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第三話 雪柳
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明かり取りの窓から、柔らかな日差しが差し込んでいる。俺は身を整えて、寝台から体を起こした。
ろくに用意もせずにもつれこんでしまったから、体を拭くための水もない。かろうじて、手ぬぐいで濡れた部分を拭ったくらいで。
「水、取ってきますね」
横たわる彼に言って立ち上がろうとすると、ぐっと手首を掴まれた。
「ここにいて」
囁くような懇願に胸が跳ねる。とんとん、と彼が自分のとなりを叩く。また頬が熱くなるのを感じながら、大人しく彼の隣に横たわった。彼は俺の頬に触れながら、言う。
「ありがとう」
真摯な礼の言葉に照れて、頭に手をやりえへへと笑った。
「僕は、なにもしてませんよ」
すると彼は首を横に振った。
「君と……君の鳥に、救われた」
「……えっ?」
……鳥? ひよこ、もといリュウのことか?
「まさか………」
あの雷雨の夜か、と聞こうかと思ったが、彼のいた場所が雷雨だったかは分からない。言いよどむと、彼は「ああ」と頷いた。
「……ある夜。奴……スアたちに、隊商の野営地を奇襲されてな。あいつは私を狙っていたから、私は馬で彼らを引き寄せつつ逃げた。しかしぬかるみに馬が足を取られたとき、私は脇腹を矢で撃ち抜かれた。スアでもない、知らない敵に」
「それが、この……」
痛々しく巻かれた包帯を見つめる。彼は痛そうに眉を寄せて続けた。
「そうだ……急所ではなかったが深くてな。それでも懸命に馬で駆けて……ようやく決着をつけられそうな場所に着いた時には、私は立つのもやっとだった」
喉がひりつくような気がして、無理やり唾を飲み込んだ。今彼は目の前にいるから大丈夫なはずなのに。
「大木を背に座り込んでやつを待った。馬で私に追いついて来られるのはスアくらいだし、彼の得意は近接戦闘だ。木の陰に隠れ、奴が私にとどめを刺そうと近づいてきたところで、その片腕を切り上げた」
「ひっ」
思わず息を呑んだ。この人は、過酷な戦いを、生き抜いて来た人なのだ……。
「スアは獣のように吠えた。利き腕を駄目にされれば、怒り狂うのも当然だ。奴は残された手に剣を持ち替え、切りかかってきた。なんとか防いだが、傷が痛んで、押し切られるか、と覚悟したとき」
そこで彼は言葉を切り、大きく息を吸った。
「突然……光が、放たれた。それは強烈な光でね。思わず目をつぶった。奴の馬が驚いて暴れて、奴が狼狽するのが分かった。その隙をついて、やつに飛びかかり、その首を剣の柄で地面に押し付け、やつの剣を跳ね飛ばした」
……その光はきっとリュウだ。あの日ここを飛び立ったリュウは、彼のもとへ駆けつけたのだ。彼の危機を察したのかもしれないが、時間的に考えると予測していたのかもしれない。
「スアは私に、自分を殺せ、と言った。覚悟を決めたとき……。目前に美しい鳥が現れた。白い光をまき散らしながら、私の肩にとまった……。スアはそれを見て目を見開き……いきなり涙を流したんだ。許してくれ、頼むから地獄にはやらないでくれと繰り返した。やつにはあの鳥が、死者を冥界の審判へと運ぶ神の使いに見えたんだろう。完全に戦意を喪失した奴を殺す気にはなれなかった。私はなんとか立ち上がって、お前の知っている『迅』は今ここで死んだから、もう追うな、と言い置いて……そこを去った。正直に言えば、私にも、それ以上彼と戦える力は残っていなかったから」
一息でそこまで話し終え、彼は俺を見た。
「あれは君から生まれた鳥だろう? 随分成長したようだが。あの光に覚えがあった」
あの鳥のことを話せるのは彼しかいない。俺はためらいながらも頷いた。
「……はい。僕も信じられないんですけど、確かに目の前で成鳥になりました。でも、帰ってきていないんです……たぶんそのまま天界に帰ったんじゃないかな……」
そう言うと……。
……ぴよ。
小さな鳴き声がした。えっ、と思って辺りを見回すと、いつのまにか白いひよこが寝台のうえを歩きまわっていた……!
