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終章 闇の王
10.未来への約束
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「くッ……はッ……! あッ、だめッ……! もう、許してッ……! いやッ……あッ、あぁああッ……!」
後ろから左乳房を揉みしだかれ、ツンと突き勃った薄紅色の媚芯を激しく扱かれた。右脇の下から伸びた玉藻の右手が、柔らかい叢をかき分けて、剥き出しにされた真珠粒をコリコリと転がした。全身を襲う強烈な快感に、咲希は随喜の涙を流しながら哀願の言葉を告げた。
「はぁあッ……! だめッ、それぇえッ……! 感じすぎるッ! あッ、あッ……んくッ……!」
咲希の嬌声を遮るように、玉藻が熱い喘ぎを漏らす唇を塞いできた。ネットリと舌を絡まされ、濃厚な口づけを交わすと脳髄までもトロトロに蕩けていった。
(だめ、だめぇッ……! 気持ちいいッ! イッちゃうッ……! イクッ、イクぅうッ……!)
ビクンッビクンッと裸身を痙攣させ、歓悦の頂点を極めようとした瞬間に玉藻がすべての刺激を中断した。ネットリとした涎の糸を垂らしながら、咲希は恨めしそうな瞳で玉藻の貌を見つめた。
「どうしました、咲希……? そんなに物欲しそうな眼をして……? もしかして、彼氏の前で達したいのですか?」
ニヤリと微笑みを浮かべながら、玉藻が意地悪そうに訊ねた。絶頂を極める寸前で置き去りにされたのは、すでに三回目だった。自分の体がすでに限界であることは、咲希自身が誰よりも分かっていた。汗に塗れた乳房の中心には痛いほど媚芯が硬く突き勃ち、白い内股をびっしょりと濡らしている蜜液はシーツに淫らな染みを描いていた。
「違うッ……もう、やめてッ……! 妖気はもう……満ちたでしょ……? こんなこと続けられたら……頭がおかしくなっちゃう……!」
咲耶と同化したことにより、咲希の神気は今までの十倍以上になっていた。そのうちの一割程度を吸収して、玉藻はすでに妖気を完全に恢復していた。だが、玉藻は将成に見せつけるためだけに、咲希の性感を昂ぶらせ続けた。かつて焦らし責めを受けた時には咲耶が助けてくれたが、今は誰一人として咲希を救ってくれる者はいなかった。唯一手を差し伸べてくれそうな将成は、咲希の痴態に驚愕しながら股間を猛々しく勃起させていた。
「でも、ここも……こっちも、こんなにカチカチになっておりますわよ。達したいなら達したいと、イキたいならイカせて欲しいと正直におっしゃいなさい」
そう告げると、左胸の媚芯と敏感な真珠粒を同時に摘まみ上げて、玉藻が淫気を直接流し込んだ。
「ひぃいいッ……! だめぇえッ……! イクぅうッ……!」
ビックンッビックンッと激しく裸身を痙攣させると、咲希は秘唇からプシャアッと音を立てて蜜液を迸らせた。だが、絶頂を極める直前で、玉藻は再び両手を離した。
「はッ、はぁッ、はぁあッ……! お願い……もう、許して……」
官能に蕩けきった瞳で咲希が哀願の言葉を告げた。その全身は壮絶な快感の残滓にブルブルと震えていた。
「許して……? イカせての間違いではありませんか……?」
そう告げると、玉藻は再び両手に淫気を纏わせた。そして、先ほどよりも強く媚芯と真珠粒に淫気を流し込んだ。
「ひぃいいッ……! いやぁあッ……! イグぅうッ……!」
断末魔の絶叫を上げた唇から涎を垂れ流しながら、咲希は壮絶に裸身を痙攣させて絶頂への階段を駆け上った。しかし、その頂点を極める寸前で、再び玉藻が淫撃を中断した。
「あぁああッ……! お願い、玉藻……! もう……!」
「もう……何ですの? はっきりとおっしゃいなさい」
ニヤリと笑みを浮かべながら、玉藻が告げた。ゴクリと生唾を飲み込むと、官能に蕩けきった黒瞳で咲希が玉藻を見つめた。
「もう……イカせて……! 気が狂いそうなの……!」
ついに屈服の言葉を咲希が告げた。そして、カアッと顔を真っ赤に染めると、咲希は慌てて視線を逸らして俯いた。自分が告げた言葉を将成が聞いていたことに気づいたのだ。
「咲希……」
将成が茫然とした表情で咲希を見つめた。普段の凜々しさなど欠片もなく、狂おしいほどの愉悦を求める女の姿がそこにはあった。これほど淫らな咲希を見たのは、将成は初めてだった。
(咲希がこんなになるなんて……? この女は本当に淫魔なんだ……)
股間の男を限界まで屹立させながら、将成は玉藻の美しい貌を見据えた。その視線に気づくと、玉藻はニッコリと微笑みながら咲希に訊ねた。
「私が与える快感と、その男が与える快楽と、どちらを選びますか?」
「そんなこと……言えない……」
真っ赤に染まった顔を逸らしながら、咲希が呟くように小声で答えた。だが、問われなくても答えは決まっていた。淫魔である玉藻の淫撃は、人間である将成など比較にならないほど凄まじいものだった。
『淫魔に堕とされた者は、二度と元には戻れぬ』
以前に咲耶が告げた言葉が、快絶に蕩けきった咲希の脳裏に響き渡った。その言葉の意味を、咲希はその身を持って実感した。
(こんな凄い快感……逆らえるはずない……。イキたい……、イカせて欲しいッ! 気が狂うほど、滅茶苦茶にして欲しいッ……!)
真っ赤に染まった目尻から随喜の涙を流し、熱い喘ぎを漏らす唇からネットリとした涎の糸を垂らしながら咲希が哀願した。
「お願い……玉藻さま……。あたしをイカせて……ください……」
その言葉を耳にして、玉藻が満足そうな笑みを浮かべた。
(ついに、咲希を堕としましたわ。もう邪魔立てする咲耶もいませんし、これで咲希は完全に私の物ですわ……)
「では、望み通り、最高の快楽を貴女に与えましょう。心ゆくまで快絶を極めなさいッ……!」
玉藻の両手から、凄まじい淫気の妖炎が燃え上がった。そして、左手で咲希の左乳房を包み込み、右手を濡れた秘唇に充てがった。
「ひぃいいッ……!」
黒曜石の瞳を限界まで見開くと、ビックンッビックンッと凄絶に裸身を痙攣させて極致感を極めた。プシャアッという音を立てて秘唇から大量の蜜液が迸り、虚空に弧を描いて噴出した。
(こんなの、だめぇえッ……! 頭が灼けるッ……! 死ぬぅうッ……!)
かつてないほどの超絶な快感に、脳髄は灼き溶かされ、全身の細胞ひとつひとつまでもが灼熱に燃え上がった。イッたと思った次の瞬間には、更なる絶頂に襲われた。数え切れないほどの愉悦と壮絶な絶頂が続き、極致感の先にある究極の頂点を極め続けた。
(咲耶……たすけ……て……)
その思考を最後に、咲希はガックリと首を折って失神した。限界を遥かに超える快絶に、咲希はビクンッビックンッと痙攣を続けながらシーツの波間に沈み込んだ。真っ赤に染まった美貌は随喜の涙と涎とに塗れ、秘唇からは蜜液とともに黄金の水が溢れ出ていた。それは紛れもなく壮絶な官能の奔流に狂わされた女の悲しい末路に他ならなかった。
「咲希……」
あまりの衝撃に、将成は茫然と立ち竦んで咲希の惨状を見つめた。
「これで咲希は身も心も私の物になりましたわ。二度と私から離れられずに、貴方のことなど見向きもしなくなりましたわ」
満足そうな笑みを浮かべながら告げた玉藻の言葉に、将成は驚愕して眼を見開いた。
「バカなッ……! 咲希、しっかりしろッ……! 咲希ッ……!」
痙攣を続ける咲希に駆け寄ると、将成が力一杯白い裸身を揺さぶった。だが、咲希の意識は戻る気配さえなかった。
「無駄なことはお止しなさい。当分は目を覚ましませんわ。次は、貴方の番ですわ。今ならば、貴方を殺しても、咲希は文句を言いませんわ。私が受けた屈辱を、その身を持って償いなさいッ!」
そう告げると、玉藻は将成に向かって両手を突き出した。その両手の平から凄まじい妖気の炎が燃え上がり、壮絶な火焔の奔流となって将成に襲いかかった。
「くッ……!」
将成が無意識に両腕を顔の前に翳し、火焔の潮流を防ごうとした。だが、『火焔の女王』九尾狐の放った奔流を、そんなことで防げるはずもなかった。将成は固く眼を閉じて、押し寄せる灼熱の死を覚悟した。
だが、灼熱の熱波は届かず、死神の鎌は振り落とされる気配がなかった。恐る恐る眼を見開くと、そこには驚愕の情景が広がっていた。
(何だッ……? どういうことだッ……?)
将成の前に結界が張られ、玉藻が放った火焔の奔流が弾き返されていたのだ。
「咲希ッ……?」
驚愕の表情を浮かべると、玉藻は背後に横たわる咲希を振り向いた。そこにはベッドに両手を付いて、ガクガクと震えながら体を起こしている咲希の姿があった。
「玉藻……いや、九尾狐よ……」
その呼びかけで、玉藻は目の前にいる全裸の美少女の正体に気づいた。
「咲耶……? 何故、貴女が……? 咲希と同化したのではないのですか?」
「意識を失う寸前に、咲希が私に助けを求めたのじゃ……。だが、神気の九割を同化に使った私に、お主を止めることはできぬ……」
意味不明の言葉を、咲耶が告げた。
「では、この結界は……? 私の攻撃を易々と遮るこの結界は、貴女が張っているのではないのですか?」
「残念ながら、違うのう……。その結界から感じる神気は、私など足元にも及ばぬ……」
その言葉に、玉藻の顔色が変わった。将成の前に張られている結界の神気を感じ取り、それが誰のものであるのか気づいたのだ。
「まさか……? お、お許しをッ……!」
長い黒髪を舞い乱しながら、玉藻がその場に跪いて土下座をした。床に額を擦りつけ、ガクガクと震える玉藻を見下ろしながら、咲耶が告げた。
「お主は絶対に破ってはならぬ誓約を破った。二度と咲希に手を出さぬと誓った相手が、どなたであるか忘れたとは言わせぬ……」
咲耶の言葉も耳に入らないかのように、壮絶な恐怖に玉藻は全身を震撼させていた。将成はその様子をただ茫然として見つめていた。
『九尾狐よ……。素戔嗚の娘よ……』
超然たる畏怖を纏った神声が、咲耶と玉藻の脳裏に響き渡った。その声が持つ絶対的な神気は、咲耶と同化した咲希をも遥かに超えていた。
「あ、天照皇大御神さまッ……! ど、どうか、お許しをッ……!」
見ていることさえ気の毒なほど、玉藻は壮絶な恐怖にガクガクと全身を震わせながら額を床に擦りつけた。
『妾との誓約を破るとは、半妖風情がずいぶんと増長したものじゃ……。千年ほど、黄泉の国の無間地獄で暮らしてみるか……?』
黄泉の国の最奥にある八大地獄のうち、最下層にある地獄の名を天照が告げた。無間地獄は八大地獄の中でも桁外れであり、他の七地獄すら生ぬるく感じられるほどの責め苦を受け続ける地獄であるとされていた。
「ひぃッ……! お、お許しをッ……! 二度と咲希には手を出しませぬッ! どうか、ご慈悲をッ……!」
美しい貌を蒼白どころか土気色に変えて、玉藻が泣きながら天照に謝罪を続けた。その様子を遥か天空から見通しながら、天照が咲耶に訊ねた。
『木花咲耶よ……』
「はッ……!」
寝台から飛び降りると、咲耶が片膝をついて頭を垂れた。その全身が緊張のあまり強張って、背筋を冷たい汗が伝わった。
『妾との約束を果たしたのは、見事であった。じゃが、二千年もかかるとは思っていたよりも長かったのう……』
「も、申し訳ございません」
それ以外の言葉を、咲耶は持っていなかった。二千年の時が必要であったことを天照が不服に感じたならば、咲耶も玉藻と同様に罪に問われるのだ。
『まあ、よい……。先ほど、建御雷神から報告を受けた。よくやったと褒めて遣わす……』
「ありがたきお言葉ッ……! 感謝に堪えませぬッ!」
ホッと胸を撫で下ろすと、咲耶が深く頭を下げた。
『瓊瓊杵の仇を討った褒美として、九尾狐の処分をお前に決めさせてやろう。八大地獄のどれにするか、選ぶがよい……』
天照の言葉に、咲耶は助命を諦めた。天空を支配する絶対神が、すでに玉藻の有罪を確定しているのだ。それに逆らうことなど、咲耶にできるはずはなかった。
『お待ちください、天照さまッ……!』
その時、咲耶の意識の下から、咲希の叫び声が響き渡った。自分の審判に逆らうような咲希の言葉に、天照が不服そうに眉をしかめた。
『お前は咲耶の生まれ変わりじゃな……? たしか、神守咲希と申したか……?』
『は、はいッ……! 咲耶に代わって、あたしに玉藻の処分を決めさせてもらえませんか?』
咲希の言葉に、咲耶が驚愕した。同時に、慌てて咲希を叱りつけた。
「控えろ、咲希ッ……! 天照さまに直言するなど、恐れ多いも甚だしいぞッ!」
だが、咲耶の言葉を聞き流すと、咲希は真剣な口調で続けた。
『お願いします、天照さまッ……! 咲耶の力を借りたとはいえ、実際に夜叉を倒したのはこのあたしですッ! どうか、玉藻の処分をあたしに決めさせてくださいッ!』
「やめるんじゃ、咲希ッ! 控えろと言っておるのが分からぬのかッ!」
咲耶と同化したとはいえ、咲希は一人の人間に過ぎない。この世のすべてを支配する天照から見れば、塵芥のような存在だった。本来であれば、天照と言葉を交わすことさえ不可能なのである。
『面白い青人草(人間)じゃ……。さすが、木花咲耶の生まれ変わりだけある。よかろう……。夜叉を倒したことに免じて、お前の望みを叶えてやろう。九尾狐の処分はお前が決めるがいい……』
楽しそうな口調で、天照が告げた。どうやら、咲希の奔放さを天照が気に入ったようだった。
『ありがとうございます、天照さまッ……! 玉藻の処分は……』
そこで、咲希は一度言葉を途切れさせた。そして、隣でガクガクと震えている玉藻を見つめると、意を決したように凜とした声で告げた。
『玉藻の処分は、生涯を掛けてあたしの友となることッ……! これを玉藻の新たな誓約といたしますッ!』
「咲希ッ……!」
「咲希……?」
咲耶と玉藻が同時に咲希の名を叫んだ。驚愕したのは二人とも同じであったが、その思いは大きく隔たっていた。天照の意向に逆らった咲希に驚きの声を上げた咲耶に対して、玉藻は信じがたい表情を浮かべて咲希を見つめた。玉藻はたった今、咲希を淫欲の虜に堕とそうとしたのだ。それを怨むどころか以前と変わらずに友と呼んでくれたことに対して、玉藻は驚きと同時に感動すら覚えた。
『玉藻は昔、咲耶を助けてくれました。だから、今度はあたしが咲耶に代わって玉藻を助けたいんです……』
「咲希……」
咲希の顔を見つめている玉藻の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。だが、そんな理由で一度言い渡した処分を変えるほど、天照が甘くないことを咲耶は知っていた。
「天照さま……。九尾狐は天照さまとの誓約を破りました。このことは、万死に値致します」
『咲耶ッ……!』
あくまで天照の意向に沿って玉藻を処罰しようとする咲耶の意見に、咲希が反論しようとした。それを抑えるかのように、咲耶が続けた。
『しかし、二千年前の夜叉との闘いで、私が九尾狐に助けられたことは事実です。また、この度、九尾狐が咲希を手に入れようとしたことは、此奴が咲希を愛するが故のことです。よって、次に此奴が誓約を破った時には、私と咲希が責任を持って此奴を封印いたします。夜叉を倒したことに免じて、この願い叶えていただけませんでしょうか?』
長い漆黒の髪を揺らしながら、咲耶が深く頭を下げた。しばらくの間、天照は無言で咲耶を見据えた。
『建御雷神め……。こうなることを見越しておったようじゃな』
その言葉に、玉藻の処分を咲希に任せるように奏上したのが建御雷神であることを、咲耶は知った。
(さすが、建御雷神さまじゃ……。すべてお見通しであったか……)
『よかろう……。九尾狐の処分をお前たちに選ばせると告げたのは、妾じゃ……。お前たちが此度のことを不問にすると言うのであれば、それもよかろう。九尾狐よ……』
「は、はいッ……!」
突然、名前を呼ばれて、玉藻がビクンと裸身を震わせた。
『妾の前で、新たな誓約を立てよッ!』
「はいッ……!」
床に額を擦りつけながら、玉藻が新たな誓約を奏上し始めた。
「高天原に鎮まりまします天照皇大御神さま……。私、九尾狐はここに誓います。この生命を賭けて、神守咲希を生涯の友とすることを……。彼女に降りかかるすべての災いを、この身を盾にして防ぐことを誓いまする。この誓い破りし時は、我が生命を捧げ奉ります……」
誓いを終えると、玉藻は更に深く頭を下げた。それは単なる友人になることではなく、咲希のためにいつでも命を賭けるという戦友の誓いであった。
『その誓約、しかと聞き届けた。九尾狐よ、次に誓約を破りし時は、封印などと甘いことは許さぬッ! その場で妾がお前を無間地獄に送ってやる故、しかと胸に刻みつけよッ!』
「は、はいッ!」
ビクンッと全身を緊張させながら、玉藻が答えた。
『木花咲耶、神守咲希……』
「はッ……!」
『はいッ……!』
天照の呼びかけに、咲耶と咲希が同時に返事をした。
『九尾狐をしかと見張っておれ。此奴が誓約を破ったら、すぐに妾に知らせるがよい』
「かしこまりましたッ!」
『はいッ!』
二人の返事を聞くと、天照は満足そうな笑みを浮かべた。そして、咲希たちの脳裏から、天照の神々しい神気が急速に遠のき始めた。
『ありがとうございました、天照さまッ……!』
深く頭を下げ続けている咲耶の中から、嬉しそうに咲希が天照に礼を言った。その声が天照に届いたのか、咲希には分からなかった。すでに天照の神気は、完全に消滅していた。
「咲耶さま……、本当にありがとうございます」
緊張を解き放ってグッタリとした様子で、玉藻が咲耶を見つめながら礼を言った。九死に一生を得るとはまさにこのことであった。咲耶たちがいなければ、玉藻は間違いなく無間地獄に送られていたのだ。
「礼は咲希に言うがよい。残り少ない神気で出てくるのは辛くて敵わぬ。咲希、代わるぞ……」
そう告げると、咲耶は咲希と入れ替わって意識を沈めていった。それに代わって、咲希の意識が急速に浮上した。
「玉藻、よかったッ!」
嬉しそうな笑顔を浮かべると、咲希が玉藻に抱きついた。その体を愛おしそうに抱きしめながら、星々の煌めきを映す黒瞳に涙を浮かべて玉藻が告げた。
「咲希、本当にありがとうございます。どんなに感謝しても、したりませんわッ!」
「気にしないで、玉藻……。それより、またこれからよろしくね!」
そう告げると、咲希は玉藻の温もりが消えていないことを確かめるようにギュッと抱きついた。
「いったい、何だったんだ……今のは……?」
突然、背後から将成の声が聞こえた。天照の声が聞こえていなかった将成は、ただ茫然として成り行きを見守っていたのだった。
「咲希、この男、どうしますか? 天照さまに誓ったように、咲希の災いになるのであれば、私が取り除いてさしあげますわよ」
将成のせいで夜叉に凌辱されたことを、玉藻はまだ許していなかった。玉藻の両手に妖気が集まりだしたことに気づいて、咲希が顔を引き攣らせながら告げた。
「まあ、まあ……。将成が小鳥遊さんのつもりで迦美羅を抱いたことは許せないけど、命まで取ろうとは思っていないわ」
「でも、この男のせいで私は酷い目に遭いましたし、彼が咲希を裏切ったのは事実ですわ。このまま済ませるのでは、私の気が収まりません」
鋭い視線でジロリと将成を睨みながら、玉藻が告げた。
「そうね……。こうしましょうか……?」
ニッコリと笑顔を浮かべると、咲希は右手に<咲耶刀>を具現化させた。
「お、おい……咲希……。何を……?」
その様子を見て、将成がビクンッと体を震わせながら蒼白になった。<咲耶刀>で斬りつけられると思って、将成が後ずさった。だが、咲希は将成に背を向けると、<咲耶刀>を右中段に構えた。
「はッ……!」
短い気合いとともに、咲希が<咲耶刀>を縦横無尽に振った。その剣風を受けて、部屋の中に無数の布きれが舞い上がった。床に散乱していた将成の服を、一枚残らず咲希が細切れにしたのだ。
「その格好のまま、ここに置いていきましょう。どうやって帰るのか楽しみよね?」
下着まで切り刻まれ、将成は全裸のまま茫然とした表情で立ち尽くしていた。
「なるほど……。それは妙案ですわ。浮気をするような下司には、ちょうどいい罰ですわね」
「じゃあ、あたしたちは服を着て、さっさと帰りましょうか?」
「はい。そういたしましょう」
お互いに笑顔で笑い合うと、咲希たちは手早く衣服を身につけ始めた。その様子を見ていた将成が、顔を引き攣らせながら訊ねた。
「お、おい、咲希……。冗談だよな……?」
「冗談? あたし、本気だけど……。この程度で済ませてあげるんだから、感謝してよね?」
冷めた視線で将成を一瞥すると、咲希が冷徹に言い放った。その言葉を聞いて、将成が蒼白になった。
「さ、咲希……」
だが、咲希は無言で身支度を調えると、玉藻に向かって告げた。
「行きましょうか、玉藻……」
「はい。では、ご機嫌よう……」
二人は茫然と立ち竦む将成に手を振ると、ホテルの部屋から楽しそうに出て行った。後には途方に暮れる将成が一人残された。水嶋翔琉に電話を掛けて衣服を買ってきてもらうまで、将成は全裸のまま一人でホテルに三時間以上も取り残されたのだった。
茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮までは、三鷹のマンションから片道およそ四時間の道のりだった。二人乗りのため高速が使えずに、国道を走らざるを得なかったからである。直進安定性に優れるSTREET BOB 114とはいえ、往復八時間の運転はさすがに厳しい。咲希は玉藻と相談し、鹿島神宮から車で十分ほどの距離にあるホテルを予約した。
鹿島神宮は常陸国の一宮であり、香取神宮、息栖神社とともに東国三社の一社に数えられている。その祭神は建御雷神で、その佩刀である布都御魂が国宝として展示されていた。
咲希が鹿島神宮を訪れたのは、言うまでもなく建御雷神に会うためであった。
「本当にここに建御雷神さまがいらっしゃるのですか?」
大鳥居をくぐって本殿に続く参道を歩きながら、玉藻が首を傾げた。
「そう聞いたんだけど、それらしい神気を全然感じないわね……」
玉藻の言葉に、咲希も不安げに周囲を見渡した。常陸国の一宮だけあり雰囲気は厳かなのだが、建御雷神の神々しい神気はまったく感じないのだった。
「それに、あれ以来、咲耶の声が全然聞こえないんだけど、まさか消滅しちゃったんじゃないわよね?」
天照と会話をした時に、本来は表面に出て来れるはずがない咲耶と入れ替わったのだ。玉藻に堕とされそうになった咲希を護るために、無理をして咲耶が出て来てくれたことは間違いなかった。だから、それで一割だけ残した神気を使い切ってしまったのではないかと咲希は考えた。
「恐らくですが、咲耶さまが出て来られたのは、咲希が意識を失っていたからだと思いますわ。そして、残った自分の神気では私の火焔を防ぐことが無理だと知り、天照さまに助けを求めたのですわ。咲希と入れ替わって、天照さまを呼び出した……。それで少ない神気を使い切ったのだと思います。だから、今は神気を恢復するために眠られているはずです。同化によって消滅したわけではありませんわ」
現在の能力は咲希の方が上であるとはいえ、玉藻は三千年を生きる三大妖魔の一人だ。神気や妖気に関する知識は、咲希よりも詳しいのは当然であった。
「そうだといいんだけど……。あ、ここが本殿みたいね。行ってみようか?」
参道の右側にある本殿の前には、平日にも拘わらず大勢の人々が参拝をしていた。その後ろに並ぼうとした咲希を、玉藻が制した。
「ここには建御雷神さまはいらっしゃいませんわ。たぶん、こちらです……」
「え……? 建御雷神さまの神気を感じるの?」
本殿を素通りして更に参道を進み始めた玉藻に、咲希が驚いて訊ねた。
「分かりませんが、奥へ行くほど気が清浄になってるようです。つまり、強い神気がどこからか溢れているということですわ……」
「そうなんだ……。言われてみれば、奥の方が空気が澄んでいるような気がするわね……」
玉藻の言葉に頷くと、咲希は彼女に従って参道を進んでいった。本殿を過ぎると、石畳から土へと参道が変わった。土の参道に切り替わる入口に立て看板があり、この先に奥宮があることが案内されていた。
「今の本殿は、後から造られたんだ。昔は奥宮の場所が本殿だったみたいね」
看板に書かれている案内によると、以前は鹿島神宮の本殿が奥宮の場所にあったようだ。現在の本殿は、江戸初期に徳川家康によって増築されたものらしかった。建御雷神が祀られているとしたら、奥宮の可能性が大きかった。
初夏の緑が覆い茂る参道を進んでいくと、右手に奥宮が姿を現した。古い檜造りの社殿の横には立て看板があり、「祭神 武甕槌大神」と書かれていた。
「どう……? ここかな……?」
数人が参拝している奥宮の前で立ち止まり、咲希が玉藻に訊ねた。
「違いますわ……。もっと奥の方から神気を感じます。付いてきてください」
咲希の言葉に首を振ると、玉藻は奥宮の前を通り過ぎて参道を進み始めた。咲希には建御雷神の神気が感じられなかったが、玉藻を信じて後に続いた。
二叉に分かれた参道を右に進むと、突き当たりに小さな石碑があった。その石碑に一柱の武神の姿が刻まれていた。
「建御雷神さまの像ですわ……。ここから神気が溢れ出ています」
「これが、建御雷神さま……? 本殿でも奥宮でもなく、こんなところに……?」
玉藻の言葉に驚いて、咲希が意外そうな表情を浮かべた。高天原随一の武神である建御雷神にしては、ずいぶんとひっそりした場所に祀られていた。
建御雷神の石像を前にして、咲希は作法どおり二拝二拍手一拝をして両手を合わせた。
(建御雷神さま……。先日は夜叉討伐にお力を貸していただき、ありがとうございました。また、天照皇大御神さまへ奏上していただいたことも、本当に感謝致します……)
建御雷神が夜叉討伐の詳細を伝えておいてくれたことにより、天照は咲希の望みを叶えてくれたのだ。そのお陰で、玉藻の生命を救うことができたのだと咲希は考えていた。
(天照さまを呼び出したことで、咲耶は神気を使い果たしたみたいです。本当であれば咲耶も会いたがっていると思いますが、残念ながらまだあたしの中で眠っているみたいです……)
建御雷神の神気は感じられなかったが、この石像から神気が溢れているという玉藻の言葉を信じて、咲希は祈りを続けた。
(咲耶と建御雷神さまがお互いに愛し合っていたことを知り、最初は驚きました。でも、今はそのことに運命さえ感じます。建御雷神さまを守護神に持つ将成と、咲耶を守護神に持つあたしがめぐり逢い、愛し合ったのは二人の導きによるものに違いないんだって思っています。でも、その将成が浮気をしたことはまだ許せません……)
迦美羅が変装した小鳥遊愛華を、目の前で将成が抱いたことを咲希はいまだに許していなかった。
(建御雷神さまからも、二度と浮気しないように将成にきつく言っておいてください。それから、咲耶があたしと完全に同化するのが何年後か分かりませんが、その前にもう一度咲耶と会ってください。あたしには分かるんです……。咲耶が今でも建御雷神さまを深く愛していることが……)
咲希が鹿島神宮まで来た理由が、このことを建御雷神に伝えるためであった。二千年前に悲恋で終わった咲耶の愛を、建御雷神に受け止めて欲しかったのだ。
(昇天すると現世の欲から解き放たれると聞きました。でも、咲耶の愛情だけは絶対に忘れないでください。あたしはまだ建御雷神さまへの愛情を持っていません。つまり、残りの一割の神気と一緒に、建御雷神さまへの愛はまだ咲耶が持ち続けているはずなんです。咲耶にとって、建御雷神さまはそれほど大切な方なんだと思います。いつの日か、咲耶が目覚めたらもう一度会いに来ます。楽しみに待っていてください……)
願いを伝え終えると、咲希は深く建御雷神の石像に一礼した。そして、黒曜石の瞳を開いて、改めて建御雷神の姿を見つめた。
その時、石像が薄らと光ったような気がした。そして、紛れもない神気が咲希の中に流れ込んできた。
(建御雷神さま……?)
だが、建御雷神の応えはなかった。ただ、全身が暖まるような優しい神気を感じた。それが建御雷神の返事であることを、咲希は実感した。
『いつでも待っていると、咲耶に伝えるがよい……』
建御雷神がそう告げたように、咲希には思えた。咲希は大きく頷くと、横に立つ玉藻の貌を見つめた。そして、ニッコリと微笑みを浮かべながら玉藻に告げた。
「行こう、玉藻……」
「もう、いいんですの……?」
玉藻が意外そうな表情で咲希を見つめ返してきた。
「うん……。建御雷神さまと約束したの。咲耶が目覚めたら、もう一度会いに来るって……。その時には、また付き合ってね」
「もちろんですわ。私は、永遠に咲希の神友ですから……」
笑顔で答える玉藻を見つめて、咲希が微笑みを浮かべた。そして、建御雷神の石像を振り向くと、二人は肩を並べながら来た道を戻って行った。
<完>
後ろから左乳房を揉みしだかれ、ツンと突き勃った薄紅色の媚芯を激しく扱かれた。右脇の下から伸びた玉藻の右手が、柔らかい叢をかき分けて、剥き出しにされた真珠粒をコリコリと転がした。全身を襲う強烈な快感に、咲希は随喜の涙を流しながら哀願の言葉を告げた。
「はぁあッ……! だめッ、それぇえッ……! 感じすぎるッ! あッ、あッ……んくッ……!」
咲希の嬌声を遮るように、玉藻が熱い喘ぎを漏らす唇を塞いできた。ネットリと舌を絡まされ、濃厚な口づけを交わすと脳髄までもトロトロに蕩けていった。
(だめ、だめぇッ……! 気持ちいいッ! イッちゃうッ……! イクッ、イクぅうッ……!)
ビクンッビクンッと裸身を痙攣させ、歓悦の頂点を極めようとした瞬間に玉藻がすべての刺激を中断した。ネットリとした涎の糸を垂らしながら、咲希は恨めしそうな瞳で玉藻の貌を見つめた。
「どうしました、咲希……? そんなに物欲しそうな眼をして……? もしかして、彼氏の前で達したいのですか?」
ニヤリと微笑みを浮かべながら、玉藻が意地悪そうに訊ねた。絶頂を極める寸前で置き去りにされたのは、すでに三回目だった。自分の体がすでに限界であることは、咲希自身が誰よりも分かっていた。汗に塗れた乳房の中心には痛いほど媚芯が硬く突き勃ち、白い内股をびっしょりと濡らしている蜜液はシーツに淫らな染みを描いていた。
「違うッ……もう、やめてッ……! 妖気はもう……満ちたでしょ……? こんなこと続けられたら……頭がおかしくなっちゃう……!」
咲耶と同化したことにより、咲希の神気は今までの十倍以上になっていた。そのうちの一割程度を吸収して、玉藻はすでに妖気を完全に恢復していた。だが、玉藻は将成に見せつけるためだけに、咲希の性感を昂ぶらせ続けた。かつて焦らし責めを受けた時には咲耶が助けてくれたが、今は誰一人として咲希を救ってくれる者はいなかった。唯一手を差し伸べてくれそうな将成は、咲希の痴態に驚愕しながら股間を猛々しく勃起させていた。
「でも、ここも……こっちも、こんなにカチカチになっておりますわよ。達したいなら達したいと、イキたいならイカせて欲しいと正直におっしゃいなさい」
そう告げると、左胸の媚芯と敏感な真珠粒を同時に摘まみ上げて、玉藻が淫気を直接流し込んだ。
「ひぃいいッ……! だめぇえッ……! イクぅうッ……!」
ビックンッビックンッと激しく裸身を痙攣させると、咲希は秘唇からプシャアッと音を立てて蜜液を迸らせた。だが、絶頂を極める直前で、玉藻は再び両手を離した。
「はッ、はぁッ、はぁあッ……! お願い……もう、許して……」
官能に蕩けきった瞳で咲希が哀願の言葉を告げた。その全身は壮絶な快感の残滓にブルブルと震えていた。
「許して……? イカせての間違いではありませんか……?」
そう告げると、玉藻は再び両手に淫気を纏わせた。そして、先ほどよりも強く媚芯と真珠粒に淫気を流し込んだ。
「ひぃいいッ……! いやぁあッ……! イグぅうッ……!」
断末魔の絶叫を上げた唇から涎を垂れ流しながら、咲希は壮絶に裸身を痙攣させて絶頂への階段を駆け上った。しかし、その頂点を極める寸前で、再び玉藻が淫撃を中断した。
「あぁああッ……! お願い、玉藻……! もう……!」
「もう……何ですの? はっきりとおっしゃいなさい」
ニヤリと笑みを浮かべながら、玉藻が告げた。ゴクリと生唾を飲み込むと、官能に蕩けきった黒瞳で咲希が玉藻を見つめた。
「もう……イカせて……! 気が狂いそうなの……!」
ついに屈服の言葉を咲希が告げた。そして、カアッと顔を真っ赤に染めると、咲希は慌てて視線を逸らして俯いた。自分が告げた言葉を将成が聞いていたことに気づいたのだ。
「咲希……」
将成が茫然とした表情で咲希を見つめた。普段の凜々しさなど欠片もなく、狂おしいほどの愉悦を求める女の姿がそこにはあった。これほど淫らな咲希を見たのは、将成は初めてだった。
(咲希がこんなになるなんて……? この女は本当に淫魔なんだ……)
股間の男を限界まで屹立させながら、将成は玉藻の美しい貌を見据えた。その視線に気づくと、玉藻はニッコリと微笑みながら咲希に訊ねた。
「私が与える快感と、その男が与える快楽と、どちらを選びますか?」
「そんなこと……言えない……」
真っ赤に染まった顔を逸らしながら、咲希が呟くように小声で答えた。だが、問われなくても答えは決まっていた。淫魔である玉藻の淫撃は、人間である将成など比較にならないほど凄まじいものだった。
『淫魔に堕とされた者は、二度と元には戻れぬ』
以前に咲耶が告げた言葉が、快絶に蕩けきった咲希の脳裏に響き渡った。その言葉の意味を、咲希はその身を持って実感した。
(こんな凄い快感……逆らえるはずない……。イキたい……、イカせて欲しいッ! 気が狂うほど、滅茶苦茶にして欲しいッ……!)
真っ赤に染まった目尻から随喜の涙を流し、熱い喘ぎを漏らす唇からネットリとした涎の糸を垂らしながら咲希が哀願した。
「お願い……玉藻さま……。あたしをイカせて……ください……」
その言葉を耳にして、玉藻が満足そうな笑みを浮かべた。
(ついに、咲希を堕としましたわ。もう邪魔立てする咲耶もいませんし、これで咲希は完全に私の物ですわ……)
「では、望み通り、最高の快楽を貴女に与えましょう。心ゆくまで快絶を極めなさいッ……!」
玉藻の両手から、凄まじい淫気の妖炎が燃え上がった。そして、左手で咲希の左乳房を包み込み、右手を濡れた秘唇に充てがった。
「ひぃいいッ……!」
黒曜石の瞳を限界まで見開くと、ビックンッビックンッと凄絶に裸身を痙攣させて極致感を極めた。プシャアッという音を立てて秘唇から大量の蜜液が迸り、虚空に弧を描いて噴出した。
(こんなの、だめぇえッ……! 頭が灼けるッ……! 死ぬぅうッ……!)
かつてないほどの超絶な快感に、脳髄は灼き溶かされ、全身の細胞ひとつひとつまでもが灼熱に燃え上がった。イッたと思った次の瞬間には、更なる絶頂に襲われた。数え切れないほどの愉悦と壮絶な絶頂が続き、極致感の先にある究極の頂点を極め続けた。
(咲耶……たすけ……て……)
その思考を最後に、咲希はガックリと首を折って失神した。限界を遥かに超える快絶に、咲希はビクンッビックンッと痙攣を続けながらシーツの波間に沈み込んだ。真っ赤に染まった美貌は随喜の涙と涎とに塗れ、秘唇からは蜜液とともに黄金の水が溢れ出ていた。それは紛れもなく壮絶な官能の奔流に狂わされた女の悲しい末路に他ならなかった。
「咲希……」
あまりの衝撃に、将成は茫然と立ち竦んで咲希の惨状を見つめた。
「これで咲希は身も心も私の物になりましたわ。二度と私から離れられずに、貴方のことなど見向きもしなくなりましたわ」
満足そうな笑みを浮かべながら告げた玉藻の言葉に、将成は驚愕して眼を見開いた。
「バカなッ……! 咲希、しっかりしろッ……! 咲希ッ……!」
痙攣を続ける咲希に駆け寄ると、将成が力一杯白い裸身を揺さぶった。だが、咲希の意識は戻る気配さえなかった。
「無駄なことはお止しなさい。当分は目を覚ましませんわ。次は、貴方の番ですわ。今ならば、貴方を殺しても、咲希は文句を言いませんわ。私が受けた屈辱を、その身を持って償いなさいッ!」
そう告げると、玉藻は将成に向かって両手を突き出した。その両手の平から凄まじい妖気の炎が燃え上がり、壮絶な火焔の奔流となって将成に襲いかかった。
「くッ……!」
将成が無意識に両腕を顔の前に翳し、火焔の潮流を防ごうとした。だが、『火焔の女王』九尾狐の放った奔流を、そんなことで防げるはずもなかった。将成は固く眼を閉じて、押し寄せる灼熱の死を覚悟した。
だが、灼熱の熱波は届かず、死神の鎌は振り落とされる気配がなかった。恐る恐る眼を見開くと、そこには驚愕の情景が広がっていた。
(何だッ……? どういうことだッ……?)
将成の前に結界が張られ、玉藻が放った火焔の奔流が弾き返されていたのだ。
「咲希ッ……?」
驚愕の表情を浮かべると、玉藻は背後に横たわる咲希を振り向いた。そこにはベッドに両手を付いて、ガクガクと震えながら体を起こしている咲希の姿があった。
「玉藻……いや、九尾狐よ……」
その呼びかけで、玉藻は目の前にいる全裸の美少女の正体に気づいた。
「咲耶……? 何故、貴女が……? 咲希と同化したのではないのですか?」
「意識を失う寸前に、咲希が私に助けを求めたのじゃ……。だが、神気の九割を同化に使った私に、お主を止めることはできぬ……」
意味不明の言葉を、咲耶が告げた。
「では、この結界は……? 私の攻撃を易々と遮るこの結界は、貴女が張っているのではないのですか?」
「残念ながら、違うのう……。その結界から感じる神気は、私など足元にも及ばぬ……」
その言葉に、玉藻の顔色が変わった。将成の前に張られている結界の神気を感じ取り、それが誰のものであるのか気づいたのだ。
「まさか……? お、お許しをッ……!」
長い黒髪を舞い乱しながら、玉藻がその場に跪いて土下座をした。床に額を擦りつけ、ガクガクと震える玉藻を見下ろしながら、咲耶が告げた。
「お主は絶対に破ってはならぬ誓約を破った。二度と咲希に手を出さぬと誓った相手が、どなたであるか忘れたとは言わせぬ……」
咲耶の言葉も耳に入らないかのように、壮絶な恐怖に玉藻は全身を震撼させていた。将成はその様子をただ茫然として見つめていた。
『九尾狐よ……。素戔嗚の娘よ……』
超然たる畏怖を纏った神声が、咲耶と玉藻の脳裏に響き渡った。その声が持つ絶対的な神気は、咲耶と同化した咲希をも遥かに超えていた。
「あ、天照皇大御神さまッ……! ど、どうか、お許しをッ……!」
見ていることさえ気の毒なほど、玉藻は壮絶な恐怖にガクガクと全身を震わせながら額を床に擦りつけた。
『妾との誓約を破るとは、半妖風情がずいぶんと増長したものじゃ……。千年ほど、黄泉の国の無間地獄で暮らしてみるか……?』
黄泉の国の最奥にある八大地獄のうち、最下層にある地獄の名を天照が告げた。無間地獄は八大地獄の中でも桁外れであり、他の七地獄すら生ぬるく感じられるほどの責め苦を受け続ける地獄であるとされていた。
「ひぃッ……! お、お許しをッ……! 二度と咲希には手を出しませぬッ! どうか、ご慈悲をッ……!」
美しい貌を蒼白どころか土気色に変えて、玉藻が泣きながら天照に謝罪を続けた。その様子を遥か天空から見通しながら、天照が咲耶に訊ねた。
『木花咲耶よ……』
「はッ……!」
寝台から飛び降りると、咲耶が片膝をついて頭を垂れた。その全身が緊張のあまり強張って、背筋を冷たい汗が伝わった。
『妾との約束を果たしたのは、見事であった。じゃが、二千年もかかるとは思っていたよりも長かったのう……』
「も、申し訳ございません」
それ以外の言葉を、咲耶は持っていなかった。二千年の時が必要であったことを天照が不服に感じたならば、咲耶も玉藻と同様に罪に問われるのだ。
『まあ、よい……。先ほど、建御雷神から報告を受けた。よくやったと褒めて遣わす……』
「ありがたきお言葉ッ……! 感謝に堪えませぬッ!」
ホッと胸を撫で下ろすと、咲耶が深く頭を下げた。
『瓊瓊杵の仇を討った褒美として、九尾狐の処分をお前に決めさせてやろう。八大地獄のどれにするか、選ぶがよい……』
天照の言葉に、咲耶は助命を諦めた。天空を支配する絶対神が、すでに玉藻の有罪を確定しているのだ。それに逆らうことなど、咲耶にできるはずはなかった。
『お待ちください、天照さまッ……!』
その時、咲耶の意識の下から、咲希の叫び声が響き渡った。自分の審判に逆らうような咲希の言葉に、天照が不服そうに眉をしかめた。
『お前は咲耶の生まれ変わりじゃな……? たしか、神守咲希と申したか……?』
『は、はいッ……! 咲耶に代わって、あたしに玉藻の処分を決めさせてもらえませんか?』
咲希の言葉に、咲耶が驚愕した。同時に、慌てて咲希を叱りつけた。
「控えろ、咲希ッ……! 天照さまに直言するなど、恐れ多いも甚だしいぞッ!」
だが、咲耶の言葉を聞き流すと、咲希は真剣な口調で続けた。
『お願いします、天照さまッ……! 咲耶の力を借りたとはいえ、実際に夜叉を倒したのはこのあたしですッ! どうか、玉藻の処分をあたしに決めさせてくださいッ!』
「やめるんじゃ、咲希ッ! 控えろと言っておるのが分からぬのかッ!」
咲耶と同化したとはいえ、咲希は一人の人間に過ぎない。この世のすべてを支配する天照から見れば、塵芥のような存在だった。本来であれば、天照と言葉を交わすことさえ不可能なのである。
『面白い青人草(人間)じゃ……。さすが、木花咲耶の生まれ変わりだけある。よかろう……。夜叉を倒したことに免じて、お前の望みを叶えてやろう。九尾狐の処分はお前が決めるがいい……』
楽しそうな口調で、天照が告げた。どうやら、咲希の奔放さを天照が気に入ったようだった。
『ありがとうございます、天照さまッ……! 玉藻の処分は……』
そこで、咲希は一度言葉を途切れさせた。そして、隣でガクガクと震えている玉藻を見つめると、意を決したように凜とした声で告げた。
『玉藻の処分は、生涯を掛けてあたしの友となることッ……! これを玉藻の新たな誓約といたしますッ!』
「咲希ッ……!」
「咲希……?」
