17 / 39
第十七話 父を知る人
しおりを挟むノウとバートンに哲学を教えていたという教授はその名をソンク・ニットというらしかった。ルーカスは広い研究室棟の中から「ソンク・ニット」と表札を掲げた部屋を見つけ出すと、恐る恐るノックした。
少しすると扉が開き、中から老人が顔を出した。
老人は髪が白くなったカントット人である。ルーカスが「ソンク・ニット教授ですか?」と尋ねると、彼は矍鑠とした様子で頷いた。
バートンからすでに連絡を受け取っているらしいソンク教授は「君がここの学生になるというなら、たとえ誰の息子であったとしても私は敬語を使わないけれども、それでよいのなら入りなさい」と切り出した。
ルーカスはもとよりそのつもりだったので、頷いた。
「はい。その、僕、そっちの方が、ありがたいです」
教授は扉を大きく開いた。彼の研究室は白を基調とした部屋である。壁の両側には天井にまで届く大きな本棚があり、真ん中には革張りのソファが2つ、木のテーブルをはさんで置いてあった。教授はルーカスに座るよう促した。
ルーカスが入り口側のソファに腰かけると、彼はぶつぶつとひとりごとのように話し始めた。
「ノウのことを聞きに来たのだったな……ああ、よく覚えている。少し病弱なきらいはあったが……優秀な学生だった……教え子の死はいつでも無念だ」
教授は、そう言いながらルーカスにお茶を出した。彼の声はしわがれ、手は木の幹のように硬く、ひび割れている。しかし、本棚に並んだ多くの本が彼の知的好奇心は老いていないことをさし示していた。
ルーカスは尋ねた。
「どうして父が大学を辞めたのか知っていますか?」
「さて。急なことだった、としか」
教授はルーカスの前に座ると、目を細めて話し出す。
「もうそれは、それは、驚いたよ。何か悪いことに巻き込まれたんじゃないかと……慌ててノウくんの実家に手紙を書いたよ。当時はね、連絡する手段というのがそんなにある時代ではなかったし。返事は来なかったね」
ルーカスは落胆する。
しかし、訊きたいことの本命はそれではない。
気を取り直して質問をする。
「あの……バートンさんと、父は……教授から見て……どのような関係に見えましたか? その、恋人に、見えましたか?」
勇気を出してルーカスが尋ねると、教授は少しだけ首を傾げた。
「なぜ私にその質問を?」
「あ……えっと、その……」
ルーカスはうまく説明できない。自分がバートンの子ではない可能性を探っているのだ、とは言いにくい。
「まあ、いいだろう。2人は、仲は悪くなかったよ。あるときから急に隣に座って講義を受けるようになってね。ノウがΩであることを隠していなかったら、恋人だと思ったかもしれない」
沈黙が落ちた。
教授は湯呑を二度すすった。
研究棟の外では講義開始を告げる鐘が鳴った。
ルーカスは膝の上で左手の甲に爪を立てた。ルーカスが望んだ回答ではなかった。
――そっかぁ……。
ルーカスの心に失望に似た感情が広がる。いや、実際に自分がバートンの息子であるなら、喜ぶべきだろう。金に、名誉に、権力。バートンはすべてを持っている。そんな男のひとり息子。栄誉なことだろう。
しかし、ルーカスは落胆していた。
脳裏には美しいバートンの横顔が浮かんだ。彼がルーカスを抱き上げてくれた時の匂い、柔らかな笑み。
ルーカスは胸が苦しくなった。
ルーカスの心を知らないソンク教授はゆっくりと話し始めた。
「……バートンくん……ああ、いまはバートン総司令官か。彼がこの春にやって来たときも驚いたよ。まさか総司令官になって戻って来るとはねぇ。しかも、ノウくんを探していると言うじゃないか。……私がノウくんがマイトレの近くの村に住んでいると教えてあげたんだよ。そして君の存在も伝えたら、司令官が「私の子だ」なんておっしゃるもんだから、また驚いたよ。……まさか総司令官の子だとは……」
教授の回顧を聞いて、ルーカスは目を丸くした。
「僕のことを知っていたんですか?」
「ファンくんから聞いていたからね」
「ファン?」
「ファン・リーくん」
ファン・リー。ルーカスはその名前を舌の上で転がした。ルーカスはその名前を知っているような気がした。ルーカスがそれを思い出すのを待たず、教授は話し続けた。
「ファンくんはノウくんと総司令官の同級生だ。彼がね、終戦後に私に手紙をよこしたんだ。これから大変な時代になるから、ノウくんに短剣をくれてやってくれと」
「短剣?」
「うん。ほら、これ」
そう言って、教授は木箱を取り出した。
年季の入った箱をあけると、中から黒い短剣が出てきた。
教授がその短剣の柄の金色を見せて説明する。
「ファンくんから預かったんだ。ノウくんに、と。売ればそこそこの金になる。送ってやりたかったが、郵便は混乱していたし、それに……これを持っていることが君にとっていいことかどうかわからなくて……遅くなってしまった」
ルーカスはじっとその短剣を見た。
柄は金色で、複雑な模様が彫られている。鞘には貝が人魚の形を模して象嵌されていた。装飾が多く、実用というよりも鑑賞を目的に作られた剣だ。
