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第三話 雪柳

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 その日、彼は慌ただしく帰っていった。ずいぶん休んでいたから、軍での仕事が溜まっているという。きっと忙しいさなかに、無理して時間を作ってくれたんだろう。
 そしてその後、俺は鶴天佑に呼ばれた。いつもの彼の部屋のテーブルに着くと、彼はこれ以上くらいないくらいに眉を下げて俺を見た。
「……お前……程将軍に、恋しちまったのか……」
 ……声優をやっていた頃でも、こんなこと言われたことなかったのに。職場で恋をとがめられる日が来ようとは。
「すみません……」
 頭を下げて言うと、彼は「いや」と言って首を横に振った。
「ここではよくあることだが。……しかしどうするかな……」
 うーん、と顎に手をやる。そして、ふと顔を上げ、真顔になった。
「実はお前には、他の子と違って、うちに負債はない」
 ずばりと言われて、驚いた。そういえば鶴天佑に、借金について言われたことはない。もともと俺は母親に言われてここにきただけだし、ちゃんと給料ももらっていたし。
「他の男妓たちは、うちが先に対価を払っていることが多い。だから年季が明けるか、負債を返し終わるまでここから出ることはできないんだ。しかしお前は違う」
 鶴天佑は俺の肩に手を置いて言った。
「お前の母さんはな、お前をここで一人前にしてくれと書き残していた。そして……お前に宿る、母さんの力が発現したときは、守ってやってほしい、と」
 どきりとした。俺に宿る力とは、あのひよこのことだろう。
「詳しいことはわからないが、お前の力は、占術にかかわるものだという。どうなっている? 何かあったか?」
 聞かれて、首を横に振った。ひよこのことは、なんとなく言わない方がいい気がしたからだ。
「……いえ、まだ」
「……そうか。俺はお前の母さんと約束したつもりだ。だからお前をここで守ってやりたい。だが……」
 鶴天佑は目線を落とした。彼の苦悩はよくわかる。思いやり深い彼には、ひよこのことはいずれ改めて伝えようと思う。
「この仕事は、お客に恋をすると辛いことが多いんだ。割り切るか、心に秘めるか、やめるか。どれかにしないと続かない。ほとんどの子にはやめるという選択肢はないから、客は客だと割り切るように教育しているんだが……」
 ……彼はいい上司なんだろうと思う。無理に向いてない道を続けさせることは、本人にとっても会社にとってもメリットはないからだ。けれど。
「病気療養中だった姐さんにはいくばくかの金は貸したが、そんなのは見舞金程度だ。だから……ここを出たいなら、言ってもいいんだぞ。程将軍に請け出してもらえるならそれもいいし、ひとりで暮らしたいというなら、当面の面倒は見てやる」
 いいひとだ。けれど妓楼のあるじとしては、甘すぎはしないだろうか、とも思う。
「鶴さん……僕は」
 大きく息を呑んで、鶴天佑を見つめた。
「僕は、ここにいたいです」
 彼は大きく目を見開いて、俺を見た。
「僕は……外に出ても何もできません。ひとりでは生きていけないと思います。程将軍に請け出してもらう、っていうのは、現実的じゃありません。一時の感情で……人生を左右する決断をして頂くのは、僕にとっても重すぎるので」
「……雪柳」
 鶴天佑はたまげた、という顔で俺を見ている。俺は笑顔を作って言った。
「程将軍は、僕がここの男妓だってわかってて、それでも好きだと言ってくださいました。男妓は……お客さんに恋をしてもらうのが、仕事でしょ?」
「いや、まあそうだが。そうはいってもだな……」
 動揺しているのか、手元の茶碗を手に取って口に当てる。ちなみにそれにはもう何も入っていないことは知っている。
「お願いします。……僕は、この世界で生きていけるだけの力を手に入れたい。誰かに頼るんじゃなくて、自分の力で稼いで、生きていけるようになりたい。もし男妓として稼げなくても、べつのことを捜して、鶴さんに還元できるように頑張ります。だから……ここにいさせてください」
 都合のいいことを言っているのは分かっている。男妓にならないなら彼が俺をここに置いておく理由はないだろう。だけどここにいたいのだ。ここが、俺の居場所になってしまったから。
「うーん……。孵化は、どうするんだ? お前はこのままだと、いずれ孵化を迎える。程将軍のほかにも、相手をしなければならない。それでもいいのか?」
 ごくりと息を呑む。孵化は……男妓として生きるためには避けられないことだ。俺がそれまでに何も成せなかったら、腹をくくって男妓として生きつつ、できることを探すしかない。
「……はい。がんばります……」
「そうか。……よかった。正直、俺はお前が好きだ。だからここにいてほしい」
 ぽん、と肩を叩かれた。もちろん親愛の「好き」だが、心がほっこりと温かくなる。
「はい。僕もここが好きです。ここのみんなが」
 笑ってみせると、鶴天佑もほっとしたように笑い返してくれた。
 これからどうなるかわからないけど、今できる最善の選択だと思った。




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ここまでお読みいただいてありがとうございます。
次回、最終回となります。最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
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