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第三部『終焉と破滅と』

これからの参加者たちの場合

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「実に厄介な事になったな」

長晟剛は研究室の自身の椅子の上で腕を組みながら唸り声を上げる。

「と、いうのは?」

剛の協力者である美咲が剛に尋ねていく。剛は協力者である美咲に向かって心底から忌々しいと言わんばかりの声で答えた。

「……最上真紀子が主戦派を一斉にかき集めて、我々を始末する計画に出た」

「お姉ちゃんが!?」

志恩が心配そうな視線で上目遣いで剛に向かって尋ねる。
その志恩の問い掛けに対して剛は首を縦に動かすと厳かな口調で答えた。

「その通りだ。最上真紀子は我々非戦派と例の穴埋めとして参加が許されたブカバクという悪魔を互いに争わせて、弱った方法を総力を挙げて戦い合うという手法を取ろうとしている」

「そ、そんな……」

驚愕する志恩に向かって剛は追い打ちを掛けるように言った。

「キミのお姉さんがどんな人間なのかわかっただろ?恐らく今後キミのお姉さんは外でもキミを狙ってくるだろう。キミの所有する天堂グループの株の5%を狙ってな」

「お、お姉ちゃんはそんな事しないよ!」

志恩が声を震わせながら否定したが、返す剛の言葉は冷淡なものであった。

「……それはどうかな?実際にあの女が一族亡き後の天堂グループを動かしているが、その支配をより完璧なものとするにはキミの所有する5%の株だけが抜けている。あの女にとっては重要な損失だ。だからそれをーー」

「嘘だッ!お姉ちゃんはぼくにそんな事しないよッ!」

志恩は吐き捨てる様に叫ぶと、そのまま研究室を飛び出してしまう。剛は椅子を立って追い掛けようとしたのだが、美咲がそれを静止して、一人で志恩を追い掛けていく。
だが、結局のところ志恩を追い掛けられずに美咲は志恩を見失ってしまっていた。
志恩は涙を流しながら一人自宅への帰り道を歩いていた。
その時だ。電柱の陰から真紀子が姿を現した。まるで、タイミングを見計らったかの様であった。

「あっ、お、お姉ちゃん……」

「よぉ、志恩」

真紀子は弟に向かって笑い掛けると、その手を引っ張って言った。

「どうだい?今から遊びに行かねぇか?公園?それとも水族館?はたまた遊園地?それともそういう子供っぽいところではなくボルダリングみてーなところとか?まぁ、どこでもいいや。お前が好きなところに連れて行ってやるよ」

真紀子の言葉は嘘ではない。その証拠に真紀子は黒色のクレジットカードを見せていく。
志恩はわからなかったが、米国において最上位の金持ちしか使えないとされるカードであり、日本においてはそれが使える人は数いる富豪の中でも更に絞られるという。
真紀子はそればかりではなく国内のカードも持っていた。真紀子の財布の中はカードだけであったのかというとそうではない。
真紀子は現金を信用しているために多くの現金も持ち合わせている。強盗やひっくりの危険も真紀子だから大丈夫だという考えがあるのだろう。
真紀子は志恩の手を引っ張り、そのままあてもなく歩き始めていく。
この時の志恩の中に蘇るのは幼き日の記憶である。幼稚園からの帰り道のバス。夕焼けに照らされた田んぼ道。
今は場所と状況こそ違うものの、姉に手を引かれて道を歩いているのだ。
志恩は一応両親に遅くなる事を伝えると、懐かしさのまま姉に付き従っていく。
結局のところ姉に連れられて向かったのはなんて事のない普通の大きな公園であった。
二人はベンチに座る事になり、真紀子は志恩に近くの自動販売機で買ったと思われるジュースを手渡す。
志恩はそれを受け取ると、一口だけ口を付けて、それから隣で缶コーヒーを開ける姉の姿を見つめる。
志恩の脳裏の中に思い浮かぶのは子供の頃の記憶であった。子供の頃、自分の5歳違いの姉は志恩にとっての自慢であった。幼稚園の頃や大阪に引っ越す前までの志恩はよく同級生に揶揄われたものだ。
全員に揶揄われて赤面していたが、反面志恩はそんな姉が自慢であった。
中学生の頃に上がると、悪い人間とつるみ始めても、姉は自分にだけは優しかった。
そんな姉を志恩はずっと誇りに思っていた。自分の姉が他人に誇れる人間でないという事は志恩がよく知っている。
志恩が好きな特撮ヒーロー番組ならば確実に悪役として出てきそうな人間なのだ。
それでも、その思いだけは消えなかった。志恩は改めて隣で缶コーヒーを飲んでいる姉の姿を見てそう思い直した。
真紀子は缶コーヒーを飲み終えていたらしく、既に近くのゴミ箱に缶コーヒーをベンチの上から捨てるというゲームに挑戦している。
缶コーヒーは無事にゴミ箱の中に放り込まれたらしい。真紀子はその様子を見て上機嫌で一人拍手をしていた。
すると、真紀子は志恩がジュースを持ったまま硬直している事に気が付いて声を掛けた。

「どうしたんだ?それ飲まねぇのか?」

「あ、ううん。違うよ。少しだけ考え事をしていて」

「考え事?何があったんだ?お姉ちゃんに相談してみな」

真紀子の口調は粗野なものであったが、自身を気遣う思いだけは志恩にも伝わってきた。
志恩は意を決して自分の思いを伝えた。すると、真紀子は和かな笑顔を浮かべながらその頭を優しく撫でていく。

「ンなもん。お前にくれてやるよ。たかだか5%じゃあねーか。お前の今の両親なんぞ知った事じゃあないけど、そいつはお前が大人になった時に必要になるもんだからよ。あたしを気遣う必要なんてねーんだぜ」

真紀子は優しい笑顔を浮かべながら言った。それからベンチから立ち上がると、拳を作りながら叫ぶ。

「よっしゃ!気晴らしに美味いもんでも食いに行くかッ!志恩支度しなッ!」

「ま、待ってよ!お姉ちゃん!」

志恩はジュースを飲み終えると、そのまま真紀子について夕食を取りに向かう。
真紀子と志恩は高層ビルに備え付けられている大手飲食店で夕食を終えると、真紀子はそのまま志恩の手を引いて、志恩を今の自宅にまで連れて行く。

「じゃあな!」

真紀子はそれだけを叫ぶと、夜の闇の中へと消えていくのだった。
志恩は自宅へと戻り、自らの思いを強めた。やはりあの姉がゲームの外で自分を殺す筈がない、と。
一方で真紀子は久し振りに弟と遊ぶ事ができて上機嫌であったが弟が公園で発した妙な一言が頭の中に残り続けていた。
どうして、弟はあんな妙な事を言ってのけたのだろうか。
真紀子は元より常人より優れた脳を持っていた。故にすぐさま原因を導き出す事ができた。

「そうか、誰かが志恩に妙な事を吹き込んだンだな……見ていやがれ……あたしが必ず痛い目に遭わせてやるぞ」

真紀子は志恩に妙な事を言わせた人間への復讐の決意を固めていくのである。
その日の晩、真紀子が屋敷の中で書類仕事を片付けていると、ある一通の電話が掛かってきた。
電話の主はアメリカの大富豪アンドルー・ロックブリッジと中国有数の大富豪である王兄弟であった。
アンドルー・ロックブリッジと王兄弟はいずれも世界有数の富豪として知られており、また裏では真紀子同様に国を裏から動かすフィクサーとしても知られている。
真紀子はそれぞれと同時に電話を繋ぎ、それぞれの国の言葉を流暢に操りながら会話を重ねていく。

「だから、その情報は不確定なもので断言はできないと仰っているじゃあありませんか!」

『そんなあやふやなものでは困るッ!入り口を通して悪魔が攻めてくるというのは確定事項なのかね?不確定事項なのかね?』

電話口の向こうからアンドルーの切羽詰まった様子が聞こえる。

「ですから、現段階ではなんとも言えないと仰っているじゃあありませんかッ!いずれにしろ、2012年の年末には世界が滅亡の危機に瀕するんですッ!どちらの事態にも備えられる様に努力をしておいてくださいませ!」

『日本人特有の曖昧な態度はビジネスの世界では不利だという事を忘れたのかね?淑女?』

真紀子に対して出来の悪い生徒を嗜める様に問い掛けるのは王兄弟であった。
勿論真紀子とてそんな事は理解しているが、今の段階では不確定な事しか言えないから仕方がないではないか。
真紀子は大きな溜息を吐いてからその事を伝えた。
日本国の女王というのも楽ではない。真紀子は日が経つに連れてその事を実感させられていくのだった。
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