73 / 168
第三話 雪柳《それは奇跡のような》
10-1
しおりを挟む
「雪柳! ラムしゃぶ、完成だ!」
天才料理人、孟さんが言った。
「最近食が細いみたいだから、たくさん食べてほしいと思ってな」
笑うと目がなくなる孟さんの笑顔を見ながら、思わずじーんとする。
「ありがとう孟さん! 嬉しいです!」
孟さんがニコニコと出してきたのは、大皿に盛られた薄切りのラム肉だった。見事に薄く切られ、くるくる巻いてきれいに置かれている。これ! これだよ! その傍には山盛りの野菜と、タレの入った椀も置かれていた。
「お前のいうゴマダレも作ったぞ。胡麻を油とともに練り、酢に醤、砂糖、酒、花椒も加えてみた」
「うわあ~」
厨房の大きなテーブルの前でワクワクしながら見ていると、孟さんは七輪的なやつをテーブルの上におき、炭をいれた。そしてその上に鍋を置き、湯を沸かし始めた。
「さっすが孟さん! 完璧ですね!」
「おうよ! 抜かりはない!」
盛り上がっていると、皐月と秋櫻、珍しく鈴蘭兄さんもやってきて、興味深そうに孟さんの手つきを見つめている。
丁度昼飯どきで、開けっぱなしの厨房の窓からは明るい日差しが差し込んでいた。季節はちょうど春の盛りで、みずみずしい緑の匂いが清々しい。
「おー。ついにラムしゃぶとやらができたのか。楽しみだなー」
鶴天佑もやってきて、腕を組みながらひょいと孟さんの肩越しに鍋を覗きこむ。ぐつぐつと鍋のなかが沸き始めたら食べごろだ……。
すると鶴天佑のもとに門番を務めるおじさんが小走りで近寄ってきた。何やら耳打ちすると、鶴天佑は頷いて厨房を出て行った。
七輪で湯を沸かすのって時間がかかるな、と思いながら、椅子に座って待っていると……。
厨房の扉が開く音がした。そして足音が近づいてくる。
ふっとそちらを見た。そこには……。
――真波さんがいた。
黒い袍に身を包み、以前と変わらぬ精悍な姿で。
「……しんは、さ、ん……」
ことばが詰まって声にならない。すると真波さんは俺を見て微笑んだ。
「……雪柳」
ほっとして……嬉しくて、たまらない。ぼうっと彼を見つめる。
「……おかえり、なさい」
目の奧が熱くなる。泣かないようにぐっと唇を噛みしめて、彼に向かって一歩踏み出す。そしてその逞しい背中に腕を回した。
「お待ちしていました……」
腕のなかに確かに彼がいる。胸の奧から熱いものが湧き出して、涙となって頬を零れる。彼も俺をまた、ぎゅっと抱き寄せてくれた。
一瞬、世界が止まった気がした。
……しかし実際、世界は止まっていなくて。
「……あー。程将軍、今お部屋準備しますので、そちらで、ね」
鶴天佑が上ずった声で言った。真波さんは目を見開いて、ぱっと周りを見る。俺も釣られてそちらを見ると、とっさに秋櫻と皐月、鈴蘭兄さんと孟さんが目を逸らすのが見えた。……見られてた!
「……ああ、すまない」
真波さんが咳払いとともに答える。ちょっとだけ耳が赤い。俺は自然と笑ってしまって。
ぐつぐつと鍋の沸き立つ音がする。だけど今一番大事なのは、目の前にいるこの人だ。
「ごめんなさい、孟さん。あとでいただきます。……行きましょう、真波さん」
その手を取って厨房を出た。つないだ手の感触が嬉しい。また来てくれたことが嬉しい。また会えたことが。
鶴天佑は準備すると言ったけど、あの部屋は使ったあとは必ず清掃が入るし、現状俺しか使ってないから空いていると知っている。
どことなくふわふわして、雲の上を歩いているようだ。部屋までの道のりがやけに遠くてもどかしい。
やがて部屋について扉を閉めた。その瞬間、後ろから抱きしめられた。
「雪柳……」
胸が震えて言葉が出ない。もう何度考えたかわからない、嬉しいという感情に支配されて、また涙があふれ出す。
「はい。真波さん……」
「……会いたかった」
「……僕も、です」
首筋に感じる、あつい吐息。胸のまえに回された腕に力がこもる。ゆっくりと振り向くと、美しい目と目があった。
「君が、好きだ」
その言葉に目を見開いた。初めて彼から聞いた言葉。きっとあの夜に聞き取れなかったことば。
「君がここの男妓であることはわかっている。それでも……もしも帰ることができたら、君に言おうと思っていた」
「……はい」
ぎゅっと彼の背中に腕を回す。その首筋に顔を寄せた。
「僕も、好き、です」
天才料理人、孟さんが言った。
「最近食が細いみたいだから、たくさん食べてほしいと思ってな」
笑うと目がなくなる孟さんの笑顔を見ながら、思わずじーんとする。
「ありがとう孟さん! 嬉しいです!」
孟さんがニコニコと出してきたのは、大皿に盛られた薄切りのラム肉だった。見事に薄く切られ、くるくる巻いてきれいに置かれている。これ! これだよ! その傍には山盛りの野菜と、タレの入った椀も置かれていた。
「お前のいうゴマダレも作ったぞ。胡麻を油とともに練り、酢に醤、砂糖、酒、花椒も加えてみた」
「うわあ~」
厨房の大きなテーブルの前でワクワクしながら見ていると、孟さんは七輪的なやつをテーブルの上におき、炭をいれた。そしてその上に鍋を置き、湯を沸かし始めた。
「さっすが孟さん! 完璧ですね!」
「おうよ! 抜かりはない!」
盛り上がっていると、皐月と秋櫻、珍しく鈴蘭兄さんもやってきて、興味深そうに孟さんの手つきを見つめている。
丁度昼飯どきで、開けっぱなしの厨房の窓からは明るい日差しが差し込んでいた。季節はちょうど春の盛りで、みずみずしい緑の匂いが清々しい。
「おー。ついにラムしゃぶとやらができたのか。楽しみだなー」
鶴天佑もやってきて、腕を組みながらひょいと孟さんの肩越しに鍋を覗きこむ。ぐつぐつと鍋のなかが沸き始めたら食べごろだ……。
すると鶴天佑のもとに門番を務めるおじさんが小走りで近寄ってきた。何やら耳打ちすると、鶴天佑は頷いて厨房を出て行った。
七輪で湯を沸かすのって時間がかかるな、と思いながら、椅子に座って待っていると……。
厨房の扉が開く音がした。そして足音が近づいてくる。
ふっとそちらを見た。そこには……。
――真波さんがいた。
黒い袍に身を包み、以前と変わらぬ精悍な姿で。
「……しんは、さ、ん……」
ことばが詰まって声にならない。すると真波さんは俺を見て微笑んだ。
「……雪柳」
ほっとして……嬉しくて、たまらない。ぼうっと彼を見つめる。
「……おかえり、なさい」
目の奧が熱くなる。泣かないようにぐっと唇を噛みしめて、彼に向かって一歩踏み出す。そしてその逞しい背中に腕を回した。
「お待ちしていました……」
腕のなかに確かに彼がいる。胸の奧から熱いものが湧き出して、涙となって頬を零れる。彼も俺をまた、ぎゅっと抱き寄せてくれた。
一瞬、世界が止まった気がした。
……しかし実際、世界は止まっていなくて。
「……あー。程将軍、今お部屋準備しますので、そちらで、ね」
鶴天佑が上ずった声で言った。真波さんは目を見開いて、ぱっと周りを見る。俺も釣られてそちらを見ると、とっさに秋櫻と皐月、鈴蘭兄さんと孟さんが目を逸らすのが見えた。……見られてた!
「……ああ、すまない」
真波さんが咳払いとともに答える。ちょっとだけ耳が赤い。俺は自然と笑ってしまって。
ぐつぐつと鍋の沸き立つ音がする。だけど今一番大事なのは、目の前にいるこの人だ。
「ごめんなさい、孟さん。あとでいただきます。……行きましょう、真波さん」
その手を取って厨房を出た。つないだ手の感触が嬉しい。また来てくれたことが嬉しい。また会えたことが。
鶴天佑は準備すると言ったけど、あの部屋は使ったあとは必ず清掃が入るし、現状俺しか使ってないから空いていると知っている。
どことなくふわふわして、雲の上を歩いているようだ。部屋までの道のりがやけに遠くてもどかしい。
やがて部屋について扉を閉めた。その瞬間、後ろから抱きしめられた。
「雪柳……」
胸が震えて言葉が出ない。もう何度考えたかわからない、嬉しいという感情に支配されて、また涙があふれ出す。
「はい。真波さん……」
「……会いたかった」
「……僕も、です」
首筋に感じる、あつい吐息。胸のまえに回された腕に力がこもる。ゆっくりと振り向くと、美しい目と目があった。
「君が、好きだ」
その言葉に目を見開いた。初めて彼から聞いた言葉。きっとあの夜に聞き取れなかったことば。
「君がここの男妓であることはわかっている。それでも……もしも帰ることができたら、君に言おうと思っていた」
「……はい」
ぎゅっと彼の背中に腕を回す。その首筋に顔を寄せた。
「僕も、好き、です」
12
あなたにおすすめの小説
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
転生したらスパダリに囲われていました……え、違う?
