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ゼロどころか、マイナスからの出発
とりあえず、浮かれてみた
しおりを挟む日向が幾夫に連れられ、ばいばーい、と帰ったあと、青葉はあかりに向き直り、
「俺も帰るよ」
と言ってきた。
扉を開けて言う。
「あかり。
お前の中の俺は死んだのかもしれないが。
記憶になくても、きっと俺の中のお前は死んでない」
「え」
「だから、一目で好きになったんだ。
きっと……何度記憶を失っても、何度もお前を好きになる――」
昔の青葉と同じように、青葉はドアノブをつかんだまま、身を乗り出し、キスしてきた。
逃げそびれて、その口づけを受けながら、あかりは思う。
青葉さんなんだなあ。
記憶なんて、なくても。
記憶がなくても、魂は一緒。
転生したようなものなのかな、と思ったりしなくもない……。
離れた青葉はあかりを見下ろし、言う。
「確かにお前との過去を覗いてみたくはある。
そんな幸せが俺の過去にあったのなら――」
でも、俺は今のお前が好きだ、とあかりを見つめ、青葉は言った。
「これから先、お前との未来があるのなら、過去はもう思い出せなくてもいい」
「青葉さん……」
あかりは再会して初めて、青葉を下の名前で呼んでいた。
わだかまりが全部消えたかと問われれば違うが。
それでも少しは、自分の中の止まっていた時間が動いた気がした――。
車に乗りながら、青葉は思っていた。
……殺されないだろうか。
いきなりキスとかして。
だが、あかりは、ただ黙って自分を見送っていた。
いまいち表情が読めないが。
怒ってはいない……気がする。
ちょっとホッとしながら、じゃあ、とあかりに手を挙げ、発進した。
車道に出ると、ちょうど赤信号だったので止まり、あかりの方を窺い見る。
あかりはまだ店の外に立ち、こちらを見送っていた。
あかりが立つ扉の側には、日中なので、火の入っていないランプ。
それを見た瞬間、なんでだろう。
ぞくっと嫌な感じがした。
あかりとキスまでして。
本人も飛んで逃げたりしなくて。
今、幸福の絶頂にあってもおかしくないのに。
何故だか、ぞくっと、いや、もやっとする。
信号が変わり、青葉は車を出した。
チラとあかりを振り返ると、まだこちらを見ていて、なんだか心臓が痛くなる。
自分の姿が消えるまで見送ってくれているあかりの姿に、なにかが重なりそうになって消えていった。
ま、まあ、あんな殊勝な感じに見送ってるように見えて。
内心、勝手にキスした俺に怒って、心の中の鎌を研いでいるのかもしれないな、と思うと、何故だかほっとする。
あんまり今を幸せだと思ってはいけないような。
幸せだと思った瞬間に、足元をすくわれそうな気がするというか――。
なんなんだろうな。
自分の心の奥深くで、
なにか……
ぴっちりと閉まっていた扉が開こうとしているのを感じる。
あれだけ、あかりとの記憶を取り戻したいと願っていたのに。
なんだか過去の記憶が蘇るのが怖いような……。
いやいやいや。
なにを考えてるんだ。
相手はあのあかりだぞ。
「最高にヒュッゲです」
とか言いながら、スマホで禿げたおっさんの一生を眺めているような――。
あいつの周りで、そんな深刻ななにかが起こっていたなんてこと、きっとない……。
社に戻った青葉は、さっきのことには触れずに、あかりにメッセージを送った。
「俺が送ったネットショップ用の画像見たか?」
すると、あかりから、
「ちょっと今、パソコン調子悪くて。
さっきから、『地蔵を使用しているため、フォルダを削除できません』ってメッセージが出て動かないんですよ。
パソコン内で地蔵は使用してない気がするんですが……。
っていうか、地蔵ってなんなんですかね?
暇なとき、見ていただけますか?」
と入ってきた。
……なんなんだ、地蔵を使用しているためって。
相変わらずなあかりにちょっと笑う。
そして、『暇なとき、見ていただけますか?』という言葉に浮かれた。
さっきの、もやっとした嫌な感じは気のせいだろう。
急に上手く行きそうな雰囲気になったから、ちょっと不安になっただけだ、きっと。
そう思うことにして、青葉はとりあえず、夜、パソコンの地蔵を見に行ってみることにした。
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