今を春べと咲くや此の花 ~ 咲耶演武伝 ~

椎名 将也

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終章 闇の王

9.愛する者、愛される者

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瓊瓊杵ニニギの仇討ちには、こんなに深い意味があったんだ……!)

 二千年にも及ぶ咲耶の記憶すべてを、咲希は瞬時に共有した。その中で最も驚いたのは、咲耶と建御雷神の関係であった。咲耶が瓊瓊杵を愛していたことはたしかであったが、それ以上に建御雷神に深い想いを寄せていたことを、咲希は初めて知った。
 咲耶にとっては、瓊瓊杵の仇である夜叉ヤクシャの首を建御雷神の墓前に捧げることが、何よりも神聖な誓約うけひだったのだ。

(凄いッ……! 体中から凄まじい神気ちからが溢れ出ているッ!)
 咲耶との同化によって、かつて感じたことがないほど膨大な神気が全身を包み込んでいた。まるで、細胞のひとつひとつでさえも新しく生まれ変わったようだった。
『今のお前は、夜叉を遥かに超える神気を持っているはずじゃッ!』
(咲耶ッ……!)
 脳裏に響き渡る咲耶の声に、咲希は歓喜の表情を浮かべた。神気の一割は残すと言っていた通り、咲耶は消滅していなかった。

三種大雷さんじゅたいらいを使うぞッ! 一人では使えなかったが、今のお前なら必ず使えるはずじゃッ!)
 三種大雷というわざが、黄泉の国で大雷おおいかづちが最後に見せた究極の攻撃であることが咲希にも分かった。大雷はその術で、森一つを消し去って直径二キロメートルにも及ぶ巨大な陥没クレーターと化したのだ。

三種大祓さんじゅのおおはらい祝詞のりとは分かるな?』
(大丈夫ッ……!)
 咲耶の記憶を引き継いだ今、咲希の脳裏には様々な祝詞が刻み込まれていた。大きく頷くと、咲希は両手で握り締めた<咲耶刀>を真っ直ぐに天に向かって突き上げた。そして、目の前に立つ夜叉ヤクシャを見据えながら、凜と通る声で三種大祓の祝詞を詠み始めた。

吐菩加身依身多女とほかみゑみため寒言神尊利根陀見かんごんしんそんりこんだけん波羅伊玉伊喜余目出給はらひたまひきよめたまへ……!」
 咲希の全身が膨大な神気に包まれ、直視できないほどの光輝が<咲耶刀>に収斂しゅうれんしていった。次の瞬間、<咲耶刀>から超絶な閃光とともに光輝が奔流となって天に向かって迸った。天空に雷鳴が轟き渡り、無数の稲妻が周囲を席巻した。


(何だ、これはッ……!)
 両手に持った<黒牙刀>を右上段に構えながら、夜叉ヤクシャは驚愕のあまり赤光を放つ瞳を大きく見開いた。
(どういうことだッ……?)
 目の前に立つ咲耶の様子が激変していた。その美しい容姿は変わらなかったが、中身はまるで別人のようだった。その神気が、直前とは比較にならないほどの質量を伴って夜叉を圧倒した。

(我の妖気を遥かに超えておる……?)
 咲耶の全身から天に向かって迸った光輝の奔流を見た瞬間、夜叉は生まれて初めての畏怖を感じた。
(我を超越する神気を咲耶が放つなど、どういうことだッ……?)
 二千年前の激闘も、現在の闘いも夜叉の能力は咲耶を凌駕していたはずだった。その優位が一瞬のうちに覆されたことに、夜叉の自尊心は激しく抵抗した。
(認めぬッ! 我を超える神気ちからなど、断じて認めぬッ……!)
 死を目前にした夜叉の脳裏に、五千年以上にも及ぶ壮絶な歴史が走馬灯のように蘇った。


 夜叉ヤクシャが生まれたのは、今から五千六百年も昔の古代メソポタミアであった。南メソポタミアでは紀元前二千九百年頃から、チグリス・ユーフラテス川の下流域にシュメール初期王朝時代と呼ばれる都市国家が勢力を拡大していた。
 その中でウルクは歴史上初めて文字記録が行われた地域であり、人類史上最初の都市化と国家形成の中心であった。夜叉はウルク第一王朝第五代の王として、「ギルガメッシュ」の名を与えられてこの世界に誕生した。

