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第三話 雪柳

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 雨音だけが響く部屋のなかで、俺は真波さんと二人、向かい合っていた。
 洸永遼が去ったあと、鶴天佑が、謝罪とともに料理と酒を運んできた。真波さんはひたすら酒を口に運び、俺は料理に手を付ける気にもなれず。
「……巻き込んで、すまなかった」
 ふと真波さんが言った。やっとしゃべってくれたことにほっとして、首を横に振る。
「いえ。でも、僕が聞いてもいい話だったんでしょうか……」
 国軍の将のひとりである彼が、隣国で私兵として活動していたなんてこと、知られていいとも思えない。すると真波さんは微笑んだ。
「君の秘密を、私は知っている。ならば君も、私の秘密を知るべきだ」
 俺の秘密とは、皐月のふりをして彼と夜を過ごしたあの日のことだろう。照れて思わず俯くと、彼はとくとくと音を立てて酒盃に酒をついだ。
「……大禍が終って5年が経ったころ。州軍は辺境警備に手を焼いていた。国交が回復すれば行き来が生まれる。けれど天豹国はちょうど政権交代の混乱のさなかで、辺境まで手が回らない。我が国としては隊商を守らねばならなかったが、隣国への国軍の派遣はできない。そこで極秘裏に作られたのが私軍『砂条』だ」
 なるほど。自国の軍を送り込んだら、せっかくの和平状態が崩れてしまう。けれど訓練された兵士でないと、隊商を守れない。だから私軍を作ったのか。
「……『砂条』は国軍の一端だったということですか?」
 聞くと、真波さんは軽く頷いた。
「……もっとも、対外的には、つながりなど認めてはならない。あくまで『砂条』は豪商の私兵だ。たとえ追及されても問題ないようになっている。私の正体も……知られていないと思ったが」
 真波さんが俯いた。洸永遼の情報収集力がそれだけ優れているということだろう。
「……いつごろ、そこにいらしたんですか?」
 彼のことをもっと知りたいと思った。彼がこれまで歩んできた人生を。答えてくれるだろうか、と思ったが、彼は答えてくれた。
「武学を出てすぐだ。祖父に……行けと言われてな」
「どうして……そんな」
 思わず聞くと、彼はかすかに首を横に振った。
「砂条には……名門の子弟などいなかった。それはそうだ、誰しも息子を、危険な任地になどやりたくはない。しかし陛下への忠誠を見せるためには、子供を差し出さねばならない。そこで祖父が手を上げた。もとより命拾いさせた子供だ。陛下のために命を差し出すなら本望だとでも言ったのだろうな」
 ……ひどすぎる。孫をなんだと思っているのか。怒りのあまり、のどの奥がからからに乾いて、声を出すのも苦しい。黙ってくちびるを噛んでいると、彼は目を伏せ、何かを思い出したかのように眉を寄せた。
「そこは……明日の生死もわからない場所だった。座学と稽古しか知らない子供だったが、生きるためにはやるしかなかった。懸命に務めて、気づけば長と呼ばれる立場になっていた」
 そこまで言うと、くい、と酒を飲み干す。淡々と語られる彼の人生に、胸が痛い。
「……いつ、こちらに戻られたんですか?」
「二年前だ。前将軍が急逝して、私が抜擢された。うちは建国の際、武門として将軍職を約束された家柄だ。しかしここ二代、分家が将軍位を継いでいた。大禍の際の父の失態は……私の辺境での功で雪いだことにすると、そのような取引があったようだ。そして私は慌ただしくこちらに戻り……長年追っていた宿敵にとどめを刺すことができなかった」
「宿敵……とは」
「南方出身で、スア・ローという呼び名を持つ盗賊の長だ。腕の立つ男で……鬼神のように強かった。致命傷を負わせたと思ったが、生きていたとは」
 また酒を飲みほす。酒壺はもう空になったようだ。真面目な彼の唯一の気晴らしは、酒を呑むことだったのかもしれない。
「とにかく……すべては明日対処しよう。巻き込んで、すまなかったな」
 彼はまた、さっきと同じ謝罪をした。再び首を横に振る。
 静かに俯く彼からは、感情は読み取れない。凪いだ水面のような彼の内側には、きっと悲しみや孤独が渦巻いているはずななのに。
「とんでもないです。……お酒はからだにあまり良くないから、ほどほどにしてください。その代わりに……」
 俺は立ちあがって、椅子の後ろから、彼の身体に腕を回した。しっかりした男らしい肩が、ぴくりと震えた。
「僕が、あなたを温めます……」
 一体俺は何を言っているのか。けれど、彼の話を聞きながら、俺にできることはないかと思ってしまった。何にもできないことも知っているけど。
 線の細い少年の身体では、大人の男を包み込むことはできない。けれど懸命に腕を伸ばして、彼を抱きしめる。すると彼の胸の前に回した手が、大きな手のひらに包み込まれた。
「ありがとう」
 穏やかな声に、胸が熱くなる。この人はずっと優しい。逆境にありながらも使命を全うし、誰を恨むこともなく生きてきた。
 俺はこの人を尊敬する。癒してあげたい、と思う。
 ふと見上げられて、目が合った。次の瞬間、俺は自然と目を閉じていて。
 そしてくちびるが、触れ合った。
 熱く柔らかな感触に、鼓動は早く、体は熱くなる。やがて唇が離れ、俺達は顔を見合わせた。
「雪柳……」
 低く掠れた声にぞくりとする。頰に手が添えられて、再び唇が重なった。僅かに開いた間から熱い舌が侵入してきて、思わず体が震えた。
「ん……」
 舌が絡まる濃厚なキスに、息があがる。この人は、こんなに情熱的なキスをする人だったのか。
 頭がぼうっとし始める。ガタリと音がして、彼が椅子から立ちあがった。そして手を引かれて寝台へと向かう。押し倒されて、至近距離で見下ろす彼と目が合った。
「いい、か?」
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