることもあった。
 そして迷子にならないように、とか、中和のため、といいながら手を繋ぐ。
 戸惑いがないわけではないが、おかげでアッシュは夜はよく眠れるようになったと言うし、実際顔色が本当によくなった。そう言われてしまうと、フィオナには断る理由がない。

 そしてなんと、今日は彼女にワンピースをプレゼントしてくれるという。
 もちろん固辞したが、不眠症を和らげてくれているお礼だといってきかない。

「こんな事は言いたくないけれど、ご令嬢のドレスに比べたらずっとお手頃価格だよ。だから十枚でも買える」

 街の平民たちに人気だというブティックに連れ出されて恐縮し続けるフィオナに、彼はさも当たり前のように言う。

「じゅっ……! そんなにいらないです」
「あっても困らないと思うけどなぁ」

 だが、確かにフィオナのまともな――何をもってまともと言うかで判断は変わるが、要は人前に出られるくらいの――ワンピースは二枚しかない。あと一枚あれば毎日洗わなくていいのに、と思ってはいる。

「この濃いパープルのはどうだ?」
 
 アッシュが指し示したのは、店の中央でトルソーが着ているレースがふんだんに使われたワンピースで、あからさまに煽情的なデザインだった。

「えっ!」
「それともこっちかな?」

 ブルーの、縫いつけられたスパンコールできらきらと輝くワンピース。宝石じゃなくてスパンコールとはいえ、なかなか手がこんでいるからお値段は張るだろう。

「っ……!?」
「フィオナが決めてくれないなら、この二枚にするかな。えっと、店員さんは――……」

 アッシュが店員を呼ぼうと手をあげたのと同時に、フィオナは口を開いた。

「わ、わ、私、急に、あっちのラックにかけてあるワンピースが気になってきました! どうしたのかな、私!!」

 フィオナは慌てて店内の奥にあるラックに近寄る。
 手にとったそれは大人しめなデザインで、とても肌触りがよく、滑らかだ。

(新しい服なんて、ママが生きていた頃しか……)
 
 それですら滅多になかった。
 貧民街の片隅で育ったフィオナはいつでも人のお下がりを着ていた。養護院でも、大聖堂でも。それを当たり前だとすら思っていた。

「こういうのが好きなんだ。じゃ、このクリーム色のは?」

 フィオナの隣に立ったアッシュがラックから取り出したのは、爽やかな印象を与えるクリーム色のワンピースだ。シンプルなデザインながら、華やかな印象もある。けれど、レースやスパンコールのような装飾品は控えめで、【占い師】が着てもそこまでおかしくはないだろう。

「これは君に似合うんじゃないかな?」
「そうでしょうか……?」
「うん、きっと」

 アッシュに渡され、フィオナはそのワンピースを自身にあててみた。肩からウエストのラインまでは身体に沿うが、ふわりとしたスカートは二重になっていて思いのほか可愛らしい。ちらっと値札を確認すれば、フィオナの【占い師】としての二回分の給金くらいの値段だ。
 今後少し節約しなくてはならないが、これならなんとか手が届く。

(せっかくだし……自分で買おう!)

「どうでしょう?」

 上目遣いで彼を見れば、アッシュがぐっと言葉を呑み込む。

「私に似合いますか?」

 改めて尋ねてもアッシュが何も答えずこちらを見下ろしたままだったので、フィオナはワンピースを下ろした。

「やっぱりもう少し、地味なデザインのほうが――」
「それに決めた」
「……え?」
「フィオナの綺麗なグリーンアイが映える。絶対にそれだ。それで――このライトピンクのはどうだ? 君のハニーブロンドの髪にしっくりくる気がする」
「え?」

 アッシュに差し出されたのは、とっても可愛らしい印象を与えるワンピース。
 膨らんだ袖も、先ほどのクリーム色のドレスよりもふんだんに布が使われたスカートも、胸元でゆるく結くリボンも。幼い頃のフィオナが一度は着てみたいと願ったような、物語にでてきてもおかしくないようなワンピースだった。

(ああ、いいな……着てみたい)

 このワンピースはきっとフィオナを若々しく、女性らしく装ってくれるだろう。
 けれど。

「素敵ですが、これは【占い師】には向きませんので」

 アッシュはしかし手をひっこめない。

「そうだね、【占い師】にはね。でも、俺と街を歩く時にはぴったりだろう?」
「え?」
「このワンピースを着たフィオナと、街でデートしたいな」
「で、でーと!?」
「うん」

 アッシュは何のてらいもなく頷く。

(デートって!? 私達、デートなんてしてないよね!?!?)

