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第三話

それぞれの思惑Ⅱ

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 ルシフェルはそのまま歩みを続ける。ハーブや薬草が生い茂る小道を行くとほどなくして、トネリコと白樺の木で出来た家がある。シンプルだがとても温かみのある雰囲気だ。彼は白樺で出来た扉を軽くノックした。声はしない。ドアは開いているのでそのまま入って行く。窓辺には柔らかな光が差し、木製のテーブルには色とりどりの花が飾られていた。とても居心地の良い空間だ。

 そのまま部屋の奥へと向かう。薬草の香りが漂ってくる。進むごとに色濃く。しばらくすると、顕微鏡を傍らに、大釜の中にハーブや薬草を入れ煮込んでいる者がある。試験管とスポイトを手にしている事から、無心に研究らしきものをしている、と推測される。

 その姿は、艶やかな亜麻色の髪は波打ち。肩ぐらいの長さまで伸ばされている。それはまるで柔らかな光沢を放つビロードのようだ。その肌は雪のように白く、パステルグリーンの甲冑とローブを身に纏い、腰には深緑色に艶めく剣を差していた。その背には、翡翠を思わせるような優しいグリーンの翼を持つ。

 その者はふと気配を感じ振り返ると、思わぬ人物に驚いた。

「ルシフェル様! これは大変失礼致しました」

 と亜麻色の豊かな睫毛を伏せ、深々と頭を下げた。まるでバイオリンのような、不思議な癒やしの力を秘めた声である。

「ラファエル(神は癒やされる)、謝る必要はない。むしろ、私の方が知らせもなく訪れたのだ」

 とルシフェルは応じた。ラファエルと呼ばれた青年は真っ直ぐに見つめた。その瞳は優しく輝くエメラルドを思わせる。

「研究か? いつも熱心だな」

 ルシフェルは微笑みながらそう続けた。

「私はどちらかというと外を飛び回るよりは、こういった実験や研究の方が性にあっているようです」

 ラファエルは微笑み返しながら応じた。そしてさり気無くルシフェルを更に奥の部屋に誘導する。そしてソファに座るよう促す。

「今、お茶を入れますね」

 と言うと、ラファエルはその場を離れようとした。すかさずルシフェルは、

「構うな、私が勝手に来たのだから」

 と引き留める。そんな彼に穏やかに微笑み、

「ちょうど休憩をしようとしていたところです。それに、何かお話があっていらっしゃったのでしょう?」

 と、まるで悪戯っ子のように言った。ルシフェルはつられてつい笑いながら、

「そなたには敵わぬな」

 と肩をすくめ、ラファエルの後ろ姿を見送った。樹木の温もりを感じる部屋だ。こじんまりとしてるが、小ざっぱりとしている。ソファー深く腰をおろし、部屋の主が戻るまでしばし寛いだ。

 爽やかな風が窓から吹き込む。柔らかな日差しが部屋に差し込み、外では鳥が歌っている。ルシフェルは琥珀色に透き通る液体を見つめながら、ふと、ゼウスに想いを馳せた。

 そして、ゆっくりと琥珀の液体を味わう。

「落ち着くな……。やはり、ソナタの入れるハーブティは絶品だな」

 しみじみとルシフェルは言った。

「恐れ入ります」

 ラファエルは軽く頭を下げ、同じように琥珀色の液体を飲んだ。しばらく、二人は、その穏やかな空間を味わう。

 意を決したように、不意に鋭い顔つきになるルシフェル。

「ラファエル、聞きたい事がある!」

 と唐突に告げた。それを受けて、穏やかに頷くラファエル。

「人間界について、どう思う?醜い争いが絶えないようだが……」

 とルシフェルは続けた。相変わらず穏やかな表情のまま

「人間界、ですか。……私は、正直あまり人間には関心がないのですが、私に与えられた役割は、癒やしですからそうも言っていられません。確かに争い事が増えましたから、私を呼ぶ人間達は増え続けていますね。不可侵条約と申しましても、ウリエルとメタトロンと私は、地球自体が悲鳴を上げる危険性がある時は、パワーを送らなければなりませんから」

 そこで言葉を切った。そして、何かを考えるように遠くを見つめる。やがて

「人間達が争う事の原因の一つに、先が見えない不安感、というのがあると思います」

 とハッキリ答えた。

「と言うと?」

 ルシフェルは促す。ラファエルは僅かに悲しみを帯びた表情を浮かべると

「先が見えないから、答えを求めます。その答えこそが、権威あるものが創り上げたもの。例えば、幸せの形。成功の形。それらに本来、答えも正解も優劣もありません。人間一人ひとりの個性が異なるようにゼウス様がお創りになられたのですから、幸せや成功の形は人それぞれ異なるものです。ですが個性を活かす、という事を目立ち煌びやかに活躍する事だ、と誤解するものも多くいますね。そうではなく組織の中でこそ、その能力を発揮するものも居れば、専業主婦で家族の為に主婦業に専念する事で、家族も活き活きと輝き、本人も自然体で輝く。そのような場合も多々あります。自分がどのタイプかを知る為に占いがあります。それらを否定し華々しく活躍する事こそが成功だと提唱し、そこを利用して私達の名を語る者も沢山出てきています。自分を見失ってしまった者は、その権威ある者達を無条件に信じて彼らに答えを委ねてしまう。例えばアセンションという言葉が地球で以前流行ったようですが……。それは私達を目指す事ではなく、各自が与えられた人生をしっかりと丁寧に大切に生きていく事、なのですが……。ですが、間違って提唱された事を信じる事で、その者が安心できるならそれもありでしょう」

 と静かに語った。

「選択の自由、というやつだな」

 とルシフェルは答える。ラファエルはそれに頷き、更に話を続けた。

「ただ、一時的に不安は解消されても、与えられた答えなので安定はしません。ですから、彼らは再び不安になって彷徨った挙げ句、人間同士で優劣をつけ始めます。そして、自分と異質なものを排除しようと画策します。これが、いじめや偏見、差別、格付け、と呼ばれるものの大半です」

 と、穏やかに語りつつも、ハッキリと言い切った。それに頷きながら、

「皆、違って当然だし、そもそも優劣などつけられぬのだがな。愚かなものだ。不安なのは当たり前だ。生まれる前に設定してきた課題や使命は、忘れるように設定して生まれるのだからな。ごく稀に覚えているものもおるが……。何故そうしたか? ゼウス様の深い愛からだ! 決められた人生などつまらぬから、自分で運命を切り開く醍醐味を味わえるようにだ!しかも、道標の参考に「占い」というものまで授けられているのに。その占いを、他人の気持ちを操作・支配・コントロールしようとする事に使おうとするものが多い。実に嘆かわしい!」

 と怒りを露わにする。そんな彼を、ラファエルは優しい眼差しで見つめた。

 ラファエルはゆっくりと話しを続ける。

「ですが、その迷う過程も彼らの大切な学びです。そうやって、自分自身を知っていくのです。人間は、確かに過ちも沢山犯しますが、気付いたらそこで取り返していけば良い。現に、そこに気付いている人間も出て来てはいますから。物事は、両極があって初めて知るもの。争いがあるから、平和を知り、悲しみがあるから、喜び・楽しみの感覚を知るのです。人生には想定外の事はつきもの。たとえどんな素晴らしいマジックがあったとしても、自分に都合の良い事だけを引き寄せる事など不可能……という事に早く気付いて、」人生を自分で切り開き、自分だけの人生を味わってほしいですねぇ」

 その言葉に耳を傾けているうちに、ルシフェルは苛立っていた心が少しずつ落ち着いていくのを感じた。そしてフッと笑顔を浮かべる。

「もし人生が自分の思い描いた通りにしか進まなかったら、何が平和なのか基準が解らなくなる。退屈で退屈で仕方なくて、刺激が欲しくなるものだしな」

 と答えた。

「……この天界のように、ですか?」

 とニッコリ笑いながら、ラファエルは問いかけた。二人は同時に噴き出した。


……優しい空間が二人の間に流れていく。ルシフェルはゆっくりとハーブティーを味わった。

「そうだな、天界のように……だな」

 ぽつり、とルシフェルは噛みしめるように言った。二人は同時に噴き出した。優しい空間が流れる。

「さすがだな、ラファエル。『許し』は究極の癒やしと愛の光、というが、そなたを見ていると成る程な、と思うぞ」

 としみじみと感じ入ったように言った。ラファエルは、おどけたように肩をすくめ、

「怒りや恨み等の激しすぎる感情は、無駄にエネルギーを消費します。そうすると、私の好きな実験・研究に費やせるエネルギーがなくなりますし、常にイライラしますから、それでは私が楽しくありません。それにね、不可侵条約により、そもそもが人間達を操作・支配・コントロールは出来ないので。どうしようもないものを何とか操作しようともがくより、許してしまった方が私自身が楽だからなのですよ」

 と答えた。そして不意に真顔になる。

「ルシフェル様、どうか一人で抱え込まないでください。私達は、そんなに頼りになりませんか?」

 と問いかけた。ルシフェルは一瞬ビックリしたように目を見開いた。しかし、すぐに観念したように

「やはり、そなたには敵わないな。どうやら私は、熱くなり過ぎて周りが見えなくなっていたようだ」

 と微笑んだ。


 それからしばらくゆっくりとした後、ラファエルの元を後にした。気遣わし気に見送るラファエルの優しさをその背に感じながら……。
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