咲耶と玉藻が同時に咲希の名を叫んだ。驚愕したのは二人とも同じであったが、その思いは大きく隔たっていた。天照の意向に逆らった咲希に驚きの声を上げた咲耶に対して、玉藻は信じがたい表情を浮かべて咲希を見つめた。玉藻はたった今、咲希を淫欲の虜に堕とそうとしたのだ。それを怨むどころか以前と変わらずに友と呼んでくれたことに対して、玉藻は驚きと同時に感動すら覚えた。
『玉藻は昔、咲耶を助けてくれました。だから、今度はあたしが咲耶に代わって玉藻を助けたいんです……』
「咲希……」
咲希の顔を見つめている玉藻の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。だが、そんな理由で一度言い渡した処分を変えるほど、天照が甘くないことを咲耶は知っていた。
「天照さま……。九尾狐は天照さまとの誓約を破りました。このことは、万死に値致します」
『咲耶ッ……!』
あくまで天照の意向に沿って玉藻を処罰しようとする咲耶の意見に、咲希が反論しようとした。それを抑えるかのように、咲耶が続けた。
『しかし、二千年前の夜叉との闘いで、私が九尾狐に助けられたことは事実です。また、この度、九尾狐が咲希を手に入れようとしたことは、此奴が咲希を愛するが故のことです。よって、次に此奴が誓約を破った時には、私と咲希が責任を持って此奴を封印いたします。夜叉を倒したことに免じて、この願い叶えていただけませんでしょうか?』
長い漆黒の髪を揺らしながら、咲耶が深く頭を下げた。しばらくの間、天照は無言で咲耶を見据えた。
『建御雷神め……。こうなることを見越しておったようじゃな』
その言葉に、玉藻の処分を咲希に任せるように奏上したのが建御雷神であることを、咲耶は知った。
(さすが、建御雷神さまじゃ……。すべてお見通しであったか……)
『よかろう……。九尾狐の処分をお前たちに選ばせると告げたのは、妾じゃ……。お前たちが此度のことを不問にすると言うのであれば、それもよかろう。九尾狐よ……』
「は、はいッ……!」
突然、名前を呼ばれて、玉藻がビクンと裸身を震わせた。
『妾の前で、新たな誓約を立てよッ!』
「はいッ……!」
床に額を擦りつけながら、玉藻が新たな誓約を奏上し始めた。
「高天原に鎮まりまします天照皇大御神さま……。私、九尾狐はここに誓います。この生命を賭けて、神守咲希を生涯の友とすることを……。彼女に降りかかるすべての災いを、この身を盾にして防ぐことを誓いまする。この誓い破りし時は、我が生命を捧げ奉ります……」
誓いを終えると、玉藻は更に深く頭を下げた。それは単なる友人になることではなく、咲希のためにいつでも命を賭けるという戦友の誓いであった。
『その誓約、しかと聞き届けた。九尾狐よ、次に誓約を破りし時は、封印などと甘いことは許さぬッ! その場で妾がお前を無間地獄に送ってやる故、しかと胸に刻みつけよッ!』
「は、はいッ!」
ビクンッと全身を緊張させながら、玉藻が答えた。
『木花咲耶、神守咲希……』
「はッ……!」
『はいッ……!』
天照の呼びかけに、咲耶と咲希が同時に返事をした。
『九尾狐をしかと見張っておれ。此奴が誓約を破ったら、すぐに妾に知らせるがよい』
「かしこまりましたッ!」
『はいッ!』
二人の返事を聞くと、天照は満足そうな笑みを浮かべた。そして、咲希たちの脳裏から、天照の神々しい神気が急速に遠のき始めた。
『ありがとうございました、天照さまッ……!』
深く頭を下げ続けている咲耶の中から、嬉しそうに咲希が天照に礼を言った。その声が天照に届いたのか、咲希には分からなかった。すでに天照の神気は、完全に消滅していた。
「咲耶さま……、本当にありがとうございます」
緊張を解き放ってグッタリとした様子で、玉藻が咲耶を見つめながら礼を言った。九死に一生を得るとはまさにこのことであった。咲耶たちがいなければ、玉藻は間違いなく無間地獄に送られていたのだ。
「礼は咲希に言うがよい。残り少ない神気で出てくるのは辛くて敵わぬ。咲希、代わるぞ……」
そう告げると、咲耶は咲希と入れ替わって意識を沈めていった。それに代わって、咲希の意識が急速に浮上した。
「玉藻、よかったッ!」
嬉しそうな笑顔を浮かべると、咲希が玉藻に抱きついた。その体を愛おしそうに抱きしめながら、星々の煌めきを映す黒瞳に涙を浮かべて玉藻が告げた。
「咲希、本当にありがとうございます。どんなに感謝しても、したりませんわッ!」
「気にしないで、玉藻……。それより、またこれからよろしくね!」
そう告げると、咲希は玉藻の温もりが消えていないことを確かめるようにギュッと抱きついた。
「いったい、何だったんだ……今のは……?」
突然、背後から将成の声が聞こえた。天照の声が聞こえていなかった将成は、ただ茫然として成り行きを見守っていたのだった。
「咲希、この男、どうしますか? 天照さまに誓ったように、咲希の災いになるのであれば、私が取り除いてさしあげますわよ」
将成のせいで夜叉に凌辱されたことを、玉藻はまだ許していなかった。玉藻の両手に妖気が集まりだしたことに気づいて、咲希が顔を引き攣らせながら告げた。
「まあ、まあ……。将成が小鳥遊さんのつもりで迦美羅を抱いたことは許せないけど、命まで取ろうとは思っていないわ」
「でも、この男のせいで私は酷い目に遭いましたし、彼が咲希を裏切ったのは事実ですわ。このまま済ませるのでは、私の気が収まりません」
鋭い視線でジロリと将成を睨みながら、玉藻が告げた。
「そうね……。こうしましょうか……?」
ニッコリと笑顔を浮かべると、咲希は右手に<咲耶刀>を具現化させた。
「お、おい……咲希……。何を……?」
その様子を見て、将成がビクンッと体を震わせながら蒼白になった。<咲耶刀>で斬りつけられると思って、将成が後ずさった。だが、咲希は将成に背を向けると、<咲耶刀>を右中段に構えた。
「はッ……!」
短い気合いとともに、咲希が<咲耶刀>を縦横無尽に振った。その剣風を受けて、部屋の中に無数の布きれが舞い上がった。床に散乱していた将成の服を、一枚残らず咲希が細切れにしたのだ。
「その格好のまま、ここに置いていきましょう。どうやって帰るのか楽しみよね?」
下着まで切り刻まれ、将成は全裸のまま茫然とした表情で立ち尽くしていた。
「なるほど……。それは妙案ですわ。浮気をするような下司には、ちょうどいい罰ですわね」
「じゃあ、あたしたちは服を着て、さっさと帰りましょうか?」
「はい。そういたしましょう」
お互いに笑顔で笑い合うと、咲希たちは手早く衣服を身につけ始めた。その様子を見ていた将成が、顔を引き攣らせながら訊ねた。
「お、おい、咲希……。冗談だよな……?」
「冗談? あたし、本気だけど……。この程度で済ませてあげるんだから、感謝してよね?」
冷めた視線で将成を一瞥すると、咲希が冷徹に言い放った。その言葉を聞いて、将成が蒼白になった。
「さ、咲希……」
だが、咲希は無言で身支度を調えると、玉藻に向かって告げた。
「行きましょうか、玉藻……」
「はい。では、ご機嫌よう……」
二人は茫然と立ち竦む将成に手を振ると、ホテルの部屋から楽しそうに出て行った。後には途方に暮れる将成が一人残された。水嶋翔琉に電話を掛けて衣服を買ってきてもらうまで、将成は全裸のまま一人でホテルに三時間以上も取り残されたのだった。
茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮までは、三鷹のマンションから片道およそ四時間の道のりだった。二人乗りのため高速が使えずに、国道を走らざるを得なかったからである。直進安定性に優れるSTREET BOB 114とはいえ、往復八時間の運転はさすがに厳しい。咲希は玉藻と相談し、鹿島神宮から車で十分ほどの距離にあるホテルを予約した。