 ギルガメッシュは、ウルク第一王朝の伝説的な王ルガルバンダを父に、女神リマト・ニンスンを母に持ち、シュメールの最高神アヌ、主神エンリル、水と知恵の神エンキから知恵を授かった。その体は三分の二が神、三分の一が人間という半神半人であった。

 ギルガメシュは太陽神シャマシュから美しさを、気象神アダドから雄々しさを授かった。巨人フンババ征伐に向かう際には十五キロもある黄金の短剣や九十キロもの斧、更に巨大な弓を携え、三百キロの武装で身を固めた。また、天牛グガランナ退治では弓と二百十一キロの剣と二百十キロの斧を扱った。その剛腕と武器の扱いは並ぶ者がなく、掴み合いや殴り合いのような己の拳で戦う武勇にも優れていた。

 怪力無双で高い神性を宿しているにも拘わらず、ギルガメシュはその性格が極めて人間的であった。新婦に対しては新郎よりも先にその処女性を奪うなどの処女権を行使し、ギルガメシュは強き英雄であると同時に、暴君として民たちに怖れられていた。

 増長するギルガメシュを諌めるために天空神アヌは、彼と同等の力を持つエンキドゥを作るよう命じた。星の落ちる予知夢を見たギルガメシュが、神聖な結婚式に出席するため神殿に入ろうとしたとき、エンキドゥが挑むように立ち塞がった。神々の思惑通りにギルガメシュとエンキドゥは激しい戦いを繰り広げたが、エンキドゥとは死力を尽くした熱戦の末に決着がつかず、互いの力を認め合って無二の親友となった。それからはエンキドゥとすべての行動をともにし、その王政も穏やかになって、ギルガメシュは民から愛される王となった。

 だが、エンキドゥの死によって、ギルガメシュはその狂気と残忍さを取り戻した。愛する友を奪った「死」に直面することで、その恐怖にとらわれたギルガメシュは自らが死を支配する『闇の王』へと覚醒したのである。処女の血を啜り、子供の肉を喰らうことによって、ギルガメシュはその神性を妖性へと昇華させていった。ここに世界で最初の吸血鬼である『夜叉ヤクシャ』が誕生した。

 夜叉ヤクシャは不死の薬を求めて東方へと旅立った。そして、様々な国や都市で眷属を増やしながら、「長生不老の霊薬がある」という噂を信じて東方の三神山へと辿り着いた。東方の三神山とは渤海の先にある神仙が住むとされた島で、蓬莱ほうらい・方丈・瀛州えいしゅうと呼ばれた。これらの島々は、日本を指す呼称であった。

 八百万やおよろずの神々が知らしめす日本国において、高天原たかまがはらに近い日向国ヒムカのくにから遠く離れた武蔵国で、夜叉ヤクシャはその勢力を伸ばしていった。そして、その膨大な妖気によって、夜叉は周辺の妖魔をことごとく麾下に加えていった。高天原を支配する天照皇大御神の元に、武蔵国の青人草あおひとぐさ(民衆)の怨嗟の声が届くまでにはそれほど時間がかからなかった。

 天照は日向国ヒムカの国で葦原中国を治めていた瓊瓊杵尊ニニギのみことに、夜叉の討伐を命じた。だが、天照を始めとする天津神あまつかみの予想を超えて、夜叉の力は強大であった。千を超える討伐軍は夜叉の率いる妖魔の前に全滅し、瓊瓊杵もその凶刃に倒れたのである。夜叉は瓊瓊杵から三種の神器の一つである<草薙剣>を奪うと、その勢力をさらに伸ばしていった。そして、三大妖魔の一体に数えられ、『闇の王』の名の下に夜叉は葦原中国における最大の脅威となった。

