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第二部『箱舟』
二本松秀明の場合ーその⑧
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二本松秀明のスケジュールは多忙である。彼自身の本業である社長業と学生業もそうであるが、そこに加えて弟との交流や腹違いの妹が開く例のパーティーへの参加などがあるのだ。加えて、不規則的に耳のうちに鳴り響く戦いの収集音がそうだ。加えて、ここ数週間のうちは妙な格好をした人々に狙われたり、例の戦いに新しい参加者が加わったりと忙しくもありがたくない日々を過ごしていたのである。
そんなある日のパーティーで秀明は自分にお酌をしている真紀子に尋ねた。
「そういえば、お前さんはあいつらの対処はどうしてるんだ?」
「あいつら?」
「あぁ、例の教団の事だよ、お前だって何度も狙われてるって聞いてるぞ」
「平気だよ、あんたが気にする事じゃねーよ」
真紀子はそう言うと秀明の握っているワイングラスから注いでいる赤ワインを離した。秀明は苛立ちを抑える目的でそのままワインを飲み干す。思えば不思議なものである。数日に一度の割合でどこかで殺し合いを行なっているというのに週末になれば必ずこのパーティーに参加している。秀明はこんないかがわしいパーティーからは一刻も早く抜け出したいのだが、抜け出そうとすれば真紀子に脅されてしまうのだ。パーティーの件やそこに入るまでの下をバラされてしまえば、会社が倒産するのは勿論、自分の人生そのものも崩壊してしまうだろう。だが、秀明が最も恐れたのはば志恩の義両親が自分に対して絶縁を言い渡す事である。誠実な兄である筈の自分が義両親とりわけ義母が忌み嫌う真紀子の主催するパーティーに参加していると知られれば、絶縁されてしまう事などは想像に難くない。
そうなれば自分は二度と最愛の弟と会えなくなってしまう。それだけは避けたかったのだ。
秀明は不本意ながらも用意された葉巻を吸う。南米で精製された葉を使った特製の葉巻であるらしい。
高価なものというだけの事はあり、確かに味はよかった。心地の良い味わいである。秀明が煙を吐くと、すかさずに横に座っていた妹が体を寄せて、そのまま秀明の腕を寄せて囁く様に言った。
「葉巻がお強いんですね。二本松さん。逞しい男の人って羨ましいなぁ、憧れちゃいます。それだけ逞しいって事は鍛えてもいらっしゃるんでしょうね?羨ましいなぁ~、私は体力がないので少し走るだけでもすぐに息切れしちゃうんです」
(どの口が言ってるんだ)
秀明は昨日の戦闘の事を思い返す。今自分の横で媚びた笑みを浮かべている白いドレス姿の少女は昨日狂った様な笑みを浮かべながら丸い弾倉の付いた機関銃を乱射していたではないか。
秀明はこうした言葉遊びを真紀子が楽しんでいる事を悟り、思わず心の中で舌を打った。
(本当に性格が悪いぜ、こいつ……)
秀明の心境を理解したのか、真紀子はわざと体を擦り寄せてトロンとした顔を浮かべて言った。
「失礼しました。お客様を怒らせてしまうなんて、私は代表失格ですわ。お客様になんとお詫びしたらいいのか……」
悲しげな顔をする真紀子であったが、内心は舌を出しているのが容易に想像できる。秀明はそんな真紀子をフォローする代わりに彼女に背を向けて引き続き葉巻を吸う。これ以上口調を変えて自分をおちょくる真紀子の顔を見たくなかったのもあるが、秀明はそれ以上に他の事を考えて気を紛らわせなかったのである。
この時の彼の頭の中に居たのは可愛らしい顔を浮かべた志恩の姿である。
愛くるしい弟の事を思えばこんな不愉快なパーティーも切り抜けられる。
思い出せ、思い出せ……。秀明は頭の中で弟と買い物に行った時の光景や弟と彼の家で一緒に特撮ビデオを思い出した時の事、勉強に行き詰まっている弟を熱心に指導した時の事などを懸命に思い返し、気を紛らわせていた。
真紀子は横でワイングラスに入った赤ワインを片手に腹違いの兄が何を考えているのかを察し、彼の耳元でパーティーの時に用いる丁寧な口調ではなく、いつもの粗暴な口調を用いて囁く。
「あたしはさぁ、15年間も志恩と同じ家で暮らしてたんだぜ、それも山の麓の村でな、いいだろう?休日は誰もいない弟とあたしのパラダイスだったぜ」
「……真紀子、おれと張り合う気か?」
秀明の瞳から炎が見えた。どうやら彼は張り合うつもりであるらしい。
いいだろう。先にコングを鳴らしたのは兄の方だ。真紀子は対抗心を燃やし、小さな声で腹違いの兄に宣戦布告を行ったのである。
「ここじゃ色々と不味い……明日の昼にうちの近所の喫茶店に来い。そこなら話せるから」
「……いいだろう。貴様の勝負受け取ってやるよ」
秀明と真紀子は暫くの間は目線の間で大量の火花を散らし合っていたのだが、二人の睨み合いは真紀子が別の客に呼ばれて離席した事によって中断されてしまう。
秀明は余ったワインの瓶に口を付けて、それをラッパ飲みしていく。明日はいつもならば志恩と遊ぶ日なのだが、生憎志恩はその日には塾の模試が入っているらしく来週に延長となっている。
秀明は翌日昨日よりは楽な格好で指定の喫茶店に向かうと、そこには青いジーンズに紺色のジャケットを羽織りその下にベージュのシャツを着た妹の姿が見えた。相手が脅迫者でなければ秀明は鼻の下を伸ばしていたかもしれない程の魅力的であったが、秀明はそのまま遅刻の非礼も詫びる事なく席の上に座る。
「遅れた事についての謝罪はなしか?バカ兄貴」
「うるせー。テメェなんぞに謝る舌はねぇよ」
「けっ、まぁいいぜ……じゃあまず志恩のーー」
その時だ。自分たちの座る席の近くに大昔に流行ったヴィンテージスーツを着た男性と同じく大昔に流行ったと思われるデザインをしたヴィンテージワンピースを身に付けた女性が姿を表す。
どうやら箱舟会の会合か何かがあるのかもしれない。或いは自分たちをつけ狙う箱舟会からの刺客かもしれない。
真紀子が警戒して拳銃を作り出そうとした時に秀明はそれを机の下で静止させた。
「何するんだよ、このまま先手必勝といこうぜ」
真紀子は腹違いの兄に囁いたが、彼は真紀子を止めたまま動こうとしない。
黙って喫茶店の奥で何やら話し合っている古い服装をした男女を見つめていた。
秀明は古い男女を暫くの間見つめていたが、やがて視線を真紀子へと戻すと首を横に振る。
「あれはつけ狙ってる連中じゃあない。それに刺客だったとしても教団の格好をしたまま狙いに来るか?志恩が好きな特撮テレビドラマの悪役じゃねーんだから」
「確かにな、そういうのは90年代に廃れちまったよな、今じゃ子供番組でも流行らねー時代遅れのスタンスだ」
真紀子は小馬鹿にする様に兄に向かって笑い掛ける。
だが、秀明の顔は笑っていない。黙って奥に座る信徒たちを見つめていた。
そして何を思ったのか、一人で立ち上がったのである。
「悪いな、先に行くぞ」
「行くって、どこに?」
「どこでもだ」
真紀子は不満があったが、ここは大人しく秀明を見守る事にしたのだ。
すると彼はすれ違い様に黒のジャケットにジーンズという格好をした複数の男性とすれ違う。秀明はその男性を見た瞬間にその腹に向かって拳を喰らわせたのである。突然の兄の乱心に真紀子は呆然と見つめていたが、近くの客の叫び声と男たちが懐から溢したものを見て、兄がどういう相手を倒したのかを悟った。
同時に店の奥を見つめると、青い顔をした教団の人間の姿が見えるのを確認した。
大方この教団の人間は手引き役なのだろう。自分と秀明の注目がそちらに向いている間に本命の刺客の手によって殺そうしていたのである。
もしかすれば、家を出た時点で付けられていたのかもしれない。そこで信者同士の連絡網を用いて唐突の計画を立てたのだろう。
先に自分が入っていたのにも関わらず、彼らが先に入らなかったのは他にも標的が来ないかを外から観察していたからだろう。もう少し待っても他の人物が来なければ自分だけを殺すつもりであったのであろうが、秀明が来たので急遽作戦を実行したのだろう。
大方そんなところだろうか。真紀子は用意されたカフェの席の背もたれに大きく腰を掛けると思いっきり溜息を吐いたのだった。
そんなある日のパーティーで秀明は自分にお酌をしている真紀子に尋ねた。
「そういえば、お前さんはあいつらの対処はどうしてるんだ?」
「あいつら?」
「あぁ、例の教団の事だよ、お前だって何度も狙われてるって聞いてるぞ」
「平気だよ、あんたが気にする事じゃねーよ」
真紀子はそう言うと秀明の握っているワイングラスから注いでいる赤ワインを離した。秀明は苛立ちを抑える目的でそのままワインを飲み干す。思えば不思議なものである。数日に一度の割合でどこかで殺し合いを行なっているというのに週末になれば必ずこのパーティーに参加している。秀明はこんないかがわしいパーティーからは一刻も早く抜け出したいのだが、抜け出そうとすれば真紀子に脅されてしまうのだ。パーティーの件やそこに入るまでの下をバラされてしまえば、会社が倒産するのは勿論、自分の人生そのものも崩壊してしまうだろう。だが、秀明が最も恐れたのはば志恩の義両親が自分に対して絶縁を言い渡す事である。誠実な兄である筈の自分が義両親とりわけ義母が忌み嫌う真紀子の主催するパーティーに参加していると知られれば、絶縁されてしまう事などは想像に難くない。
そうなれば自分は二度と最愛の弟と会えなくなってしまう。それだけは避けたかったのだ。
秀明は不本意ながらも用意された葉巻を吸う。南米で精製された葉を使った特製の葉巻であるらしい。
高価なものというだけの事はあり、確かに味はよかった。心地の良い味わいである。秀明が煙を吐くと、すかさずに横に座っていた妹が体を寄せて、そのまま秀明の腕を寄せて囁く様に言った。
「葉巻がお強いんですね。二本松さん。逞しい男の人って羨ましいなぁ、憧れちゃいます。それだけ逞しいって事は鍛えてもいらっしゃるんでしょうね?羨ましいなぁ~、私は体力がないので少し走るだけでもすぐに息切れしちゃうんです」
(どの口が言ってるんだ)
秀明は昨日の戦闘の事を思い返す。今自分の横で媚びた笑みを浮かべている白いドレス姿の少女は昨日狂った様な笑みを浮かべながら丸い弾倉の付いた機関銃を乱射していたではないか。
秀明はこうした言葉遊びを真紀子が楽しんでいる事を悟り、思わず心の中で舌を打った。
(本当に性格が悪いぜ、こいつ……)
秀明の心境を理解したのか、真紀子はわざと体を擦り寄せてトロンとした顔を浮かべて言った。
「失礼しました。お客様を怒らせてしまうなんて、私は代表失格ですわ。お客様になんとお詫びしたらいいのか……」
悲しげな顔をする真紀子であったが、内心は舌を出しているのが容易に想像できる。秀明はそんな真紀子をフォローする代わりに彼女に背を向けて引き続き葉巻を吸う。これ以上口調を変えて自分をおちょくる真紀子の顔を見たくなかったのもあるが、秀明はそれ以上に他の事を考えて気を紛らわせなかったのである。
この時の彼の頭の中に居たのは可愛らしい顔を浮かべた志恩の姿である。
愛くるしい弟の事を思えばこんな不愉快なパーティーも切り抜けられる。
思い出せ、思い出せ……。秀明は頭の中で弟と買い物に行った時の光景や弟と彼の家で一緒に特撮ビデオを思い出した時の事、勉強に行き詰まっている弟を熱心に指導した時の事などを懸命に思い返し、気を紛らわせていた。
真紀子は横でワイングラスに入った赤ワインを片手に腹違いの兄が何を考えているのかを察し、彼の耳元でパーティーの時に用いる丁寧な口調ではなく、いつもの粗暴な口調を用いて囁く。
「あたしはさぁ、15年間も志恩と同じ家で暮らしてたんだぜ、それも山の麓の村でな、いいだろう?休日は誰もいない弟とあたしのパラダイスだったぜ」
「……真紀子、おれと張り合う気か?」
秀明の瞳から炎が見えた。どうやら彼は張り合うつもりであるらしい。
いいだろう。先にコングを鳴らしたのは兄の方だ。真紀子は対抗心を燃やし、小さな声で腹違いの兄に宣戦布告を行ったのである。
「ここじゃ色々と不味い……明日の昼にうちの近所の喫茶店に来い。そこなら話せるから」
「……いいだろう。貴様の勝負受け取ってやるよ」
秀明と真紀子は暫くの間は目線の間で大量の火花を散らし合っていたのだが、二人の睨み合いは真紀子が別の客に呼ばれて離席した事によって中断されてしまう。
秀明は余ったワインの瓶に口を付けて、それをラッパ飲みしていく。明日はいつもならば志恩と遊ぶ日なのだが、生憎志恩はその日には塾の模試が入っているらしく来週に延長となっている。
秀明は翌日昨日よりは楽な格好で指定の喫茶店に向かうと、そこには青いジーンズに紺色のジャケットを羽織りその下にベージュのシャツを着た妹の姿が見えた。相手が脅迫者でなければ秀明は鼻の下を伸ばしていたかもしれない程の魅力的であったが、秀明はそのまま遅刻の非礼も詫びる事なく席の上に座る。
「遅れた事についての謝罪はなしか?バカ兄貴」
「うるせー。テメェなんぞに謝る舌はねぇよ」
「けっ、まぁいいぜ……じゃあまず志恩のーー」
その時だ。自分たちの座る席の近くに大昔に流行ったヴィンテージスーツを着た男性と同じく大昔に流行ったと思われるデザインをしたヴィンテージワンピースを身に付けた女性が姿を表す。
どうやら箱舟会の会合か何かがあるのかもしれない。或いは自分たちをつけ狙う箱舟会からの刺客かもしれない。
真紀子が警戒して拳銃を作り出そうとした時に秀明はそれを机の下で静止させた。
「何するんだよ、このまま先手必勝といこうぜ」
真紀子は腹違いの兄に囁いたが、彼は真紀子を止めたまま動こうとしない。
黙って喫茶店の奥で何やら話し合っている古い服装をした男女を見つめていた。
秀明は古い男女を暫くの間見つめていたが、やがて視線を真紀子へと戻すと首を横に振る。
「あれはつけ狙ってる連中じゃあない。それに刺客だったとしても教団の格好をしたまま狙いに来るか?志恩が好きな特撮テレビドラマの悪役じゃねーんだから」
「確かにな、そういうのは90年代に廃れちまったよな、今じゃ子供番組でも流行らねー時代遅れのスタンスだ」
真紀子は小馬鹿にする様に兄に向かって笑い掛ける。
だが、秀明の顔は笑っていない。黙って奥に座る信徒たちを見つめていた。
そして何を思ったのか、一人で立ち上がったのである。
「悪いな、先に行くぞ」
「行くって、どこに?」
「どこでもだ」
真紀子は不満があったが、ここは大人しく秀明を見守る事にしたのだ。
すると彼はすれ違い様に黒のジャケットにジーンズという格好をした複数の男性とすれ違う。秀明はその男性を見た瞬間にその腹に向かって拳を喰らわせたのである。突然の兄の乱心に真紀子は呆然と見つめていたが、近くの客の叫び声と男たちが懐から溢したものを見て、兄がどういう相手を倒したのかを悟った。
同時に店の奥を見つめると、青い顔をした教団の人間の姿が見えるのを確認した。
大方この教団の人間は手引き役なのだろう。自分と秀明の注目がそちらに向いている間に本命の刺客の手によって殺そうしていたのである。
もしかすれば、家を出た時点で付けられていたのかもしれない。そこで信者同士の連絡網を用いて唐突の計画を立てたのだろう。
先に自分が入っていたのにも関わらず、彼らが先に入らなかったのは他にも標的が来ないかを外から観察していたからだろう。もう少し待っても他の人物が来なければ自分だけを殺すつもりであったのであろうが、秀明が来たので急遽作戦を実行したのだろう。
大方そんなところだろうか。真紀子は用意されたカフェの席の背もたれに大きく腰を掛けると思いっきり溜息を吐いたのだった。
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