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息ができる。

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「麦茶飲むだろ?」
「あ、はい。いただきます」
「ん」

あずさ先輩が麦茶の入ったマグカップを二つテーブルに置いた。先輩のお家はマグカップで麦茶を飲むらしい。僕は先輩と同じクマさん模様のマグカップを見つめながら口をつける。

「美味しい!」
「大袈裟だな」

あずさ先輩がクマのマグカップで麦茶を飲む。僕がその様子をのぞき見していると、気づかれてしまった。先輩は苦笑いを浮かべながらマグカップを指で弾く。

「このマグカップは百均のやつ。婆ちゃんが可愛い柄ばっか買ってくるんだよ。俺の趣味じゃないからな、のぞみ‥くん」
「んぐっ」

思わず麦茶を吹き出しそうになった。あずさ先輩が僕の事を名前で呼んだ。『くん』付きだったけど。なんか、嬉しい。名前で呼ばれたの親以外では初めてかも。

「悪い。勝手に名前で呼んで。えーと、苗字は‥石川だったな」
「のぞみでいいです!その、のぞみがいいです」
「そうか?うーん。じゃあそうするか。あっそうだ。さっき足を蹴られてたけど大丈夫か?」
「ん?」
「青あざになってるかもな」

僕はズボンの裾を捲くりあげて確認した。確かに青あざになっていた。結構きつく蹴られたみたい。なんか、ショック。

「青あざはすぐには治らないから、親は心配するかもな」
「大丈夫。興味持たれてないから」
「えっ?」

あずさ先輩に聞き返されてしまったと思った。僕はズボンの裾を直すと雰囲気を変えるために、テーブルの駄菓子に視線を移した。

「駄菓子、食べてもいいですか?」
「ああ、いいぞ」

それからは、駄菓子を二人で黙々と食べた。いや、黙々でもないか。あずさ先輩と一つの駄菓子を分けて食べたり、妙に酸っぱいお菓子を食べて二人で顔を顰めて笑い合ったり。楽しい時間だった。

楽しい‥本当に楽しい時間。

「また、遊んでくれますか‥‥」
「え?」
「‥楽しくて」
「ああ、いいぞ。俺も楽しい」

僕は先輩の返事に心から笑った。なんだか、久しぶりに笑った気がする。

「えっ!ちょい、なんで泣くんだよ」
「‥うれ、嬉しいから」

泣くつもりなんていのに、涙が溢れてきた。あずさ先輩が僕の頭を撫でたので、余計に胸がぎゅってなった。

父さんの連れ子の僕は家では目立たないように過ごしてる。新しいお母さんは弟の世話でいっぱいいっぱいだから、迷惑をかけたくなくて。

違う。本当は怖いから。一度、弟をあやしてたらすごく泣き出して‥そしたら、お母さんが僕を怒鳴り押しのけて弟を抱きしめた。その時の顔が忘れられない。父さんはお母さんは育児で忙しいから面倒をかけるなと言うだけ。

だから、息を潜めて生きてる。

息ができる先輩との時間が嬉しくて、涙が止まらなくなってしまった。



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