 瓊瓊杵の妻である木花咲耶が厳しい修行の末に夜叉に挑んだことは、彼女の記憶を引き継いだ咲希が知るとおりであった。その壮絶な闘いは、お互いに瀕死の重傷を受けて引き分けに終わった。
 その夜叉が五千六百年にも及ぶ長い生の中で、初めて己の妖気を超える存在を眼にして激しい戦慄に慄えていた。目の前に立つ美しい少女の全身からは、超絶な神気が迸っていた。


(認めぬッ! 我を超える神気ちからなど、断じて認めぬッ……!)
 爛々と輝く赤光に凄まじい怒りの焔を映すと、夜叉は両手に握った<黒牙刀>を大上段に構えた。次の瞬間、夜叉の全身が膨大な真紅の妖気を噴出した。その火焔は大気を灼き焦がしながら高さ二十メートルを超える巨大な業火となって、大地を焦土と化しながら燃え上がった。

「ウォオオッ……!」
 凄絶な雄叫びとともに、夜叉が<黒牙刀>を一気に振り落とした。漆黒の刀身から真紅の妖気が超絶な灼熱の奔流となって、螺旋を描きながら目の前に立つ美少女に向かって凄まじい勢いで襲いかかった。その直径十メートルにも及ぶ灼熱の潮流は、大気を蒸発させ、大地を漆黒の灰燼に変えた。

『……ッ! 避けられぬッ! 薙ぎ払うのじゃッ!』
(分かったッ!)
 脳裏に響き渡る咲耶の叫びに、咲希は頭上に掲げていた咲耶刀を左腰だめに構え直した。
「ハァアアッ……!」
 裂帛の気合いとともに、咲希は全身の神気を乗せた居合抜きを放った。直視できないほどの光輝が三日月型の神刃しんじんとなって、火焔の奔流に向かって翔破した。

 ズッドーンッ……!

 大気を震撼させる轟音とともに、光輝の神刃が灼熱の潮流に激突した。次の瞬間、二つの超大な衝撃波がお互いの破壊力を相殺して、跡形もなく消滅した。凄絶な火焔の奔流を、超絶な光輝の神刃が対消滅させたのである。咲希が放った神刃は、夜叉の妖気とまったく同等の威力だったのだ。

「バ、バカな……? 対消滅だとッ……?」
 赤光に輝く瞳を驚愕に見開きながら、夜叉が茫然と呟いた。相手の攻撃を対消滅させるには、その破壊力と完全に同じ威力の攻撃を放たなければならなかった。その神技ともいえる神気のコントロールを、一瞬のうちに咲希は行ったのだ。

「二千年にも及ぶ咲耶の想い、受け取りなさいッ……!」
 咲希が再び<咲耶刀>を頭上に大きく掲げた。中断した三種大雷さんじゅたいらいの術を再び放つためであった。
吐菩加身依身多女とほかみゑみため寒言神尊利根陀見かんごんしんそんりこんだけん波羅伊玉伊喜余目出給はらひたまひきよめたまへ……!」
 三種大祓さんじゅのおおはらい祝詞のりとを、凜と通る声で咲希が詠み上げた。天空が黒雲に覆われ、無数の稲妻の閃光が走り、雷鳴が響き渡った。

「この我を退かせるとはッ……! 覚えておくがよい、木花咲耶ッ! 次はこうはいかぬッ!」
 凄まじい殺気を秘めた赤光の瞳で咲希を見据えながら、夜叉が叫んだ。圧倒的な不利を悟って、自らの結界の中に姿を隠そうとしたのだ。
「……ッ! 何故だッ……?」
 だが、驚愕のあまり、夜叉は赤光に輝く瞳を大きく見開いた。何かの力に阻害されて、結界が張れなかったのだ。

『この程度は力を貸したとしても、天照さまはお怒りになるまいッ……!』
 限りない懐かしさを秘めた声が、咲希の脳裏に響き渡った。その声を聞いた瞬間、咲希は言葉に言い表せない感動に、心が高揚して全身が震えた。

「将成……?」
 夜叉の背後に、一人の男が立っていた。短めの黒髪をワイルド・アップバンクにしている精悍な青年だった。だが、それは咲希がよく知る桐生将成とは似て非なる者であった。かつて眼にしたことがないほどの神々しい神気が、将成の全身を包み込んでいた。

