あやかし吉原 ~幽霊花魁~

菱沼あゆ

文字の大きさ
上 下
11 / 58
第一章 幽霊花魁

咲夜の過去

しおりを挟む

 不思議な男だな、と思いながら、咲夜は脇息に寄りかかり、閉まった回転扉を見つめていた。

 自分を買っている男も変わっているか、あの那津という男も変わっている。

 高い金を出して姉さんを買っておいて、こんなところをフラフラしているなんて、と咲夜は笑った。

 男なら一度は手に入れてみたいと思うだろう桧山に触れられるかもしれない機会をむざむざと逃がすとは。

 それはあの、異様に整った顔から来る余裕なのか。

 そんなことを思っていたとき、襖が開き、長太郎が姿を現した。

 無言で咲夜の後ろに座ると、髪に触れてくる。

 どうやら、少し乱れていたようだ。

 咲夜は手許にあった朱色の鏡を手にする。

 長太郎が、なにも言わずに、髪の乱れた部分を結い直してくれていた。

 高級遊女は髪結いにやってもらうが、普通は自分でやるものだ。

 だが、不器用な自分は、いつもこの男にやってもらっていた。

 着物の脱ぎ着も手伝ってもらう始末だったので、左衛門は呆れているようだったが、特に文句を言うこともなかった。

 長太郎は左衛門の隠し子だという話もあるので、息子が、たいして稼ぎもしない小娘にこき使われるのを、内心、どう思っているのかは知らないが。

 それにしても、あの人にあの金を渡すだなんて。

 兄さまは余程、彼を買っているのね、と鏡に映る自分を見ながら咲夜は思う。

『どうしたの? 迷子かい?』

 当時、吉原の店で働いていた隆次が、自分に声をかけてきたのは、明らかにこの町に馴染んでいなかったからだろう。

 町娘が親とはぐれたくらいに思ったのだろう。

 ちょうど吉原は、花菖蒲の季節で、観光に訪れる女たちも多かったから。

 だが、振り返った自分の顔を見た彼は息を呑み、迷わず扇花屋へと連れていった。

 店に入ると、階段上に、当時既に有名な花魁となっていた桧山が立っていた。

『わかっていたわ。
 お前が来ることは』

 吉原の言葉ではなく、素の言葉で、彼女は自分を見下ろし、そう言った。

 だが、自分の視線は階段の下を見ていた。

 そのことは桧山にもわかっていただろう。

 だからこそ、そういう言い方をしたのだ。

 鏡に映っていた自分の顔が、そのとき醜く歪んだ。

 だが、自分で表情を変えた覚えはない。

 咲夜はひとつ溜息をつき、それを膝の上に伏せた。



 髪結いが終わったあと、咲夜は廊下にそっと出た。

 女たちの笑い声が遠くでしている。

 見つからないように桧山の部屋まで行った。

 彼女は文を書きかけたまま、突っ伏し、寝ていた。

 今日の客であるはずの那津は自分のところに来ていたから、特にすることもなかったのだろう。

 そっと肩に着物をかけてやろうとすると、桧山は目を開けた。

 そのまま、こちらを見ている。

 彼女は紅に彩られた、その小さな口を開けてこう言った。

「お前など拾うんじゃなかった。

 お前など――

 拾うんじゃなかったわ」

 あの日。

 初めて此処に来た日、階段下を無言で見つめていた自分を桧山は、この店の遊女にした。

 咲夜には身寄りがなく、かつて、家族を助けるために吉原に身を売ったという姉は既に死んでいたからだ。

 咲夜は死んだ姉の借金をそのまま自分が被ることになった。

 だが、それは言い訳に過ぎない。

 桧山にも左衛門にも、咲夜を此処へ留めておかねばならない理由があったのだ。

「いっそ、お前を殺してしまいたい。

 でも、咲夜。
 私のことをわかるのはお前だけだから」

 自分を抱き寄せる桧山をそっと抱き返し、咲夜はその温かい薫りに顔を埋めた。

「私の『姉さん』は貴女だけです」

 障子の向こうに女が立っている。

 目をぎらつかせ、こちらを見ている。

 女は訴えていた。

 何してるのよ。

 殺しなさいよ、その女を。

 なんで、その女なのよ。

 殺しなさいよ、その女を。

 咲夜はその姿から目を逸らし、もう一度、桧山の胸に顔を寄せた。

 醜い現実から目を逸らすように。

 男たちを惑わせる桧山の香りが、今、咲夜の心をも、この美しい偽物の世界に向かわせてくれる。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした

迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。

【完結】斎宮異聞

黄永るり
歴史・時代
平安時代・三条天皇の時代に斎宮に選定された当子内親王の初恋物語。 第8回歴史・時代小説大賞「奨励賞」受賞作品。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

あやかし吉原 弐 ~隠し神~

菱沼あゆ
歴史・時代
「近頃、江戸に『隠し神』というのが出るのをご存知ですかな?」  吉原と江戸。  夜の町と昼の町。  賑やかなふたつの町に、新たなる事件の影が――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一大事!

JUN
歴史・時代
 国家老嫡男の秀克は、藩主御息女との祝言の話が決まる。なんの期待もなく義務感でそれを了承した秀克は、参勤交代について江戸へ行き、見聞を広めよと命じられた。着いた江戸では新しい剣友もでき、藩で起こった事件を巡るトラブルにも首を突っ込むことになるが、その過程で再会した子供の頃に淡い恋心を抱き合っていた幼馴染は、吉原で遊女になっていた。武家の義務としての婚姻と、藩を揺るがす事件の真相究明。秀克は、己の心にどう向き合うのか。

処理中です...