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わたし、人の心が読めるんです
この方と結婚してよかったですっ
しおりを挟む行正が休みの日、ふたりは馬車で咲子の実母、美佳子の家に向かっていた。
馬車の中で咲子は語る。
「子供のころから、人の顔を見ていると、その人の心が読める気がしてたんです。
幼い頃に母が出て行ったりとか、いろいろあったからですかね?」
「そうか。
まあ、お前も色々と家庭環境が複雑だったようだからな。
弥生子さんとは気が合うようだが。
継母ではあるから、気を使っているところもあって。
人の顔色を窺うようになり。
そんな風に思うようになったのかもしれないな」
「……どうなんでしょうね?
でも、母といるときから、読めていたような気もします。
まあ、私はずっと気まぐれな母の顔色を窺って過ごしていた気がするので。
それでなのかもしれないですね」
今もそうだ。
車でなくて、馬車なのも。
美佳子は車より、馬車の方が優雅な感じがして好きだと言っていたからだ。
「すみません。
正式なご挨拶が遅くなりまして」
伊藤家よりはるかに贅の限りを尽くした屋敷で、美佳子に行正が挨拶する。
「あら、別にいいのよ。
私はあの家を出た身ですからね」
伊太利亜から取り寄せたという、柔らかすぎない、座り心地の良いソファに行正と二人、並んで座る。
行正が咲子を見た。
咲子がこくりと頷くと、行正が話し出す。
「ところで、あの、実は咲子は長い間、自分には人の心が読めると思っていたようなのですが。
なにか思い当たる節はありますか」
「咲子に人の心が?」
優雅に笑ったあとで、美佳子は言う。
「ああ、でも、そういえば……
読めるのかなと思ったことはあるわね」
あるんですかっ? と二人は身を乗り出した。
「この子が子どものころのことだけど。
私が着ていく服を迷ったとき、どっちの服がいい? って見せたら。
必ず、私がやっぱりこっちかなと思ってる方を言うのよ」
「そ、それは……」
と言いかけ、行正はやめた。
その一見表情のない横顔を見ながら咲子は、今なら、この人の心が読めるな、と思っていた。
何故なら、おそらく自分と同じことを考えているからだ。
『それは単にあなたの機嫌をとるのが上手かっただけでは……?』
なにせ、この母親、気分屋だからな。
なにを契機に怒り出すかわからないから。
いつもビクビクしてたもんな。
そう思いながら、咲子は白状した。
「お母様は内心、これ、と心に決めている方を右手で持ち。
少し上にかかげて、長くご覧になります」
「じゃあ、それででしょうよ」
と言った美佳子は、
「自分でわかってるんじゃない。
心を読んでるんじゃなくて、母親の顔色を窺うのが上手いだけだって」
と言う。
……いや、その件に関してはそうなんですけどね。
でも、考えてみれば、他もそんなものなのかも、と咲子は思いはじめていた。
「あんたが意外に世渡り上手だったってだけよね。
でも、大事よ、そういうの」
自身の言動に幼い娘がビクビクして常に身構えていた、という事実に気づきながらも、あっけらかんと母は言う。
咲子は深い溜息をついて言った。
「なんだかもう私には人の心は読めない気がしてきました……」
「いや、諦めるなっ。
弥生子さんのところに行ってみようっ」
いや、あなたが私は人の心は読めないって言ったんですよ。
なんで応援してるんですか、と思いながらも、ちょっと可笑しくなってくる。
行正の無表情さの下の必死さがうっすら見えてきて。
なんだろう。
私、この人、好きだ。
大好きだ。
この人と結婚してよかった。
今は、心からそう思えるけど。
でも、この人はきっとそうではないんだろうな。
ただただ面倒見がよかったり、跡継ぎが欲しかったりする人なんだろうな。
自分に自信がないので、咲子は行正の親切をそう解釈していた。
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