18 / 58
第二章 覗き女
お仕置き部屋
しおりを挟む昼も夜もわからない部屋の中。
咲夜は初めて妓楼を訪れたときのことを思い出していた。
階段下で立ち尽くす自分は、足許に転がる姉の死体ではなく、階段上から見下ろす女に視線を奪われていた。
身内の死体よりも鮮烈な印象を与えるその女が吉原一の遊女なのだと誰に聞かなくてもわかった。
「わかっていたわ。
お前が来ることは」
その女、桧山は自分を見下ろし、そう言った。
後ろに立ち、同じように桧山を見上げていた隆次が自分の両肩に置いていた手に力を込める。
そのとき、咲夜は隆次が何故、自分を扇花屋に連れて来たのか察した。
彼は桧山に見せつけたかったのだ。
彼女の罪の証である階段下の霊と同じこの顔を。
何事もなかったかのような顔で、吉原一の遊女の座におさまった彼女に――。
「あら、お坊様。
また来たの。暇なの?
それとも、私を殺しに来たの?」
昼過ぎ、咲夜はそう笑いながら、階段下に居た那津の許へと下りていった。
左衛門も諦めたようで、あれから那津は普通に扇花屋に来ている。
「いいのか、ひょいひょい表に出てきて」
と顔をしかめた那津に言われた。
心配してくれているのだろうかな、口調はぶっきらぼうだが、と思い、ちょっと可笑しくなる。
「大丈夫。
この時間に客はほとんど来ないわ。
姉さんたちは、ほら」
と咲夜は親指で奥の座敷を示した。
小間物屋と貸本屋が同時に来たので、みな群がっているのだ。
ときどき、楽しげな笑い声が聞こえてくる。
そんな風にしていると、彼女らも普通の女だ。
普段は、こんな風に心から笑うことなどないのだろうが。
未だ客をとったことのない自分には想像もつかない苦悩が彼女らにはあるのだろう。
あの遣手が自分に無理やり客を取らせようとしたのも、わからないでもない。
苦界のなんたるかもわからない女が、この吉原でのうのうと生きているのが許せなかったのだろう。
「ねえ、桧山姉さんが私を殺したいのは、この顔の女にうろつかれると嫌なことを思い出すからなのかしら?」
いや、と那津は言った。
「恐らく違う理由だろう。
……それがなんなのか、まだ、わからないが」
那津はそう言いはしたが、思うところがあるようだった。
そのとき、上草履の音が近づいてきた。
誰か来たようだ。
那津もそちらを振り向いている。
私のことを知っている者ならいいんだが。
そうじゃなかったら……と咲夜が思ったとき、ひいいいっ、と悲鳴が聞こえた。
少し霊の見える禿が廊下の曲がり角に立っていた。
「花魁……っ。
幽霊花魁っ」
那津が、さっと自分と彼女の間に入り、彼女の視界を遮ってくれる。
その隙に咲夜はお仕置き部屋へと滑り込んだ。
「どうした。大丈夫か」
と禿に声をかける那津の声が聞こえてくる。
暗い。
お仕置き部屋の窓は木を打ちつけて塞いである。
だが、隙間からわずかに光が射し込んでいるので、なんとか部屋の中が見えた。
此処は罪を犯した遊女を閉じ込めるお仕置き部屋であると同時に、布団部屋でもある。
積み重ねてある布団に、やれやれと腰を下ろそうとしたとき、咲夜は気がついた。
今、腰を下ろそうとした布団の横に女がしゃがんでいることに。
髪を結うこともなく、振り乱した女が膝を抱え、ギョロギョロと目だけを動かしている。
お仕置きをされないか窺っているようだったが、こちらには気づいていないようだった。
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした
迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一大事!
JUN
歴史・時代
国家老嫡男の秀克は、藩主御息女との祝言の話が決まる。なんの期待もなく義務感でそれを了承した秀克は、参勤交代について江戸へ行き、見聞を広めよと命じられた。着いた江戸では新しい剣友もでき、藩で起こった事件を巡るトラブルにも首を突っ込むことになるが、その過程で再会した子供の頃に淡い恋心を抱き合っていた幼馴染は、吉原で遊女になっていた。武家の義務としての婚姻と、藩を揺るがす事件の真相究明。秀克は、己の心にどう向き合うのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる