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第二章 覗き女
道具屋の過去
しおりを挟む店先にはごちゃごちゃと物があるが、奥の座敷は江戸の長屋らしく、家具らしきものもあまりない。
だが、そのがらんとした感じが不思議に落ち着いた。
「しゃべったの? 明野が」
そう咲夜が訊いてくる。
「たいしたことは言ってない。
だが、顔を見て確信した。
明野はお前と血続きの誰かだろう」
よく似ている、と言うと、そうよ、と咲夜は認めた。
「私は明野の妹」
霊である幽霊花魁、明野も、生きている幽霊花魁、咲夜も同じ顔。
あちこちで、それぞれが目撃されるから、幽霊花魁の噂話が錯綜していたのだ。
「明野と咲夜は、元は武家の娘だったんだ」
そう隆次が語り出す。
「町人全盛のこの時代に、武家は貧しく。
父を失い、家督を継ぐものもなかったせいで、食うや食われずになった一家を助けるために、幼いうちに明野は吉原に行った。
歳が離れているせいで、咲夜は姉のことはよく覚えていないそうだが」
落ちぶれた武家の娘が吉原に行くという話はたまに聞く。
最初からきちんと仕込まれているので、位の高い遊女となるべく期待され、重宝されるらしいのだ。
「母も亡くなり、身寄りのなくなった咲夜は、かつての使用人に聞いて、姉の明野を訪ねた」
明野というのは、吉原でつけられた名前なのかもしれないが。
明野自身にとっても、それが既に魂の名前となっているようだった。
「咲夜は見たそうだ。
あの店に入ったときに、階段下に転がる自分と同じ顔の女を。
そして、それを階段上から、見下ろしている桧山を。
もちろん、それは明野の霊が妹に見せた、過去の光景だったんだが……」
ま、俺は実際に見たけどな、と淡々と言う隆次に那津は訊いた。
「隆次。
もしかして、明野はお前の……」
だが、隆次はその問いには答えないまま語る。
「俺は桧山が起こした『不幸な事故』を語らない代わりに、桧山から大金を得た。
別に金など欲しくもなかったが、それを支払うために、あの気位の高い桧山がとりたくもない客をとるのが面白くてな」
素直に金を受け取った、と言う。
『不幸な事故』だと隆次は言うが、それが事故だったのなら、金を渡す必要などなかったはずだ。
桧山がわざと明野を突き落としたとは思わないが、周りにそのように見える状況だったということだ。
そもそも桧山には動機がある。
咲夜とよく似た、明野のあの美しい顔。
桧山が吉原一の花魁になるには、明野は必ず障害となったことだろう。
「だが、その事故は扇花屋にとって、もうひとつの『困った事態』をもたらしていた。
明野の水揚げを渋川屋のご隠居が楽しみにしてことだ」
水揚げとは、遊女の初めての床入りのことで。
大抵は、信頼ある年配の馴染み客が引き受けることになっている。
明野の場合は、それが渋川屋の御隠居だったらしい。
「御隠居は、あのとき既に体調を崩していて、水揚げの日は日延べになっていた。
延期の間にお気に入りの明野を、桧山が殺したなんて、御隠居に知られたら店は大変なことになる。
そこで、たまたま現場に居合わせた若旦那が申し出てくれたんだ。
御隠居に、
『体調が良くなられるまで、自分が毎晩明野を買っていることにして囲っておきましょう』
そう言ってくれると。
若旦那は恐らく、桧山を哀れに思ってそう言ったんだろう。
楼主たちは落ち着いた頃を見計らって、明野は体調を崩して死亡したことにすればよい。
そう思っていたようだが。
そこに咲夜が現れ、姉の惨劇を知ってしまった。
咲夜は左衛門たちの手により、からくり部屋に閉じ込められた。
それを哀れに思った若旦那が、咲夜の扱いがこれ以上酷くならないよう、咲夜を明野として、ほんとうに毎晩買ってくれることになったんだ」
「随分と親切な男だな」
親切か? と隆次は鼻で笑ってみせる。
「まあ、確かに未だに咲夜を遊女としては扱ってはいないようだから、親切なのかもしれないな」
そう思わせぶりに隆次は言うが、咲夜はいまいち、わかっていないようだった。
いいのか、吉原の遊女がこんなんで……、と那津は思う。
一流の花魁は、相手の感情にも敏感で、すぐに気の利いた受け答えが出来なくちゃいけないんじゃないのか。
こいつは、この顔でも吉原一の遊女になんぞ、なれそうにもない。
まあ、だからこそ、桧山は、すべてを知る咲夜をあそこに閉じ込めるだけで、放っているのかもしれないなとも思う。
所詮、自分の敵ではないからか。
いや、だが、桧山は自分に言った。
『幽霊花魁を、あの女を殺してください――』と。
聞き耳を立てているかもしれない左衛門たちの手前、ああいう言い方をしただけで。
あれはやはり、咲夜を始末しろという意味だったのではないだろうか。
「今日は暑いな。
何か食べるか」
と隆次が言い出した。
これ以上、この話をしたくないと言うように。
春の陽気が今日は、むっとするほどだった。
昨日の雨のせいで、湿度が高いせいかもしれない。
「ところてんが食べたい」
と言う咲夜の言葉に、まだ早いだろう、と隆次は笑う。
明野と咲夜よりも、隆次と彼女の方が余程、本当の兄妹のように思えた。
『他に行くべきところがあるでしょうに』
咲夜の言う他に行くべきところとは、隆次のところだったのだろう。
遊女の身である明野を本気で愛してくれていた隆次のところに、明野はまだ訪れていないようだった。
憎しみで凝り固まってしまった明野の目には、桧山しか入っていないのではないか。
明野の様子を思い出した那津は、そんな風に感じていた。
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