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第十二章 浮民の少女と黒き妖虎
十二の壱.
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月門の邑から徒歩で十刻(一刻=十五分)程の場所にその小邑はある。
田単の邑ーー人口は百人にも満たない小さな農村だが、やはり月門程ではないが居住区画は妖魔避けにそれなりの囲郭で覆われていた。
月門の邑の台所を支える米所で、外郭沿いに田畝が広がっている。今も郭外に出て農民が野良仕事をしていた。
田圃には植えられた青苗が綺麗に列を成し、時折吹き抜ける風に揺られている。
その風に僅かばかり涼を得るも太陽に照らされれば気休め程度にしかならない。
その陽光に晒された苗は青々と目に優しく、田圃に張られた水に弾かれた陽光はきらめいて美しい。
笑い声が聞こえてくる。
どうやら一仕事終え小邑人達が少し早い昼飯にしたようだ。陽射しを避け木陰で休息を取っている。
側から見れば何処でも見られる長閑な田園風景。
そこから少し離れた丘の上から小邑の様子を眺める小さな影があった。それは長い紺青の髪を一つに束ねた小柄な少女。
歳の頃は十を僅かばかり超えたくらいだろうか?
まだ幼さの残る少女は田園風景を見詰めていた澄んだ青紫の瞳に憂愁の色を浮かべた。
「藍鈴、浮かない顔をしてるね」
突然、下方から声を掛けられ少女は足元へと視線を落とす。見ればいつの間にやって来たのか、小さな黒猫が金色の瞳で少女を見上げていた。
「大丈夫」
抑揚の無い声で答えた藍鈴はその猫を掬い上げて抱き締めた。頬擦りをすれば柔らかい毛並みと猫の温もりが僅かながら藍鈴の傷付いた心を癒してくれる。
「珠真が傍に居てくれるから」
珠真と呼ばれた黒猫は当然だが只の猫ではない。人と意思疎通ができるだけではなく、見れば尾が三つに分かれている。
仙狸ーー猫の化生である。山猫が長い歳月を掛けて仙術を身に付けた妖獣で、美男美女に化け人の精気を吸う。
そんな化け猫の珠真にとって人間など取るに足りない只の精気袋。
だが、珠真は藍鈴の愛撫を拒まず、それどころか自ら擦り寄った。
「藍鈴が望むなら、あたいはずっと傍にいるよ」
「ありがとう」
仙狸にとって人間など餌でしかないのに、珠真はそんな妖魔のはずなのに。だけど、不思議な事に彼女はこの憐れな少女に同情的であった。
まるで二人はお互いに慰め合うように身を寄せ合う。
それは人と妖魔の垣根を越えた心温まる優しい時間。
だが、突如その稀有な絆で築かれた世界に不粋な黒い影が差した。
「何シテル、早クヤレ」
「五月蝿いよバカ烏!」
それは二人の頭上を旋回している黒い烏。珠真は烏の急かす命令口調に苛立ち舌打ちした。
こも人語を解す烏ーー金烏もやはり妖魔だ。
金烏は至る所に棲息しており、偵察から戦闘まで幅広く使える汎用性の高さから方術使いが好んで使い魔とする妖獣だ。
「人に使役されるだけの低級の癖に!」
「オ前モ同ジダロ」
珠真の悪態に金烏は馬鹿にしたように応じた。
忌々しい烏め!ーー命令に忠実なだけの金烏に珠真は内心で毒付く。
金烏の指摘通り珠真も使い魔に過ぎない。それも、この金烏と同じ方士のだ。その方士というのは残念ながら藍鈴ではない。
珠真も金烏も都邑の宮廷にいる方士が真の主人だ。大した能力も無い癖に矜持ばかり高い高慢ちきな方士の顔を思い出すと胸がむかむかする。金烏は忠実に従っているが、正直に言って珠真はこの主人を殺してやりたいくらい憎い。
珠真はそれなりに強い猫の精であり、本来なら今の主人如きに使役される存在ではない。だが、とある事情で珠真はその方士に方呪に縛られていた。
「珠真、あまり反抗しては駄目」
「……」
感情を殺した声であったが、藍鈴が珠真を気遣っているのが痛い程わかる。この憎たらしい烏を通して珠真の言動は主人に筒抜けなのだ。後で酷い目に合わないか藍鈴は心配してくれている。だから珠真は口を噤むしかなかった。
ああ、この心優しい藍鈴が主人であったら!