ルーカスは首を振った。
「これを貰う理由がわかりません。父は死んでしまいましたし」
「ファンくんはノウくんと君に、と言っていた。彼は君のことも気に掛けていたよ」
ルーカスはまた驚いた。
「気に掛ける……? 僕を?」
「ノウくんとファンくんは親しくしていたから、何かしら事情を知っていたのかもしれないね」
そう言われて、ようやくルーカスはその短剣を手に取った。短剣はずっしりと重い。
ファン・リー。
ルーカスはまたその名を舌の上で転がす。父と親しくしていて、事情を知っているかもしれない人物。
ルーカスは顔をあげた。
「その人はいまどこにいますか? 会いたいです」
ニット教授は眉根をきゅっと寄せて、声を落とした。
「なかなか難しい時代だから……会うのは難しい……」
「そうなんですか……」
ルーカスはそれ以上訊くことができなかった。終戦間もない今、出兵した兵士の復員もまだ終わっていない。人の所在を問うことの難しさをルーカスはよく知っていた。
教授はお茶をすすったあと、ソファに凭れて天井を見上げた。
「それにしても、ノウくんがΩか……」
Ω。その言葉に背中に冷たいものが走る。ルーカスはゆっくりと顔をあげ、教授を見て尋ねた。
「……劣等種だと、思いますか」
教授は首を振った。
「いやいや、そうは思わない。αβΩという第二の性の本質は優劣のためではないだろう」
「本質……?」
「ああ、そうだ。それはけっこういい教材だ。――『第二の性の本質は何なのか』それを哲学講義の君の試験問題にしよう」
ルーカスは彼の言う意味がよくわからなかった。ただ、何か大切なことを言われた気がした。ルーカスはただ善良な学生らしく頷いた。
「……はい」
20
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ドジで惨殺されそうな悪役の僕、平穏と領地を守ろうとしたら暴虐だったはずの領主様に迫られている気がする……僕がいらないなら詰め寄らないでくれ!
迷路を跳ぶ狐
BL
いつもドジで、今日もお仕えする領主様に怒鳴られていた僕。自分が、ゲームの世界に悪役として転生していることに気づいた。このままだと、この領地は惨事が起こる。けれど、選択肢を間違えば、領地は助かっても王国が潰れる。そんな未来が怖くて動き出した僕だけど、すでに領地も王城も策略だらけ。その上、冷酷だったはずの領主様は、やけに僕との距離が近くて……僕は平穏が欲しいだけなのに! 僕のこと、いらないんじゃなかったの!? 惨劇が怖いので先に城を守りましょう!
美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
「出来損ない」オメガと幼馴染の王弟アルファの、発情初夜
鳥羽ミワ
BL
ウィリアムは王族の傍系に当たる貴族の長男で、オメガ。発情期が二十歳を過ぎても来ないことから、家族からは「欠陥品」の烙印を押されている。
そんなウィリアムは、政略結婚の駒として国内の有力貴族へ嫁ぐことが決まっていた。しかしその予定が一転し、幼馴染で王弟であるセドリックとの結婚が決まる。
あれよあれよと結婚式当日になり、戸惑いながらも結婚を誓うウィリアムに、セドリックは優しいキスをして……。
そして迎えた初夜。わけもわからず悲しくなって泣くウィリアムを、セドリックはたくましい力で抱きしめる。
「お前がずっと、好きだ」
甘い言葉に、これまで熱を知らなかったウィリアムの身体が潤み、火照りはじめる。
※ムーンライトノベルズ、アルファポリス、pixivへ掲載しています
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
うそつきΩのとりかえ話譚
沖弉 えぬ
BL
療養を終えた王子が都に帰還するのに合わせて開催される「番候補戦」。王子は国の将来を担うのに相応しいアルファであり番といえば当然オメガであるが、貧乏一家の財政難を救うべく、18歳のトキはアルファでありながらオメガのフリをして王子の「番候補戦」に参加する事を決める。一方王子にはとある秘密があって……。雪の積もった日に出会った紅梅色の髪の青年と都で再会を果たしたトキは、彼の助けもあってオメガたちによる候補戦に身を投じる。
舞台は和風×中華風の国セイシンで織りなす、同い年の青年たちによる旅と恋の話です。
平民男子と騎士団長の行く末
きわ
BL
平民のエリオットは貴族で騎士団長でもあるジェラルドと体だけの関係を持っていた。
ある日ジェラルドの見合い話を聞き、彼のためにも離れたほうがいいと決意する。
好きだという気持ちを隠したまま。
過去の出来事から貴族などの権力者が実は嫌いなエリオットと、エリオットのことが好きすぎて表からでは分からないように手を回す隠れ執着ジェラルドのお話です。
第十一回BL大賞参加作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる