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二章

二話 男と男の約束だ その四

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 俺の部屋には強はいなかった。上春の部屋をノックしたが、返事がない。

「正道!」

 玄関から女の声がした。俺はすぐに玄関に向かう。

「靴がないわ。外に出た可能性が高いわね」
「……だな。上着をとってくる」

 先ほど俺の部屋に行ったとき、強の上着はハンガーに掛かったままだった。感情のまま飛び出してしまったのだろう。
 俺は自分の上着と強の上着を握りしめ、部屋を出る。
 玄関には女と信吾さんが待ってくれていた。

「よし、行こう」

 問題はどこを探しに行けばいいのかだ。
 そう遠くには行ってないと思うが、夜の青島は治安があまりよくないし、一月の寒さは油断ならない。
 風邪でも引かれたら大変だ。
 俺達は玄関を出たところで……。

「ワンワン!」

 シュナイダーの鳴き声に、俺は足を止めた。そのせいで後ろにいた信吾さんとぶつかった。

「痛ぁ! どうして、止まるの!」
「……」
「ちょっと、正道!」

 俺は庭にいるシュナイダーのいる方へ向かう。シュナイダーはずっと吠えている。まるで、俺を呼んでいるかのように。
 俺は家の角を曲がろうとして、足を止める。
 シュナイダーのいる縁側に強と上春が座っていたのだ。

 ナイスだ、上春。
 きっと、上春が強を呼び止めて、ここへ誘導したのだろう。ここなら、危険はないし、寒くなれば家にすぐに戻れる。
 強達を見つけることが出来たのはいいが、何と言って説得すればいいのか?
 悩むな、話しをするんだ。
 俺は覚悟を決め、角から姿を見せようとしたとき。

「待ちなさい、正道」
「……なんだ?」
「アンタ、まさか出たとこ勝負する気? 少しは考えなさい」

 女に手首を掴まれ、俺はそこで立ち止まる。
 少しは考えろだ? そんなこと言われるまでもない。
 俺は強が殴られたあのときから、いや、もっと前からずっと考えていた。
 強や上春を不良から護るにはどうしたらいいのか? 考えて考え抜いた。

 それでも、うまくいかなかった。
 見回りを何度もした。なるべく、不良達を刺激しないよう、気をつけた。
 強に何度もお願いした。義信さんに相談し、気に掛けてもらっていた。
 けど、ダメだった。

 だったら、もうお互い腹を割って話すしかないだろ。俺は必ず、強を説得してみせる。
 今日が無理でも、明日。明日が無理でも明後日……何度でも何度でも話してみせる。

「はぁ……無理よ。アンタには」
「なんだと?」

 俺は女をにらみつけるが、逆に女が俺を睨んできた。

「一方的に従わせようとするなんて、反抗されるに決まっているでしょ? 正道、小学一年の夏休みのこと、覚えてる? あれで交渉してみなさい」
「小学一年の夏休みだと?」

 小学一年の夏休みといえば……ああっ、あったな……あのときのことか?
 あれは八月の下旬の出来事だ。
 俺は夏風邪を引いてしまった。だが、その日はラジオ体操最終日で皆勤賞がかかっていた。
 皆勤賞だと特別なプレゼントが貰える。一日休めば貰えなくなるのだ。
 せっかく、健司と一緒に頑張ってラジオ体操を毎日参加していたのに、最終日だけいけないなんて納得出来なかった。
 だから、俺は風邪を引こうが、ラジオ体操に行こうとした。それを女に止められた。

 保護者からしてみれば、たかがラジオ体操で風邪を悪化させるなんて馬鹿らしいだろう。だが、俺にとってはなによりも大事な事だった。
 俺一人だけならまだ、諦めがついたかもしれないが、健司と一緒に約束したのだ。二人で皆勤賞を目指すって。
 約束を違えることだけはしたくなかった。

 喧嘩する俺と女を見て、健司はある提案をしてきた。そのときのことを女は言っているワケか。
 なるほどな。あれなら、いけるかもしれない。
 ただ、その考えは互いの信頼があってのものだ。
 俺達はただ、譲れないものがあって、そのために行動している。強だってそうだ。
 だから、この案が強に通じるかどうか分からない。
 それに、俺と強に絆があるのか?
 ある……って言い切れるのか? もし、強は俺のこと……。

「ねえ、正道。アンタ、気づいていた? 強君、一人称を僕から俺にしたの。それに家事を自発的に手伝うようになったのも。理由は分かるわよね?」

 女の言葉に俺は歯を食いしばる。
 そんなこと言われるまでもなく、気づいていた。知らないフリをしていた。
 強は俺なんかを真似ているのだ。憧れてくれているのだ。
 心が震えるほど嬉しかった。強の見本となるべく、立派な男になりたいと願うようになった。
 俺が強の変化を気づかないわけないだろうが。
 強の全てを分かっているつもりはない。けど、もっと強の事を知りたいとは思っている。

「それなら、尚更うまくいくわ。男とって馬鹿真面目な約束って好きなんでしょ?」

 コイツ、男の約束をバカにしやがって……。
 けど、確かにうまくいく可能性はあるな。仕方ない。今度だけ、女の口車に乗ってやるか。

「……サンキューな」

 俺は一言だけつぶやいて、背筋を伸ばし角を曲がった。



「強」
「兄さん……」
「……」

 俺は強に声を掛けたが、強はうつむいたまま、ジッとしている。上春が強の隣に座り、俺を心配げに見つめている。

「くうぅん……」

 シュナイダーは強の足に顔をこすりつけていたが、強は何も反応しないので、俺を不安げに見上げている。
 ありがとな、上春、シュナイダー。強を心配してくれて。

「ほら、咲ちゃん。上着」
「ありがとうございます、澪さん」

 女は上春にそっと自分の上着を肩に掛ける。
 上春はその上着を強に掛けようとしたが。

「ほら、強。風邪引いちゃうから、コレ着ような」

 信吾さんが俺の手に持っていた上着をとって、強の隣に座り、上着を掛けてくれた。
 俺が強に渡しても、今の状態なら受け取ってもらえなかっただろう。

 つくづく思う。家族は歯車なのだと。
 役割があって、かみ合って機能している。一人では絶対に全ての役割を果たすことが出来ない。
 自分が無力だと感じることはきっとおこがましいことなのだろう。
 だったら、俺は俺の出来る事をやろう。
 自分らしく、自分の道を信じて。

「強、俺は謝らないからな。俺は間違った事は言っていない。だが、強の行動も間違ってはいないと俺は思う」

 強はうつむいたまま、俺と視線を合わせようとしない。
 その姿に悲しい気持ちになるが、それでも、話さなきゃいけないんだ。

 人と人とは分かり合えない。

 いくら言葉を重ねても、一緒にいても、笑い合っても、喧嘩しても、お互い信じていても、きっと分かってくれないと俺は思う。
 両親の気持ちも、親友けんじの気持ちも十年以上そばで過ごしても、俺には分からなかった。
 だけど、分かり合えなくても、俺達は他人を知る努力を積み重ねるべきだと思う。
 言葉が、行動が、想いが……いくらでも人には自分の意思を伝える方法があるのだから。

「けどな、強。俺はやはり強が心配なんだ。他のヤツなんてどうでもいいが、強は俺にとって特別なんだ」
「どうして、特別なんだい? 正道君」

 信吾さんが俺に尋ねてきてくれた。そのおかげで、俺は話がしやすくなる。
 強は黙ったままでも、俺の声を聞いてくれているから伝わるんだ。
 俺が強を特別だと思う理由。それは……。

「……特に理由はない」

 強以外のここにいる全員が空気読めよって顔で俺を睨んでくるが、俺の本音は今の言葉通りだ。
 だって……。

「仕方ないだろ。俺は今でも女と信吾さんの再婚を認めていない。そんなヤツが強や上春だけ家族だなんだって都合がよすぎるだろ? 納得いかないだろ?」
「……兄さんは真面目ですよね」
「頑固って言うのよ」

 頑固か……。
 俺は首を横に振る。

「違う。俺は頑固じゃない。信吾さんの言葉に……女の態度に……上春の期待に……強の挙動に……振り回されっぱなしだ。こんなヤツら、家族じゃねえって突っ張ったり、大切にしたい、理解したいって願ったり……厄介ごとに巻き込みたくないから遠ざけたり……全然、考えが、主張がまとまらないんだ。本当に厄介だよな、家族って」

 そうだ。何度も間違える。考えを改め、主張がブレる。
 情けない。格好悪い。

「正道君にとって、僕達は迷惑かな?」

 上春家は迷惑なのか? それとも……。
 信吾さんの問いに俺は……。

「……そんなわけないだろ。同じ釜の飯を食って、挨拶を交わして……トイレや洗面台、チャンネルの取り合いをして……愚痴をこぼして……腹が立って本気で怒って……でも、本気で憎めなくて……それが苦しくて……逃げてしまいたくて……けど、逃げられなくて……いつの間にか、そこにいることが当たり前になって……ありがたみを忘れて……失うのが怖くて……ああっ、何を言いたいんだろうな、俺は」

 いつもそうだ。
 家族のことになると支離滅裂になる。言いたいことが全く言えなる。相手に伝わらない。
 分かっているつもりなのに、全く分かっていない。
 それがどうしようもなく怖くて仕方ない。
 でも、それでも、俺は……。

「はっきり言えるのは、俺は強や上春、信吾さんにはこの家にいる間だけでも、安心していてほしいってことだ。ここがお前らの家なんだって……帰ってくるところなんだって言いたいんだ。俺は一度、帰る場所をなくしたことがある。その辛さは知っているつもりだ。だから、だから……」

 ああっ、本当に何が言いたいんだ、俺は。想いを言葉に出来なくてもどかしい……恥ずかしい。

「ありがとうね、正道君。そう思ってくれていて、嬉しいよ。最初は出て行けって反抗ばかりしてたよね」
「あのときは大変でした。今も大変ですけど、きっと、これが家族って事なんですよね」
「私は全く相手にされないけどね」

 信吾さんと上春がしみじみとした雰囲気で背中を丸めていた。
 すまないな、信吾さん、上春。
 後、女は自業自得だろうが。

「強、俺と一つ約束をしないか? 男と男の約束だ」
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