鹿島神宮は常陸国の一宮であり、香取神宮、息栖神社とともに東国三社の一社に数えられている。その祭神は建御雷神で、その佩刀である布都御魂が国宝として展示されていた。
咲希が鹿島神宮を訪れたのは、言うまでもなく建御雷神に会うためであった。
「本当にここに建御雷神さまがいらっしゃるのですか?」
大鳥居をくぐって本殿に続く参道を歩きながら、玉藻が首を傾げた。
「そう聞いたんだけど、それらしい神気を全然感じないわね……」
玉藻の言葉に、咲希も不安げに周囲を見渡した。常陸国の一宮だけあり雰囲気は厳かなのだが、建御雷神の神々しい神気はまったく感じないのだった。
「それに、あれ以来、咲耶の声が全然聞こえないんだけど、まさか消滅しちゃったんじゃないわよね?」
天照と会話をした時に、本来は表面に出て来れるはずがない咲耶と入れ替わったのだ。玉藻に堕とされそうになった咲希を護るために、無理をして咲耶が出て来てくれたことは間違いなかった。だから、それで一割だけ残した神気を使い切ってしまったのではないかと咲希は考えた。
「恐らくですが、咲耶さまが出て来られたのは、咲希が意識を失っていたからだと思いますわ。そして、残った自分の神気では私の火焔を防ぐことが無理だと知り、天照さまに助けを求めたのですわ。咲希と入れ替わって、天照さまを呼び出した……。それで少ない神気を使い切ったのだと思います。だから、今は神気を恢復するために眠られているはずです。同化によって消滅したわけではありませんわ」
現在の能力は咲希の方が上であるとはいえ、玉藻は三千年を生きる三大妖魔の一人だ。神気や妖気に関する知識は、咲希よりも詳しいのは当然であった。
「そうだといいんだけど……。あ、ここが本殿みたいね。行ってみようか?」
参道の右側にある本殿の前には、平日にも拘わらず大勢の人々が参拝をしていた。その後ろに並ぼうとした咲希を、玉藻が制した。
「ここには建御雷神さまはいらっしゃいませんわ。たぶん、こちらです……」
「え……? 建御雷神さまの神気を感じるの?」
本殿を素通りして更に参道を進み始めた玉藻に、咲希が驚いて訊ねた。
「分かりませんが、奥へ行くほど気が清浄になってるようです。つまり、強い神気がどこからか溢れているということですわ……」
「そうなんだ……。言われてみれば、奥の方が空気が澄んでいるような気がするわね……」
玉藻の言葉に頷くと、咲希は彼女に従って参道を進んでいった。本殿を過ぎると、石畳から土へと参道が変わった。土の参道に切り替わる入口に立て看板があり、この先に奥宮があることが案内されていた。
「今の本殿は、後から造られたんだ。昔は奥宮の場所が本殿だったみたいね」
看板に書かれている案内によると、以前は鹿島神宮の本殿が奥宮の場所にあったようだ。現在の本殿は、江戸初期に徳川家康によって増築されたものらしかった。建御雷神が祀られているとしたら、奥宮の可能性が大きかった。
初夏の緑が覆い茂る参道を進んでいくと、右手に奥宮が姿を現した。古い檜造りの社殿の横には立て看板があり、「祭神 武甕槌大神」と書かれていた。
「どう……? ここかな……?」
数人が参拝している奥宮の前で立ち止まり、咲希が玉藻に訊ねた。
「違いますわ……。もっと奥の方から神気を感じます。付いてきてください」
咲希の言葉に首を振ると、玉藻は奥宮の前を通り過ぎて参道を進み始めた。咲希には建御雷神の神気が感じられなかったが、玉藻を信じて後に続いた。
二叉に分かれた参道を右に進むと、突き当たりに小さな石碑があった。その石碑に一柱の武神の姿が刻まれていた。
「建御雷神さまの像ですわ……。ここから神気が溢れ出ています」
「これが、建御雷神さま……? 本殿でも奥宮でもなく、こんなところに……?」
玉藻の言葉に驚いて、咲希が意外そうな表情を浮かべた。高天原随一の武神である建御雷神にしては、ずいぶんとひっそりした場所に祀られていた。
建御雷神の石像を前にして、咲希は作法どおり二拝二拍手一拝をして両手を合わせた。
(建御雷神さま……。先日は夜叉討伐にお力を貸していただき、ありがとうございました。また、天照皇大御神さまへ奏上していただいたことも、本当に感謝致します……)
建御雷神が夜叉討伐の詳細を伝えておいてくれたことにより、天照は咲希の望みを叶えてくれたのだ。そのお陰で、玉藻の生命を救うことができたのだと咲希は考えていた。
(天照さまを呼び出したことで、咲耶は神気を使い果たしたみたいです。本当であれば咲耶も会いたがっていると思いますが、残念ながらまだあたしの中で眠っているみたいです……)
建御雷神の神気は感じられなかったが、この石像から神気が溢れているという玉藻の言葉を信じて、咲希は祈りを続けた。
(咲耶と建御雷神さまがお互いに愛し合っていたことを知り、最初は驚きました。でも、今はそのことに運命さえ感じます。建御雷神さまを守護神に持つ将成と、咲耶を守護神に持つあたしがめぐり逢い、愛し合ったのは二人の導きによるものに違いないんだって思っています。でも、その将成が浮気をしたことはまだ許せません……)
迦美羅が変装した小鳥遊愛華を、目の前で将成が抱いたことを咲希はいまだに許していなかった。
(建御雷神さまからも、二度と浮気しないように将成にきつく言っておいてください。それから、咲耶があたしと完全に同化するのが何年後か分かりませんが、その前にもう一度咲耶と会ってください。あたしには分かるんです……。咲耶が今でも建御雷神さまを深く愛していることが……)
咲希が鹿島神宮まで来た理由が、このことを建御雷神に伝えるためであった。二千年前に悲恋で終わった咲耶の愛を、建御雷神に受け止めて欲しかったのだ。
(昇天すると現世の欲から解き放たれると聞きました。でも、咲耶の愛情だけは絶対に忘れないでください。あたしはまだ建御雷神さまへの愛情を持っていません。つまり、残りの一割の神気と一緒に、建御雷神さまへの愛はまだ咲耶が持ち続けているはずなんです。咲耶にとって、建御雷神さまはそれほど大切な方なんだと思います。いつの日か、咲耶が目覚めたらもう一度会いに来ます。楽しみに待っていてください……)
願いを伝え終えると、咲希は深く建御雷神の石像に一礼した。そして、黒曜石の瞳を開いて、改めて建御雷神の姿を見つめた。
その時、石像が薄らと光ったような気がした。そして、紛れもない神気が咲希の中に流れ込んできた。
(建御雷神さま……?)
だが、建御雷神の応えはなかった。ただ、全身が暖まるような優しい神気を感じた。それが建御雷神の返事であることを、咲希は実感した。
『いつでも待っていると、咲耶に伝えるがよい……』
建御雷神がそう告げたように、咲希には思えた。咲希は大きく頷くと、横に立つ玉藻の貌を見つめた。そして、ニッコリと微笑みを浮かべながら玉藻に告げた。
「行こう、玉藻……」
「もう、いいんですの……?」
玉藻が意外そうな表情で咲希を見つめ返してきた。
「うん……。建御雷神さまと約束したの。咲耶が目覚めたら、もう一度会いに来るって……。その時には、また付き合ってね」
「もちろんですわ。私は、永遠に咲希の神友ですから……」
笑顔で答える玉藻を見つめて、咲希が微笑みを浮かべた。そして、建御雷神の石像を振り向くと、二人は肩を並べながら来た道を戻って行った。
<完>
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