『建御雷神……さま……?』
 信じがたい驚愕と、深い愛情に満ちた咲耶の声が、咲希の脳裏に響き渡った。
「建御雷神さま……?」
 黒曜石の瞳を大きく見開いて、咲希が将成の顔を見つめた。いや、将成であって将成でない者……神々しい輝きを放つ建御雷神の顔を見つめた。

「神守咲希だったな……? 咲耶をその身に宿す者よ……。夜叉の逃亡が私が防いでやろう。三種大雷を放つがよいッ!」
 限りない愛情を映した黒瞳で咲希を見つめながら、建御雷神が告げた。
「は、はいッ……!」
 その言葉に大きく頷くと、咲希は三度みたび、三種大雷の祝詞を唱え始めた。

吐菩加身依身多女とほかみゑみため寒言神尊利根陀見かんごんしんそんりこんだけん波羅伊玉伊喜余目出給はらひたまひきよめたまへ……!」
 三重に詠み上げた祝詞によって、天空の稲妻と雷鳴がその激しさを倍加させた。天空を埋め尽くす黒雲が、世界の終わりを告げるかの如く超絶な雷雲と化した。

「ま、待てッ……! や、やめろッ……! 建御雷神、我を解き放てッ……!」
 自分の妖気ちからを遥かに凌駕する建御雷神の神気に、夜叉が焦燥の声を上げた。赤光に輝くその瞳には、紛れもない恐怖が映っていた。
「わ、我を滅ぼすつもりかッ……? ま、待て、木花咲耶ッ……!」
 それは、五千六百年にも及ぶ長大な生の中で、夜叉が初めて感じる壮絶な戦慄であった。

「建御雷神さまッ……! 玉藻をお願いしますッ!」
 建御雷神の後方で、夜叉四天王の筆頭である無名ムナの結界内にいる玉藻の姿を見つめながら咲希が叫んだ。三種大雷さんじゅたいらいの壮絶な破壊力は、直径二キロメートルにも及ぶ大地を巨大なクレーターと化す。建御雷神本人はともかく、無名の結界など間違いなく消滅させてしまう。

「心得たッ! 九尾狐クミホは我が護る故、二千年に及ぶ咲耶の想いを放つがよいッ!」
「はいッ……! 三種大雷ッ……!」
 頭上に掲げた<咲耶刀>を、咲希はすべての神気とともに一気に振り落とした。その瞬間、凄まじい雷鳴とともに無数の稲妻が降りそそぎ、夜叉の全身を貫いた。

「ぎゃぁああッ……!」
 凄絶な断末魔の絶叫を上げて、夜叉の全身が超絶な雷光を受けて震撼した。救いを求めるように伸ばした右手が虚空を掴むと、夜叉はその全身を真っ黒に炭化させてドサリと大地に倒れ込んだ。
 巨大なクレーターの中心に向かって流れる風が、真っ黒に炭化した夜叉の体に吹き注ぎ、黒い霧を払うかのようにその灰燼を消失させていった。

 二千年にも及ぶ咲耶の復讐が、今ここに有終の美を飾った。
 約束どおり、玉藻は建御雷神の結界によって護られていた。当然ながら、三種大雷の超絶は破壊力によって、無名は結界ごと消滅していた。


「建御雷神さま……」
 右手に構えた<咲耶刀>を消滅させると、咲希は将成の体を借りている建御雷神を見つめた。咲希の中で、咲耶は言葉に言い表せないほどの驚愕と感動に慄えていた。
『建御雷神……さま……』
(咲耶……、あたしと代わることはできないの?)
『無理じゃ……。神気が少なすぎて、意識を引き上げることはもうできぬ……』
 二千年ぶりに再会した最愛の男性を前に、悲しみに満ちた咲耶の声が脳裏に響いた。それを感じ取ったのか、建御雷神がゆっくりと近づいてきた。

「咲耶と同化したようだな、神守咲希……。だが、咲耶の神気は完全に消えておらぬ。私の声は咲耶に届いておるか?」
「はい……。聞こえているはずです……」
 建御雷神の言葉に頷きながら、咲希が答えた。
(聞こえているよね、咲耶……?)
『大丈夫じゃ……』

