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第二話 紅梅
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鶴天佑の部屋を出て、気づいた。「紅梅」について聞くのを忘れていたことに。しかしショッキングなことが多すぎたから仕方ないだろう。
夜のお務めのことを考えて、またちょっと気が重くなる。部屋に戻り扉を閉めると、秋櫻が円座から立ち上がって俺を見上げた。
「ねえねえ、お風呂行こうよ!」
明るい秋櫻の顔を見るとほっとする。うん、と頷くと、秋櫻は笑って「桶出すね~」と棚を開けた。お風呂セットを俺に渡しながら、気づかわしげに俺を見る。
「……雪柳、どうかした? なんかしょげてる?」
「ん……」
秋櫻は俺の心情を推し量るのが美味い。すぐに気づいて気遣ってくれる。
「ありがと。……洸さんに、指名されたんだ」
「えっ……」
秋櫻は驚いたように目を見開いた。
「鈴蘭兄さんの代わりに、ってこと?」
うん、とうなずく。秋櫻はすこし困ったように眉を寄せた。
「……孵化もまだなのにね……」
「うん。だから、修練始めるかも、だって」
「……そう」
秋櫻は俺の肩を抱き寄せた。
「ゆっくり、がんばろうね。君が指名されたのは、本当にすごいことなんだから」
「うん……」
秋櫻の肩に顎を置いて、抱きしめ返す。すると秋櫻は頷いて、俺の肩をぱん、と叩いた。
「……でも、鈴蘭兄さんにとっては、愉快な話じゃないからね。しょげるのは、僕の前だけにしなよね?」
その言葉にはっとした。正直、そこまで頭が回っていなかった。
「ありがとう。気を付ける」
「よし! じゃ、お風呂に行こうか。とりあえず今は、心配なことは洗い流しちゃおう」
秋櫻の笑顔に不安はまたどこかにいって。俺は笑って頷いた。
そして慌ただしく日々が過ぎて、気づけば程将軍が訪れる日になった。夕方、化粧のために支度部屋にスタンバイしていると、勢いよく扉が開いた。
「ああ~忙しい忙しい! ほら、あんた早く支度するわよ!」
聞こえた声に背筋が震えた。春嵐兄さんだ! やっべええ!! 皐月と入れ替わるとき、彼にだけは顔を見られている。その後会っていないので、彼は俺を皐月だと思い込んでいるはずだ。
「はいはい! 早くこっち向きなさいね。あたしの時間は貴重なのよ」
はきはきと快活な声。俺はなすすべもなく目をぎゅっとつぶった。そんなことをしてもどうなるわけでもないが。肩をすくめて固まっていると、顎を掴まれぐいと顔を向けさせられた。ゴージャスなハーフアップのヘアスタイルに、アイラインがばっちりひかれた目と目が合う。
「あらあ、皐月ちゃんじゃない。あたし今日別の子だって聞いたんだけど? 雪柳って子」
「あっ! えっと……」
なんとか言い逃れしなくては!と思って必死で言い募る。
「あの! 雪柳の体調が悪くなっちゃって、僕が代役になったんです! これは鶴天佑さんもご存知のことなので大丈夫です!」
「あらそう?」
首を傾げ、じっと俺を見る。
「……まあでも、そんなウソついてもあんたに何の得もないもんね。わかったわ。あたしの時間は有限だから、さっさとやりましょ」
そう言って支度部屋の鏡台に顔を向かせられる。支度部屋には化粧やヘアセットに必要なものが置かれていて、上位の男妓以外はここで支度をするのだ。
春嵐の手際は素晴らしく、いつもよりも短時間であっという間に美しく仕上げてもらった。他の人も上手いが、この人は段違いだ。元の世界ならテレビでもてはやされるに違いない。化粧品をプロデュースしたり、通販番組で爆売りしたりもできそうだ。
「さあ、できたわ! 自分でもほんとうっとりする仕上がりね!」
はあ、とため息をつきつつ言う。その時ふと思いついた。この人は「紅梅」について何か知っていないだろうか。