――ぴよぴよ、ぴぴぴ。
真波さんの腕をとととっと駆けあがる。真波さんが驚いたように目を見開いて、まじまじとひよこを見る。
「帰って、きたんだ………」
いつどうやって帰ってきたんだろう。もしかして真波さんの体のどこかにいたのかもしれない。どういうしくみか分からないが、こいつは体のどこかにいるようなので。
「おかえり、リュウ」
そう言って、その丸い頭を撫でた。リュウは気持ち良さそうに目を細めて俺を見る。
「リュウというのか。それは、君の?」
「…はい。僕の名前からつけました」
こちらの名前、楊史琉ではなく、向こうでの本名の琉からだが。すると彼もまた、ひよこの頭をそっと撫で、「リュウ。いい名だ」と呟いた。
遠い世界からきた俺、琉はここで雪柳となり、今こうして名前を呼んでもらえている。まあ実際はひよこの名前なんだけど。でも、俺はなんだか嬉しくて。
「へへ。……ありがとうございます」
笑って、彼を見つめた。そのままじっと視線をからめる。
この世界で出会って、好きになった人。どきどきとまた鼓動が早くなる。
自然と顔を近付けて、唇が触れ合おうとした、そのとき。
「失礼します」
皐月の声の声がして俺はびくっと肩をふるわせた。あわあわと身だしなみを整え、ひよこを隠さなければ!と思ったときには、ひよこの姿はもうどこにもみえなかった。
「あっ、ちょっと待って!」
慌てて立ち上がり、ドアへと向かう。ドアを開けると、皐月が膝をついて頭を下げる。そばにはお盆に茶器セットとお菓子が置かれている。
「楼主さまから、お茶とお湯をお持ちするよう言われましたので」
丁寧に言って、顔を上げた彼の表情は……にやにやしていた。完全に面白がっている顔だ!
「どうぞごゆっくり!」
その後ろから秋櫻の声が聞こえる。桶に湯を入れて持ってきてくれたらしい。ちらっと顔を見ると、形のいいくちびるを引き結んで目を逸らした。……なんか怒ってる?
ふたりは務めを果たすと、さっさと扉を閉めた。初めて俺がここにきたとき、月季の部屋に湯を持っていったことを思い出す。
あれから……まだ2ヶ月も経っていないというのに。随分遠くまできたような気がする。
しかし、いまはとりあえず。俺は茶器と菓子をテーブルにおいて、湯を持って真波さんのところへ向かう。
「真波さん。体拭いたら、お菓子を食べましょ。すごく美味しそうですよ」
にこにこしながら言うと、彼はまるで眩しい物を見るかのように目を細めて俺を見た。
「君は変わらないな」
ん?と首を傾げると、彼は優しく俺の髪を撫でた。
「美味しい物に目がない。そしていつも……私を明るい気持ちにしてくれる」
……照れるな。このひとは、無自覚で口説いてくるタイプとみた。俺は照れを押し隠して、彼の手を取った。
「ありがとうございます。……さあ、頂きましょう」
ろくに用意もせずにもつれこんでしまったから、体を拭くための水もない。かろうじて、手ぬぐいで濡れた部分を拭ったくらいで。
「水、取ってきますね」
横たわる彼に言って立ち上がろうとすると、ぐっと手首を掴まれた。
「ここにいて」
囁くような懇願に胸が跳ねる。とんとん、と彼が自分のとなりを叩く。また頬が熱くなるのを感じながら、大人しく彼の隣に横たわった。彼は俺の頬に触れながら、言う。
「ありがとう」
真摯な礼の言葉に照れて、頭に手をやりえへへと笑った。
「僕は、なにもしてませんよ」
すると彼は首を横に振った。
「君と……君の鳥に、救われた」
「……えっ?」
……鳥? ひよこ、もといリュウのことか?
「まさか………」
あの雷雨の夜か、と聞こうかと思ったが、彼のいた場所が雷雨だったかは分からない。言いよどむと、彼は「ああ」と頷いた。
「……ある夜。奴……スアたちに、隊商の野営地を奇襲されてな。あいつは私を狙っていたから、私は馬で彼らを引き寄せつつ逃げた。しかしぬかるみに馬が足を取られたとき、私は脇腹を矢で撃ち抜かれた。スアでもない、知らない敵に」
「それが、この……」
痛々しく巻かれた包帯を見つめる。彼は痛そうに眉を寄せて続けた。
「そうだ……急所ではなかったが深くてな。それでも懸命に馬で駆けて……ようやく決着をつけられそうな場所に着いた時には、私は立つのもやっとだった」
喉がひりつくような気がして、無理やり唾を飲み込んだ。今彼は目の前にいるから大丈夫なはずなのに。
「大木を背に座り込んでやつを待った。馬で私に追いついて来られるのはスアくらいだし、彼の得意は近接戦闘だ。木の陰に隠れ、奴が私にとどめを刺そうと近づいてきたところで、その片腕を切り上げた」
「ひっ」
思わず息を呑んだ。この人は、過酷な戦いを、生き抜いて来た人なのだ……。
「スアは獣のように吠えた。利き腕を駄目にされれば、怒り狂うのも当然だ。奴は残された手に剣を持ち替え、切りかかってきた。なんとか防いだが、傷が痛んで、押し切られるか、と覚悟したとき」
そこで彼は言葉を切り、大きく息を吸った。
「突然……光が、放たれた。それは強烈な光でね。思わず目をつぶった。奴の馬が驚いて暴れて、奴が狼狽するのが分かった。その隙をついて、やつに飛びかかり、その首を剣の柄で地面に押し付け、やつの剣を跳ね飛ばした」
……その光はきっとリュウだ。あの日ここを飛び立ったリュウは、彼のもとへ駆けつけたのだ。彼の危機を察したのかもしれないが、時間的に考えると予測していたのかもしれない。
「スアは私に、自分を殺せ、と言った。覚悟を決めたとき……。目前に美しい鳥が現れた。白い光をまき散らしながら、私の肩にとまった……。スアはそれを見て目を見開き……いきなり涙を流したんだ。許してくれ、頼むから地獄にはやらないでくれと繰り返した。やつにはあの鳥が、死者を冥界の審判へと運ぶ神の使いに見えたんだろう。完全に戦意を喪失した奴を殺す気にはなれなかった。私はなんとか立ち上がって、お前の知っている『迅』は今ここで死んだから、もう追うな、と言い置いて……そこを去った。正直に言えば、私にも、それ以上彼と戦える力は残っていなかったから」
一息でそこまで話し終え、彼は俺を見た。
「あれは君から生まれた鳥だろう? 随分成長したようだが。あの光に覚えがあった」
あの鳥のことを話せるのは彼しかいない。俺はためらいながらも頷いた。
「……はい。僕も信じられないんですけど、確かに目の前で成鳥になりました。でも、帰ってきていないんです……たぶんそのまま天界に帰ったんじゃないかな……」
そう言うと……。
……ぴよ。
小さな鳴き声がした。えっ、と思って辺りを見回すと、いつのまにか白いひよこが寝台のうえを歩きまわっていた……!
――ぴよぴよ、ぴぴぴ。
真波さんの腕をとととっと駆けあがる。真波さんが驚いたように目を見開いて、まじまじとひよこを見る。
「帰って、きたんだ………」
いつどうやって帰ってきたんだろう。もしかして真波さんの体のどこかにいたのかもしれない。どういうしくみか分からないが、こいつは体のどこかにいるようなので。
「おかえり、リュウ」
そう言って、その丸い頭を撫でた。リュウは気持ち良さそうに目を細めて俺を見る。
「リュウというのか。それは、君の?」
「…はい。僕の名前からつけました」
こちらの名前、楊史琉ではなく、向こうでの本名の琉からだが。すると彼もまた、ひよこの頭をそっと撫で、「リュウ。いい名だ」と呟いた。
遠い世界からきた俺、琉はここで雪柳となり、今こうして名前を呼んでもらえている。まあ実際はひよこの名前なんだけど。でも、俺はなんだか嬉しくて。
「へへ。……ありがとうございます」
笑って、彼を見つめた。そのままじっと視線をからめる。
この世界で出会って、好きになった人。どきどきとまた鼓動が早くなる。
自然と顔を近付けて、唇が触れ合おうとした、そのとき。
「失礼します」
皐月の声の声がして俺はびくっと肩をふるわせた。あわあわと身だしなみを整え、ひよこを隠さなければ!と思ったときには、ひよこの姿はもうどこにもみえなかった。
「あっ、ちょっと待って!」
慌てて立ち上がり、ドアへと向かう。ドアを開けると、皐月が膝をついて頭を下げる。そばにはお盆に茶器セットとお菓子が置かれている。
「楼主さまから、お茶とお湯をお持ちするよう言われましたので」
丁寧に言って、顔を上げた彼の表情は……にやにやしていた。完全に面白がっている顔だ!
「どうぞごゆっくり!」
その後ろから秋櫻の声が聞こえる。桶に湯を入れて持ってきてくれたらしい。ちらっと顔を見ると、形のいいくちびるを引き結んで目を逸らした。……なんか怒ってる?
ふたりは務めを果たすと、さっさと扉を閉めた。初めて俺がここにきたとき、月季の部屋に湯を持っていったことを思い出す。
あれから……まだ2ヶ月も経っていないというのに。随分遠くまできたような気がする。
しかし、いまはとりあえず。俺は茶器と菓子をテーブルにおいて、湯を持って真波さんのところへ向かう。
「真波さん。体拭いたら、お菓子を食べましょ。すごく美味しそうですよ」
にこにこしながら言うと、彼はまるで眩しい物を見るかのように目を細めて俺を見た。
「君は変わらないな」
ん?と首を傾げると、彼は優しく俺の髪を撫でた。
「美味しい物に目がない。そしていつも……私を明るい気持ちにしてくれる」
……照れるな。このひとは、無自覚で口説いてくるタイプとみた。俺は照れを押し隠して、彼の手を取った。
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