「そうか……。久しぶりだな、咲耶……。私は昇天の儀に入る前に、誓約うけひを立てた」
「誓約……?」
『……』
 その誓約が何なのか、咲希には予想が付いた。そして、その予想を裏切らない言葉を、建御雷神が告げた。

「咲耶……、私はお前を愛したことを、昇天しても絶対に忘れぬと誓った。だから、私の中では今も変わらずに、お前は私の妻だ……」
「……!」
『建御雷神……さま……ッ!』
 感激のあまり、咲耶が言葉を詰まらせた。本来であれば、昇天すれば現世での愛欲から解放されるのであった。建御雷神が咲耶に対する愛情を今も持ち続けていることは、奇跡と言っても過言ではなかった。

「咲耶、私は一つだけお前に詫びねばならぬ。お前を護るためとはいえ、何も告げずに生前昇天を選んだことは悪かった……。許せ……」
 建御雷神が咲希に頭を下げた。いや、咲希の中にいる咲耶に対して、深く謝罪してきたのだ。
『咲希……、の言葉を伝えてくれ……』
(分かった……。何て言えばいいの……?)
 建御雷神に対する愛情を、どのような言葉で伝えるのかを咲希が訊ねた。

『許せるはずなどなかろうッ! このキンキン頭めッ! これからもずっと怨み続けてやるから、覚えておくがよいッ!』
(さ、咲耶……?)
 咲耶の言葉に驚愕して、咲希が黒曜石の瞳を大きく見開いた。
『今の言葉、一言一句間違えずに建御雷神に伝えるがよい……』
(いいの、咲耶……?)
『構わぬ……。よろしく頼む……』
 心の底から本気で、咲耶が頼んでいることが咲希には分かった。

「建御雷神さま……。咲耶から伝言があります……」
「伝言……。分かった、教えてくれ……」
 黒瞳に金色の輝きを映しながら、建御雷神が頷いた。咲希は大きく息を吸い込むと、よく通る声で咲耶の言葉を一気に告げた。

「許せるはずなどなかろうッ! このキンキン頭めッ! これからもずっと怨み続けてやるから、覚えておくがよいッ!」

「……ッ!」
 一瞬、驚いた表情を浮かべたが、次の瞬間には建御雷神は楽しそうに笑い出した。
「フッハッハハ……! そうか、ずっと私を怨み続けるか……。では、私はお前に謝り続けよう……。未来永劫、この世界が終わりを告げるまで、私はお前に謝罪をし続けよう……」
 それは紛れもなく咲耶に対する建御雷神の愛の言葉であった。建御雷神は咲耶の伝言に隠された真の意味を読み取り、その愛情に応えたのだ。

『ずっとに謝り続けるか……。当然じゃ……』
 泣き笑いをしながら告げた咲耶の心情が、痛いほど咲希に伝わってきた。彼女も建御雷神の言葉の本当の意味に気づき、嬉しさに涙を流しているようだった。不器用な言葉でお互いの気持ちを伝え合う二柱の神々を、咲希は優しい気持ちで見つめた。
(人間も神様も、相手を愛する気持ちに変わりはないんだ……)

「それでは、私はこれで失礼する。咲耶と会うのはこれが最期になるかも知れぬ。神守咲希、咲耶のことを頼むぞ……」
「待ってください、建御雷神さまッ!」
 将成の体から離れようとする建御雷神に向かって、咲希が叫んだ。
「今、貴方さまが祀られている神社はどこですかッ?」
 建御雷神ほどの神であれば、日本中の至る神社が主神として崇めているはずだった。それらの中で、建御雷神が本当にいる神社を咲希が訊ねた。

「私は、鹿島の地からこの葦原中国を見ている……」
「鹿島……、鹿島神宮ですねッ?」
 消え入りそうになる建御雷神の神意に向かって、咲希が叫んだ。建御雷神が頷いたように感じた。
「必ず、伺いますッ! 咲耶と一緒に、必ずッ……!」
 咲希の言葉に微笑を浮かべながら、建御雷神の神意が消えていった。その憑代となっていた将成が、グラリとよろけながら地面に倒れ込んだ。

