上 下
70 / 87
最終章

第69話 その果実は誰が為に。

しおりを挟む
 表面のざらりとした実は見るからに硬そうで、明らかにまだ熟してはいなかった。きっとこれから黄金色へと変わっていくのだろう。

「でも、一体どうして……? 初めてここに入った時には絶対になかったわ」

「そうだな。俺も前回は全く気付かなかった」

 いまだ大混乱の私とは違い、ガイウス陛下は落ち着きを取り戻したようだった。真剣な眼差しを上空の『精霊の実』に向け、私へと鋭く視線を移す。

「あれが、無事に熟したら――……」

 いつも優しい彼に似つかわしくない、厳しい声音に肩が跳ねる。怯えて後ずさりしそうになるのに、陛下はそれを許さず強く私の手を握った。

「リリアーナ。

「……ぇ……?」

 どくん、と心臓が激しく脈打つ。

 咄嗟にコハクを見ると、地べたにへたり込んだコハクは潤んだ目を懸命にこすっていた。真っ赤になった瞳で、無理していることがありありとわかる笑みを浮かべる。

「そうだね。……ガイウスが正しいよ、リリアーナ。君が食べるべきだ」

「――そんなっ!」

 ひび割れた声が漏れ、泣き出しそうになりながら二人を見比べた。必死でガイウス陛下にすがりつく。

「駄目よ、お願いだからあなたが食べて! コハクに会いたくないの!?」

「会いたい。――心から」

 苦しげに息を吐き、陛下は視線を泳がせた。
 コハクを探しているのだ、と気が付いて、そっとコハクの隣に寄り添う。

 ガイウス陛下がゆっくりと私達の側に跪いた。
 コハクもためらいがちに顔を上げ、見えないはずの二人の視線が交錯する。

「コハク。叶うなら俺とて、心から君に会いたい。言葉を交わしたい」

「…………」

 コハクの頬を静かに涙がつたった。慌てて彼を抱き締める。

 それでも、とガイウス陛下は声を絞り出した。

「それでも……、俺は、リリアーナに食べてほしい。彼女が二度と、病に苦しむことが無いように。天寿を全うできるように」

「……うん」

 小さく頷いたコハクの瞳から、最後の涙がこぼれ落ちた。震える唇を噛み、笑顔で私を見上げる。

「ごめんね、リリアーナ。僕、卑怯なこと考えた」

「コハク……」

「ガイウスが実のことを知ったら、きっと君に譲ってしまうに違いないから。……だから、君にだけ伝えて……。ガイウスに、実を……こっそり食べさせてもらえたらって……」

 僕、馬鹿だった。

 しゃくり上げながらの告白に、とうとう私も泣き出した。力の限りコハクを抱き締める。

「いいの、いいのよ! 私がコハクでも、絶対に同じことを考えたわ!」

「リリアーナ……」

 くぐもった声で泣くコハクを、ぽんぽんと叩いて慰めた。涙をぬぐい、キッとガイウス陛下を見上げる。

「ガイウス陛下。私、絶対に食べません。今までだって生きてこられたんだもの、まして今の私はコハクのお陰で人並み程度には健康で」

「人並み以下だよ、リリアーナ」

 コハクがすかさず突っ込みを入れてくる。もう、どっちの味方なの。

「――とにかくっ。私は何があろうと食べませんから。精霊の実はガイウス陛下が食べてください!」

「いいや、君が食べるんだ」

 頑なに主張を曲げないガイウス陛下に、だんだんと腹が立ってくる。地面を蹴りつける勢いで立ち上がり、腕組みして彼を睨みつけた。

「陛下のわからず屋っ!」

「君の方こそわからず屋だろう!」

 むむむむと鼻息荒く睨み合う私達に、コハクが慌てて割って入った。

「ちょっと待って!? 僕のせいで喧嘩しないで、冷静に話し合おう!?」

「あら、私はこの上なく冷静よ!」

「そうか? 全くそうは見えないけどな」

 ふんとそっぽを向くガイウス陛下に、眦が吊り上がる。なんですってー!?

「もう二人とも! いい加減に――……ふっ」

「コハク?」

 突然膝を折った彼に慌てて近寄った。
 コハクはふるふると背中を震わせると、爆発したように笑い出す。

「ああ、おかしいっ。いつも当てられるぐらい仲がいいくせに、君達でも喧嘩するんだねぇ!」

「え? あ……」

 なんとなく赤くなって、ぺたんと座り込む。
 おろおろと陛下を見上げ、せわしなく髪に指を絡めた。

「そりゃあ、ね。時には喧嘩ぐらいするわよ。ねえ陛下?」

「あ、ああそうだな。そういえば、君と喧嘩するのは二回目か……」

 呟きながら、陛下も地面にあぐらをかいた。なんだか気恥ずかしい気持ちになって、二人くすぐったく笑い合う。

 ……うん。
 そうよね、言い争いしている場合じゃないわ。

 深呼吸して、今の状況を整理することにした。

「考えてみたら、実が熟すまでにはまだ時間がありそうだものね。……そうだっ」

 ぽんと手を打って大樹を見上げる。

「そもそも実はひとつしか生ってないの? ふたつあれば問題も解決――……」

「残念、ひとつだけだよリリアーナ。僕も必死で確認したんだ」

 コハクの言葉にがっかりしつつ、抜かりなくガイウス陛下に通訳する。
 ガイウス陛下も難しい顔で考え込んだ。虚空を睨みながら、ゆっくりと口を開く。

「そもそも、と言うのなら。――なぜ、大樹は突然実をつけたんだ? 父は城を出ていくまで、毎日のように大樹を気にかけていたと思う。その度に、やはり実は生っていないと失望していたようだが……」

「前回私達が来た時も、ですものね。この短期間で何かあったのかしら……」

 答えのない話し合いに途方に暮れてしまう。
 それまで黙りこくっていたコハクが、慎重に私達を見比べた。

「大樹が今になって実をつけた意図はわからないけど。……誰がその現象を起こしたか、っていうのならわかるよ」

「え?」

 大急ぎでガイウス陛下に通訳して、二人そろって身を乗り出す。ごくりと唾を飲み込んだ。

 たっぷりと間を置いてから、コハクは重々しく口を開く。

「大樹の主にして、はじまりの精霊。――そう、これはまず間違いなく初代の仕業だよ」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~

卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」 絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。 だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。 ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。 なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!? 「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」 書き溜めがある内は、1日1~話更新します それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります *仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。 *ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。 *コメディ強めです。 *hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!

【完結】もう結構ですわ!

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
 どこぞの物語のように、夜会で婚約破棄を告げられる。結構ですわ、お受けしますと返答し、私シャルリーヌ・リン・ル・フォールは微笑み返した。  愚かな王子を擁するヴァロワ王家は、あっという間に追い詰められていく。逆に、ル・フォール公国は独立し、豊かさを享受し始めた。シャルリーヌは、豊かな国と愛する人、両方を手に入れられるのか!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/11/29……完結 2024/09/12……小説家になろう 異世界日間連載 7位 恋愛日間連載 11位 2024/09/12……エブリスタ、恋愛ファンタジー 1位 2024/09/12……カクヨム恋愛日間 4位、週間 65位 2024/09/12……アルファポリス、女性向けHOT 42位 2024/09/11……連載開始

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話

みっしー
恋愛
 病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。 *番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!

【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから

gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。

悪役令嬢に転生したおばさんは憧れの辺境伯と結ばれたい

ゆうゆう
恋愛
王子の婚約者だった侯爵令嬢はある時前世の記憶がよみがえる。 よみがえった記憶の中に今の自分が出てくる物語があったことを思い出す。 その中の自分はまさかの悪役令嬢?!

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

処理中です...