上 下
42 / 44
わたし、人の心が読めるんです

この方と結婚してよかったですっ

しおりを挟む
 
 行正が休みの日、ふたりは馬車で咲子の実母、美佳子の家に向かっていた。

 馬車の中で咲子は語る。

「子供のころから、人の顔を見ていると、その人の心が読める気がしてたんです。

 幼い頃に母が出て行ったりとか、いろいろあったからですかね?」

「そうか。
 まあ、お前も色々と家庭環境が複雑だったようだからな。

 弥生子さんとは気が合うようだが。
 継母ではあるから、気を使っているところもあって。

 人の顔色を窺うようになり。
 そんな風に思うようになったのかもしれないな」

「……どうなんでしょうね?
 でも、母といるときから、読めていたような気もします。

 まあ、私はずっと気まぐれな母の顔色を窺って過ごしていた気がするので。
 それでなのかもしれないですね」

 今もそうだ。

 車でなくて、馬車なのも。
 美佳子は車より、馬車の方が優雅な感じがして好きだと言っていたからだ。



「すみません。
 正式なご挨拶が遅くなりまして」

 伊藤家よりはるかに贅の限りを尽くした屋敷で、美佳子に行正が挨拶する。

「あら、別にいいのよ。
 私はあの家を出た身ですからね」

 伊太利亜から取り寄せたという、柔らかすぎない、座り心地の良いソファに行正と二人、並んで座る。

 行正が咲子を見た。

 咲子がこくりと頷くと、行正が話し出す。

「ところで、あの、実は咲子は長い間、自分には人の心が読めると思っていたようなのですが。
 なにか思い当たる節はありますか」

「咲子に人の心が?」

 優雅に笑ったあとで、美佳子は言う。

「ああ、でも、そういえば……
 読めるのかなと思ったことはあるわね」

 あるんですかっ? と二人は身を乗り出した。

「この子が子どものころのことだけど。

 私が着ていく服を迷ったとき、どっちの服がいい? って見せたら。

 必ず、私がやっぱりこっちかなと思ってる方を言うのよ」

「そ、それは……」
と言いかけ、行正はやめた。

 その一見表情のない横顔を見ながら咲子は、今なら、この人の心が読めるな、と思っていた。

 何故なら、おそらく自分と同じことを考えているからだ。

『それは単にあなたの機嫌をとるのが上手かっただけでは……?』

 なにせ、この母親、気分屋だからな。

 なにを契機に怒り出すかわからないから。

 いつもビクビクしてたもんな。

 そう思いながら、咲子は白状した。

「お母様は内心、これ、と心に決めている方を右手で持ち。
 少し上にかかげて、長くご覧になります」

「じゃあ、それででしょうよ」
と言った美佳子は、

「自分でわかってるんじゃない。
 心を読んでるんじゃなくて、母親の顔色を窺うのが上手いだけだって」
と言う。

 ……いや、その件に関してはそうなんですけどね。

 でも、考えてみれば、他もそんなものなのかも、と咲子は思いはじめていた。

「あんたが意外に世渡り上手だったってだけよね。
 でも、大事よ、そういうの」

 自身の言動に幼い娘がビクビクして常に身構えていた、という事実に気づきながらも、あっけらかんと母は言う。

 咲子は深い溜息をついて言った。

「なんだかもう私には人の心は読めない気がしてきました……」

「いや、諦めるなっ。
 弥生子さんのところに行ってみようっ」

 いや、あなたが私は人の心は読めないって言ったんですよ。

 なんで応援してるんですか、と思いながらも、ちょっと可笑しくなってくる。

 行正の無表情さの下の必死さがうっすら見えてきて。

 なんだろう。

 私、この人、好きだ。

 大好きだ。

 この人と結婚してよかった。

 今は、心からそう思えるけど。

 でも、この人はきっとそうではないんだろうな。

 ただただ面倒見がよかったり、跡継ぎが欲しかったりする人なんだろうな。

 自分に自信がないので、咲子は行正の親切をそう解釈していた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

思い出を売った女

志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。 それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。 浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。 浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。 全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。 ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。 あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。 R15は保険です 他サイトでも公開しています 表紙は写真ACより引用しました

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~ その後

菱沼あゆ
恋愛
その後のみんなの日記です。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~

七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。 冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??

極道に大切に飼われた、お姫様

真木
恋愛
珈涼は父の組のため、生粋の極道、月岡に大切に飼われるようにして暮らすことになる。憧れていた月岡に甲斐甲斐しく世話を焼かれるのも、教え込まれるように夜ごと結ばれるのも、珈涼はただ恐ろしくて殻にこもっていく。繊細で怖がりな少女と、愛情の伝え方が下手な極道の、すれ違いラブストーリー。

処理中です...