「将成ッ……!」
 慌てて駆け寄ると、咲希は将成の体を支えながら抱きしめた。
「咲希……? ここは……?」
 茫然と黒瞳を見開きながら、将成が周囲を見渡した。ホテルで愛華を抱き締めてからの記憶がなかったのだ。気づいたら全裸のまま咲希に抱き支えられていたのである。

「俺は一体……? 何でこんなところに……?」
 周囲の惨状を見つめながら、将成が茫然として呟いた。夜叉の結界の中は、壮絶な闘いによって大地が抉られ、荒寥たる原野と化していた。
「将成ッ! 覚えていないのッ? あなたは、あたしの目の前で迦美羅カーミラを抱いたのよッ!」
 両手で将成の体を押しのけると、咲希が黒曜石の瞳に怒りを映しながら将成を睨みつけた。その凄まじい視線を受けて、将成がビクンと体を震わせた。

「迦美羅……? いや、俺は愛華ちゃんを……」
「迦美羅が、小鳥遊たかなしさんに化けていたのよッ! その迦美羅をあなたは何度も、あたしの前で抱いたのよッ! 忘れたとは言わせないわッ!」
 咲希の全身から神々しい神気が溢れ出た。その右手には、無意識に具現化させた<咲耶刀>が握られていた。

「咲希……、俺は……」
 蒼白な表情で額から冷や汗を流し、ガクガクと慄えながら将成が言い訳を探して口を開いた。その時、咲希の右後ろから凜とした声が響き渡った。
「その男は咲希を裏切りましたわ。斬り殺してさしあげなさいッ!」

「玉藻ッ……!」
 凌辱の痕も生々しい玉藻が、疲れ切った表情を浮かべて美しい裸身を晒していた。夜叉が消滅したため白い肢体を拘束していた妖糸は消えていたが、その跡にはくっきりと赤い血筋が刻まれていた。限界を超える官能地獄を受けて、その美貌は赤く紅潮しており、全身から濃厚な女の色香を撒き散らしていた。

「大丈夫、玉藻ッ……?」
 ふらつく足どりの玉藻を支えながら、咲希が心配そうに告げた。
「さすがに……きついですわ……。あれほどの凌辱を受けたのは……初めてですから……」
 グッタリと半身を咲希に預けながら、玉藻が辛そうに告げた。実際に手脚に力が入らずに、支えがないと崩れ落ちそうだった。

「咲希には悪いですが……わたくしはその男を許せません……。わたくしがこんな眼に遭ったのも……元を正せば、その男を助けに来たせいです。それにも拘わらず、自分は迦美羅を抱いて……咲希のことを裏切ったのです……。こんな状態でなければ……、わたくしの火焔で灼き殺してやりたいですわ……」
 星々の煌めきを映す黒瞳に激しい怒りを映しながら、玉藻が将成を睨みつけた。

「私も将成を許せないわッ! でも、そんなことよりも、今は玉藻の方が大事よッ! すごく弱っているのが、あたしにも分かるわ! すぐに、あたしの神気を吸ってッ!」
「ありがとう……ございます、咲希……。とにかく……ここから出たいですわ……。この結界には、夜叉の妖気がまだ残っていて……わたくしの恢復を妨げています……」
「分かったッ! ちょっと待ってて……!」
 玉藻の言葉に頷くと、咲希は右手に持った<咲耶刀>を高く掲げた。

「ハッ……!」
 裂帛の気合いとともに<咲耶刀>を斬り落とすと、パリンッという音が響いて夜叉の結界が破壊された。次の瞬間、周囲の情景が一変し、咲希たちはホテルの一室に立っていた。
「とにかく、ベッドに横になって……」
 <咲耶刀>を消滅させると、咲希は玉藻の体を抱えながらベッドの上に横たえた。白いシーツの上で横たわる全裸の美女を見て、将成がゴクリと生唾を飲み込んだ。無意識に股間の逸物が硬さを増し、ムクムクと天に向かって聳え立った。