 顔に思いっきり「????????」を浮かべてフリーズしたフィオナに向かって、アッシュが微笑む。

「だから、いいでしょう? じゃ、買ってくるね」

 思考がショートしてしまったフィオナが止める間もなく、アッシュはワンピースを買ってしまった。包み紙を渡されて、彼女は未だ現実に起こったこととは思えず、ぼんやりとしている。

「次に街歩きするときは、もし嫌じゃなかったらこのワンピースを着てきて欲しいな」
「あ、私、お金を……」

 あたふたと鞄の中に手をいれたフィオナを、アッシュが止める。

「いらないよ。これは隣国からやってきて、一人で頑張っているフィオナへの、俺からのプレゼントだよ」
「伯爵さま……」

 ふいに胸がつまったように感じた。

「もういい加減、ちゃんと俺の名前を覚えてほしいな」
「あ! ご、ごめんなさい――ありがとうございます、アッシュさん」

 そう言うと、彼が柔らかい表情で笑った。

「合格。さ、次の店に行こうか。喉が乾いたし、カフェにでも行こうよ」

 差し出された彼の手に、フィオナは自然と自分の手を伸ばした。

 ◇◇◇

 そうして過ごしているうちに、夜会でもアッシュがフィオナの側にい続けることが増えた。

 マッケンジー伯爵家での夜会のように大広間で開かれた場合はまだ我慢しているようだが、カードルームなどで占いをするときは、下手をしたら最初から最後までずっと同じ部屋にいることもある。 戸惑うフィオナに、君が倒れたら困るからと当たり前のように彼は答える。

 以前はそこまで参加していなかった夜会に、どうしてか頻繁にあらわれるようになったアッシュがフィオナに執心していることを勘の良い令嬢たちが気づかないわけがなかった。
 アッシュ狙いの彼女たちは、フィオナを邪険に扱うようになっていく。
 フィオナが席を立って水を取りに行こうとすると、わざわざ聞こえるように陰口を叩いたり、行く手にものを落として滑らせようとしたり。
 席を立って戻ってきたら、わかりやすくデザートのクリームがぶちまけられていることもあった。 

(雇い主に迷惑がかかるだろうから、下手に動かないほうがいいよね)

 ごく一部の令嬢たちが占い師に嫌がらせをしていることは、雇い主には取るに足らないことのはずだ。 むしろフィオナがそれで騒ぐことのほうが、今後の仕事に影響がでる。
 フィオナはそう判断し、一切合切無視することにした。

(この方たち、アッシュさんのことが好きなのね……。でも気持ちは……わかる。すごく優しいもの、彼は)

 そもそもが大聖堂でもっと酷い嫌がらせを受けていたフィオナにとってそこまでダメージを受けることではなかったが、彼女以上に怒ったのはアッシュだ。
 帰りの馬車の中で、彼は憤慨していた。

「彼女たちはどうしてあんなことをするのだろう?」
「きっと、ロイド伯爵に憧れていらっしゃるんですよ」

 彼は遠慮なく、顔をしかめた。

「そんなわけはないだろう」
「そうだと思いますよ」

 彼はいまいち飲み込めていない、といった体である。

「今まで俺は誰に対しても同じように接していたんだぞ? 彼女たちに思わせぶりな態度を取ったりはしていなかったのに」

(ああ、だからかな)

 今までアッシュが誰に対しても同じように接していたのであれば、ある意味それで均衡が取れていたのだろう。それがどうやら占い師に執心しているらしい、と気づいて彼女たちは怒ってしまったのだ。
 例えばフィオナがとてつもない高位貴族だったりしたら、諦めがついただろうけれど。

「君はどうして怒らない?」
「……怒らない、というより、仕事だからとしか言えません」

 フィオナが答えると、彼ははっとしたようだった。

「そうだよな、君には生活費を稼ぐ大事な仕事だよな。それを一番に考えるべきだったのに……、すまない」
「いえ、私のために怒ってくださってありがとうございます。一人じゃないって知れて、嬉しいです」

 フィオナが微笑むと、彼が眩しいものを眺めるかのように、見つめる。

「それに彼女たちは勘違いをしていますから、誤解がなくなればそのうち収まるはずです」
「勘違い?」
「ロイド伯爵が、私に興味を持っているという勘違いです。ロイド伯爵はただ、私が『ちから』を使いすぎて倒れないかどうか見張ってくださっているだけなのに」
 
 フィオナがそう言えば、アッシュは複雑そうな表情を浮かべたがそれ以上何も言わなかった。


 その日はアッシュに贈ってもらったクリーム色のワンピースを下ろしたところだった。まるで自分に誂えて作ったかのようにサイズもぴったりで、肌に馴染む。

「かわいい、な!」

 馬車に乗り込むなり、アッシュが瞠った。

「かわいい。ああ、頭の布がない状態で見てみたいな」

 これから仕事だから頭にはすでに布を被っている。
 フィオナは思わず苦笑した。

「布があるから、いいのかもしれませんよ」
「そんなわけあるか。帰りには絶対に布を脱いでほしい」

 こういうとき、アッシュはとても子供っぽくなる。
 まるで駄々っ子のように言い募る彼に、胸の内が暖かくなる。

「かしこまりました。じゃあ、帰りに」
「ああ、約束だよ」

 彼が差し出した手に、彼女は自分のそれをそっと絡めた。


 その夜は、大広間の端に席が設けられ、かなり忙しかった。
 一部の令嬢たちが嫌がらせをしているといっても、ほとんどの貴族たちや、令息令嬢たちは腕の良い占い師であるフィオナに視てもらいたがる。
 彼女は忙しく占いをして過ごし、やっと一息つく頃には喉が乾いていた。
 アッシュは少し向こうで、令嬢たちに囲まれている。

 フィオナが席を立って、使用人に水を頼もうと思ったその時ーー。

「いい気にならないで」

 そんな声とともに、ばしゃっと赤ワインをかけられた。
 それも、頭から。
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