舞姫【中編】

深智

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招かれざる者

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 谷中のマンション前で車から降りたみちるは、執事の近衛と運転手に深々と頭を下げた。

 彼等のにこやかな笑顔にフワリと切なさが胸に去来し、走り出した車を見えなくなるまで見送った。

 深呼吸して、高いマンションを見上げる。

 傾きかけた日差しが柔らかな色彩を演出していた。

「ただいま戻りました」

 目を細めたみちるは小さく呟いた。

 星児さん、保さん。もう、ずっと長い時会わなかったような気がします。

 みちるは姿勢を正し、ゆっくりとエントランスに向かって歩き出した。

 お家帰ったらまず、保さんに連絡しよう。



†††

 事務所に、夕暮れ時である事を教えるオレンジ色の光が窓から射し込んでいた。ブラインド越しに窓の外を見ていた保は再びデスクのパソコンに目を移す。

 事務所の引越し計画が持ち上がっていた。星児が新宿駅側にテナントビルを買うつもりなのだ。

 また雑務が増えるぜ、と保は肩を竦めた。

 今夜は宮西興業の社長と銀座で会う、と星児は出掛けて行った。

 宮西か。ソープとヘルスの件で俺かなりごねたからな。星児、文句の一つや二つ言われんだろ。まあいいけど。

 そんな事よりも、保の頭をもたげたのはみちるの事だった。

 なんと、〝御幸がみちるの件を了承した〟。聞かされたその瞬間から保の不満は爆発寸前まで膨れ上がっていた。

 直接は知らなくとも、保も〝御幸右京〟という男は噂では聞いている。津田恵三の右腕と評され、真性の紳士と言わる男と言われている。

 紳士だろうが何だろうが、みちるには誰も触れては欲しくない。

 星児のヤツ、何で平気でいられんだよ!

 保が苛立たし気に傍にあったタバコを手に取った。

 雑務山積、悩みも山ほど。方々に聞き込みして調べる暇もーー、と考えた時、保は思い出す。

 そういや、亀岡さんからの連絡が無い。

 あの旅先からの電話からもう二週間以上が経つ。昨日、ポケベルに連絡も入れたのだが電話も鳴らない。

『俺に何かあったらーー』なんて言ってなかったか?

 保の脳裏を不穏な影が過ぎって行った。

 まさか、な。

 亀岡さんのポケベル鳴らなかったのかもしれない、と保は再度連絡を入れようとした時だった。

 デスクの上の直通電話が鳴り出した。


††† 
 
「オヤッサン、もうすっかり出来上がってんじゃねぇかよ」

 星児の言葉に、両脇にホステスを侍らせガハハと笑う宮西は、スキンヘッドのてっぺんまで紅潮させている。

 ここは高級クラブだ。キャバクラじゃねーぞ。

 半ば呆れ気味に星児はテーブルに着いた。

 何時もと変わらず艶やかな着物姿で出迎え、星児を宮西が座るテーブルに案内したクラブ・胡蝶のエミ子ママはホホホホと上品に笑いながらテーブルに着く。

「宮西さんはもう随分前にお見えになってましたもの。ボトルも随分と開けて頂きましたわ」

 ママはしなやかな手付きでサッとお酒を作り星児に渡した。

 受け取る時には、星児はすでにタバコをくわえていた。エミ子ママはすかさず取り出したライターで火を点ける。

 流れるような、鮮やかな一連の仕草は長年積み重ねて来たものだ。いつ来てもここはすげぇ、と星児は吐き出した煙に目を細めた。

 エミ子ママの横顔を見、思う。

 和装が板に付いていて違和感ないが、顔は純日本人じゃない。

 肌の白さが決定的に違う。目の色も青みがかっているが彫りの深さと欧米人ほどではない。

 多分、ハーフだな。

 星児はタバコをくわえなおしひと吸いした。

 このママ、かなりの大物の愛人だったって話、どっかから聞いたな。

 そんな事を思い出しながら星児は宮西に目をやり、フンと笑った。

「酔っ払いの相手をしに来たんじゃねーぞ、タコオヤジ」

 冗談半分で言い放った暴言とも言える星児の言葉にその場にいたホステス達は凍りついたが、宮西は豪快に笑い出した。

 彼女達は「いやだ……もう」と胸を撫で下ろした。そんな中で全く動じる様子を見せなかったエミ子ママがフフフと笑う。

「宮西さんを目の前にしてこんなに堂々としていられるのは、剣崎さんくらいですわね」

 宮西が身を乗り出し「それがな、ママ」と話しを始めた。

「コイツの相棒がまたスゲーんだ。人を喰ったような態度でな」

 タバコをくわえる星児は、ああその話か、と苦笑し黙って話を聞いていた。

「まあ、剣崎さんの相棒?」
「ああ。幼なじみなんだってな」

 宮西に問いかけられた星児はタバコをくわえたまま頷く。ヒヒヒと笑い宮西は続けた。
 
「コイツのソープをうちが買い受けてやる、って話だった筈なのによ、いつの間にか売ってもらう、みてーな話にすり替わってやがったんだ。
あの兵藤ってヤツ、優男ヅラしてとんでもねーヤローだな。
こっちが出した条件にはテコでも首を縦に振らねぇ。
うちの若いのに凄まれても涼しいツラしてやがった」

 話しながらも宮西は何処か愉しげだ。エミ子ママは優美な笑みを浮かべ相槌を打っていた。

「ぜひお会いしてみたいですわ。剣崎さん、今度はそのお友達もお連れしてくださいな」

 星児はハハ……と感情の無い乾いた声で笑った。

 保のヤツ、コッチの首尾は上々だ、とか言ってアイツとんでもねぇや。

 見込んだ通りだ、とタバコをくわえなおし肩を竦めた。

 

 
 宮西の空になったグラスを取ろうと、着物の袂を押さえながらエミ子ママが手を伸ばした時だった。

 黒服の1人がスッと背後から近寄り彼女にそっと耳打ちした。一瞬、ママの顔色が変わる。

 直ぐに変わらぬ笑顔に戻った彼女は、酒のグラスを若いホステスに預けた。

「わたくしはちょっと失礼しますわね、ごゆっくりなさってくださいませ」

 ママはそう言い席を立った。

 客じゃねぇな。

 瞬時に察した星児はさりげなくエミ子ママを視線で追う。その先のフロアへの入り口付近で黒服と話をする1人の男がいた。

 星児は、息を呑んだ。

 まさか、あれは。
 
「お久しぶりでございますわね、津田様」

 入り口からさほど遠くないこのテーブルは、耳を澄ませばその会話が聞こえる。エミ子ママの声は、聞いた事のない冷たい声音だった。

 津田。

 グラスを握る星児の手に、それを握り潰しそうなくらいの力が加わる。

 背の高い、迸るような野心に溢れギスギスした瞳が印象的な男。

 アイツだ! まさかこんな所で?

 星児は立ち上がり掴みかかりたい衝動を必死に堪えていた。

 今ここで早まっちまったら、これまで積み上げて来たものが全てパァになっちまう。

 耐えろ!

「あいにく、この店には津田様にお出しするようなお酒は置いておりませんのよ」

 エミ子ママの冷えた静かな声が聞こえた。言われた男は、口角を上げてフンと笑う。

 二人がいる一角は異様な空気が覆う。静かな火花に店内にいる客もホステスも気付かない。

 星児はトイレに立つ振りをしてさり気なくママと男のそばに行き、会話に耳をそばだてていた。

 男はクククと笑っていた。

「心配ご無用。私は、接待すべき客をうちの部下がこんな所にお連れしたので迎えに来ただけですよ。楽しい筈の酒の席が疎まれながら呑むのでは台無しだからね」

 星児から見えるのは不気味な笑顔を浮かべるその男。

 間違いない、郡司、武だ!

 星児はギリ、と奥歯を噛み締めていた。
 
 そのうちに、男の連れ合いと思われる客が慌てて駆け寄り、申し訳なさそうにママに頭を下げていた。そんな彼には「お気になさらないで」とママは優しく気遣う。

 そして、後から悠然と歩いて来た恰幅の良い男には「また改めていらしてくださいませ」と頭を下げていた。

 ホステス達に付き添われる彼等がドアの向こうに消えた後、ママは男に向き直りきっぱりと言い放った。

「津田様は、わたくしどもの界隈を随分と見下げてらっしゃるようですけれど、
世の中、確かなものなど何一つ無い事を一番ご存知なのは、津田武様ご自身じゃございません事?」

 何の事か分からないという顔をしてみせた男にママは続ける。

「わたくしは貴方のなさった事を一生忘れません、と言いたかったのです」
「前にも言ったが、証拠の無い事を騒ぐのはあまり賢くはないね」

 津田武が不敵に笑い、ママも美しい冷笑を浮かべた。

「確たる証拠など何一つ無くとも、相手を追い詰める事は幾らでもできますでしょう」




「塩を蒔いておいて!」

 夜会巻きの髪のセットを気にするように手を当てるエミ子ママは黒服に言い付けた。既にその美しい顔に笑顔はない。

 ママは近くにいたホステスに「ちょっとフロアをお願いね」と裏に消えた。

 一部始終を見ていた星児の激しい脈動はなかなか治まらなかったがタバコをくわえたまま瞬時に思案する。

 郡司といたあの男。警視庁第一方面本部長だ。

 星児はタバコを口から外し、煙を吐き出した。

 保の人脈は、警察官僚にも及ぶ。警視庁上層部の人事も調べはついている。

 

 
 警視庁第一方面本部長は警察官僚の若手に与えられるポストだ。それは、警視総監への道に繋がるのだ。

 接待と言ってはいたが恐らく郡司の東大同期か後輩なのだろう。

 立場は郡司の方が上だな。有力天下り先の社長。

 あの男の狙いは、〝国家権力〟の掌握か。

 チッと小さく舌打ちしながら星児は近くにあった灰皿にタバコを押し付けた。

 それにしても、と壁に寄りかかり腕を組み、星児は考える。

 あのママと郡司の関係はなんだ?



 席に戻って来た星児に宮西が話しかけた。

「あれは、大会社社長とその義父の愛人のいがみ合いって訳でも無さそうだな」

 なんだって?

 目を見開く星児の顔を見、宮西がクックと喉の奥で笑い言う。

「立ち聞きしに行くくらい気になったんだろ」

 宮西が嬉しそうに笑っていた。

 星児と宮西の間にいたホステスに指名が入り、今彼等の間には誰もいなかった。

「なんだよ、オヤジ。呑んでる振りしてしっかり見てたんじゃねーか。つーか、今、とんでもねー事言ったぞ。〝義父の愛人〟だ?」

 まさか。嘘だろ。

 宮西が赤い顔で口角を上げて笑う。

「剣崎お前、大物とのパイプ作りを画策してるらしいな。
いい事教えてやろうと思ってここに呼んだんだよ。
クラブ・胡蝶のエミ子ママは津田恵三の愛人だ」

 そうか。

 星児はフッと笑い返し、グラスに口を付けながら言う。

「いくら俺でもここのママは懐柔出来ねーよ」

 宮西はガハハと笑った。

 待てよ、と星児は思う。

 エミ子ママってーのはかなり若く見えるが、あの貫禄は確実に還暦は過ぎてる。

 郡司に相当な恨みがある。年から行けばちょっと若すぎるが、無くはないな。

 推測が疾風の如く彼の頭を駆け巡る。

 全く取り付くシマもない、ってー訳ではなさそうだ。

 星児が内心でほくそ笑んだ時、胸元のポケットで携帯の着信を知らせるバイブの感覚があった。

 取り出し、確認すると保だった。

 通話ボタンを押し耳に当てた星児の顔が和らいだ。

「オヤジ、悪ぃ。ちょっと呼び出しだ」
「女か」
「まあ、そんなとこだな」

 宮西の言葉に星児はニッと笑った。

「いい収穫があった。オヤジ、ありがとな」

 宮西は立ち上がった星児に手をヒラヒラと振っていた。




 保は言った。

『みちるが、帰って来たぞ』


†††



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