珠真はそう願わずにはいられない。
それ程この少女を珠真は愛していたのだった。
田単の邑ーー人口は百人にも満たない小さな農村だが、やはり月門程ではないが居住区画は妖魔避けにそれなりの囲郭で覆われていた。
月門の邑の台所を支える米所で、外郭沿いに田畝が広がっている。今も郭外に出て農民が野良仕事をしていた。
田圃には植えられた青苗が綺麗に列を成し、時折吹き抜ける風に揺られている。
その風に僅かばかり涼を得るも太陽に照らされれば気休め程度にしかならない。
その陽光に晒された苗は青々と目に優しく、田圃に張られた水に弾かれた陽光はきらめいて美しい。
笑い声が聞こえてくる。
どうやら一仕事終え小邑人達が少し早い昼飯にしたようだ。陽射しを避け木陰で休息を取っている。
側から見れば何処でも見られる長閑な田園風景。
そこから少し離れた丘の上から小邑の様子を眺める小さな影があった。それは長い紺青の髪を一つに束ねた小柄な少女。
歳の頃は十を僅かばかり超えたくらいだろうか?
まだ幼さの残る少女は田園風景を見詰めていた澄んだ青紫の瞳に憂愁の色を浮かべた。
「藍鈴、浮かない顔をしてるね」
突然、下方から声を掛けられ少女は足元へと視線を落とす。見ればいつの間にやって来たのか、小さな黒猫が金色の瞳で少女を見上げていた。
「大丈夫」
抑揚の無い声で答えた藍鈴はその猫を掬い上げて抱き締めた。頬擦りをすれば柔らかい毛並みと猫の温もりが僅かながら藍鈴の傷付いた心を癒してくれる。
「珠真が傍に居てくれるから」
珠真と呼ばれた黒猫は当然だが只の猫ではない。人と意思疎通ができるだけではなく、見れば尾が三つに分かれている。
仙狸ーー猫の化生である。山猫が長い歳月を掛けて仙術を身に付けた妖獣で、美男美女に化け人の精気を吸う。
そんな化け猫の珠真にとって人間など取るに足りない只の精気袋。
だが、珠真は藍鈴の愛撫を拒まず、それどころか自ら擦り寄った。
「藍鈴が望むなら、あたいはずっと傍にいるよ」
「ありがとう」
仙狸にとって人間など餌でしかないのに、珠真はそんな妖魔のはずなのに。だけど、不思議な事に彼女はこの憐れな少女に同情的であった。
まるで二人はお互いに慰め合うように身を寄せ合う。
それは人と妖魔の垣根を越えた心温まる優しい時間。
だが、突如その稀有な絆で築かれた世界に不粋な黒い影が差した。
「何シテル、早クヤレ」
「五月蝿いよバカ烏!」
それは二人の頭上を旋回している黒い烏。珠真は烏の急かす命令口調に苛立ち舌打ちした。
こも人語を解す烏ーー金烏もやはり妖魔だ。
金烏は至る所に棲息しており、偵察から戦闘まで幅広く使える汎用性の高さから方術使いが好んで使い魔とする妖獣だ。
「人に使役されるだけの低級の癖に!」
「オ前モ同ジダロ」
珠真の悪態に金烏は馬鹿にしたように応じた。
忌々しい烏め!ーー命令に忠実なだけの金烏に珠真は内心で毒付く。
金烏の指摘通り珠真も使い魔に過ぎない。それも、この金烏と同じ方士のだ。その方士というのは残念ながら藍鈴ではない。
珠真も金烏も都邑の宮廷にいる方士が真の主人だ。大した能力も無い癖に矜持ばかり高い高慢ちきな方士の顔を思い出すと胸がむかむかする。金烏は忠実に従っているが、正直に言って珠真はこの主人を殺してやりたいくらい憎い。
珠真はそれなりに強い猫の精であり、本来なら今の主人如きに使役される存在ではない。だが、とある事情で珠真はその方士に方呪に縛られていた。
「珠真、あまり反抗しては駄目」
「……」
感情を殺した声であったが、藍鈴が珠真を気遣っているのが痛い程わかる。この憎たらしい烏を通して珠真の言動は主人に筒抜けなのだ。後で酷い目に合わないか藍鈴は心配してくれている。だから珠真は口を噤むしかなかった。
ああ、この心優しい藍鈴が主人であったら!
珠真はそう願わずにはいられない。
それ程この少女を珠真は愛していたのだった。
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