胡蝶の舞姫

深智

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〝エミー〟

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 銀座から11系統の都電に乗った絵美子は新宿駅前停留所で降りた。

 停留所で待っていた万里子は、降りてきた絵美子を見つけ、手を振った。

 秋の終わりの昼下がり、近付く冬を感じさせない温かな日差しが新宿の街に降り注いでいた。

 柔らかな陽光が万里子の焦げ茶色の髪を明るく照らし、白い肌に映える。絵美子は眩しげに目を細めた。

「お待たせ、ごめんね、待ったでしょう。思っていたよりも時間が掛かったの」

 日傘を差した着物姿の絵美子に万里子は憧憬に近い眼差しを向けていた。

「エミーは、芸者さんなのね」
「何、改まって」

 絵美子は笑う。万里子はちょっと困ったような顔をした。

「あたしと、全然違うなぁって思って」

 愛らしい赤と紺がセンス良く組み合わさったチェックのワンピースを着ている万里子を絵美子はじっと見る。

「うん、確かに全然違う」
「え」
「マリーのような可愛い洋服、私には似合わないもの。マリーは可愛い」
「え」

 日傘の下の屈託のない笑顔が、落ち着いた大人の女性の装いは少し背伸びなのだという事を教えていた。

 自分たちは、中身はまだ少女なのだ。

 肩を竦めて笑い合う。

 同い年の混血児。出会いは運命だ。万里子と絵美子は直ぐに仲良くなった。

 互いの素性も隠す事なく教え合った。とはいえ、万里子は躊躇いながらだった。

 聞かされた絵美子は偏見の色は微塵も見せず、微笑んだ。

『生身の身体で勝負が出来る、お金を取れるって、凄い事と思う』

 私達は、生きているのだから。自らの力で生き抜く為に、自分の身体を最大限に使うのは当然でしょう。

 絵美子の言葉は万里子の心の奥に浸透した。

 築地で出会った日から、絵美子は幾度か新宿に足を運び、万里子との仲を深めていった。

「ねえ、今日は何処に行くの?」

 新宿は来る度に街が変貌する。絵美子は銀座とはまるで違う街並みに毎度胸をワクワクさせた。

 嬉しそうに辺りを見回す絵美子の腕に自らの腕を絡め、万里子は前方を指差した。

「高野のパーラーでパフェを食べよう」
「高野?」

 万里子の指差した方角に、明るい色のガラス張りの瀟洒な入り口が見えた。

「フルーツパフェ」

 絵美子の顔が明るくなる。

「好き?」
「大好き!」

 先週、銀座の千疋屋に恵三に連れて行ってもらった。フルーツ山盛りの大きなパフェを喜んで平らげた絵美子に、恵三は僅かに呆れていたような気がした。

 あれは少し恥ずかしかったけど。

「今日はお友達とだから、恥ずかしくない!」
「え、何それ」
「なんでもないよ、行きましょう!」

 気付けば手を繋いでいた。

 大勢の人間行き交う新宿の横断歩道。パッと見れば外国人、という容姿の、着物姿とワンピース姿の娘が二人手を繋いで楽しそうに歩く姿は人目を引いた。



 マスクメロンのパフェに二人は目を輝かせた。

「こんなの中々食べられない」
「うん」

 恐る恐るフォークで刺して、メロンを頬張り、顔を見合わせ、ふふふと笑う。

 二人にとって友達と過ごすこんな時間は初めてだった。

 まだ話していない事は互いに沢山あったけれど、少しずつ話していけばいい。

 二人はこの年の女子らしい話題に花を咲かせた。

 あっという間に時間が過ぎ、新宿駅前停留所での別れ際、万里子は「そうだ!」とある情報を絵美子に伝えた。

「あたしが踊り子をしている劇場に、青森から来た美容師さんがいるの」
「青森から来た美容師さん?」
「そうなの、エミー、青森の出身って言っていたから」

 絵美子の脳裏に真っ先に浮かんだのは銀平だった。

『僕は、絵美子の為に髪結いになるよ』

 髪結い、つまり美容師だ。まさかそれは。

「どんな人?」
「それがね、とっても素敵な女の人、みたいなんだけど、実は、男の人」

 息を呑んだ。多分、銀平だ。

「え、その人名前は?」

 予想以上に、興奮気味に食い付いてきた絵美子に万里子は驚きながらも答える。

「えっとね、スミ子さん。けど、本名じゃないよね、多分。ごめんね、本当の名前は分からないの」
「あ、そっか。ごめんなさい、こちらこそビックリさせちゃった」
「ううん。エミー、もしかして知り合い?」

