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第二章 覗き女
覗かれる女
しおりを挟む今日も大勢の客で賑わう、夜の扇花屋の二階。
ずらりと並ぶ部屋のひとつに新造の仙田は居た。
「なあ、いいだろう?」
と客に手を握られ、駄目だんす、とそれを払う。
「姉さんに怒られるだんすから」
「大丈夫。
まだまだ増田は来やしないって」
そう言いながら、客は仙田の肩を抱いてくる。
桧山など上位の女たちには新造や禿たちが付き従っている。
新造たちは、自分の面倒を見てくれる姉さんと共通した文字の入った名前にしていたり。
姉さんの花魁道中に参加したり。
今のように姉さんが他の客のところに行って、客を待たせている間、その相手をしたりする。
水揚げ前の新造には手を出してはいけない決まりとなっているのだが、中には指名の遊女を待ちかねて、こうして迫ってくる輩も居た。
「いやっ。
ほんとに、離してくださいっ……だんすっ」
仙田は慌て、素の言葉で話してしまいそうになる。
姉さんの客と関係を持ったりしたら、客も大変だが、もちろん、仙田も叱られる。
だが、客の機嫌を悪くするわけにもいかない。
上手くあしらわねばならないのだが経験不足なので、つい強く押し返してしまった。
それが酔っている客の怒りに触れたらしく、客は乱暴に仙田を畳の上に引き倒す。
仙田は障子に頭をぶつけたが、客はお構いなしだ。
出来れば、上手く終わらせたかったのだが、こうなっては仕方がない。
若い者とを呼ぼうと、仙田は廊下の方を見た。
遊郭で言う若い者とは下働きの男のことで、年は関係ない。
何歳だろうが、『若い者』だ。
だが、仙田は、今、頭をぶつけた障子に人影が映っているのに気がついた。
遊女ではない感じの女の影……。
遣り手なら、この状況でなにも言わずに突っ立って見ているはずもない。
訝しむ仙田の目に、障子に空いた穴が映った。
仙田の頭に、姉さんたちが噂していた『覗き女』の話がよぎる。
見まいとすればするほど、視線はその穴に向かい、仙田はついに見てしまった。
そこから覗くギョロギョロと血走った目を。
「……ひっ」
息を呑んだ仙田は、慌てて自分の胸に顔をうずめようとしていた客の頭を叩く。
なんでい、と顔を上げた客は仙田が指差す方を見たが、きょとんとしている。
「えっ?
いやっ、そこに居るじゃないですかっ、『覗き女』っ」
はあ? と言った客は立ち上がり、障子に手をかけた。
障子には、まだ女の影が映っている。
仙田は身構えたが、ガラリと開けたそこには誰も居なかった。
「なんでい、誰も……」
居ねえじゃねえか、と客は言おうとしたようだが、その客の顔が強張る。
「お、おう。
増田、待ちかねたぞ」
苦笑いしながら客は言った。
増田が廊下の向こうからやってくるのが見えたようだった。
増田はなにもかもわかっているかのように、含みのある、だが、艶っぽい笑みを浮かべてやってくる。
「おやおや。
なにやら、お慌てのようだんすね。
どうかしましただすんか?」
「い、いや~、ほらっ、あれだよ、あれっ。
覗き女っ。
そうっ、覗き女が出たんだよっ」
……貴方、今、見えなかったんですよね、と仙田は思ったが、客は見てもいない覗き女の話を大袈裟に盛りながら、言い訳している。
「なっ?」
こちらに同意を求めるように振り向いた客は、慣れない感じの目配せをしてきた。
「そーだんすねー」
と気のない返事をする自分を見て、増田が笑う。
吉原はほんと、嘘で塗り固められた町だ。
そう確信しながらも、間抜けな客のせいで、怖さの吹き飛んだ仙田は二人に挨拶して部屋を出る。
不寝者が気づいて、姉さんを呼んでくれたのだろうかな。
そう思ったが、なんの騒ぎにもなっていないところを見ると、不寝者も増田も、今、自分が見たその人影を見てはいないようだった。
改めてみた妓楼の廊下は明るく、覗き女らしき人影は何処にもなかった。
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