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第七部『エイジェント・オブ・クリミナル』

あの日から

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大樹寺雫はかつての記憶を思い出す。それは少しばかり前に大坂城にて自分が放った言葉、
『痛いよ、死にたくないよ』という台詞。それは何故自分の口から出たのか未だに思い出せない。
それに加えて、自分がこんな風に五体満足で喋れ、体を動かせ、物を考えられるのかも分からない。
自分は石川葵の弾丸を腹に喰らい、そのまま死んだ筈だ。かつてのカルト教団の教祖、昌原道明の様に。
いや、松中鈴雄と本名で呼んだ方が良いだろう。あんな奴は所詮、自身の欲を満たすために教団を動かしているだけに過ぎない、いわば小物。現世の欲のみに取り憑かれている馬鹿だ。
雫は話が脱線した事を思い出し、首を横に振って欲に取り憑かれた男の事を頭の中から振り払う。
雫は次に自分が目を覚ました時の事を思い出す。自分が目を覚ましたのは地下の部屋。破れたタイルに外れかけの蛍光灯が目立つ小さな部屋。
その部屋の中央に並べられている緑色の長椅子。そこで目を覚ますのと同時に、彼女は見た目麗しい白色のドレスを着た女性に迎えられた。
「おめでとう。あなたは死の世界から帰ってこれた世界初の人間よ」
後に六大路美千代を名乗った貴婦人はそう言って雫を迎え入れると、彼女の頬を撫で、彼女の首元に口づけをした後に、彼女の耳に近付き、優しい声色で言った。
「あなたはこれから二重生活を送りなさい。私たちと出来レースをするためにね」
「出来レース?」
六大路美千代は首を黙って縦に動かすと、『出来レース』の詳細を彼女に語っていく。
「警察というのはね、大きな脅威が外に存在してこそ、成り立つ存在よ。不自然だとは思わない?刈谷阿里耶以降、不自然なまでに大きな事件が起きていた事が」
美千代は自分が裏で手引きした事件の事を語っていく。トマホーク・コープのギルフォード社長と会談し、日本国内に彼らを引き入れた事、雫の弟子であった遥の国外逃亡を裏から手助けした事、日本に残るキャンドール・コーブの情報をユニオン帝国に伝え、シリアス率いる帝国竜騎兵団を呼び寄せた事などを。
「実際に、シリウスが多くの事件を引き起こした時には多くの人が警察に好感を持ったわ。稀に警察への信頼が低下すると、こんな風に敵をわざわざ引き入れて、真剣に戦わせるの。明治の時代からの伝統よ。それは、皇紀3100年代にいえ、失礼。西暦2030年代になっても変わらない事なのよ」
彼女が皇紀なる日本独特の暦を使いそうになっても、使わなかったのは時代にそぐわないと判断したからだろう。
実際にその方が良い。そんな物を使用するのは文明國のそれではない。
雫がぼんやりとそんな事を考えていると、美千代は彼女を大きく抱き寄せて、わざと自身の大きな胸を彼女に寄せる。
「ねぇ、雫ちゃん。わたしのいや、日本のために悪役ヒールを演じてくれないかしら?それとも、罪を自覚しているあなたを警察に引き渡した方が良い?」
卑怯な二択だ。そんなの選べないではないか。
雫は答える代わりに黙って首を縦に動かす。以後、彼女と壊滅寸前であったバプテスト・アナベル教は警察がヤクザ以上に敵視する国家の敵となったのだった。
少なくとも表向きは。裏ではこうして部屋で茶を飲み合う仲である。
雫は『出来レース』の他に『プロレス』というやり方さえも思い浮かぶ。
あれは台本ありで殴り合うものだからだ。
今回、雫はそのプロレスを行うための教団への資金提供の見返りの一つ、いわゆるサービスの一つとして、一大密輸コネクションを担っていた男を殺したのだった。
と、言うのも彼女曰くあのルートはそのままバプテスト・アナベル教が乗っ取るのが先決だと言うから。
後はあのコネクションを教団が乗っ取りさえすれば、美千代から渡される匿名の寄付金で教団を立て直せるだろう。
ヤクザ組織と違って、上の金を納める必要はない。収入は全て教団に入るのだから。
雫はそう考えると、自分が手を汚した甲斐があった様に気がした。
満足そうに紅茶を啜る彼女を美千代は優しい顔で眺めていた。その笑顔はまるで古の聖典に記される一神教の教祖の母親の様だ。
雫は紅茶を飲み終えると、一礼をして部屋を後にする。
そして、美千代直属の部下に連れられて出口へと向かう。
美千代はそれを見届けると、未だに目を見開く大物女性政治家に向かって微笑む。
「どうしたの?これくらいは見慣れた光景でしょ?」
「え、ええ、そうですが、まさか死んだ筈の人間が生き返るなんて……」
「ええ、タダじゃなかったわ。大分、大掛かりな手術だったわ」
美千代は雫を蘇らせるための手術の事を語っていく。
雫は銃で撃たれ、確かに出血多量であの世にいっていた。だが、ここに魔法が生きてくるのだ。美千代は魂を自由自在にコントロールする魔法を持っていた。
曰く、美千代の魔法は他人の魂を自由自在に肉体から出し、その魂を自身に引き入れて寿命を伸ばし、若さを保つ事なども可能であるらしい。
加えて、既に黄泉の国へと旅立った雫の魂を呼び戻す事も可能であるらしい。
美千代は雫の魂をこの世に呼び戻し、肉体を完全再生手術で完璧の状態にしたのだという。
若槻葉子は思わず言葉を失う。と、言うのはそんな恐ろしい魔法があったからである。
そんなものがあれば、人類の『死』という概念が覆されるではないか。
葉子が口を出そうとした時だ。
「あ、待って、あなた、こう考えているでしょ?どうして、わたしが表舞台に出てこの魔法の事を発表しないのかって」
葉子は短い叫びを上げる。と、言うのもすっかりと自分の考えが見透かされてしまっているからだ。
彼女はクスクスと可愛らしい笑いを上げて、
「簡単よ。わたしはわたしのためだけにこの力を使いたいからよ」
実にシンプルで分かりやすい動機だ。
葉子は目の前に座る女性に思わず圧倒されてしまう。
蛇に睨まれた蛙の様に固まった葉子に向かって美千代は言った。
「あなただってそうでしょ?若槻葉子さん。いえ、片桐雛子さん」
葉子はいや、雛子は喉から心臓が出んばかりの勢いで飛び上がる。
彼女は自分の名前と過去を知っている筈がない。あれはかつて死んだ自分の上司、二階堂俊博のみが知っている事なのだ。
そんな彼女の心を分かっての事なのか、美千代は妙に優しい声で言った。
「二階堂が知っていて、わたしが知らないわけないでしょ?だって、わたしは日本の王だもの」
美千代は今度はカラカラと笑う。葉子は理解した。この魔女の前にはどんな弁明も無意味、だと。
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