 絵美子は悲しげに首を振る。

「分かんない。心当たりがあったからもしかしたら、と思ったの。でも、名前を変えてるとは考えられないから」

 あまりに寂しげな顔をした絵美子に、万里子は頰に優しく手を添えて微笑んだ。

「エミー、そんな顔しないで。今度そのスミ子さんに名前聞いておいてあげる。ううん、今度、一緒にご飯食べようよ。スミ子さん、きっと喜んで来てくれるから」

 優しい万里子。

 絵美子は「うん」と頷いた。

 故郷は捨てても、大事な友人を捨てた訳じゃない。きっと会える。

 電車がゴトゴトと音をさせながら停留所に入ってきた。終点の為、全ての乗客が降りてから、反対方向が前方となる準備をし、次の乗客を乗せる。

 仕事帰りの客がたちまち乗り込んだ。

「じゃあ、あたしもエミーの事、スミ子さんに聞いてみるね」
「お願いします」

 乗り込む絵美子を見送る万里子は、来た時と同じく明るい笑顔で手を振った。

 ドアが閉まり、ゴトンッという重い音と共に電車が発車した。

 見えなくなるまで手を振り合い、つり革に捕まった絵美子は、大事な事を思い出した。

 万里子は「エミーの事を聞いておく」と言ってくれたが、名前を変えたのは自分だった。本名は誰も知らない。

 でも、と絵美子は思う。

 互いに、名前が変わっていたとしても、私達は必ず会える。信じてる。銀ちゃん。




「マリー、ここのところお肌の調子がとってもいいみたい」

 万里子の髪のセットと化粧を施していたスミ子は鏡越しに覗き込みにっこりと微笑んだ。

 夏が終わった頃、見習い期間が明け、一旦香蘭から離れていたスミ子だったが二週間程前、正式専属となって戻ってきた。

 百合子が入院中とあって、戻って来た頃は万里子の顔が暗く落ち込んでおり気に掛かっていたのだが、先週辺りからとても明るくなった。

 百合子の容体も最近は安定していると聞いていた。

「何かいい事あったのかしら」

 万里子は「分かる?」と答えてフフフと笑った。

「あったの、いい事。お友達ができたの」

 まあ、と化粧筆を持ったスミ子も嬉しくなる。万里子は楽しそうに話し始めた。

「その子ね、なんと、あたしと同じアメリカ人と日本人の混血児なの。同い年の女の子なの。偶然出逢ったのよ、凄いでしょう」
「え、マリーと同い年?」

 スミ子は目を見開く。

「その子ね、出身は青森なの」

 万里子はスミ子の反応を見て心情を汲んだようだ。

「もしかしたら、スミ子さんが探しているお友達かも」
「う、うん……」

 スミ子の前のめりな様子を見ながら万里子は自分の知る情報を整理する為に、指を折りながら話しいく。

「あのね、とっても綺麗な子で、優しくて、強くて」
「あら」

 それはまさに、とスミ子はドキドキしながら次を待つ。

「今新橋の芸者さんをしているって」

 息が詰まった。

 エミー? エミーでしょう?

 溢れそうになる涙を懸命に堪え、スミ子は聞く。

「その子、名前は?」

 万里子は五本目の指を折る。

「エミコさん」

 エミー!

 確定だわ! と思ったスミ子だったが、

「中丸絵美子さん、っていう名前よ。やっぱり、スミ子さんのお友達で間違いないかしら」

 苗字が違う。

 万里子は明るい笑顔でスミ子を見たが、スミ子自身は悲しげに首を振った。

「苗字が、違うわ。その子、結婚してるのかしら」
「ううん、独身。恋人はいるみたいだったけど」
「そう……」

 万里子の顔がすまなそうに曇り、スミ子は慌てる。

「やだ、マリーは何も悪くないのよ。大丈夫、気にしないで! だって、もしそうだとしたらあまりにも上手くいきすぎじゃない!」

 万里子の艶と張りのある白い頰を人差し指で優しく突いて笑う。

「きっと、神様が、再会はもう少し先よ、って仰ってるのよ。もう少し頑張ったらご褒美に会わせてくれる。そう信じてる」
「スミ子さん……」
「ほら、そんな悲しそうな顔しないで」

 泣きそうな顔をしていた万里子もやっと笑みを見せた。

「探していたお友達じゃなかったけど、今度一緒にご飯は食べましょうよ! やっと出来たお友達、とっても素敵な人だからスミ子さんにも紹介したいの」
「そうね、アタシも会ってみたい。じゃあ、来週にでも」
「うん!」



 ショーが開演し、舞台裏が慌ただしくなった。

 万里子を始め踊り子達が皆ステージに出払って楽屋が束の間静かになった時だった。

 楽屋の鏡前に広げていた仕事道具の整理をしていたスミ子の元に、煙草を咥えた巽が顔を出した。

「よお、今ちょっといいか」

 スミ子の顔が曇る。

 巽は、香蘭に見習いで来た半年前、ハッとするような男前だった。今もその長身の男前は変わらないが、どこか崩れ始めていた。

 本当にいい男というのは雰囲気が違うのだ。巽にはそんなオーラは微塵も感じられなかった。

 あまり良くない方向へ行っている、そんな気がした。大事な雇い主ではあるが、嫌悪感が先に立ってしまう。

「何ですか、アタシに何かご用ですか」

 今、あなたの大事な踊り子達が踊っている。ステージを見なくともいいのか。

 喉元まで来た言葉は呑み込んだ。

「用があるから来たんだろうよ」

 煙草を傍にあった灰皿に押し付け、巽は吐き出すように言った。

 優しさの欠片も持ち合わせていない男だ。弟の徹也とは雲泥の差だ。

「アタシは次の踊り子ちゃん達の準備があるから、手短にお願いします」

 睨み合う。互いに好感を持っていないのは明らかだった。巽は、フンと肩を竦めた。

「アンタ、いずれ店を持ちたいって言ってたよな。その話だ。居抜きでいい店があるんだってよ。俺の仲間が持ってきた」

 店?

 スミ子の目の前に、あまりにも魅力的な〝餌〟が蒔かれた瞬間だった。
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