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二章
二話 男と男の約束だ その三
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「さて、みんなが集まったところで話をしようか」
夕食後、俺達藤堂家、上春家、朝乃宮はリビングに集まっていた。話の内容はもちろん、強の事だ。
強はなぜ、殴られたのか?
流石に頬を赤く腫れていれば誰もが気づく。これがただの同級生との喧嘩なら笑い話くらいにはなっただろう。
だが、強を殴った相手が窓ガラスを割ったヤツならば話は別だ。
これは警察に捕まった事への報復なのか? だとしたら、泥沼化する恐れがある。
あの実行犯にはきっちりとヤキを入れたが、首謀者がいるとなると、また、俺達を狙ってくる可能性がある。
俺や義信さんなら問題ないが、強や女、楓さんが襲われたら大問題だ。そのときは、俺も義信さんも容赦はしない。
ただ、被害が出る前に片をつけたいのが本音だ。
ちなみに、信吾さんは自分でなんとかするだろうし、上春を狙うヤツは鬼の手によって、地獄に堕ちる。
強は家族に迷惑を掛けたと思っているのか、うつむき、自分の膝をじっと見つめている。。
「正道から先に話は聞いている。強君、キミは窓ガラスを割った犯人に殴られたんだな?」
「はあ? 何よ、それ! どういうこと!」
真っ先に怒ってみせたのが、意外にも女だった。
だが、義信さんにかみついてどうする。悪いのは強を殴ったヤツだ。
「澪さん、落ち着きなよ。正道君が護ってくれたんでしょ。ありがとね、正道君」
「……いえ、もっと早くに気づく事が出来ればよかったんですけど」
まさにそれだ。
信吾さんは褒めてくれたが、欲を言えば、殴られる前に止めたかった。事が起こっては遅いのだ。
理想だって事は分かっている。それでも、悔やまれるのだ。
なぜ、もっと早くに強の危機を察知できなかった? 警戒していたのに、どうして、強に被害が出てしまったのか?
悔やんでも悔やみきれない。
「あ、あの……私、未だに状況が掴めないんですけど、どうして、窓ガラスを割った犯人が強を叩いたんですか? ガラスを割ったのって、ただの悪戯ですよね?」
上春は不安げに尋ねてきた。
上春は親善試合のことや青島西中野球部の実態を知らないからな。何が原因で今の事態に陥ったのか不安なのだろう。
隣に座っている朝乃宮が上春の手を優しく握りしめる。
「強ちゃん、教えてくれる? 何があったの?」
楓さんに優しく話しかけられ、うつむいていた強は顔を上げ、ぽつぽつと話し始めた。
「……シュナイダーを散歩していたら、話し声が聞こえてきた。そいつらは、窓ガラスを割ったことを自慢げに話してた。捕まえに来たおじいちゃんの悪口ばかり言ってた。あんちゃんのことも悪く言った。許せなかった……」
「だから、手を出したのか?」
義信さんの問いに強はブンブンと首を横に振る。
「……おじいちゃんやあんちゃんを馬鹿にするなって文句を言った。そしたら、アイツら、大声で怒鳴ってきて、シュナイダーがびっくりして吼えた。アイツらがシュナイダーを黙らせようとして蹴ろうとした……」
「そこで強君が庇ったわけか?」
強はこくりと頷く。
「何よ。強君、何も悪くないじゃない」
女の言う通りだ。飼い主がシュナイダーを守るのは当然だ。
それに俺や義信さんの為に怒ってくれた。それだけで胸が熱くなる。
「そうだよ! 強はよくやった! 流石は上春家の長男だ! 僕も鼻が高いよ!」
信吾さんは強を褒めた。強の行動に恥じ入るものはない。男らしいと思う。
けど、俺は怒っていた。
俺は言わなければならない。例え嫌われると分かっていても、強をいましめなければならない。
矛盾している行為だ。何様だと思う。
それでも、俺は兄として、強の事が大切だから……。
「いやあ、本当によかった。正道君、ありがとね。僕は幸せ者だな。頼りになる兄弟がいて……」
「何がよかったんだ?」
「えっ?」
「何がよかったんだって言ってるんだ!」
俺は信吾さんを睨みつけ、怒鳴った。信吾さんは笑顔が硬直したまま、何も言わない。
俺が本気で怒っていると分かったからだ。
周りの空気が重くなるのを感じる。
俺は信吾さんから目を離し、今度は強を睨みつけた。
「強、俺は言ったよな? 決して無茶はしないでくれって。逃げられないときだけ、身を守ってくれって。誰が文句を言えって言った? お前の身勝手な行動のせいで、シュナイダーまで危険な目にあうところだったんだぞ。シュナイダーは仔犬だ。もし、思いっきり蹴られて骨が折れて、最悪死んでいたらどうするつもりだったんだ? お前の軽はずみな行動のせいでどれだけ周りに迷惑をかけたと思ってる? それをちゃんと自覚しろ!」
「いや、正道君。それは言い過ぎ……」
「やかましい! 黙ってろ!」
信吾さんの言葉を振り切り、俺は拳を握りしめ、強を怒鳴った。
「自分の身一つ守れないヤツがでしゃばるな! いつでも俺や信吾さん、義信さん、朝乃宮が助けに入れるわけじゃねえんだぞ! そこんところをもっと考えて行動しろ!」
「いい加減にしなさいよ、正道! 小学生相手に本気で怒鳴ってるんじゃないわよ!」
本気で怒鳴るなだと?
ふざけるな……ふざけるな!
「お前らが甘やかすからだろうが! お前、もし強に何かあったとき、どうするつもりなんだ! なにかあってからじゃ遅いだろうが! お前が強の母親代わりになるのなら、ちゃんと言えバカ野郎! お前はまた、同じ過ちを繰り返すつもりか! 取り返しのつかないことがあってから、また、逃げるのか!」
「正道!」
俺と女は互いに今にも殴りかからんとするくらい睨み合う。
これは絶対に譲れない。勇気と無謀をはき違えてはならない。
たとえ、嫌われることになっても、言うべきことはちゃんと指摘し、改めさせないと意味がないのだ。
でなきゃ、きっと失う。大切な人を傷つけ、自分を責め、殻に閉じこもってしまう。
人間はどうしても失敗してしまう。それは仕方のないことだって分かる。
だが、失敗を悔いているのなら、二度と同じ過ちを繰り返してはいけないんだ。
俺は強に約束させる。今度は絶対に約束を守るように念を入れて誓わせてやる。
「強! もう二度と不良に近づくな! ムカつくことがあっても、バカにされても、立ち向かわずに逃げろ! いいな!」
「……」
「分かったのかって聞いてるんだ!」
強はうつむいたまま、何も言わない。体が僅かに震えている。
泣かせたか?
それでも、これだけは譲れない。強の身の安全こそ最優先されるべきことだ。
俺だって、こんなことは言いたくない。護れるものなら、いつでも護ったやりたい。
だが、そんなことは不可能だ。いつも一緒ってわけにはいかない。
自分の身の丈を知って、身の安全を第一に考えて欲しい。
不良相手にバカにされたくない、理不尽に屈したくないのは痛いほど分かる。立ち向かいたい気持ちもよく分かる。
けどな、強。
それは強さがないと出来ないんだ。自分の正義を、信念を押し通すには、力が必要なんだ。
強にはそれがない。だから、逃げて欲しい。
お前を心配する家族のために……。
俺はもう一度、今度はもっと強めに注意しようとしたが。
「……嫌だ」
「なんだと?」
「嫌だ!」
俺は怒りを忘れ、驚いてしまった。
強が反抗したのだ。それも、強い意志を宿した瞳で俺を睨んできた。
これには、俺だけでなく、ここにいる全員が押し黙ってしまった。
今度は強が俺に怒鳴ってきた。
「アイツらは野球の道具で人や物を傷つけようとした! バットやボールは何かを壊すためのものじゃない! それに大切な家族がバカにされて、黙ってること何て出来ない! そんなの男じゃない!」
男じゃないか……確かにな……。
いや、待て。なに、納得しているんだ。俺が説得されてどうする。
心を鬼にして、強を止めろ。後悔だけはするな。
恨まれても成すべき事を果たせ!
俺は強を睨みつけ、怒鳴った。
「強!」
「あんちゃんなら、絶対にそうした! 相手がどんなに強くても、勝てなくても、立ち向かった! 逃げろだなんて、あんちゃんらしくない! そんなのあんちゃんじゃない! あんちゃんからそんな言葉、聞きたくなかった!」
『最後まであきらめなかった先輩が、納得いくまで頑張ってきた先輩からそんな言葉、聞きたくなかったです! そんなの先輩らしくないです! 私の知っている先輩じゃない!』
息が止まるかと思った。心臓が一瞬、止まったと思った。
強の言葉が、かつて俺のことを信じ、慕ってくれた相棒の言葉と重なって見えたのだ。
強はリビングを出て行った。悔しそうで、泣きそうな顔で俺の元から去って行った。
「強!」
上春は強の後を追っていった。
俺は……追えなかった。
寒気が襲ってきた。体の震えが止まらない……吐き気がする……胃がムカムカする……。
一緒だ……伊藤に……御堂に……見放されるのではないかと思った瞬間に襲いかかる例えようのない恐怖と悲しみ、不快感が止まらない……。
俺は……俺は……また……また……。
ステラレル。
タイセツナヒトカラミハナサレ、オマエハマタヒトリニナルノダ。
ナンドオナジアヤマチヲクリカエスツモリダオマエハ。スクイヨウノナイオロカモノダ。
「正道!」
義信さんの空気を切り裂くような鋭い声に、俺はハッとなる。全身が熱い……汗が止まらない……けど……。
「正道さん」
俺の右手に温かいぬくもりが生まれる。楓さんだ。
楓さんがいつの間にか俺の隣に座ってくれていて、両手で俺の右手を包み込むように握りしめてくれている。
息がうまく吸えなくて苦しかったのに、なぜだろう。楓さんの手のぬくもりが俺を落ち着かせる。息が整っていく。
俺は涙が溢れるのをぐっとこらえ、歯を噛みしめ、耐えた。
大丈夫だ……これくらい……強をキズつけた事に比べたら、なんともない。
「ま、正道君……大丈夫なの?」
「……信吾はん。彼なら大丈夫です。だから、少し落ち着くのを待ちましょ」
スマン……朝乃宮……回復までもう少し時間をくれ……。
俺は大丈夫だ。何の問題もない。
だから、泣きそうな顔で俺を見るな、女。てめえにだけは絶対に同情されたくないんだよ。
お前にだけは死んでも哀れんで欲しくない。
俺は大きく息を吸い、楓さんの手を握り返す。もう大丈夫だと伝えるために。
楓さんは俺に微笑んでくれる。
ああっ……この笑顔に何度救われてきたか……何度、自分の情けなさを痛感したことか……。
そうだよな……もう、失敗はしたくないよな。
だったら、いかなきゃな。そうだろ、相棒。
自分らしく、信念を貫き通せ。愚直でもバカでもかまわない。強に伝えるんだ。
「どこに行くつもりだ、正道」
義信さんの問いに、俺はまっすぐに答える。
「……強を追いかけます。ケジメをつけてきます」
「……頑張りなさい」
義信さんはその一言だけ言い残して、そのまま腕を組み、目をつぶっている。
ありがとうございます、義信さん。
俺は頭を下げ、心の中で礼を言う。
早く強を追わなければ……。
「待って! 僕も行くから!」
信吾さんが俺の進行方向へ立ち塞がった。俺は信吾さんを睨みつけるが、信吾さんは全くどこうとしなかった。
「僕はキミの父親で、強の父親でもある! 絶対に譲れないから!」
「……勝手にしろ」
「そうする。ほら、澪さん。一緒に行こう」
「「えっ?」」
なんだと?
信吾さんは女に手を差しのばす。
女は不安げな顔で俺を見つめている。ついていっていいのかと、目で尋ねているみたいだ。
アホか。俺じゃなくて、信吾さんに答えを返せ。
俺は女から顔をそらした。
「澪さんも行こう。僕達家族のことだからさ」
「……分かったわ」
女は決心した顔つきで信吾さんの手を握った。
二人の信頼し合った顔を見ていると、なぜか胸が痛んだが、俺はその痛みをかき消すように強の事を考えた。
早く追わなければ。
「行こう、正道君! 澪さん!」
「……おう」
「ええっ!」
俺達は強の後を追った。
夕食後、俺達藤堂家、上春家、朝乃宮はリビングに集まっていた。話の内容はもちろん、強の事だ。
強はなぜ、殴られたのか?
流石に頬を赤く腫れていれば誰もが気づく。これがただの同級生との喧嘩なら笑い話くらいにはなっただろう。
だが、強を殴った相手が窓ガラスを割ったヤツならば話は別だ。
これは警察に捕まった事への報復なのか? だとしたら、泥沼化する恐れがある。
あの実行犯にはきっちりとヤキを入れたが、首謀者がいるとなると、また、俺達を狙ってくる可能性がある。
俺や義信さんなら問題ないが、強や女、楓さんが襲われたら大問題だ。そのときは、俺も義信さんも容赦はしない。
ただ、被害が出る前に片をつけたいのが本音だ。
ちなみに、信吾さんは自分でなんとかするだろうし、上春を狙うヤツは鬼の手によって、地獄に堕ちる。
強は家族に迷惑を掛けたと思っているのか、うつむき、自分の膝をじっと見つめている。。
「正道から先に話は聞いている。強君、キミは窓ガラスを割った犯人に殴られたんだな?」
「はあ? 何よ、それ! どういうこと!」
真っ先に怒ってみせたのが、意外にも女だった。
だが、義信さんにかみついてどうする。悪いのは強を殴ったヤツだ。
「澪さん、落ち着きなよ。正道君が護ってくれたんでしょ。ありがとね、正道君」
「……いえ、もっと早くに気づく事が出来ればよかったんですけど」
まさにそれだ。
信吾さんは褒めてくれたが、欲を言えば、殴られる前に止めたかった。事が起こっては遅いのだ。
理想だって事は分かっている。それでも、悔やまれるのだ。
なぜ、もっと早くに強の危機を察知できなかった? 警戒していたのに、どうして、強に被害が出てしまったのか?
悔やんでも悔やみきれない。
「あ、あの……私、未だに状況が掴めないんですけど、どうして、窓ガラスを割った犯人が強を叩いたんですか? ガラスを割ったのって、ただの悪戯ですよね?」
上春は不安げに尋ねてきた。
上春は親善試合のことや青島西中野球部の実態を知らないからな。何が原因で今の事態に陥ったのか不安なのだろう。
隣に座っている朝乃宮が上春の手を優しく握りしめる。
「強ちゃん、教えてくれる? 何があったの?」
楓さんに優しく話しかけられ、うつむいていた強は顔を上げ、ぽつぽつと話し始めた。
「……シュナイダーを散歩していたら、話し声が聞こえてきた。そいつらは、窓ガラスを割ったことを自慢げに話してた。捕まえに来たおじいちゃんの悪口ばかり言ってた。あんちゃんのことも悪く言った。許せなかった……」
「だから、手を出したのか?」
義信さんの問いに強はブンブンと首を横に振る。
「……おじいちゃんやあんちゃんを馬鹿にするなって文句を言った。そしたら、アイツら、大声で怒鳴ってきて、シュナイダーがびっくりして吼えた。アイツらがシュナイダーを黙らせようとして蹴ろうとした……」
「そこで強君が庇ったわけか?」
強はこくりと頷く。
「何よ。強君、何も悪くないじゃない」
女の言う通りだ。飼い主がシュナイダーを守るのは当然だ。
それに俺や義信さんの為に怒ってくれた。それだけで胸が熱くなる。
「そうだよ! 強はよくやった! 流石は上春家の長男だ! 僕も鼻が高いよ!」
信吾さんは強を褒めた。強の行動に恥じ入るものはない。男らしいと思う。
けど、俺は怒っていた。
俺は言わなければならない。例え嫌われると分かっていても、強をいましめなければならない。
矛盾している行為だ。何様だと思う。
それでも、俺は兄として、強の事が大切だから……。
「いやあ、本当によかった。正道君、ありがとね。僕は幸せ者だな。頼りになる兄弟がいて……」
「何がよかったんだ?」
「えっ?」
「何がよかったんだって言ってるんだ!」
俺は信吾さんを睨みつけ、怒鳴った。信吾さんは笑顔が硬直したまま、何も言わない。
俺が本気で怒っていると分かったからだ。
周りの空気が重くなるのを感じる。
俺は信吾さんから目を離し、今度は強を睨みつけた。
「強、俺は言ったよな? 決して無茶はしないでくれって。逃げられないときだけ、身を守ってくれって。誰が文句を言えって言った? お前の身勝手な行動のせいで、シュナイダーまで危険な目にあうところだったんだぞ。シュナイダーは仔犬だ。もし、思いっきり蹴られて骨が折れて、最悪死んでいたらどうするつもりだったんだ? お前の軽はずみな行動のせいでどれだけ周りに迷惑をかけたと思ってる? それをちゃんと自覚しろ!」
「いや、正道君。それは言い過ぎ……」
「やかましい! 黙ってろ!」
信吾さんの言葉を振り切り、俺は拳を握りしめ、強を怒鳴った。
「自分の身一つ守れないヤツがでしゃばるな! いつでも俺や信吾さん、義信さん、朝乃宮が助けに入れるわけじゃねえんだぞ! そこんところをもっと考えて行動しろ!」
「いい加減にしなさいよ、正道! 小学生相手に本気で怒鳴ってるんじゃないわよ!」
本気で怒鳴るなだと?
ふざけるな……ふざけるな!
「お前らが甘やかすからだろうが! お前、もし強に何かあったとき、どうするつもりなんだ! なにかあってからじゃ遅いだろうが! お前が強の母親代わりになるのなら、ちゃんと言えバカ野郎! お前はまた、同じ過ちを繰り返すつもりか! 取り返しのつかないことがあってから、また、逃げるのか!」
「正道!」
俺と女は互いに今にも殴りかからんとするくらい睨み合う。
これは絶対に譲れない。勇気と無謀をはき違えてはならない。
たとえ、嫌われることになっても、言うべきことはちゃんと指摘し、改めさせないと意味がないのだ。
でなきゃ、きっと失う。大切な人を傷つけ、自分を責め、殻に閉じこもってしまう。
人間はどうしても失敗してしまう。それは仕方のないことだって分かる。
だが、失敗を悔いているのなら、二度と同じ過ちを繰り返してはいけないんだ。
俺は強に約束させる。今度は絶対に約束を守るように念を入れて誓わせてやる。
「強! もう二度と不良に近づくな! ムカつくことがあっても、バカにされても、立ち向かわずに逃げろ! いいな!」
「……」
「分かったのかって聞いてるんだ!」
強はうつむいたまま、何も言わない。体が僅かに震えている。
泣かせたか?
それでも、これだけは譲れない。強の身の安全こそ最優先されるべきことだ。
俺だって、こんなことは言いたくない。護れるものなら、いつでも護ったやりたい。
だが、そんなことは不可能だ。いつも一緒ってわけにはいかない。
自分の身の丈を知って、身の安全を第一に考えて欲しい。
不良相手にバカにされたくない、理不尽に屈したくないのは痛いほど分かる。立ち向かいたい気持ちもよく分かる。
けどな、強。
それは強さがないと出来ないんだ。自分の正義を、信念を押し通すには、力が必要なんだ。
強にはそれがない。だから、逃げて欲しい。
お前を心配する家族のために……。
俺はもう一度、今度はもっと強めに注意しようとしたが。
「……嫌だ」
「なんだと?」
「嫌だ!」
俺は怒りを忘れ、驚いてしまった。
強が反抗したのだ。それも、強い意志を宿した瞳で俺を睨んできた。
これには、俺だけでなく、ここにいる全員が押し黙ってしまった。
今度は強が俺に怒鳴ってきた。
「アイツらは野球の道具で人や物を傷つけようとした! バットやボールは何かを壊すためのものじゃない! それに大切な家族がバカにされて、黙ってること何て出来ない! そんなの男じゃない!」
男じゃないか……確かにな……。
いや、待て。なに、納得しているんだ。俺が説得されてどうする。
心を鬼にして、強を止めろ。後悔だけはするな。
恨まれても成すべき事を果たせ!
俺は強を睨みつけ、怒鳴った。
「強!」
「あんちゃんなら、絶対にそうした! 相手がどんなに強くても、勝てなくても、立ち向かった! 逃げろだなんて、あんちゃんらしくない! そんなのあんちゃんじゃない! あんちゃんからそんな言葉、聞きたくなかった!」
『最後まであきらめなかった先輩が、納得いくまで頑張ってきた先輩からそんな言葉、聞きたくなかったです! そんなの先輩らしくないです! 私の知っている先輩じゃない!』
息が止まるかと思った。心臓が一瞬、止まったと思った。
強の言葉が、かつて俺のことを信じ、慕ってくれた相棒の言葉と重なって見えたのだ。
強はリビングを出て行った。悔しそうで、泣きそうな顔で俺の元から去って行った。
「強!」
上春は強の後を追っていった。
俺は……追えなかった。
寒気が襲ってきた。体の震えが止まらない……吐き気がする……胃がムカムカする……。
一緒だ……伊藤に……御堂に……見放されるのではないかと思った瞬間に襲いかかる例えようのない恐怖と悲しみ、不快感が止まらない……。
俺は……俺は……また……また……。
ステラレル。
タイセツナヒトカラミハナサレ、オマエハマタヒトリニナルノダ。
ナンドオナジアヤマチヲクリカエスツモリダオマエハ。スクイヨウノナイオロカモノダ。
「正道!」
義信さんの空気を切り裂くような鋭い声に、俺はハッとなる。全身が熱い……汗が止まらない……けど……。
「正道さん」
俺の右手に温かいぬくもりが生まれる。楓さんだ。
楓さんがいつの間にか俺の隣に座ってくれていて、両手で俺の右手を包み込むように握りしめてくれている。
息がうまく吸えなくて苦しかったのに、なぜだろう。楓さんの手のぬくもりが俺を落ち着かせる。息が整っていく。
俺は涙が溢れるのをぐっとこらえ、歯を噛みしめ、耐えた。
大丈夫だ……これくらい……強をキズつけた事に比べたら、なんともない。
「ま、正道君……大丈夫なの?」
「……信吾はん。彼なら大丈夫です。だから、少し落ち着くのを待ちましょ」
スマン……朝乃宮……回復までもう少し時間をくれ……。
俺は大丈夫だ。何の問題もない。
だから、泣きそうな顔で俺を見るな、女。てめえにだけは絶対に同情されたくないんだよ。
お前にだけは死んでも哀れんで欲しくない。
俺は大きく息を吸い、楓さんの手を握り返す。もう大丈夫だと伝えるために。
楓さんは俺に微笑んでくれる。
ああっ……この笑顔に何度救われてきたか……何度、自分の情けなさを痛感したことか……。
そうだよな……もう、失敗はしたくないよな。
だったら、いかなきゃな。そうだろ、相棒。
自分らしく、信念を貫き通せ。愚直でもバカでもかまわない。強に伝えるんだ。
「どこに行くつもりだ、正道」
義信さんの問いに、俺はまっすぐに答える。
「……強を追いかけます。ケジメをつけてきます」
「……頑張りなさい」
義信さんはその一言だけ言い残して、そのまま腕を組み、目をつぶっている。
ありがとうございます、義信さん。
俺は頭を下げ、心の中で礼を言う。
早く強を追わなければ……。
「待って! 僕も行くから!」
信吾さんが俺の進行方向へ立ち塞がった。俺は信吾さんを睨みつけるが、信吾さんは全くどこうとしなかった。
「僕はキミの父親で、強の父親でもある! 絶対に譲れないから!」
「……勝手にしろ」
「そうする。ほら、澪さん。一緒に行こう」
「「えっ?」」
なんだと?
信吾さんは女に手を差しのばす。
女は不安げな顔で俺を見つめている。ついていっていいのかと、目で尋ねているみたいだ。
アホか。俺じゃなくて、信吾さんに答えを返せ。
俺は女から顔をそらした。
「澪さんも行こう。僕達家族のことだからさ」
「……分かったわ」
女は決心した顔つきで信吾さんの手を握った。
二人の信頼し合った顔を見ていると、なぜか胸が痛んだが、俺はその痛みをかき消すように強の事を考えた。
早く追わなければ。
「行こう、正道君! 澪さん!」
「……おう」
「ええっ!」
俺達は強の後を追った。
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