「信じられないッ! こんな時に、何を考えてるのッ?」
 将成のが硬く勃起していることに気づくと、咲希が顔を赤らめて叫んだ。弱り切った親友の姿に欲情する神経が、咲希には理解できなかった。
「い、いや……これは……」
 羞恥と怒りの視線で睨みつけられ、将成は慌てて両手で股間を隠した。健全な男であればやむを得ない生理現象だったが、そんな言い訳が通じるはずもなかった。

「すぐに服を着て、出て行ってッ!」
 玉藻の裸身をダウンケットで隠しながら、咲希が鋭い視線で将成を見据えて叫んだ。自分を裏切って他の女カーミラを抱き、今も別の女たまもに欲情している将成に、咲希は激しい怒りと嫌悪を感じていた。
(将成がこんな男だとは思わなかったッ! 絶対に許せないッ!)
 これ以上同じ部屋の空気を吸っていたら、咲希は<咲耶刀>で将成を斬り捨ててしまうかも知れなかった。

「待ってください、咲希……。よいことを思いつきましたわ……」
 疲れ切った美貌に凄惨な笑みを浮かべながら、玉藻が告げた。その星々の煌めきを映す黒瞳は、真っ直ぐに将成を見据えていた。
わたくしの口づけを受ける咲希の姿を、この男に見せつけてやりましょう……」
「た、玉藻ッ……!」
 玉藻の言葉に驚愕して、咲希はカアッと顔を真っ赤に染めた。淫魔である玉藻に神気を渡すには、口づけを交わすことが一番効果的であった。

(あんな恥ずかしい姿、将成に見られるなんて絶対に無理ッ……!)
 玉藻との口づけは、強力な媚薬のような快感を咲希にもたらすのだ。その凄まじい快感を我慢することなどできずに、咲希は何度も絶頂を極めさせられるのであった。
「玉藻、やめてッ! 将成はすぐに出て行ってッ!」
 羞恥に顔を赤らめながら、咲希が叫んだ。玉藻に愛されて我を失う姿だけは、絶対に将成に見られるわけには行かなかった。

「いいえ、出て行くことはわたくしが許しませんわッ! これがこの男に与えるわたくしの罰ですッ! 愛する咲希が私の手でどのように変わるのかを、しかとその目に焼き付けなさいッ!」
「た、玉藻……! お願い、それだけは許してッ……!」
 咲希が乱れる姿を将成に見せつけることで、二人の関係を将成に知らしめることが玉藻の目的であるようだった。それによって、咲希が何故玉藻から離れられずにいるのかを知らしめ、将成に咲希を諦めさせようと考えているのだと思った。

「咲希、わたくしはこの男のせいで、夜叉ヤクシャたちに凄まじい凌辱を受けました。淫魔であるわたくしが、気が狂うのではないかと思うほどのものでした。本来であれば、この男を殺しても飽き足りないくらいなのです。この程度で済ませることは、この男が咲希にとって大切な男だと知っているからです」
「玉藻……」
 そこまで言われると、それ以上咲希には言うべき言葉がなかった。将成に対する怒りと不信も手伝って、咲希は玉藻の言葉に頷いた。

「分かったわ、玉藻……。あたしが玉藻をどれだけ大切に想っているかを、将成に見せつけてあげるわ!」
 そう告げると、咲希は着ていた服を脱ぎ始めた。
「さ、咲希……?」
 その様子を見て、将成が驚愕に黒瞳を大きく見開いた。咲希が自分の目の前で玉藻と愛を交わそうとしていることが、将成にも分かったのだ。

 妖艶な真紅の下着だけを身につけた白い裸身を晒すと、咲希はダウンケットの中にその肢体を滑り込ませた。そして、玉藻の裸体に体を重ねながら、その魅惑的な唇で彼女の紅唇を塞いだ。

「咲希……」
 濃厚な口づけを交わし始めた二人の美女を見つめながら、将成が茫然として立ち竦んだ。最愛の女が自分以外の相手と愛を交わし始めたのだ。それも、その相手は三大妖魔の一人と言われた九尾狐クミホなのである。
 将成にとって、何よりも耐えがたい地獄の時間が今始まった。
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