「……僕、紅梅って男妓に憧れてるんですけど。なれますかね?」
いやふつうに無理だろ、と思いつつ、とっさに紅梅につなげられる会話がみつからず言ってみた。すると春嵐は一瞬固まって、「うーん、そうねえ」とじっと鏡越しに俺を見た。
「……まだ子供だけど、あと2,3年すればいけるかもね!」
えっ、いけるの!? 自分で言っておきながら驚いてしまう。
「……でも、紅梅って伝説の男妓なんですよね?」
「そうよー、だから内面は相当頑張らないと無理! でも外見は、あんたならいけるかもよ。……って言ってもあたしも絵しか見てないんだけどねー」
笑いを含んだ声がする。
「絵があるんですか?」
聞いてみた。すると「うん」と首を縦に振る。
「この店に古い姿絵があるわよ。色が褪せるから、日頃は仕舞っていると思うけど」
「……いいなあ、春嵐さんは見たことあるんですね~」
言ってみると、春嵐はうん、と頷いた。
「あたしがあんたくらいの頃ね、公開されたことがあるのよ。それであたしも初めて見たの。綺麗な人だったわね」
「公開? そんな機会があったんですか?」
……御開帳みたいなものだろうか。すると春嵐はくちびるに人差し指をあてて、こてんと大げさに首を傾げた。
「花祭りのためよ。あのころは盛大だったから。伝説の「紅梅」の絵を公開して、模写も作って売ろうとしてたみたい。結局……売られなかったけどね」
「それはどうして?」
「大禍のせいよ。丁度花祭りの初日に事件が起こったの。あたしは……たまたま外出してて、助かったの……」
春嵐の華やかな美貌に影が落ちる。ごくりと喉が鳴るのが見えた。きっと恐ろしい記憶なのだろう。
「……ごめんなさい」
思わず謝った。すると春嵐はちょんと俺の額をつついた。
「ばーか。何で謝るのよ。……さ! とにかく今日も頑張って。紅梅への道は遠いわよ!」
ばしっと肩を叩かれる。秋櫻とは違って本気の気合注入だ。思わずぐっと声が出た。
「なによ失礼ね、そんなに力込めてないわよ!」
ぷんぷんと怒る春嵐に、俺は慌てて謝ったのだった。
夜のお務めのことを考えて、またちょっと気が重くなる。部屋に戻り扉を閉めると、秋櫻が円座から立ち上がって俺を見上げた。
「ねえねえ、お風呂行こうよ!」
明るい秋櫻の顔を見るとほっとする。うん、と頷くと、秋櫻は笑って「桶出すね~」と棚を開けた。お風呂セットを俺に渡しながら、気づかわしげに俺を見る。
「……雪柳、どうかした? なんかしょげてる?」
「ん……」
秋櫻は俺の心情を推し量るのが美味い。すぐに気づいて気遣ってくれる。
「ありがと。……洸さんに、指名されたんだ」
「えっ……」
秋櫻は驚いたように目を見開いた。
「鈴蘭兄さんの代わりに、ってこと?」
うん、とうなずく。秋櫻はすこし困ったように眉を寄せた。
「……孵化もまだなのにね……」
「うん。だから、修練始めるかも、だって」
「……そう」
秋櫻は俺の肩を抱き寄せた。
「ゆっくり、がんばろうね。君が指名されたのは、本当にすごいことなんだから」
「うん……」
秋櫻の肩に顎を置いて、抱きしめ返す。すると秋櫻は頷いて、俺の肩をぱん、と叩いた。
「……でも、鈴蘭兄さんにとっては、愉快な話じゃないからね。しょげるのは、僕の前だけにしなよね?」
その言葉にはっとした。正直、そこまで頭が回っていなかった。
「ありがとう。気を付ける」
「よし! じゃ、お風呂に行こうか。とりあえず今は、心配なことは洗い流しちゃおう」
秋櫻の笑顔に不安はまたどこかにいって。俺は笑って頷いた。
そして慌ただしく日々が過ぎて、気づけば程将軍が訪れる日になった。夕方、化粧のために支度部屋にスタンバイしていると、勢いよく扉が開いた。
「ああ~忙しい忙しい! ほら、あんた早く支度するわよ!」
聞こえた声に背筋が震えた。春嵐兄さんだ! やっべええ!! 皐月と入れ替わるとき、彼にだけは顔を見られている。その後会っていないので、彼は俺を皐月だと思い込んでいるはずだ。
「はいはい! 早くこっち向きなさいね。あたしの時間は貴重なのよ」
はきはきと快活な声。俺はなすすべもなく目をぎゅっとつぶった。そんなことをしてもどうなるわけでもないが。肩をすくめて固まっていると、顎を掴まれぐいと顔を向けさせられた。ゴージャスなハーフアップのヘアスタイルに、アイラインがばっちりひかれた目と目が合う。
「あらあ、皐月ちゃんじゃない。あたし今日別の子だって聞いたんだけど? 雪柳って子」
「あっ! えっと……」
なんとか言い逃れしなくては!と思って必死で言い募る。
「あの! 雪柳の体調が悪くなっちゃって、僕が代役になったんです! これは鶴天佑さんもご存知のことなので大丈夫です!」
「あらそう?」
首を傾げ、じっと俺を見る。
「……まあでも、そんなウソついてもあんたに何の得もないもんね。わかったわ。あたしの時間は有限だから、さっさとやりましょ」
そう言って支度部屋の鏡台に顔を向かせられる。支度部屋には化粧やヘアセットに必要なものが置かれていて、上位の男妓以外はここで支度をするのだ。
春嵐の手際は素晴らしく、いつもよりも短時間であっという間に美しく仕上げてもらった。他の人も上手いが、この人は段違いだ。元の世界ならテレビでもてはやされるに違いない。化粧品をプロデュースしたり、通販番組で爆売りしたりもできそうだ。
「さあ、できたわ! 自分でもほんとうっとりする仕上がりね!」
はあ、とため息をつきつつ言う。その時ふと思いついた。この人は「紅梅」について何か知っていないだろうか。
「……僕、紅梅って男妓に憧れてるんですけど。なれますかね?」
いやふつうに無理だろ、と思いつつ、とっさに紅梅につなげられる会話がみつからず言ってみた。すると春嵐は一瞬固まって、「うーん、そうねえ」とじっと鏡越しに俺を見た。
「……まだ子供だけど、あと2,3年すればいけるかもね!」
えっ、いけるの!? 自分で言っておきながら驚いてしまう。
「……でも、紅梅って伝説の男妓なんですよね?」
「そうよー、だから内面は相当頑張らないと無理! でも外見は、あんたならいけるかもよ。……って言ってもあたしも絵しか見てないんだけどねー」
笑いを含んだ声がする。
「絵があるんですか?」
聞いてみた。すると「うん」と首を縦に振る。
「この店に古い姿絵があるわよ。色が褪せるから、日頃は仕舞っていると思うけど」
「……いいなあ、春嵐さんは見たことあるんですね~」
言ってみると、春嵐はうん、と頷いた。
「あたしがあんたくらいの頃ね、公開されたことがあるのよ。それであたしも初めて見たの。綺麗な人だったわね」
「公開? そんな機会があったんですか?」
……御開帳みたいなものだろうか。すると春嵐はくちびるに人差し指をあてて、こてんと大げさに首を傾げた。
「花祭りのためよ。あのころは盛大だったから。伝説の「紅梅」の絵を公開して、模写も作って売ろうとしてたみたい。結局……売られなかったけどね」
「それはどうして?」
「大禍のせいよ。丁度花祭りの初日に事件が起こったの。あたしは……たまたま外出してて、助かったの……」
春嵐の華やかな美貌に影が落ちる。ごくりと喉が鳴るのが見えた。きっと恐ろしい記憶なのだろう。
「……ごめんなさい」
思わず謝った。すると春嵐はちょんと俺の額をつついた。
「ばーか。何で謝るのよ。……さ! とにかく今日も頑張って。紅梅への道は遠いわよ!」
ばしっと肩を叩かれる。秋櫻とは違って本気の気合注入だ。思わずぐっと声が出た。
「なによ失礼ね、そんなに力込めてないわよ!」
ぷんぷんと怒る春嵐に、俺は慌てて謝ったのだった。
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