米山のら
BL
王子悠里。苗字のせいで“王子さま”と呼ばれ、距離を置かれてきた、ぼっち新社会人。
ストーカーに追われ、車に轢かれ――気づけば豪奢なベッドで目を覚ましていた。
隣にいたのは、氷の騎士団長であり第二王子でもある、美しきスパダリ。
「愛してるよ、私のユリタン」
そう言って差し出されたのは、彼色の婚約指輪。
“最難関ルート”と恐れられる、甘さと狂気の狭間に立つ騎士団長。
成功すれば溺愛一直線、けれど一歩誤れば廃人コース。
怖いほどの執着と、甘すぎる愛の狭間で――悠里の新しい人生は、いったいどこへ向かうのか?
……え、違う?
妹を救うためにヒロインを口説いたら、王子に求愛されました。
藤原遊
BL
乙女ゲームの悪役令息に転生したアラン。
妹リリィが「悪役令嬢として断罪される」未来を変えるため、
彼は決意する――ヒロインを先に口説けば、妹は破滅しない、と。
だがその“奇行”を見ていた王太子シリウスが、
なぜかアラン本人に興味を持ち始める。
「君は、なぜそこまで必死なんだ?」
「妹のためです!」
……噛み合わないはずの会話が、少しずつ心を動かしていく。
妹は完璧令嬢、でも内心は隠れ腐女子。
ヒロインは巻き込まれて腐女子覚醒。
そして王子と悪役令息は、誰も知らない“仮面の恋”へ――。
断罪回避から始まる勘違い転生BL×宮廷ラブストーリー。
誰も不幸にならない、偽りと真実のハッピーエンド。
【完結】冷酷騎士団長を助けたら口移しでしか薬を飲まなくなりました
ざっしゅ
BL
異世界に転移してから一年、透(トオル)は、ゲームの知識を活かし、薬師としてのんびり暮らしていた。ある日、突然現れた洞窟を覗いてみると、そこにいたのは冷酷と噂される騎士団長・グレイド。毒に侵された彼を透は助けたが、その毒は、キスをしたり体を重ねないと完全に解毒できないらしい。
タイトルに※印がついている話はR描写が含まれています。
平民なのに王子の身代わりをすることになり、氷の従者に教育されることになりました
律子
BL
牢に捕まった平民のカイルが突然連れていかれた場所はなんと王宮!
そこで自分と瓜二つの顔を持つ第二王子に会い、病弱な彼の「身代わり」をさせられることになった!
突然始まった王子生活でカイルを導くのは、氷のように冷たい美貌の従者・アウレリオ。
礼儀作法から言葉遣い、歩き方まで──何もかもを厳しく“教育”される日々。
でも、そうして過ごすうちにアウレリオの厳しいだけではない一面が見えてくることに。
二人は「身代わり生活」の相棒となり、試練を乗り越えていくが…。
だんだんと相手に向ける感情が『相棒』に向ける信頼だけではなくなっていく…!?
うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)
藤吉めぐみ
BL
匠が勤める建築デザイン事務所には、洗練された見た目と完璧な仕事で社員誰もが憧れる一流デザイナーの克彦がいる。しかしとにかく仕事に厳しい姿に、陰で『鬼上司』と呼ばれていた。
そんな克彦が家に帰ると甘く変わることを知っているのは、同棲している恋人の匠だけだった。
けれどこの関係の始まりはお互いに惹かれ合って始めたものではない。
始めは甘やかされることが嬉しかったが、次第に自分の気持ちも克彦の気持ちも分からなくなり、この関係に不安を感じるようになる匠だが――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる