24 / 28
祈り
とってんこう
しおりを挟む「とってんこうと鳴くんだが」
は? と渉たちは訊き返した。
また学校帰りにメガネや菜々子たちが遊びに来ているとき、おとぎが急にそんなことを言い出したからだ。
「昨日のクイズで言っていた。
『ニワトリはコケコッコーと鳴きますが。
では、パンダはなんと鳴くでしょう』って。
江戸ではニワトリは、『とってんこう』と鳴くんだ」
違うニワトリなのか? とおとぎは小首を傾げている。
縁側の向こうを見ているおとぎは、ニワトリの姿を求めているのかもしれないが。
いやいや。
今の東京の民家にいきなりニワトリいないから、と渉は思う。
「単に言葉に表すとき、違う風になるんじゃないか?
アメリカ人には、Cock-a-doodle-dooって聞こえてるんだろ?」
菜々子が、
「でも、江戸は同じ日本だし。
そんな前の話じゃないのに、面白いね。
だって、ちょっと前まで江戸生まれの人ってまだいたわけでしょ?
おとぎちゃんに、この時代ってどう見えてるのかなって思ったりするんだけど。
その人たちは、江戸から少しずつ変わって行ったわけだから、違和感とかなかったと思うけど。
ふと、昔を思い出してみたりすると、すごく変わったなあって思うんでしょうね」
と言う。
「そうだな。
俺たちの子どもの頃からも、ずいぶん変わってると思うけど。
普段、変わったなとか、便利になったなとか、いちいち思わないもんな。
ところで、おとぎ。
昨日は見なかったのか。
火のついた梁の落ちてくる夢は」
あえてこの場でそれを言ったのは、みんながいるところなら、また違うなにかをしゃべるかもと思ったからだ。
「えっ?
なにそれ」
と驚く菜々子に、おとぎの梁が落ちてくる夢の話をする。
「大丈夫?
それ、ほんとうにならない?」
そう心配した菜々子は、
「あ、でも、ここから戻らなきゃいいんだよね?」
とおとぎの手をとり、言っていた。
だが、
「そういうわけにもいかんのじゃ」
とおとぎは言う。
「今、戻り方はわからんのだが。
私はいつか江戸に――
あの吉原に戻らねばならん」
そんな、どうして、と菜々子は言うが――。
「私がいなくなったら、みんなが困る。
借金が返せず、私の妹が売りに出されるかもしれん。
それに、あんな妓楼でも世話になった。
私ひとりを花魁として育て上げるのに、ずいぶん金を使っておる。
その恩を忘れて逃げることなどできん。
私まで忘八になっては駄目だと思うのだ」
忘八とは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 の八つの大切な徳を失った者のこと。
妓楼の楼主は忘八と呼ばれているそうだが。
そのくらい非情でなければ、吉原で妓楼を営むことなどできないということだろう。
だが、そんな楼主にさえ、恩を忘れては駄目だとおとぎは言う。
おとぎの手をとったまま、菜々子は涙を落としていた。
「帰っちゃ駄目だよ、おとぎちゃん。
ここから、育ててくれた妓楼に感謝してればいいじゃない。
帰っちゃ駄目だよ」
そう言いながらも、菜々子にも、おとぎの苦悩の意味がわかってはいるのだろう。
彼女にも弟がいる。
自分の代わりに弟がひどい目に遭うかもしれないと聞いたら、居ても立っても居られくなることだろう。
「まあ、とりあえず、今は帰る方法がわからないから。
ここでの生活を楽しむことにするよ。
きっと一生忘れない――。
菜々子や、メガネや、渉やおかあさん、おとうさん。
おじいちゃん、おばあちゃん。
ああ、あのお腹がぐーと鳴りながらも、強がってケータリングを食べなかった人のことも」
とおとぎは笑う。
メガネが、
「まあ、もしかしたら、ここから戻ったとき、同じ時間に戻れるのかもしれないし。
そしたら、ここに何ヶ月いようと、何年いようと、向こうの世界には影響ないだろうし」
と言う。
「そうだよっ。
おばあちゃんになるまで、こっちで楽しんでから戻ればいいんだよっ」
そう言う菜々子におとぎは笑い、
「それだと戻っても、私だとはわかってはもらえんのじゃ」
と言った。
まあ、それもありかな、と渉は思っていた。
同じ時間、同じ地点に戻れるのなら。
こっちで充分生きてからの方がいい。
おとぎはすでに新造となっている。
彼女が火事に遭うのは、遊女として彼女の名が残っていないことからいって。
おそらく、戻ってすぐのことなのだろうから。
だが――。
「ね、おとぎちゃん、そうしなよ」
と菜々子は湧き上がる不安を振り払おうとするように明るく言う。
「そうだ。
日曜、みんなで出かけようよ。
百貨店とかどう?
おとぎちゃんが好きな、キラキラしたものがたくさんあるよ」
「百貨店?」
菜々子は江戸の大店から百貨店へと変遷していく過程についても説明しながら、おとぎの気持ちを盛り上げようとしていた。
一見、チャラチャラしているように見えるが、いい奴だ。
なんで付き合わなかったんだ、という目で、メガネを見たが。
いや、それとこれとは別だろ、という目で見返される。
まあ確かにわかる。
菜々子はいい奴だが、近すぎて。
妹か姉のような存在になってしまっている。
もっとも、菜々子にとってのメガネは、いくら近くても、そうではなかったようなのだが。
上手くいかないな、と思いながら、渉は夜、縁側で三味線を弾いているおとぎを見ていた。
滋のもらってきた赤い提灯の下で爪弾くおとぎの姿は、普段のおとぎとは違い、妖艶で美しい。
俺ならわかる気がするな、と渉は思う。
さっき、おとぎは年老いてから吉原に戻っても、誰も自分のことをわからないだろうと言っていたが。
俺ならわかる気がする――。
百年経って、老婆になったおとぎが自分の前に現れても。
あの女優が必要以上に、おとぎに噛み付いてたのもわかるな、と渉は思った。
ああいう職業の人間は自分より目立ちそうな者に敏感なのだろう。
おとぎの奏でる音は夜風に乗って流れていったが。
とってんこうという鳴き声とは違い、近所から、うるさいと文句を言ってくることなどないだろうと思われた。
誰もが思わず耳を澄ませてしまう、華やかだが、何処か物悲しい調べだった。
21
あなたにおすすめの小説
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
定時で帰りたい私と、残業常習犯の美形部長。秘密の夜食がきっかけで、胃袋も心も掴みました
藤森瑠璃香
恋愛
「お先に失礼しまーす!」がモットーの私、中堅社員の結城志穂。
そんな私の天敵は、仕事の鬼で社内では氷の王子と恐れられる完璧美男子・一条部長だ。
ある夜、忘れ物を取りに戻ったオフィスで、デスクで倒れるように眠る部長を発見してしまう。差し入れた温かいスープを、彼は疲れ切った顔で、でも少しだけ嬉しそうに飲んでくれた。
その日を境に、誰もいないオフィスでの「秘密の夜食」が始まった。
仕事では見せない、少しだけ抜けた素顔、美味しそうにご飯を食べる姿、ふとした時に見せる優しい笑顔。
会社での厳しい上司と、二人きりの時の可愛い人。そのギャップを知ってしまったら、もう、ただの上司だなんて思えない。
これは、美味しいご飯から始まる、少し大人で、甘くて温かいオフィスラブ。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる