5 / 61
本編
凍りつく夕炎㈠
しおりを挟む
「ニニギ様、ニニギ様」
軽やかな旋律が、まだらに夕照の降り注ぐ木陰を流る。
新たにあつらえた紅の衣にはどうも慣れず、気を抜けば裾を踏んでしまいそうになる。
それでも躍る胸を抑えられず、浮き足だった脚で駆けるのを止められない。
「ニニギ様! こちらにいらしたのですね」
想い焦がれた相手は、やはり邸近くの森を散策していた。
高千穂の地、自分の庭も同然のこの森で彼の神気を探り当てることなど、造作もない。
花でも摘んでいたのだろうか。膝を折っていたそのひとは、自分の喚び掛けに身じろぐ。
彼女の長い射干玉の髪は美しくてとても好きだけれど、背中をすっぽりと覆ったそれがいまはひどく恨めしい。
隠さないで。早く見せて。そのかんばせを。
「……どちらさまですか?」
そよ風とともに振り向いた想いびとの言の葉に、びくり、と肩が跳ねる。
寂しく思った。そして仕様がないか、とも。
「大変失礼いたしました。突然こんな姿でお目にかかっては、驚かれてしまいますよね」
非礼を詫びたあとは、行儀よく手と手をそろえ、ふわりと花の頬笑みをほころばせる。
「わたくしです。イワナガヒメでございます」
するとどうだろう。自分を映した琥珀の双眸が、にわかに見開かれる。
とっておきのいたずらを成功させたように嬉しくなって、翠の髪をなびかせながら、無邪気に駆け寄った。
「ニニギ様……嗚呼、夢みたい。貴女様の御背中に、腕を回せる日が来るなんて」
「……ヒメ、あなたなの?」
「はい、ニニギ様のヒメです。貴女様の為だけを想って、わたし、がんばったんですよ」
こうしてぬくもりを感じていると、あぁ駄目だ、たまらなくなって頬をすり寄せてしまう。これでは猫ではないか。
この身体はもう、童ではないというのに。
「また無茶を……」
「とんでもございません! 偶然見つけた妖に、余分な神気を与えただけです。なにも不都合はありません。むしろ、好都合です。あの身体では、貴女様を満足に抱きしめることもできませんでしたもの」
鈴のようだわ、もっと鳴らして頂戴と、彼女が好いた声は、ひと回り低い旋律しか紡げなくなった。
しかしながら、彼女を見つめる視界は、うんと高くなった。
このときを、どれほど待ち焦がれていたことか。
「家事も、教養も、剣も、一生懸命学びました。貴女様の伴侶と名乗るにふさわしい身体も手に入れました。ですから、わたしを片時も離さず、おそばに侍らせてくださいませね。ずっと、ずっと……」
自分が進んで永久を乞うとすれば、ただひとつのねがいのみ。それ以外はなにも要りはしないから。
「――イワナガヒメ」
うなずいてくれるはずだった。平生のようにあたたかく、頭をなでてくれながら。
だが耳に届いたのはやわらかな渾名ではなく、張り詰めた真名だ。
愛するひとの一挙手一投足は余すところなく目に焼きつけている自分も、このときだけは、彼女の表情をうかがうことができなかった。
「いい加減にして頂戴」
……ただ、凍えるほど美しいかんばせを隠した宵闇の向こうで、目を貫くような紅蓮の夕陽が燃え盛っていたことだけは、憶えている。
軽やかな旋律が、まだらに夕照の降り注ぐ木陰を流る。
新たにあつらえた紅の衣にはどうも慣れず、気を抜けば裾を踏んでしまいそうになる。
それでも躍る胸を抑えられず、浮き足だった脚で駆けるのを止められない。
「ニニギ様! こちらにいらしたのですね」
想い焦がれた相手は、やはり邸近くの森を散策していた。
高千穂の地、自分の庭も同然のこの森で彼の神気を探り当てることなど、造作もない。
花でも摘んでいたのだろうか。膝を折っていたそのひとは、自分の喚び掛けに身じろぐ。
彼女の長い射干玉の髪は美しくてとても好きだけれど、背中をすっぽりと覆ったそれがいまはひどく恨めしい。
隠さないで。早く見せて。そのかんばせを。
「……どちらさまですか?」
そよ風とともに振り向いた想いびとの言の葉に、びくり、と肩が跳ねる。
寂しく思った。そして仕様がないか、とも。
「大変失礼いたしました。突然こんな姿でお目にかかっては、驚かれてしまいますよね」
非礼を詫びたあとは、行儀よく手と手をそろえ、ふわりと花の頬笑みをほころばせる。
「わたくしです。イワナガヒメでございます」
するとどうだろう。自分を映した琥珀の双眸が、にわかに見開かれる。
とっておきのいたずらを成功させたように嬉しくなって、翠の髪をなびかせながら、無邪気に駆け寄った。
「ニニギ様……嗚呼、夢みたい。貴女様の御背中に、腕を回せる日が来るなんて」
「……ヒメ、あなたなの?」
「はい、ニニギ様のヒメです。貴女様の為だけを想って、わたし、がんばったんですよ」
こうしてぬくもりを感じていると、あぁ駄目だ、たまらなくなって頬をすり寄せてしまう。これでは猫ではないか。
この身体はもう、童ではないというのに。
「また無茶を……」
「とんでもございません! 偶然見つけた妖に、余分な神気を与えただけです。なにも不都合はありません。むしろ、好都合です。あの身体では、貴女様を満足に抱きしめることもできませんでしたもの」
鈴のようだわ、もっと鳴らして頂戴と、彼女が好いた声は、ひと回り低い旋律しか紡げなくなった。
しかしながら、彼女を見つめる視界は、うんと高くなった。
このときを、どれほど待ち焦がれていたことか。
「家事も、教養も、剣も、一生懸命学びました。貴女様の伴侶と名乗るにふさわしい身体も手に入れました。ですから、わたしを片時も離さず、おそばに侍らせてくださいませね。ずっと、ずっと……」
自分が進んで永久を乞うとすれば、ただひとつのねがいのみ。それ以外はなにも要りはしないから。
「――イワナガヒメ」
うなずいてくれるはずだった。平生のようにあたたかく、頭をなでてくれながら。
だが耳に届いたのはやわらかな渾名ではなく、張り詰めた真名だ。
愛するひとの一挙手一投足は余すところなく目に焼きつけている自分も、このときだけは、彼女の表情をうかがうことができなかった。
「いい加減にして頂戴」
……ただ、凍えるほど美しいかんばせを隠した宵闇の向こうで、目を貫くような紅蓮の夕陽が燃え盛っていたことだけは、憶えている。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
先生と生徒のいかがわしいシリーズ
夏緒
恋愛
①先生とイケナイ授業、する?
保健室の先生と男子生徒です。
②生徒会長さまの思惑
生徒会長と新任女性教師です。
③悪い先生だな、あんた
体育教師と男子生徒です。これはBLです。
どんな理由があろうが学校でいかがわしいことをしてはいけませんよ〜!
これ全部、やったらダメですからねっ!
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる