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23_地球
しおりを挟むケプラー惑星群から四十光年離れた地球であっても、最新技術を詰め込んだ高度な大型武装船にかかれば、さほど時間のかかる移動距離ではない。宇宙船の特殊な動力は時空をねじ曲げ、数日で地球の青い姿を目視で捉えることができた。
宇宙船での移動中は、ムームの強い希望を優先し、最後のときを二人きりの部屋で過ごした。
当初の予定では、体調管理の観点から地球人エリアとして定めた客室区画に、乗船した地球人を配置する手はずだった。地球人の健康のために、最大限の配慮がなされている。いっそ職員の部屋よりも上質な、全室個室の最新設備で固めた部屋だ。
これならばムームだけ特別扱いをする理由もないと、保護職員に託し立ち去ろうとするティフォに対し、ムームは断固として離れようとはしなかった。
ティフォとしては、ムームにもっと他の地球人に馴染んで欲しいという気持ちもあったのだ。
しかし不機嫌な顔で仁王立ちするムームに強くもでられず、部屋の変更は可能であるか、エリクレアス施設長に急遽相談をする事態となった。
幸いなことに、船の規模からすると少なすぎる乗船員の数だ。空き部屋は好きなだけある。
対外的な言い訳として、エリクレアス施設長から地球語翻訳の最終確認をするためという大義名分をありがたく頂戴し、予定していた一人部屋から少し広めの二人部屋に移動をさせてもらったという経緯だった。
基本的にどの宇宙船の部屋にも、高度AIシステムによるオートマチック機能が完備されている。ならば部屋の清掃も食事も、どの部屋に誰が滞在しようがそこに差異はない。
ティフォを見て、部屋移動に大きな問題がないと気付いた職員たちは、おのおの好きな部屋を見つけて移動をしていった。まったく自由で平和だ。
自身の我が儘によってあまりにも緊張感がなくなってしまったと心配するティフォに、むしろリラックスのいいきっかけになりましたねと、エリクレアス施設長が笑っている。
それならば僕もとカヤがしきりに隣接した部屋を希望していたが、ティフォに残されたムームとの時間は少ない。結果的にせっかくムームと二人部屋になれたのだから、せめて今だけは二人きりで穏やかに過ごしたかった。
返答に困るティフォを見て、エリクレアス施設長が再度、助け船を出してくれる。
「カヤ君はまだ勉強中の身でしょう。誰よりも地球人客室区画の近くに居て、しっかり働かなくてはいけません。学ぶべきことはたくさんあるのですから。私はあなたの研究者としての将来を、高く評価していますよ」
カヤは不服そうにしながらも、すごすごと地球人の客室区画へ戻っていった。強く叱責したわけでもないのに的確に自省をうながし、弁の立つカヤを上手く誘導してみせるあたり、さすがの一言だった。
ティフォはこうしてムームとの穏やかで満ち足りた数日間を、変わらない日常で過ごした。
ホログラムを通じて、画像や図解、たったの二十六個しかない記号を組み合わせてできた地球の文字を織り交ぜ、筆談でたくさんの会話を交わす。
静かに宇宙を進む部屋の中で、ムームはしきりにティフォのことを知りたがった。
好きな食べ物、苦手なこと、健康や病気について、生き物としての生態、凡庸なティフォの平凡な将来の夢、家族、交友関係、過去の恋愛、幼い日の思い出。とりとめもなく、尋ねられるままにティフォは答えていく。
こうして誰よりそばに居ても、離れてしまえばあっさりと自分のことを忘れてしまうのだろうか。この穏やかな時間のカケラでもいい。たくさん話したなかの何か一つでも、ムームのなかに自分の思い出が残ってほしい。ティフォはそう願いながら、眠る寸前までたわいもないお喋りで満たした。
性行為に繋がるような触れ合いは、あえて一切しなかった。
一方的性的交わりから始まった関係だ。ティフォは、快楽や体での結びつきではなく、別れのときくらい心の交合を感じて終わりたかった。
ある春の始まりの日。
地球人は、太平洋の真ん中に突如現れた巨大な宇宙船に、激震が走った。
それは空を覆い尽くすほどの大きさを誇示しながらも、波一つ立てずに空中で静かに停止し続けてみせた。
地球上の科学を総動員しても足下にも及ばないような圧倒的な力の差を、ただ浮遊するだけで見せつける宇宙船。地上からでは大きすぎて宇宙船の全貌を見ることが困難なほどだった。
何も知らずに太平洋を横断していた船舶の乗組員たちは、空が少し白く発光したように見えただけで、まさか頭上に人知を超える宇宙船が停泊したとは夢にも思わなかったと、興奮しながら口々に語っていた。
各国が右往左往するなか、宇宙船からの通信電波は素早く地球上をおおった。
3Dホログラムがそこここで展開され、世界中で一斉に、見たこともない触手生命体とアジア人の姿を映し出した。
ホログラムは、聞いたこともないような音を発する宇宙人と、英語で話すアジア人によって、淡々と声明文が読み上げられていく。同時に、英文で翻訳された文章が、字幕のようにホログラムに浮かび上がる。
そこには、ケプラー惑星群の支配的生命体だと名乗る触手宇宙人が、遠い星での地球人の現状を訴えていた。そして広大な宇宙に広がる惑星政府の協力の下、今も継続して地球人の保護と返還に尽力していることと、地球人の返還に際し平和的解決を望む旨が記されていた。
先ほど記録したデータを、しばらくの間繰り返し再生配信し続けるようにホログラムの設定をしているのは、宇宙船の内部で働く職員だ。
第一段階の仕事を終えたティフォたち職員は、まずはこれを見た地球人がどのような対応をとるのか、固唾をのんで見守った。
万が一、地球人が武力でもって対抗してきたとしても、この大型武装船に傷一つ付けることは叶わないだろう。それでも友好的解決を望むこちらからすると、やきもきするような時間が過ぎた。
その夜、いつまでも顔を見せない夕日と、一向に訪れない夜のとばりに、頭上に広がるのは空ではなく白く発光する宇宙船の腹なのだと気付いた多くの船乗りたちは、あの3D映像が嘘やでたらめではないのだと甲板から空を仰いだ。船から見上げる一面の空が宇宙船だったのだ。
地球の代表として、国際機関の職員が正式な文書を携えて震えながらやってきたのは、夜が明けてからだった。
ティフォたち触手生命体への敵対反応は、表面上は見受けられなかった。
ムームの協力の下、ティフォが精査した地球人からの文書には、第一に平和的解決を受け入れること、その際、地球人をいかなる理由を持ってしても決して脅かさないこと、地球人を返還次第、地球からの速やかな離陸を願う旨がしたためられていた。
宇宙船に乗るケプラー惑星群の政府組織代表者たちは、ホログラム通信を通じて惑星政府とともにこれを吟味し、承諾をした。惑星協定宇宙法による国家認証のなされていない地球ではあるが、二星間でのみの限定的な国交を開き、正式な文書を交わすに至る。
そうして二星間の協議の元、指定された太平洋に浮かぶ無人島に、地球人を下ろし解放することが速やかに決まったのだ。
久々の母星に喜び、我先に船外へと走り出す地球人のなか、ムームはティフォの首にしがみついて離れない。
別れを惜しむ気持ちはティフォだって同じだ。それでもムームの幸せを思うなら、星に返してあげなくてはいけない。例えようのない寂しさが、ティフォの胸を塞ぐ。
「ムーム。今までありがとう。どうか元気でね。幸せにおなり」
ティフォは宇宙船から下りて、ムームを地面に下ろした。
エリクレアス施設長は最後の別れに気を利かせ、職員を連れて一足先に船内に戻っていった。
ようやく諦めたのか大人しく地面に降りたムームが、それでもなおティフォの触手を引っ張り、顔を寄せる。
かわいいムームに最後の別れのキスをと、引っ張られるままに身を屈めるティフォ。
しかしティフォを待っていたのはキスではない。
俊敏に動くムームの体から繰り出されたのは、完璧な軌道を描く右ストレート。
全く油断してキス待ち顔をさらしていたティフォの顎は、さぞかし殴りやすかったことだろう。
(いや、感動的な別れのキスは?)
ティフォは、よく分からないままに暗転する視界の端で、悪い顔で笑うムームを見た。
(おい、嘘だろ、ムーム……)
いかに地球人と比べて大きな体をしていても、脳を鍛えることはできない。頭蓋骨の中で浮かぶ脳に回転加速度が加わって大きく揺さぶられ、電気生理学的に一時的な機能障害が生じる。
つまり、ティフォはムームに殴られ、あっけなく気絶をしたのだ。
ティフォが倒れるやいなやすぐさまに隠れていた数人の地球人が駆け寄ってきて、ティフォの体を担いで走り出す。ムームが連れてきたあの地球人たちだった。地球に返してやる代わりに、忠実な手下として働くようにムームから命令されていた。
ムームは、もうずっとこの瞬間のために準備をしてきたのだ。
『残念だったな、化け物。ヤクザは、欲しいものはどんな手段を使ってでも、手に入れるんだよ。今更、俺のそばを離れられると思うなよ。今度は俺が飼ってやる』
こうして、善良でお人好しで哀れな触手宇宙人は、地球人の手によってさらわれたのだった。
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