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二学期・後半

第77話 歪んだ悪意 - Fuzz (1)

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 文化祭でのライブが成功し、後夜祭も駿と楽しみ、幸せな気分に浸っていた幸子は、何者かに階段から突き落とされてしまう。
 意識を失った幸子は、救急車で搬送された。

 ――県中央病院 救命救急センター 待機室

「高橋(駿)くん!」
「澄子さん!」

 駿に駆け寄る幸子の母親・澄子。

「連絡をくれて、ありがとう! 幸子は⁉ 幸子は大丈夫なの⁉」

 駿は、澄子の正面から両肩を持ち、落ち着くように促した。

「幸子さん、今は意識もはっきりしていますが、精密検査中です」
「精密検査……」
「順番に説明しますね。最初に、こちらにいらっしゃる鈴木先生が、階段の踊り場で倒れている幸子さんを見つけました」

 同行した体育教員の鈴木が、澄子に頭を下げた。
 説明を続ける鈴木。

「発見したのは偶然だったのですが、その時点では意識を失っていたようで、私の呼び掛けに応じませんでした」

 澄子は、その言葉に思わず口を手で覆った。

「それで慌てて救急車を呼んだ次第です」
「鈴木先生、娘がお世話になりまして、ありがとうございました……」

 深々と頭を下げる澄子。
 鈴木も頭を下げた。

 説明を続ける駿。

「幸子さん、忘れ物を取りに行くと言って教室に戻ったんです。オレたちは校庭で待っていて、それで中々戻ってこなくて……オレ、澄子さんの連絡先を知っていたので、救急車に同行させてもらったんです……」
「それで高橋くんがここにいるのね……不幸中の幸いだわ……」
「救急車の中で意識を取り戻して、少しだけ話をしたんですが、階段から落ちてしまったようです。それで頭を打ってしまったらしく、身体の痛いところ含めて、今、CTとかで精密検査中です」
「頭を……」
「今のところ、吐き戻したりはしていないですし、吐き気があるような話も聞いていません」

 澄子は、不安で落ち着かない様子だ。

 コンコン ガチャリ

 半袖のドクターコートを着た医師と思しき若い男性が部屋に入ってきた。

「すみません、山田幸子さんのご家族の方でしょうか?」
「は、はい、私が幸子の母親です」
「私、救命救急センターの里見と申します」

 頭を下げる医師。

「娘さんですが、CTで頭部と痛みを訴えているところを検査しましたが、いずれも大きな異常はありませんでした」

 安堵の声が上がった。

「痛いと言うところも外傷はなく、骨折もしていません。階段から落ちたとのことですが、この状態は、ほとんど奇跡ですね」

 駿、澄子、鈴木に笑みが漏れる。

「ただし、頭を強く打っているようですので、少なくとも二、三日程度は安静にしていただく必要があります」

 表情が引き締まった澄子。

「幸いベッドが空いているのと、万が一でもウチは脳外科もありますので、三日程度入院されることをおすすめします。もしご自宅に戻られる場合は、同様に三日程度は安静にしていただいて、目を離さないようにしてください」
「それでは、入院でお願いできますでしょうか」
「わかりました、それでは手続きをしますので、こちらへどうぞ」

 別の部屋へ澄子を促す医師。

 澄子は、駿と鈴木に改めて頭を深々と下げた。

「この度は、娘が大変お世話になりまして、本当にありがとうございました。あとは、私の方で対応させていただきますので」

 鈴木も頭を下げる。

「澄子さん」

 去ろうとする澄子を呼び止めた駿。

「澄子さん、幸子さんの状況と入院のこと、後でご連絡いただけませんか? 深夜とかになっても大丈夫ですので。仲間たちが心配しています」
「分かりました、必ず連絡しますね」
「お待ちしています」

 澄子は医師と共に退室していった。

(まずは、さっちゃん、一安心かな……)

 しかし、駿には気になることがあった。

(さっちゃん、救急車の中で「階段から落ちた」って言った時、オレから目をそらしたんだよな……)

 ◇ ◇ ◇

 ――翌日 県中央病院 一般病棟

 幸子しかいない大部屋の病室。

「さっちゃん」

 その声に、読んでいた本を置き、顔を上げる幸子。
 駿が笑顔を浮かべ、小さな花束を持って、部屋の入り口に立っていた。

「駿くん!」

 喜びの声を上げる幸子。

「あーしもいるよ」

 笑顔のジュリアと、心配そうな顔をした亜由美もいた。

「わぁ、来てくださったんですね!」
「あんまり大勢だと迷惑かと思って、代表でオレら三人だけだけどね」
「お気遣いありがとうございます、どうぞ入ってください」

 病室に入る三人。

 亜由美が駆け寄り、ベッドの上に座っていた幸子を抱きしめた。

「さっちゃん……さっちゃん……もうヤダ……心配させないで……」

 肩を震わす亜由美。

「亜由美さん……」

 亜由美をそっと抱き返した幸子。

「亜由美、パニくっちゃって、大変だったんだよ。ジュリアもキララに抱きついて泣いてたしな」
「バッ……! それを言うんじゃねぇって……」

 顔を赤くするジュリア。

「私は優しいお友達に囲まれて、本当に幸せものです……」

 幸子は、優しく微笑んだ。

「それと、これ」

 駿が持っていた小さな花束、それはコスモスの花だった。

「これ、もしかして……」
「うん、菅谷さんに事情説明したら、持っていってくれって」
「わぁ、すごく嬉しい。駿くん、花瓶が無いので、そこのコップに入れていただけませんか?」

