12 / 58
第一章 幽霊花魁
幽霊退治ですかい?
しおりを挟む咲夜の部屋を出てから、肩が軽い。
那津は、ぐるりと腕を回してみた。
自分の後ろに憑いているという階段下の幽霊花魁をあの場所に置いてきてしまったのだろうか。
彼女の霊は真後ろに居るせいか、見えないので確かめようもない。
咲夜は大丈夫だろうか、と振り返る。
上へと続く、階段の暗がりが見えた。
咲夜が放った言葉の数々について考えていたとき、目の前に男が現れた。
酒宴から抜け出してきたらしい男は、町人風の格好をしていたが、その顔には覚えがあった。
小平だ。
罰悪そうに足を止めていたが、すぐにいつものように、居丈高に物を言い始める。
「これはこれは、エセ坊主の那津様。
今日も吉原ですか。
医者のナリまでして、ご苦労なこったな」
小平は鼻で笑ってみせるが。
自分も町人に変装しているせいか、いつもほどの迫力はなかった。
そんな小平から酒の匂いがしないのに気づき、訊いてみる。
「呑んでないのか」
「……接待だからな」
お役人様も吉原で接待か。
変装しているところを見ると、あまりまともな接待ではなさそうだ、と那津は思う。
そんな那津の勘繰りに気づいたように、小平は溜息をつき、珍しく愚痴をもらしてくる。
「いろいろ大変なんだよ、俺たちも」
そのとき、
「便所、まだですかー」
と可愛らしい顔の男が障子を開け、顔を出してきた。
確か、弥吉とかいう岡っ引きだ。
人懐っこい顔をしてはいるが、岡っ引きということは犯罪者なのだろう。
岡っ引きは荒っぽいこともしなければならないし、裏の世界に通じていなければならないので、元犯罪者が適任のようだった。
「ああ、こんばんはー」
弥吉は那津に気づいて笑顔になる。
いつか、町で評判の美人画を真似たものを描いてやったので、小平とは違い、好意的だった。
「今日も幽霊退治ですか?」
「この男、他に仕事はないだろう」
と小平は吐き捨てるように言うが、弥吉は、
「那津さん、絵も描かれるじゃないですかー。
ああでも、今は『幽霊花魁』の退治を依頼されてるんでしたっけね?」
と興味津々だ。
生きてる方も死んでる方も、どちらの幽霊花魁も、素直に退治されるようなタマではないみたいだけどな……、
と思う那津に、小平が、
「もう見たのか? 幽霊花魁」
と妙に緊迫した様子で訊いてきた。
「さっき見たな」
と言うと、小平は一瞬、黙り、
「……幽霊花魁の絵、描くのか?」
お前、頼まれていたじゃないか、いつもの店で、と言ってくる。
ああ、そういえば、と思ったが、咲夜の顔を描くわけにもいかないし。
背後の霊の方は顔も見えない。
「描こうにも、はっきりとは見えなかったんでな」
そう適当に誤魔化すと、小平は複雑そうな顔で、そうか、と言う。
「旦那も見たかったんですかい? 幽霊花魁」
笑う弥吉に小平が噛み付く。
「やかましいっ。
お前は戻ってろっ」
懲りない弥吉は、はーい、と笑いながら、酒宴の席へと戻っていった。
「おい」
腕組みした小平が低い声で呼びかけてくる。
「もしも、幽霊花魁を見たら、絵に描いてみてくれ」
あのときは興味がない風を装っていたのに、どうしたことか、小平はそんなことを言ってきた。
「まあいいが、どうした?」
いや……ちょっとな、と小平は歯切れ悪く言う。
「此処は吉原の中でも、いろいろと後ろ暗い話が多いところだからな」
そもそも、吉原に後ろ暗くない妓楼などあるのだろうかな、と思いながら那津は聞いていた。
何があるのか知らないが。
此処で起こったことには、彼らでさえ、迂闊に首を突っ込めないようだからな、と思う。
管轄が違うからというだけではなく。
妓楼の主が、笑顔で、いいえ、そんなことはありませんでした、と言えば、なにが起ころうとも、此処では、それまでなのだ。
彼らの後ろには、幕府のお偉いさん方も馴染み客として付いているのだろうし。
そもそも、吉原では、日々、バタバタと人が死んでいく。
病気で死に、逃亡を企てて死に。
いちいち、人の死や事件を気にしていられそうにもない。
小平は更に不機嫌そうに、窓の外を見ていた。
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
融女寛好 腹切り融川の後始末
仁獅寺永雪
歴史・時代
江戸後期の文化八年(一八一一年)、幕府奥絵師が急死する。悲報を受けた若き天才女絵師が、根結いの垂髪を揺らして江戸の町を駆け抜ける。彼女は、事件の謎を解き、恩師の名誉と一門の将来を守ることが出来るのか。
「良工の手段、俗目の知るところにあらず」
師が遺したこの言葉の真の意味は?
これは、男社会の江戸画壇にあって、百人を超す門弟を持ち、今にも残る堂々たる足跡を残した実在の女絵師の若き日の物語。最後までお楽しみいただければ幸いです。

【完結】絵師の嫁取り
かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ二作目。
第八回歴史・時代小説大賞で奨励賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
小鉢料理の店の看板娘、おふくは、背は低めで少しふくふくとした体格の十六歳。元気で明るい人気者。
ある日、昼も夜もご飯を食べに来ていた常連の客が、三日も姿を見せないことを心配して住んでいると聞いた長屋に様子を見に行ってみれば……?
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした
迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。

【完結】ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる