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華夏の巻
玉体を仰ぐ朝
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朝廷という語は、その昔、日の出に城門を開くより早く、君主の前に卿士大夫が会合した事に由来する。その伝統は今でも儀礼の形式として重視されている。
景初三年十二月の末、洛陽は酷く冷え込んでいる。十二月の末とはいえ、今年は特例でまだ年明けまで一ヶ月の間が有る。倭人たちに謁見の日が指定されたのは、この奇妙な年の瀬の時であった。当日、張政や梯儁、難斗米に都市牛利たちは、まだ暗い内に起きて支度をしなくてはならない。外では寒い風が飂々と音を立てて空を吹き抜けている。張政たちは礼装をしっかりと着込んだ。難斗米たちは倭人の旅装であったが、それだけでは余りにも寒々しいので、綿入りの上着を貸してやる。
未明の空の下、騎上の司馬子上が先導し、難斗米と都市牛利が続く。献上される十人の囚人は、檻車の中で震えている。楽隊が太鼓を打ち、笛の舌を震わせる。兵士たちは幟と松明を掲げる。街路樹の陰に、見物する市民の顔が、ぽつぽつと浮かぶ。空は曇っているらしい。一行は王城の南へ廻る。城門の扉はぎりぎりと唸って大きく口を開く。橋を渡って門を潜ると、音曲は王宮付きの楽団に交替する。
――ドーン……、ドーン……
太鼓の音が心臓に響く。通路の両側には、篝火を挟んで、役人がどこまでも顔を連ねている。張政と梯儁は役目柄きょろきょろとは出来ない。難斗米と都市牛利は状況を把握しようと頻りに周囲を見回す。まだ暗いから建物の様子は分からない。ただ黒い大きな塊の所々に灯火が瞬いている。門をまた二つも潜って、やっと広い中庭に出る。そこは太極殿と呼ばれる宮殿の前である。囚人たちは先に引き出されて、供え物の如くに並べられている。いつしか上空の風は止み、雲は静かに流れて行く。左右では、高位高官の士人たちが遅刻すまいと次第に集まって、時々欠伸を漏らしている。じっと待つには寒く、火の側に群れが出来る。漸々と東から天が薄く白み、太極殿の威容を浮かび上がらせる。
太極殿は、厚い土壇の上に建っていた。土壇は目の細かい土を詰めて突き固めた物で、四面に壁を施してあるから、実際よりも建築の丈が高く見える。正面には、数十段に達するかと思われる階段が作り付けてある。見上げると階段の先に、軒を偉そうに大きく反らせた宮殿が乗っていて、それが太極殿の本体であった。旭に照らされて太極殿の半身が紅く輝き始める頃、乃っとその宮殿の奥から人の動きが見えた。寝惚け顔をしていた官吏たちも姿勢を正す。
幼い皇帝は、女官に手を引かれて現われ、八歳の身には大き過ぎる玉座に載せられて軒に臨んだ。向かって左に太傅の司馬仲達が立ち、右にも一人の貴人が立つ。それは大将軍・録尚書事の曹爽であろう。傍らにあの丁謐が付いている。丁謐は仲達の手柄になるこの朝会に苦々しい色を浮かべているが、曹爽ほどの大物はさすがに涼しい顔を装っている。
「ああ……、た、大儀である……」
近習に促されて、皇帝は眠たげに高い声を絞り出す。
「遠路はるばるの客人に、天子より大儀であるとの労いの御言葉である」
仲達が補足をする。倭人たちは土に膝と手を突いて頭を垂れる。これは倭人が貴人に面会する時の普通の挨拶で、特別に畏まっているのではない。皇帝は目をこすりながら仲達の袖を引いて何か言葉を交わしている。階下では担当の役人が張政に合図をする。張政は姫氏王の上表を読み上げなければならない。張政は、自分が代筆した文書を懐から出して両手で広げながら、姫氏王の眼を思い出した。
張政と梯儁は、姫氏王と一度だけ会見した事が有った。姫氏王は、頭を包んで鼻の所で縫い合わせ、両端を胸に垂らすという独特な形の白い頭巾を被っていた。それで顔は隠れていて、ただ切れ長の眼だけを出していた。梯儁は後でそれを蛇の眼だと言ったが、張政は虎の眼を想った。張政は、あんな眼をしている女性を、楽浪地方でも韓の諸国でも睹た事が無かったし、この洛陽という天下一の大都市でも見かけていない。
張政は、ふと、姫氏王のあの眼に看られている様な気配を背に感じた。自分のした代筆が、姫氏王の意に沿わないのではないかという事が、急に気に患った。しかしとにかく読まなくてはならない。
「倭人の主卑弥呼が、大魏天子足下に申し上げます」
舌を動かしながら張政は、酷く場違いな所に立っているなという感情に執らわれそうになった。本来ならもっと位の高い役人がすべき事なのに、なぜ自分の様な弱輩が皇帝の御前に出ているのだろうか。寒い冬の朝なのに汗が吹き出す。階上では皇帝が退屈そうな顔でどこかを眺めている。張政はやはり、ここに存在しないはずの、姫氏王のあの視線をなぜか感じるのである。そうだ、自分は倭人との関係の深さによって抜擢されてここに来たのだ。これは他の誰にも出来ない事なのだ。
「伏して惟るに、皇帝の徳は高遠にして、天が覆い地が載せるが如く、日が耀き月が照らすに同じく、山と海と殊に隔ると雖も、嵎夷に至るまで恩沢を被っております……」
この辺りはまず挨拶として、天子を讃えるありきたりな美辞麗句の連続である。ここから先は、姫氏王が天朝に伝えるべき事を――自分が代筆してしまったそれを――張政は読み上げる。
景初三年十二月の末、洛陽は酷く冷え込んでいる。十二月の末とはいえ、今年は特例でまだ年明けまで一ヶ月の間が有る。倭人たちに謁見の日が指定されたのは、この奇妙な年の瀬の時であった。当日、張政や梯儁、難斗米に都市牛利たちは、まだ暗い内に起きて支度をしなくてはならない。外では寒い風が飂々と音を立てて空を吹き抜けている。張政たちは礼装をしっかりと着込んだ。難斗米たちは倭人の旅装であったが、それだけでは余りにも寒々しいので、綿入りの上着を貸してやる。
未明の空の下、騎上の司馬子上が先導し、難斗米と都市牛利が続く。献上される十人の囚人は、檻車の中で震えている。楽隊が太鼓を打ち、笛の舌を震わせる。兵士たちは幟と松明を掲げる。街路樹の陰に、見物する市民の顔が、ぽつぽつと浮かぶ。空は曇っているらしい。一行は王城の南へ廻る。城門の扉はぎりぎりと唸って大きく口を開く。橋を渡って門を潜ると、音曲は王宮付きの楽団に交替する。
――ドーン……、ドーン……
太鼓の音が心臓に響く。通路の両側には、篝火を挟んで、役人がどこまでも顔を連ねている。張政と梯儁は役目柄きょろきょろとは出来ない。難斗米と都市牛利は状況を把握しようと頻りに周囲を見回す。まだ暗いから建物の様子は分からない。ただ黒い大きな塊の所々に灯火が瞬いている。門をまた二つも潜って、やっと広い中庭に出る。そこは太極殿と呼ばれる宮殿の前である。囚人たちは先に引き出されて、供え物の如くに並べられている。いつしか上空の風は止み、雲は静かに流れて行く。左右では、高位高官の士人たちが遅刻すまいと次第に集まって、時々欠伸を漏らしている。じっと待つには寒く、火の側に群れが出来る。漸々と東から天が薄く白み、太極殿の威容を浮かび上がらせる。
太極殿は、厚い土壇の上に建っていた。土壇は目の細かい土を詰めて突き固めた物で、四面に壁を施してあるから、実際よりも建築の丈が高く見える。正面には、数十段に達するかと思われる階段が作り付けてある。見上げると階段の先に、軒を偉そうに大きく反らせた宮殿が乗っていて、それが太極殿の本体であった。旭に照らされて太極殿の半身が紅く輝き始める頃、乃っとその宮殿の奥から人の動きが見えた。寝惚け顔をしていた官吏たちも姿勢を正す。
幼い皇帝は、女官に手を引かれて現われ、八歳の身には大き過ぎる玉座に載せられて軒に臨んだ。向かって左に太傅の司馬仲達が立ち、右にも一人の貴人が立つ。それは大将軍・録尚書事の曹爽であろう。傍らにあの丁謐が付いている。丁謐は仲達の手柄になるこの朝会に苦々しい色を浮かべているが、曹爽ほどの大物はさすがに涼しい顔を装っている。
「ああ……、た、大儀である……」
近習に促されて、皇帝は眠たげに高い声を絞り出す。
「遠路はるばるの客人に、天子より大儀であるとの労いの御言葉である」
仲達が補足をする。倭人たちは土に膝と手を突いて頭を垂れる。これは倭人が貴人に面会する時の普通の挨拶で、特別に畏まっているのではない。皇帝は目をこすりながら仲達の袖を引いて何か言葉を交わしている。階下では担当の役人が張政に合図をする。張政は姫氏王の上表を読み上げなければならない。張政は、自分が代筆した文書を懐から出して両手で広げながら、姫氏王の眼を思い出した。
張政と梯儁は、姫氏王と一度だけ会見した事が有った。姫氏王は、頭を包んで鼻の所で縫い合わせ、両端を胸に垂らすという独特な形の白い頭巾を被っていた。それで顔は隠れていて、ただ切れ長の眼だけを出していた。梯儁は後でそれを蛇の眼だと言ったが、張政は虎の眼を想った。張政は、あんな眼をしている女性を、楽浪地方でも韓の諸国でも睹た事が無かったし、この洛陽という天下一の大都市でも見かけていない。
張政は、ふと、姫氏王のあの眼に看られている様な気配を背に感じた。自分のした代筆が、姫氏王の意に沿わないのではないかという事が、急に気に患った。しかしとにかく読まなくてはならない。
「倭人の主卑弥呼が、大魏天子足下に申し上げます」
舌を動かしながら張政は、酷く場違いな所に立っているなという感情に執らわれそうになった。本来ならもっと位の高い役人がすべき事なのに、なぜ自分の様な弱輩が皇帝の御前に出ているのだろうか。寒い冬の朝なのに汗が吹き出す。階上では皇帝が退屈そうな顔でどこかを眺めている。張政はやはり、ここに存在しないはずの、姫氏王のあの視線をなぜか感じるのである。そうだ、自分は倭人との関係の深さによって抜擢されてここに来たのだ。これは他の誰にも出来ない事なのだ。
「伏して惟るに、皇帝の徳は高遠にして、天が覆い地が載せるが如く、日が耀き月が照らすに同じく、山と海と殊に隔ると雖も、嵎夷に至るまで恩沢を被っております……」
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