 ベッド脇の棚に、水の入ったプラスチックのコップがある。

「うん、じゃあここに入れておくね」
「ありがとうございます。これでコスモスからも元気をもらえちゃいますね」

 微笑み合った幸子と駿。

 スーハー スーハー スーハー

 幸子の胸に顔をうずめる亜由美の呼吸音が大きくなる。

「あ、亜由美さん……?」
「さ、さっちゃんの匂ひ……」

 下品な笑みを幸子に向ける亜由美。

 パンッ

 駿は亜由美の頭を引っ叩き、幸子から引き剥がした。

「オマエの前世はセクハラ親父だな……」
「さっちゃん、あとでそのパジャマ姿、写真撮らせてね!」

 スマートフォンを持ってニヘニヘ笑う亜由美。
 幸子は苦笑いするしかなかった。

 空いた幸子の胸に飛び込むジュリア。

「あーしだって……あーしだって、さっちゃん、心配したんだからね!」
「ジュリアさん……」
「キララも、ココアも、みんなすごく心配したんだから……」
「心配かけて、ごめんなさい……」

 幸子は、ジュリアを強く抱きしめた。

 モミ モミ モミ

「キャッ! ジ、ジュリアさん、ちょっと……!」

 パンッ

 駿はジュリアの頭を引っ叩き、幸子から引き剥がす。

「オマエは何をやってんだ……」
「さっちゃんのオッパイ、揉んじった……」

 ジュリアは、だらしない顔をしていた。

「さっちゃん、ゴメン……お見舞いの人選、間違えた……」

 ガックリする駿。

「何言ってんのよ、駿だってさっちゃんの胸に飛び込みたいでしょ?」
「亜由美、オマエは何を言ってんだ……?」
「駿だって揉みたいクセに!」
「ジュリア、オマエはアホか?」

 幸子は、亜由美とジュリアの言葉にモジモジしだした。
 そして、駿に向けて、両手を広げる。

「あの、よろしければ……ペッタンコですが……」

 幸子の行動に頭を抱えた駿。

「根性無しよね~、駿って。さっちゃんが、ああ言ってんだから、欲望のままに行きゃいいじゃん」

 亜由美が駿に白けた視線を送る。

「このチキンが!」

 駿にとどめを刺したジュリア。
 幸子は、それを見てクスクス笑っている。

「オマエらは、オレをからかわないと気がすまんのか……」

 病室が笑いに包まれた。

 ◇ ◇ ◇

 楽しそうに談笑している四人。

「それにしても、さっちゃん、運イイよね! 階段から落ちて、小さいたんこぶと打ち身だけって!」

 ジュリアの言葉に微笑んだ幸子。

「はい、先生も奇跡だって、そうおっしゃっていました」
「足滑らしちゃったの?」

 亜由美の問いに、幸子の身体が小さくビクッと揺れる。
 亜由美からの視線から逃げるように、幸子は軽くうつむいた。

「は、はい。暗くて、足踏み外しちゃったんです」

 笑顔で顔を上げる幸子。

「さっちゃん、ホントに気をつけてね」
「はい、あんな怖くて、こんな痛い思いは、もうしたくないですので」

 幸子は苦笑した。

「…………」

 そんな幸子を黙って見つめる駿。

『ぴーんぽーん まもなく面会時間が終了になります。面会でお越しの方は……』

 面会終了を告げるアナウンスが院内に流れた。

「あーし、今夜ここに泊まっちゃおうかな」
「あー、私もそうする!」
「コラコラ、バカ言ってんな! さっちゃんは明後日まで入院?」
「はい、その予定ですので、水曜日から登校です」
「そっか、分かった。じゃあ、それまでゆっくり身体休めて、ね」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあね、さっちゃん。あーしのこと、忘れちゃヤダよ!」
「いきなり胸揉んだりする女の子、忘れるわけないです!」

 ジュリアとお互い笑顔で手を振る。

「さっちゃん、ゆっくり休んでね」
「はい、亜由美さん、ありがとうございます! 写真たくさん撮られましたが……」
「メモリいっぱい♪」

 満面の笑みの亜由美に、苦笑いで手を振った。

 スッと駿が幸子に耳打ちする。

「今夜、LIME送るから……少しだけ話させて……」

 駿は真顔だ。

「は、はい、わかりました」

 笑顔になる駿。

「じゃあ、さっちゃん。学校で待ってるからね」
「はい、皆さんにもよろしくお伝えください」

 三人は、幸子の病室から手を振りながら出ていった。

 賑やかだった病室は、物音ひとつしなくなる。
 ベッドへ横になった幸子。

(たった三日間の入院なのに、まさかお見舞いに来ていただけるとは思わなかったな……)

 コップに飾られたコスモスの花を眺める。

(駿くん、今夜連絡するって言ってたけど、何だろう……まさか、気がついた……? まさかね……)

 幸子は、寝返りを打った。

(何だかは分からないけど……駿くんを巻き込みたくない……もう少し様子を見て、自分で解決できるなら……)

 駿たちに頼り切りなことを負い目に感じている幸子。
 襲われる恐怖を感じながらも、何とかしようとする幸子の背中を、コスモスの花はただ何も言わず見つめていた。

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